104 祭り終わって 1
会場から出て、ミストーレから離れたカルシーンはそのまま野山を駆け抜ける。
右腕は動かしづらそうだが動いている。左腕は動かず下がったままだ。
腹の中にはいまだ怒りの熱がこもっており、落ち着く気配はない。
そうしてどれくらい走ったか、人が足を踏み入れない山奥、そこの開けた場所でカルシーンは足を止めた。
そこにはすでにホーラーがいて、木を背にして座っていた。
それを見たカルシーンは治まらぬ怒りの感情のまま近づこうとしたが、その前に上空から降りてきた者がいる。
舌打ちをしたカルシーンはその場に片膝を着いた。ホーラーも立ち上がり、同じように片膝をつく。
高所からの着地にまったくダメージのない様子のレオダークは、だらりと下がったカルシーンの腕を見る。
「苦戦したようだな」
「これはホーラーが動いていれば負わなかったものです。ホーラーさえ手伝っていれば怪我すら負わず皆殺しにできていました」
「ホーラー?」
名を呼ばれ、視線を向けられたホーラーは落ち着いた雰囲気のまま口を開く。
「私は私に任せられた仕事をまっとうしました。戦いは命じられていません。それに負けそうになったところで救いました」
「たしかに戦いは命じていないな。放置も命じていないが」
「人間ごときなんでもないと言っていたので、手伝いも必要ないと判断しました」
「言っていたな。それでそのありさまか」
「……油断しただけです。次は殺します」
たかだか人間に対して油断したと言い訳してしまったことに表情を歪め、カルシーンは右の拳を握りしめる。
「まあ、よかろう。今後は人間の底力を舐めるなよ。昔我らも舐めた結果、魔王様封印ということになってしまった。今回の仕事は、また同じ轍を踏まぬための戦力調査だということを理解するように。カルシーンは拠点に帰り治療を受けろ。その後は命令があるまで待機だ」
「あの人間どもを殺す命令をお願いします」
「待機と言ったのが聞こえなかったか?」
二度は言わんぞと重圧がカルシーンにかけられる。レオダークから放たれる威圧感で周囲の草花が揺れる。
小さく呻いたカルシーンは「はっ」と短く返事をしてその場を立ち去る。その表情は心底悔しげなものだった。
「これで多少は落ち着いてくれるといいが」
カルシーンは魔物の中でも上位の力を持つのだが、協調性に欠けているところがあり扱いづらかった。
レオダークといった格上の命令なら聞くものの、同格や格下への態度は褒められたものではない。
そのため軍の一員としては評価は低い。そのカルシーンを今回大会へと潜り込ませたのは、使い捨てできるからだ。
現状の人間の力量を測るための捨て駒として扱った。
カルシーンを倒せるようなら、戦った者たちを個別に襲撃し、人間側の戦力を削るつもりだった。魔物の力もカルシーンが基準と思い込こませて、こちらの戦力の隠蔽も期待した。
だがカルシーンは生きて帰ってきた。
レオダークの中で、カルシーンを殺せない人間たちの戦力を削ることの優先順位は下方へと動いた。そのうちやるが、今でなくてもいいという判断だ。
カルシーンについてはそこで考えるのをやめて、ホーラーに話しかける。
「さてホーラー。お前に課した仕事、その成果を報告しろ」
「はい。まずは人間の強さですが、一部を除いては我ら魔物にまったく及びません。観察していた大会の本選出場者でも若い魔物と互角に戦うことなど無理です」
「人間の強さは昔に比べると落ちていたが、大きな大会でもそれならば以前よりは楽ができるかもしれんな。では一部の人間は俺に届きうるか?」
「倒すのは無理ですね。命を賭けて怪我を負わすのが精一杯でしょう。現時点ではですが。今回カルシーンが暴れたことで、魔物というものの強さを人間も知った。それを人間が真剣に捉えて、対抗していこうと考えたのなら、もしかするとレオダーク様を倒す人間も出てくるかもしれません」
最後に、倒すにしてもそれなりの時間を要するでしょうと付け加えた。
「お前から見てカルシーンは負けていたと思うか?」
「あのまま戦っていたとしたら、人間側に大きな被害を出しつつも殺されていたかと」
「主に戦っていた者の年齢は?」
「老人です。その者がカルシーンとほぼ互角。ほかに若者というにはやや年をとった者たちがなんとか食らいついていました」
魔力循環については把握できていない。それがわかるほど近いところから観察していたわけではないのだ。
「そんなものか」
「老人はおそらく過剰活性に工夫を加えた技術を用いたと思われます。老人が準備時間を得たあとの動きはそれまでと全く違うものでしたので」
「過剰活性は体に大きく負担をかけるものだったな。それを我らと戦えるように工夫したとなれば負担はさらに大きくなっているのかもしれん。どう思う?」
「人の技術に興味はないので」
あっさりと答えにならない言葉を返す。
「相変わらず必要のないものには無関心だな。まあいい、次だ。竜はどうだった?」
「動く様子はありませんでした」
「俺たちや町を気にする様子もか」
「私のわかる範囲では」
なるほどとレオダークは頷く。
ホーラーに命じたのは二つ。カルシーンのフォローとリューミアイオールの観察だ。
フォローは、カルシーンが目的を果たす前に暴れすぎることを想定し、証拠隠滅などやるようにと命じていた。
カルシーンは力を押さえて動かなければならないことにストレスを溜めていて、夜な夜な人を殺していた。その死体のいくつかをホーラーが町の外へと捨てていたのだ。ギデスたちが把握しているよりも多くの人間が祭りの間に死んでいた。死体は川を流れて海にでるか、どこぞの岸に打ち上げられているだろう。
リューミアイオールの観察は、レオダークの同僚である蟻の魔物アンクレインが以前ここに来たとき、特に反応を見せなかったということで、本当に動かないのかちゃんと確認するために観察を命じた。
今回魔物が町に滞在していたにも関わらず、動きを見せなかったことで人間への興味関心が薄れているとレオダークは判断した。
人間が弱体化したことで、魔物の脅威はリューミアイオールといった強い個体くらいだ。
そんな個体が人間を気にかける様子を見せない現状は、魔物に有利な状態であるといっていい。
リューミアイオールを刺激しないように、これ以上はミストーレでの活動を控えることにして別のところにいる強い個体の観察を行うことにしようとレオダークは考える。
「次はオルスオーンかグルムザインか」
「グルムザインは近づかなければ静かなものでしょう」
「だが手順を踏んで会いに行けば、強力な武器の素材を得られる存在でもある。そうだな、お前にはグルムザインの方に行ってもらおうか」
「面倒な方にですか」
「面倒だとわかっているから行ってもらうのだ。ほかの奴だと森を荒らして殺されて情報を持ち帰ることができぬ」
ホーラーは盛大に溜息を吐いて、承知いたしましたと言い飛び去っていく。
レオダークもその場で今後の予定を考えたあと、鳥型のモンスターの背に乗って去っていった。
◇
祭りが終わった翌日、体の調子は悪くなかった。
ベッドから体を起こした時点で多少の怠さがあったていどで、体のどこにも異常が感じられなかったのだ。
歩くだけでピリピリとしていた痛みはすっかりと引いていて、庭でシャドーボクシングの真似事をしてみても痛みはなかった。
これはフリクトからもらった薬のおかげと見てよさそうだ。
「ダンジョンを早めに切り上げて、そのあと礼の一つでも言っておこうかな。あとは病院にも痛みが引いたことを知らせておこう」
今日のダンジョンでの鍛錬は調子を確かめるだけにとどめることにして、朝食をとったあと武具を身に着け宿を出る。
大通りも路地裏も掃除をする人たちがあちこちにいた。ポイ捨てされたゴミだけではなく、酔っ払いの吐瀉物なんかもあり、汚いといった声も聞こえてくる。
掃除をする人々の中には冒険者たちの姿もある。主に若い子が多く、生活費のために頑張っているのだろう。町が綺麗になるのはありがたいから、真面目に頑張ってもらいたいところだ。
大掃除といった町の風景を見ながら転送屋に入り、ダンジョンに向かう。
四十四階でブラックマンティスと戦い始める。早めに切り上げるので魔力活性を使って節約せずに戦っていった。そのときに違和感があった。
やっぱり不調だったというわけじゃない。魔力活性で体中に魔力を漲らせるのだけど、その感覚がいつもと違った感じだった。
いつもは体全体から放出するような外に外にと向かっていく感じなんだけど、今日は魔力の一部が体全体にまとわりつくような吸い付くような、そんな感じだった。
「明らかにこれまでは違ってるよな」
違っているけれど、不利益をもたらしているというわけでもない。これまで通りの動きができている。
もらった薬の副作用なんだろうかと思いフリクトに聞いてみることにして、もう少しブラックマンティスと戦うことにする。
腹の減り具合で正午くらいだろうと判断し、転送屋の待つ区画に向かう。
地上に戻り、目に入った食堂で昼食を食べる。地元に戻ろうと話している冒険者たちがいたりして、集まった人たちがどんどん減っていくなぁと話している人もいる。
朝よりはこころなしか綺麗になった通りを歩いて、フリクトのいる宿に向かう。
その近くまで行くと窓を開けて外を眺めているフリクトが見えた。向こうもこちらに気付いたようで手を振る。振り返すと頷いて窓を閉める。
降りてくるのだろうと思って宿の入り口で待つ。
「こんにちは。薬になにか問題があったのかしら」
出てきたフリクトが聞いてくる。
「逆です。痛みが引いたからその礼に。あと副作用かなと思えるものがあったので、それについて聞きにきました」
「副作用? 私も飲んだことあるけど副作用と思えるようなものは一度もなかったけど」
首を傾げてどんなものかしらと聞かれ、魔力活性を使ったときのことを話す。
「それは魔力活性を使った際の得意分野なのだと思うわ。全身にそれがあったということは頑丈さが以前よりも上がっていたと思う。それについて自覚はあった?」
「得意分野……ああそういえばそんなものもありましたね」
あれがそうなのか。意識してなかったから痛みとか衝撃が減ったかどうか気づかなかった。
いや待てよ、思い出してみればカルシーンの攻撃を受けたときに痛みが減ったな。あのときに得意分野がはっきりしたのか。
少しダメージが減ったところで、カルシーンの攻撃には無意味だったから意識が遠のいたせいだと思っていた。
「その表情を見ると当たりみたいね。得意分野もわからずカルシーンに相対したというのだから、信じられない話よね」
もしかすると大ダメージを受けたことで、魂とか肉体とかが頑丈さを求めた結果、その方向で発現したのかもなぁ。
そんなことを考えていると、小声で「さすが」と聞こえてきた。
なにがさすがなのかとフリクトを見ると、見たことのない視線を向けられた。
目は細められ、柔らかいまなざし、そこに込められている感情はなんだろう。喜怒哀楽でいうなら怒と哀は違う。楽でもなく、喜が一番近いと思えた。
「どうしてそんな目で俺を見てくるんでしょう?」
「え、今特徴的な視線だったのかしら」
フリクトの表情がすっと引き締まり、聞き返してくる。
「はい、なんか柔らかい感じがしましたね。微笑ましいのではなく、褒める感じとも違う」
「うーん、ちょっとわからないわね。意識していなかったから」
「そうですか」
まあ不快ではなかったんで深く聞かなくていいか。
「話は少し変わるけど、昨日あれだけ攻撃を受けたのに休まずダンジョンに行ったのね?」
「疲れもほぼなく、痛みも引いていましたからね。体の調子を確かめたかったんですよ。調子が悪ければ宿から出ずに休んでましたね」
「普通は念のために休むものだけど。無茶はしちゃ駄目よ」
また言われてしまった。早めに切り上げたから無茶はしてないんだけどな。
フリクトさんにわかりましたと返し、別れを告げる。
その場を離れて、メモを頼りに病院を探す。
感想ありがとうございます
ノートパソコンに麦茶をぶちまけて焦りました
一日乾燥させて、電源をつけてみたらなんともなさそうなのでほっとしています
このあと異常がでなければ、買い直ししなくてよさそうです