114 出立
冬が来た。時期的にはあと十日で年末だ。
聞いていたように雪が降ってきた。うっすらと地面を白くして、空気は冷えて、吐く息も白い。人の行き来がない町の外だと五センチほど積もっている。これからどんどん積もっていくんだろう。
ダンジョンの中もこれまでより少しだけ気温が下がった。でもコートなど厚着をして動き回ると体温が上がって汗が出る。そのためコートとかは邪魔で、脱いで持ち運ぶのも邪魔で着ずにダンジョンに入ることになる。だからダンジョンの行き来に寒い思いをしている。ダンジョン帰りには温かいスープを飲むなんてことが増えた。
そのダンジョンも現在五十五階で鍛錬中だ。
ダンジョンだけに通っていればもっと先に行っていたんだろうけど、中ダンジョンに行ってきたので進行は遅めになった。
今回の中ダンジョン行きはラッキーだった。予約を入れたら、ほかのメンバーと一緒ならすぐに行けるとギルドの職員から提案があったのだ。
二人組の少人数が二組、近日中に中ダンジョンに向かうらしく、まだ空きがあるので見知らぬ誰かと組むことを拒絶しないなら、そこに入れるということだったから入れてもらった。
全員年上だったし、団体戦はあまり経験がないから指示に従うことにして中ダンジョンに挑んだ。
四人とも性格に問題なく、揉めるようなことがなかったのは幸運だったと思う。
全員三十階はとっくに通り過ぎていたんで、苦戦はまったくせずに最下層まで行くことができた。
臨時のリーダーが出す指示もおかしなものはなく、臨時パーティがぎくしゃくするようなことなくコアを壊し解散した。
それを聞いたシーミンの感想が、珍しいことがあるというものだった。何事もなく終わったから無理もない。俺もなにかしらのハプニングはあるかもと警戒していたからな。
年末年始の祝い事に備えてミストーレにまた人が増えるということはない。
年末年始は地元で過ごすのが普通だそうだ。むしろ出稼ぎに来ている人たちが帰るので、人が少し減っているらしい。
帰郷は俺には関係ないのでいつも通りの日々を過ごして、明日もダンジョンだからさっさと寝ようと思っていると、リューミアイオールが話しかけてきた。
『新たな試練だ』
「相変わらず急に言ってきますね。それで今度はなにをするんですか」
『大陸南部で強敵と戦ってもらう』
曖昧だなぁ。いやまあ、ジケイルさんたちについていけってのも曖昧な指示だったな。
「もしかしてすごく遠いところに行けと? 移動だけでかなりの時間を使いそう」
『歩いて行けとは言わん。転移で送ってやる』
それなら安心だけど、強敵ってどれくらいの相手なんだろうか。
「相手の情報は教えてもらえるんですか」
『なしだ』
「カルシーンのようになにもできずに一方的にやられる相手とかは勘弁願いたいんですけど」
『そこまでの相手ではない。油断はできないが、勝ち目はある』
勝ち目はあるのか。ほっとしたけど、怪我は覚悟しないと駄目だろうな。
「いつからで、どれくらい時間かかるんですか」
『時間は長めに見たら冬の終わりくらいまでか。二日三日で終わるわけじゃない。出発は今からでもいいぞ』
「さすがに準備はさせてもらいたい。長いと四ヶ月ってことだし、宿を引き払う必要もあるだろうし、護符とかハイポーションも購入しないと」
『明日一日準備に費やし、明後日の朝町の外に行け。転移させる』
「わかった。ああ、そうだ。送る先に町とかはあります?」
『小さな町がある』
小さくても町の規模なら、ポーションの購入とか武具の整備とかは大丈夫そうだな。
「強敵ってその町にいるんですかね」
『……これくらいはいいか。町の近くに森がある。その中だ』
森の中。期間は最大で四ヶ月ってことだし、そう簡単には見つからないのかな。
「倒す相手が森を守っていて、倒そうとしたら町の住人から反対されるとかありますか」
『ない。町の住人が存在を把握しているかどうかも曖昧だ。そこらへんは自分で調べるんだな』
住人に途中まで案内してもらうのは無理そうだ。
あと聞きたいことは……呪いはどうなるんだろ。
聞いてみたら帰ってくるまでは止めるそうだ。ダンジョンに行けなくて強くなれないし、止まってくれるのは本当に助かる。
以前呪いが止まったときみたいに技術を高める期間になりそうだな。唐竹割りの練度を高めることに集中しようかな。
『ほかに聞くことはあるか?』
「うーん、あっそうだ。気候はどうなってます? ミストーレよりも寒いならその対策もしないと駄目だと思いますけど」
『ミストーレよりも寒さは緩い」
それなら特別な寒さ対策は必要ないか。
『もう聞くことはないな? 連絡は終わりだ。さらば』
リューミアイオールの声が消えて、寝るのは中断し荷物の整理を始める。
持っていくものはリュックに入れて、持っていかないものはバッグに入れる。
申し訳ないけど、持っていかないものはシーミンに預かってもらおう。
荷物の整理を終えて、ベッドに入る。
朝が来て、朝食をとったあと従業員に明日宿を出ることを伝えて宿を出る。
まずはゴーアヘッドに行ってお金を下ろし、買い物をすませて、頂点会とルガーダさんにしばらく留守にすることを伝えて宿に帰る。
預かってもらいたい荷物を持って、タナトスの家に向かう。
「こんにちは」
「はい、こんにちは。大荷物だけどどうしたの?」
シーミンの母親がいつもは持っていない荷物を見て目を丸くしている。
「しばらく遠出することになって。持っていけない荷物をシーミンに預かってもらいたいんですよ。大丈夫ですかね」
「大丈夫でしょ。それよりどこに行くのかしら」
「南の方に、国も出る。探しものを頼まれたんですよ。冬の終わりまでかかるかもしれません」
「大変ね。町の中なら手伝えたんだけど」
「その気持ちだけで十分ですよ」
シーミンの部屋に行き、入れてもらう。
大荷物に母親と同じように目を丸くしていた。
遠出するので預かってほしいと説明すると承諾してもらえる。
「いつから行くの?」
「明日の朝」
「早いわね。帰ってくるのよね?」
不安そうに聞かれ、頷きを返す。
「帰ってくるよ。鍛えるには大ダンジョンが一番だ。シーミンといった友人もいて、ここに愛着もわいているしね」
断言するとほっとした溜息を吐く。
「帰ってくるつもりがないなら、荷物は預けないで処分しているよ」
「そうよね。行った先でどんなことをしてくるのか土産話を楽しみにしているわね」
「何事もなく終わるのが一番なんだけどねぇ」
「そうなんだけど、この前の中ダンジョンはなにもなかったし、そろそろなにかあってもおかしくないと思うわ」
なにかあるのは確実だ。なにしろ強敵が待っているから。それ以外にはなにもないでほしい。
「デッサが南に行っている間に、私も中ダンジョンに行けるように頑張っておくわ」
「仕事と両立は大変じゃないか」
「いずれ深い階の見回りもするし、必要な鍛錬だってことで、仕事の量は減らしてもらっているの」
「俺が言えたことじゃないけど、怪我しないようにな」
「ほかの人にも同行してもらって、しっかりと安全に配慮して無理せずやっているわよ」
俺みたいに一人でダンジョンに入ることはないか。これまでもそうだったし、一人で行こうとしても周囲が止めるんだろう。
「そういえば魔力循環はどうなった?」
「皆ほどほどに鍛錬しているわ。私はまだ使い物にならないけど、奥の手として使える人もでてきた」
「一往復だけ?」
「そうね、試しに二往復をやってみたそうだけど、使い物にならなかったみたい」
「変わった使い方なんか試してみた?」
「基本もできていないのに、変わったことはしないわよ」
そっかー。まあそうだよな。
「というか変わった使い方とかあるの?」
「俺も特に思いつかないかな……あ、安物の増幅道具で二往復はできそうだ」
「安物だと一往復で精一杯だって聞いてるけど」
「使い潰すことになるけど、複数の安物を用意して最初に使ったものとは別の増幅道具に魔力を流せば一度限りの二往復ができるかも」
二往復して増やした魔力に耐え切れずに体に戻す前に暴発する可能性もあるけどね。
俺の言いたいことを理解したのかシーミンは「できるかも」と呟く。
「品質のいい増幅道具が手元にないときだけっていう限られた状況でしか使えないでしょうけどね」
「もったいないし、確実でもないから積極的にはやりたくないよな」
少し雑談を続けて、荷物の礼を再度言いタナトスの家から出る。
宿の部屋で忘れ物がないか確認していると、扉がノックされる。
扉がハスファがいた。
「ずいぶんと部屋がすっきりしましたね」
ぱちぱちと目を瞬かせ部屋を見渡す。
「実はしばらく遠出することになったんだよ。それでここを引き払う。持っていけない荷物はシーミンに預かってもらったんだ」
「以前遠出したときは借りたままでしたよね? もしてかしてそれなりの期間留守にするんですか」
「長くて冬の終わりまでかかるみたいだ。南の方に行ってくる。この国からも出る」
「本当に遠くに行くんですね。怪我や病気には気を付けてくださいね」
「怪我はするかもしれないけど、病気は気を付ける」
「ポーションとか包帯とか準備してます?」
「そこらへんはちゃんと準備したよ」
「慣れない土地に行くんですから、疲れたと思ったらすぐに休んでくださいね」
「わかったよ」
ひとまず納得したという感じで、ハスファは頷く。
「元気な姿で帰ってくることを願っていますよ」
「そっちも風邪なんてひかないようにね。シーミンも見てあげて、今は鍛錬に集中して強くなろうとしているそうだし」
「わかりました。会う頻度を多くします。シーミンが無茶をするのも見過ごせませんし」
「まあ俺よりは安全に配慮して鍛えるようだから、運が悪くないと大怪我なんてしないだろうけど」
「シーミンの運は悪くない、かな」
これまでのシーミンを思い出してハスファは言う。
ピクニックのときにおかしな人たちにからまれたが、そうそうあることじゃないし、ことさら運が悪いってわけじゃないわな。
「ハスファは年末出番があるし、それを見たかったな」
「目立つようなことはしませんよ。ただ先輩の手伝いで決まったルートを歩くだけですから」
「それでも晴れ舞台だしね。楽しみにしていたんだよ。来年は見られるといいな」
「そのためにも無茶をせずに帰ってきてくださいね」
無茶はするんだろうなぁ。
「その表情は無茶をしないとは言えないというものですね」
「相変わらず表情を読んでくる」
「それなりに長く見てきていますから。本当にちゃんと帰って来てくださいね? 死んだりしたらシーミンが泣きますよ。私も泣きます」
「友達を泣かす気はないから、ちゃんと帰ってくる。約束する」
ちゃんと守る気があると俺の表情でわかったのか、ハスファは安堵したように微笑む。
「ええ、シーミンと待ってます」
少し話して、教会までハスファを送り、夕食を食べてから宿に帰る。
朝が来て、朝食後まとめた荷物を持って宿を出る。
顔なじみの従業員たちがいってらっしゃいと声をかけてくれたのは、ちょっと嬉しかった。
町を出て雪の中を歩いて行くと、リューミアイオールの転移するという声が聞こえて、転送屋に送ってもらうときと同じ感覚が感じられた。
感想と誤字指摘ありがとうございます