100 お祭り開始 6
「これをお願いします」
これまでの一番の魔力を体にまとい、借りていたワンドをナルスさんに渡す。吐き気を我慢しているせいか口調が固くなった。
ワンドを受け取りながらナルスさんは口を開く。その表情は驚きへと変化していた。
「かなり強化されたのはわかる。だがそれでもあの魔物に届くかどうか。しっかりと防御するようにな」
「わかりました」
経験豊富なナルスさんが言うのだから間違いないのだろう。無防備に攻撃を受けないようにと心に刻み、剣を抜いて舞台へと突っ込む。
これまでで一番の速さで駆けているのが自分でもわかる。あっという間に接近してカルシーンの横から攻撃をしかける。
その速さにカルシーンは容易く対応してくる。
振り下ろした剣を鋭い爪で弾かれる。その衝撃は大きく剣が手から離れそうになる。一度攻撃を受けただけで差がわかる。三往復した状態でも俺にはカルシーンを倒せそうにない。
「雑魚がなんのようだ」
カルシーンはいまだ片目を閉じ、もう片方の目も開けづらそうにしている。よほどあの劇物が効いたのだろう。
これは戦って時間を稼ぐより、そっちで揺さぶった方がいいかもしれん。
「雑魚なりの嫌がらせだ。さっきの俺が作った液体はよほど効いたみたいだな。だからもう一つプレゼントしてやろうと思ってな」
ポーションの入った瓶を左手で軽く揺らす。蓋は閉じているから中身がポーションとはわからないはず。
揺れる瓶を見て、カルシーンはわずかに顔を歪めた。
「お、顔色が変わったぞ。さっきみたいに発情した猫よりも情けない遠吠えをまた響かせるのがよほど嫌だと見える」
「なんだと?」
よし、関心が引けたみたいだ。今のうちにファードさんには魔力循環をやってほしい。確認したいけど、そちらに視線を向けると気づかれそうだから我慢だ。
「魔法の薬でもないただの調味料の組み合わせに負けた魔物なんてお前くらいだろうさ。歴史の中で一番情けない姿をさらした魔物って名誉な称号でも持って尻尾巻いて逃げるんだな。そしたら見逃してやるよ」
「……下手な挑発だな」
そう言いつつもいらついた表情で俺を睨みつけている。
「挑発? 事実だろう。俺たちが言いふらしてやるから、いつかほかの魔物の耳にも届くだろうな。人間相手じゃなくて調味料相手に尻尾巻いて逃げた、恥さらしの魔物カルシーンの名前は!」
さぞかし面白かろうと笑ってみせてやる。
格下からの馬鹿にする態度や笑い声がよほど気に障ったんだろう。開きたくないはずの目をカッと開いて真っ赤な目で睨んでくる。歯も剝き出しで、誰が見ても激怒しているとわかる。
いやー、純粋に怖いわ。さすがに体が震える。あとで聞いた話だと、怒気に乗って少ないながら浸食ダメージもあったそうで、会場にいた人たちはその被害を受けていたそうだ。
でもこれで注意はひきつけられた。あとは耐えるだけ。
そう思うと同時に拳を振りかぶったカルシーンが目の前にいた。
(速っ)
防御と頭で考える前に、本能で防御体勢を取る。クロスした腕に拳が叩きつけられ、吹っ飛ばされる。
衝撃と痛みがすごい。三往復状態で強化してなかったら肉と骨がちらばっていたのが想像できる。
痛みに涙目になりつつ急いで立ち上がると、また目の前にカルシーンがいた。
ファードさんたちとカルシーンの戦いを見て、速いのはわかっていた。でも間近だと速すぎるっ。
今度は肩を掴まれ、その手を外そうとする前に地面に叩きつけられる。それも一度や二度ではなく何度もだ。
(受け身っとらないとっ)
学校の授業で習ったものを思い出し、叩きつけられるたびに受け身をとる。でも正直ちゃんと衝撃を逃がせているのかわからなかった。
痛みに必死に耐えていると投げ捨てられ、地面に転がされる。
気持ちでは立ち上がらないといけないとは思いつつも、上手く体が動かせない。受けたダメージが大きすぎる。
そこに高く跳ねたカルシーンの膝が腹に突き刺さる。骨の折れる音が体内から響いた。
「いぎっ」
激痛に体を縮こませようとしたら、頭を掴まれ持ち上げられる。
「所詮は口だけの雑魚か」
「そ、その口だけの雑魚に、馬鹿にされる、三流がお前だ」
少しでも時間が稼げればとなんとか言い返す。笑ってやりたかったけど、正直そこまでする余裕はない。
お返しとばかりに、腹へと拳を何度も叩きつけられる。
意識が朦朧とする。体に力が入らない。体のあちこちが痛い。なんでこんな目に遭っているんだろうか。わからない。いや時間稼ぎで耐えているんだった。痛みで耐えている事情を忘れかけた。ファードさんはまだだろうか。サンドバッグは覚悟していたけど、やっぱり痛いものは痛い。
感覚が薄れてきたのか、痛みが少し引いてきた。
「すまん。待たせてしまった」
次はどんな攻撃を受けるのだろうかと思っていた俺の耳に、そんな声と打撃音が届く。
音はしたけど衝撃がこない。俺の体を殴った音じゃないのか?
そんなことを思っていると一瞬の浮遊感のあと、体全体に軽い衝撃がきた。
(これは地面に落とされた?)
なにがどうなっているのかわからないままうつ伏せでいると、また体が動かされる。
カルシーンのように乱暴ではなく、丁重に扱ってくれているらしい。
身を任せていると急に意識がはっきりとした。同時に体の痛みもはっきりとする。カルシーンに殴られたときほどじゃないけど、筋肉痛より痛みがある。あとは浸食ダメージのせいで怠い。
「大丈夫か?」
グルウさんが俺の顔を覗き込みながら聞いてくる。
「か、体のあちこちが痛い」
「そりゃそうだろうよ。あれだけいいように殴られたら痛かろうさ。でもそれだけで済んだという事実に感心する」
ほれと渡された小瓶がなんなのかわからず見返す。中身が減っているようでちゃぽんと軽い音がした。
「ハイポーションの残りだ。飲めば痛みももっとましになる」
遠慮なく飲ませてもらおう。ぐいっといっきに飲み干すとじんわりと痛みが引いていく。それでもまだ痛いところが残っている。どれだけ好き勝手やられたんだろう。
よっこいしょと言いながら立ち上がる。
体を見てみると、あちこちに血が付着していた。
「血も出ていたのか」
「口の中を切ったみたいで口から出していたし、鼻血もでていたぞ」
骨が外れたり、折れたりしていたことも付け加えられた。
「それだけやられていたら防具を身に着けていても怪我の状況はたいして変わらなかっただろうな」
「おそらく」
修理費が高くついたかもしれないから、身に着けてなかった方がよかったのかも。
そんなことはないか。少しでも怪我がなくなるなら身に着けておいた方がよかった。
俺がそんな感想をもっている間にも、ファードさんとカルシーンの戦いは進む。
ファードさんはカルシーンの攻撃をいなしてカウンターを入れ、そこを起点として連続した攻撃を当てている。
ファードさんの動きが速すぎて拳や蹴りがいくつも見える。そんな高速の連撃をカルシーンもしっかりと避けたり防御している。
「俺が見たかぎりだとファードさんが優勢かなって思うんだけど」
手数はファードさんが多い。当たっている数もだ。
「そうだな。今のところは優勢と言っていいだろう。魔物相手にすごいことだと思うが、お前もわかっているように強化できる時間は決まっているから、あのまま押し切るのは難しいぞ」
「ファードは機会を待っているようじゃ」
ナルスさんもこちらに来た。
俺の体を上から下までさっと見て、舞台に視線を移す。怪我の具合を心配してくれたんだろう。
「どこかで強烈な一撃を放つつもりですか?」
グルウさんが聞き、だろうなとナルスさんは頷いて続ける。
「あの状態でもやっと少し超えたくらいだろう。だから余裕をもって決定打を放つのは難しい」
「賭けに出る必要があるということですか」
「うむ」
賭けに負けたらこっちの負けか。
そんな俺の心の内を読んだわけでもないだろうが、ナルスさんは言う。
「賭けであっても勝率を得られる状態まで持っていけたのは賞賛に値する。魔力循環のおかげでもあるが、それ以上にファードがこれまで続けてきた鍛錬のおかげじゃろうな。飽くなき強さへの思いが、勝率を手繰り寄せた」
そう言うナルスさんの表情には憧れのようなものが現れている気がする。
ほかの人たちを見てみると、ファードさんの戦いをじっと見ている。
治療が終わったロッデスやフリクトもいつでも動けるように構えつつも、戦いを見つめている。
フリクトは観察するように、ロッデスは憧れと悔しさといった感情が出ていると思う。
「あの二人はファードがチャンスを必要としたとき、時間稼ぎに動くつもりのようじゃ」
俺の視線の方向に気づいたようでナルスさんが教えてくれた。
「お主が体を張ったからな、自分より下の者の頑張りに負けられないと思っているようだ」
「さすがですね。俺は腰が引けてカルシーンの前に立てそうにありません」
グルウさんは自分が情けないと拳を握りしめている。
「それが当たり前の反応じゃな。大抵の者は激怒するあれの前に立つ気などせぬよ」
「デッサはできた」
「それはこやつがあの激怒する魔物以上のなにかを知っていたからではないかと思うぞ」
二人はちらりと視線を向けてくる。
「そうですね。あれよりも怖いものを知っています。見られただけなのに指一本動かせなくなりました。怖いを通り越して綺麗とさえ思いましたね。それよりはましといってもあの激怒した状態が怖くなかったわけではないんですが」
「あれ以上か。想像つかないな」
「わしもだのう。正直あの状態のカルシーンは人生で三本指に入る怖さだ。あれ以上となるとわしも動けなくなるだろうな。そろそろだな」
話していたナルスさんがファードさんの変化を見抜き呟いた。
俺にはこれまで通りにしか見えないが、なんらかの変化があったようだ。
「なにかを待っていると思うのですが、合ってます?」
グルウさんが自信なさげに聞く。それにナルスさんは頷いた。
「わずかに足を引いて、腰もほんの少し下がった。先ほどまでより避けにくくなっておる。攻撃を受けてからのカウンター狙いかもしれん」
「カルシーンはそれを見抜いてきますかね」
「激怒したままだと無理じゃ。だが戦いながら少しは落ち着きを取り戻しておるようだ。狙いを見抜くかもな」
「おそらく正拳突きか? あれは爺さんの技の中で一番練度が高い。それが当たれば魔物といえども」
俺たちの視線の先でカルシーンがこれまでで一番勢いのある攻撃をしかける。
まっすぐにファードさんの顔を狙ったストレートだ。
ファードさんも動く。腕を引き、どっしりと腰を落として正拳突きを放つ。
「まだ早いっ」
ナルスさんが焦ったように言う。
ファードさんがしかけるタイミングを間違えたということなのか。
カルシーンの表情にも嘲笑が浮かぶ。
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