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終末ラスト&.

作者: 夕綺柳

【注意】恋愛物ですが、すこしふしぎ要素がありますので苦手な方はご注意ください


昔に書いた短編です。


三人称で書いているので地の文が多めです。


友達に読んでもらったところ、高評価でしたが、今読むと堅いなと感じます。


コンテストに応募して一次選考落ちの作品ですので、問題多いと思います。


「あっ、井奈波だ」


 お茶の間で国営放送スペシャルを見ていた椋田俊太郎は、そのブラウン管に、クラスメイトの姿が映った事に気が付いた。


 放映中の番組が臨時ニュースに切り替わって、十秒程経過している。


「へぇ、このお嬢さん知ってるんだ。なに、アイドルか何か?」


 母親が興味深そうに息子を見やった。


「クラスメイト」


「ほぉー、それじゃあ学校は楽しいだろうて」


 祖父も面白そうに孫を揶揄する。


「うん、そうみたいだね」


 まるっきり人ごとの様に俊太郎は相づちを打った。祖父も母親も肩をすくめている。


「お前は俺にそっくりだよ」


 父親が溜息を付きながらお茶を啜った。


 息子の淡泊さに、なにか心当たりがあるらしい。


 なんとなく他局にチャンネルを変えた父親は、あちこちに同じ様な放送を見つけ、結局チャンネルを元に戻してからお茶を飲み干した。


 みんなが楽しみにしていた国営放送スペシャル『仏教芸術~世界遺産を尋ねて』は、再開される様子がない。


 お茶の間に何とも言えない雰囲気が漂っていた。


 椋田家は、家族総出でアンティークショップを営む道楽一家で、この手の番組は家族揃って視聴することになっている。


 臨時報道には泣く子も勝てないとはいえ、久しぶりに家に帰った父親は、ガッカリした様子でテレビのリモコンをいじり回していた。


 旗師をしている父親は、一年の半分ほどを旅の空の下で暮らす。


 日本全国の骨董市や倉を周る旅に出かけ、商品を買い付ける業務を担っているのだ。


 現金というのは恐ろしいもので、まとまった額を目の前に積まれると、ご先祖様の遺言をうっかり忘れさせてしまえるらしい。


 そうやって、地方の品物を店に集めて回るのだ。


 無論、二束三文の品を掴まない知識と経験が必要となるが、経験というのは失敗から学んでいく積み重ねといえる。


 成功で積み上げられた経験など、結婚式のスピーチか自叙伝の中にしか存在しないのだ。


 父親が家を空ける間は母親が店を切り盛りするのだが、むしろ母親こそが椋田家の商売を支える最重要人物だった。


 先祖代々営まれてきた伝統ある骨董屋は、祖母が他界した途端、あっという間に雰囲気のあるアンティークショップに様変わりしてしまった。


 母親の仕業である。


 内装は凝りに凝った純和風。


 照明は明るすぎず暗すぎず、高級昼白色の蛍光灯が照らすコーナーと、上品なウォーム色のコーナーに別れている。


 日本古来の品はもちろん、アンティークのカップやソーサーを、嫌み無く展示することに腐心した結果だ。


 正直に言って、海外の品というのはどうにも日本人に馴染めない品が多い。


 簡単に言ってしまうと華美なのだ。


 しみったれた島国的感覚からすると、絵や皿や時計だけでなく、椅子や机の様な家具に至るまで、どうにも落ち着かないセンスをしている。


 当時、エキセントリックな色使いで、遠く海外の印象派画家達に影響を与えた日本人が幾人も居たが、その美はあくまでディフォルメされた色使いを伝えたに過ぎない。


 少数派を除き、決して、日本人の好みと西洋人の好みを一致させた物ではなかったのだ。


 だが、母親はその二つの文化を見事に融合させていた。


 西洋的なインスピレーションの建物に和の品を置くことを捨て、日本風家屋のなかに、どうやって西洋アンティークを置くかに腐心したのだ。


 結果として若い女性客を掴むことに成功し、江戸川と荒川に挟まれ、地元民以外は駅を降りないと言われる東京のボトムスポットに新しい風を吹き込んだ。


 祖父も父親も西洋品を見る目が無く、この母親の案に大反対したのだが、祖母が大往生してから改装を始めた事からも分かるように、椋田家は完璧な女性上位ファミリーなのだ。


 千円から数万円ほどの小物を多数取りそろえ、夕方には学校帰りの学生を集め、それが終わればOLを初めとする大人の女性に住み分けられる店を目指したのだ。


 本物とか偽物とか、これから値段が上がるとか一切関係がない。


 彼女達は、自分が良いと思った物を身につけ、部屋に配置しているだけなのだ。


 初めはうるさかった男衆も、赤字続きだったバランスシートの劇的な変化に押し黙り、母親の商才には認めざるを得ない部分がある事を感じていた。


 特に、日本骨董の修復屋として名をはせていた祖父を、大々的に宣伝した事が大きい。


 安価での修復をうたって仕事の数を増やし、圧倒的な利益を上げたのだ。


 通年、半年先まで仕事が詰まっているという状況ではあるが、修理というのはとにかく儲かるものなのだ。


 もちろん、一人息子である俊太郎に対する期待と英才教育は凄まじく、まさに洋の東西を問わない骨董屋としての才能を開花させつつあった。


 ただ、少しそれにはまりすぎた感もある。


 あまりに骨董が面白かったのか、それ以外のことに対する執着心が恐ろしく淡泊に育ってしまったのだ。


 そしてそれは、特に女性に対する感情として顕著に現れていた。 


「可愛い子じゃない。何が不満なの?」


 母親が心配そうな素振りも見せずに、話を振ってみる。


「不満って、なにが?」


「この子に対する不満」


「別に井奈波に不満なんて無いけどなぁ」


 今年で中学二年になる俊太郎は、自分は異性に対する興味を持たずに生まれて来たのだと思っていた。


 男女に関係なく友達は必要だと思っているし、一緒に居るととても楽しい。


 だが異性としての女性は違う。


 友人だろうがネットだろうが、女性に関する情報を聞くに、マイナス面ばかりが目立つ趣味に思えた。


 俊太郎としては女性に興味がない事で困った記憶もなく、自分にもその内好きな娘とか出来るのかな、くらいにしか興味のない話なのだ。


 確かに井奈波は可愛い。


 それが分からない程、ぼんくらじゃないと俊太郎は思っている。


 男友達もこぞってそう言い合っているんだから、まず間違いないだろう。 


 一応断っておくと、別段、俊太郎に特殊な趣味があるわけではなく、美的感覚に致命的な欠陥を抱えているのでもない。


『女性が可愛いとか美しいとか、そりゃ見れば分かるさ。でも、だからなに? って思うんだけど。なんでそこから突然、一緒に居たいなんて話になるのか不思議だよ』


 こう言い続けている男なのだ……。


「こころの病気だな」


「やめてよ、爺ちゃん」


「いや、今のお前はマワットルだけのイカレた古時計じゃ」


「なんだよそれ……」


「表向きちゃんと動いとる様に見えるが、その実、半分以上の機能が死んどるのよ。たった一つの歯車が機能せんだけで、人間、十や二十は軽くその力を発揮出来んもんなんだ」


「まぁまぁ、お父さん。そんな事言ってるうちに、会って欲しい人がいるんだー、なんて言い始める歳になるんですよ」


「もう、どうだって良いじゃないか」


「あなた……もうそんな日は永久に来ないかも知れませんよ」


 臨時ニュースに変わってから、明らかに集中力が落ちた一家の中で、比較的まともな精神を持っている母親はテレビに釘付けになっていた。


 テレビにはスポークスマンを勤める官房長官の姿が映っている。


 そして、その口から……世界滅亡の日が伝えられた。






「稔さん、こっちにお願いします」


「稔さーん、こっちにも一枚……」


 井奈波稔は、母校の指定制服である純白のセーラー服をわりと気に入っていた。


 所々のグレーを無くしてくれると、尚良いと思っている。


 だが、先日の政府発表からこっち、何処へ行っても写真を撮られる毎日に辟易していた。


 稔くらいの少女ならば、透けてしまう背中の線のことが気にならないはずもない。


 おかげでこの暑いさなかに、余計なタンクトップを一枚着る羽目に陥っていた。


 お腹が出ないように着ている娘はたまに見るが、透けてしまう線のためにタンクトップを着るのは、自意識過剰な気がしてなにか嫌だと思っている。


 稔は、学校が終わっても自宅へは戻らず、23区外にある大きな屋敷の前を歩いていた。


 その門の前には報道関係者が集まり、気の落ち着く暇も無いという喧噪を見せている。


「稔さん、応援している国民の皆さんに向けて何かメッセージを」


 マイクを持った若い男が稔の前に立ちふさがった。


 稔は全く無視してその脇を通り抜ける。


「あなたそういう態度で良いと思ってるんですか? 少し思い上がってるんじゃないですか?」


 パシャパシャとフラッシュの焚かれる音が激しさを増した。


「稔さん、様々な国から引き抜の声が掛かってるというのは本当ですか? まさか祖国を裏切るおつもりなんですか?」


 女性キャスターが後ろから稔の肩を掴もうとした。


 稔は捕まれる寸前に、半歩ほど体を捌いてその手を避けると、女性キャスターがバランスを崩して前につんのめる。


「きゃっ」


 ものすごいフラッシュが辺りに巻き起こる。


 稔は一度も振り返ることなく立派な木製の門まで辿り着くと、その通用口をくぐり、中へと消えてしまった。


 屋敷内に入った稔は、瞬時に後ろを振り返るとその分厚い門越しに何度も何度も蹴りを見舞う。


「このっ、このっ、このっ……」


「こらこら、何をしてるんですか。はしたない」


「あ、あ、あのアホ共は何とかならないんですかっ!?」


 外を歩いているときは完璧に表情を殺していた稔だったが、屋敷内に入った途端、怒りが爆発したように顔を紅潮させ、拳を振るわせていた。


 身勝手にも程があると稔が叫ぶ。


「稔さんも年頃のお嬢さんなんですから……」


 二十代後半ほどの眼鏡をかけた男が、ほうきを持って屋敷をせっせと掃除していた。


 屋敷の周りには高所と言えるほどの建物がなく、遠距離からの望遠撮影は心配のない場所だ。


 自宅でも怒りを発散出来ない稔は、しばらくこっちに住むつもりでいた。


「みんなは大丈夫?」


「はい、稔さんが引きつけてくれましたから、ちゃんと隠し門を通れていますよ」


「そ」


 遠くからは、野太い男の掛け声に混じり、少年の様な掛け声も聞こえてくる。


 そちらに目をやると、ボディースーツを身にまとった男女が、打ち藁に木刀を叩き付けている姿が目に入った。


 木の人形に藁を撒いて、人の背丈ほどに立てておく練習器具だ。


 中には稔よりも年若いと思われる男女までいる。


 報道陣が詰めかけている門には、御前府等辺流と書かれた看板が掛かっており、ここ数日の間に、その流派が日本最古の剣術流派であるというウンチクが知れ渡っていた。


 中条流から一刀流を経て、柳生新影流よりも早く将軍家指南役となった流派の源流であるという。


 その起源は、初めて日本刀が歴史に登場した、平安時代後期にまで溯るという者までおり、あまりその情報が伝えられなかった中条流の、更に日陰な歴史的位置に存在していると言えた。


 その剣技は豪快かつ繊細なもので、小太刀を用いた二刀の分派まであるという。


 江戸期以前に流行した剣術の特徴なのだが、どうしても対甲冑を想定した剣術にならざるを得ないため、御前府等辺流の稽古には木刀が使われることが多かった。


 だが、戦乱の時代も終わり、平和な時代が訪れると、平服を着た相手と戦う剣術が隆盛になり、木刀稽古は寂れて竹刀稽古が大流行した。


 中条流でさえ、江戸初期を過ぎた辺りでその姿を消していったことを考えれば、御前府等辺流がどういう歴史を辿ったのかは想像に難くない。


 更に言えば、御前府等辺流の場合、自身も甲冑を着けて稽古を行うことが多かったため、全く流行しなかった。


 今も昔も、こういうストイックに過ぎるものは敬遠されるものなのだ。


 だが、御前府等辺流の一派は、天皇を初め時の権力者達から特別な庇護を受けていた。


 いざというときの切り札であり、ほぼあらゆる義務から解放され、その剣術を磨くことだけに専念させられたのだ。


 その優遇措置は明治期にまで及び、それを過ぎてからも様々な財閥、団体からの寄付を受け、存在し続けてきた。


 そして時は平成の今日。


 彼らはその技術を受け継ぐ者を数十人にまで減らしながらも、まだ存在していた。


 そしてついに、いざというときが訪れてしまったのだ。


 後百年遅ければ完全に手遅れだったのだが、流派の滅亡にギリギリで間に合った形となる。


 このような放送が連日連夜日本中で流れ、その中にあって一際目を引く美しい少女であった稔は、ワイドショーの格好の餌食となっていた。


 他にも女性の門下生は居るのだが、稔が一々ムキになって面白い反応を返すので、特別に突っつかれる存在となってしまったのだ。


 未成年の年端もいかない門下生達は、稔が表門に報道陣を引きつけている間に、急いで隠し通用口から侵入する手はずとなっている。


 残念ながら、世界滅亡の危機に至っているのに、未成年が心穏やかに稽古を付けられる環境は構築出来ないでいたのだ。


「ああ、お帰り。井奈波」


「えっ」


 そこにはクラスメイトの椋田が歩いていた。


 台車の上に長細い木の箱を積み上げ、離れの方へ向かっている。


 そういえば、今日は教室にいなかったかも知れない等と酷いことを考えていた。


「倉の整理をお願いしたんですよ」


「えっ、どうしてですか?」


「何かと入り用ですからね。それに、このまま腐らせたんじゃ、ご先祖様に申し訳が立ちません」


 長年に渡り、様々な援助を受けてきた御前府等辺流には、まったく目垢の付いていない、いわゆるウブい骨董品が所狭しと倉に並べられていた。


 いざというときの活動資金とするため、時を越えて価値を持つ芸術品が寄付されることも多かったのだ。


「でも、なんで椋田君が居るのかな?」


「ああ、前々から倉を見せて欲しいと彼のお父さんに頼まれていてね。一家総出で倉の整理をしてくれてるんだ。彼もなかなかの目利きだと私は踏んだよ」


 目利きと鑑定は全く違うものなのだが、俊太郎の場合、本来彼が身につけなくてはならない鑑定よりも、目利きに偏り始めているのは明らかだった。


「へぇ、結構目立たない子なのに、妙な特技をもってんのね」


 台車を押していく後ろ姿を眺める。


「一生懸命だよ。こんな時なのに冷静だしね」


「うん。そういえば、私の嫌いな男リストにあいつは乗って無い」


「しつこく言い寄ってくるとか、そういう意味なら彼は大丈夫だろう」


「どうしてそう思うんです?」


「私の説明が足りなくてね、君達が着替えに使っている倉にいきなり彼が現れたらしいんだ。でも、下着姿の女の子達に一ミリも反応を示さなかったらしい。女の子達は悲鳴を上げる事もできなかったそうだよ」


「なんですかそれ?」


「まるで石とか電柱みたいに無視したみたいだね。女の子達も不思議と嫌じゃなかったらしいし」


「お得な奴ですね」


「そうかな……多分徹底的に異性への興味がないんだと思うよ。果たして幸せなのかな」


「まぁ、有りすぎてるよりは幸せなんじゃないですかね」


 何だかなという溜息を吐いた後、稔は稽古を付けにみんなの方へ歩いていった。






「爺ちゃん、持ってきたよ。箱はかなり古そう。っていうか、多分トンでもないのばっかりだと思う」


「なんというか、重文クラスが目白押しじゃな」


 畳の上に広げられた掛け軸を見て、祖父が溜息を付いた。


 今まで手を入れていなかったらしく、すこぶる状態の悪い物もある。


 だが、それでも重要文化財の指定は間違いないという大物の発掘が頻発しており、修復作業は骨の折れるものになりそうだった。


「宏重おじさんとかも呼べないのかな」


 運んで来た木箱をどんどん畳の上に並べていく。


「ああ、使えそうな奴には全部声をかけてきた。手が空いたら来てくれるだろうて」


「倉にはまだまだあるんだけど、もう陰干し出来るスペースが無いね」


「かまわんから持ってこい。お前は蔵出し初めてなんじゃから、みんなの動きをよく見ておけよ」


「うん、わかったよ。じゃあ持ってくる」


 離れから出た俊太郎が、台車を持って一番手前の倉に入ると、そこには先客が居た。


 今朝方にも先客が居たことを考えると、どうやらここは更衣室として使用されているらしい。


「ああ、井奈波。また会ったね」


 なめらかな白い肌に、クリーム色の下着のまま井奈波は凍り付いていた。


 ボディースーツを取ろうとしている手がかすかに震えている。


 俊太郎はそのまま倉の奥へ行くと、掛け軸の入った細長い木の箱を抱えて戻ってきた。


 それを台車に乗せるとまた奥へ行き、掛け軸の箱を持って戻る。


 ハッと我に返った稔は、何となく不愉快のボルテージが上がっていくのを自覚した。


 もう一度俊太郎が奥へ行った隙に、急いでボディースーツを着用する。


 本来ならここで木刀を用意するのだが、何を思ったか稔は自らの愛刀を腰に差した。


 対弾性能からショック吸収力、突き、刺し、斬りに対する防護性能。


 どれをとっても一級品というボディスーツは、稔のボディラインをなまめかしく表現している。


 俊太郎は決して無理をせず、運べるだけの量を持って往復していた。


 手を抜こうとすると、大概ロクでもない結果となることを身にしみて知っているからだ。


 台車に掛け軸の箱を置くと、俊太郎はただならぬ気を感じて後ろを振り返った。


 そこには抜き身の日本刀をピッタリと構えている稔がいる。


 切っ先が完全に俊太郎に向き、長い刀が点にしか見えない。


「な、え、なに?」


「侮辱……これは疑いの余地なく侮辱!」


「うわぁーっ!」


 突っ込んできた稔をなんとか横に避けた俊太郎は、大声を上げた。


「ひ、人殺しーっ!」


「はぁああああっ!」


 突きを避けられた稔は、柄の下部に当てていた左手を返し、投げ釣りに使う釣り竿のようにオーバースローで刀を担ぎ上げた。


 刀の自重+スイングスピードで、非力な稔でも相手の骨を断ち切れる。

 

 きいぃぃぃん

 

 振り下ろされた刀は俊太郎の肩を捕らえたはずであった。


 しかし、その三分の一ほどになっていた刀の長さは、俊太郎を捕らえきれなかった。


 数瞬の遅れの後、折れた刀身が俊太郎のすぐ近くに突き刺さる。


「うわぁ」


 ちょっと飛びすさる。


 稔は折れた刀身をまじまじと見つめ、自分の真上に分厚い鉄板で出来た看板を見つけると、妙に納得して刀を鞘に戻した。


 刀というのは、屋内では振り回し難い武器なのだ。


「折れちゃった」


「ははっ」


 稔の意外に冷静な声に、思わず愛想笑いを返す。


「ひっく、ひぃ……うあああああああああああああーん」


「な、何なんだよ君はっ!」


 いきなり、まさにいきなり稔は泣き始めた。


 俊太郎には何が何だか分からない。


「か、か、カタナがーーーっ、折れちゃったよーっ! びぃぃぃぃぃややややあ」


「な、情緒不安定過ぎるんだよっ!」


「どうせあたしなんか、小生意気な世間様の下僕で、勘違いやろうで、カタナ振り回してる凶状持ちで、鼻持ちならないメスガキで……うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 隣にあった桜の箪笥を蹴り付ける。


「おぉぉいっ! ちょっと、わかった、悪かったから。僕が悪いなら謝るから!」


「あんたなんか、あんたなんか何にも分かってない癖にっ」


 怒りの表情で泣きながら、稔は俊太郎を睨み付けた。


「そりゃ、これじゃわかんないよ」


「あんた、人の着替え中に部屋に入ってくるなんてどういうつもりよ!」


「ええっ、そういえば……着替え中だったかな?」


「あんたねえ! 連日連夜アホ共に追い回されて、当たり前みたいに死地に送られてっ! あげくに自己主張すれば生意気だとか勘違いすんなとか、そっちこそ何様のつもりよ!」


「それは僕が言ったんじゃないだろう」


「どうせ、あんただってそう思ってるくせに! 最近学校のみんなも様子がおかしいじゃない!」


「そうかなぁ……僕はそういうのよく見てないから……」


「大体あんた、人の着替え見ておいてノーリアクションてどういう事よっ!」


「えええっ、そんな。一体どうすればいいんだよ」


「エロ親父みたいにニッタリ笑うとか、モテない男子中学生みたいに食い入るように見つめてくるとか、色々あるでしょう!」


「そんなコトして欲しかったの?」


「んなわけねーだろーっ!」


 稔の足技に桜の箪笥が二度三度と悲鳴を上げた。


「その箪笥はやめてくれーっ!」


「あんたねえ! 箪笥とあたしの裸、どっちが魅力有るとおもってんのよ!」


 俊太郎は即答する寸前に思いとどまり、この状況を打開する方向に心を傾ける事にした。


「いや、違うんだ。違うんだよ」


「何が違うのよっ!」


「井奈波は魅力的だよ。僕だって世界中の名画を毎日眺めているんだ。井奈波の魅力が分からないなんて事はない」


「うーっ」


 犬のような上目遣いで俊太郎を睨む。


「まず体のバランスが凄く良い。少し上付のヒップから足下までの脚線はほぼ完璧だと思う。さすがに武術をやっているだけのことはあるよ」


「…………」


「処女太りって言うのかな」


「なっ」


「体の前面も凄く良いバランスになっている。心持ち控えめなバストも神懸かり的に良い造形を持ってるよ」


「ど、どーいう評価してんのよっ!」


 赤面しつつ、稔が抗議する。


「一番良いのはその表情だ。生半可な美形や形だけの美形は笑顔が汚くなるんだけど、井奈波の笑顔は完璧じゃないか。怒りと微笑みは内面の魅力を現すんだ。井奈波が高い次元で魅力を持っている良い証拠だよ。井奈波の魅力は誰だって知っていることさ」


 肩を怒らせていた稔は、少し自分を落ち着けるように深呼吸して俊太郎に尋ねた。


 何処か不安げにも見える。


「……ほ、ホントに?」


 照れているようだ。


 というか、俊太郎の評価は面と向かって相手に言うものではなく、作品評価にこそ使うような言葉だろう。


「うん、偉そうに言うと、ある程度物が分かってる奴なら大丈夫だよ」


 稔はハッとした様に目を見開き、頭を振って声を絞り出した。


「ううん、うそ! 私は騙されない! やっぱりそんなのおかしいもの!」


「え?」


「じゃあ何であんたはあたしを無視してんのよ!」


「あー、それか……」


 俊太郎は困ったように頭を掻いた。


「何がそれよ」


「僕はさ、ハッキリ言って異性にも同性にも興味がないんだ」


「えーっ! 嘘ばっかし!」


「ホントなんだよ」


 稔はまじまじと俊太郎を見つめると、ふと、胸元を強調するように胸を張り、片手で後ろ髪を救う動作をした。


「なっ、なにを……」


 そのまま、横を向いて前屈みになると、俊太郎の方を一目見てから靴の紐を解いて結び治す。


「う、ううう」


「やっぱ、反応してんじゃない!」


 連続的に魅惑のポーズをとり続けた稔が激高した。


「違うってば!」


「胸がドキドキしてるでしょ! それを興味って言うのよ!」


「そりゃ、今はドキドキしてるけど、マラソン走った後だってドキドキくらいするよ!」


「一人で家に居る時だって、ドキドキしたりするでしょ!」


「そんなのわかんないよ!」


「じゃあ、今、私ともっと一緒にいたいって思った?」


 うっ、と俊太郎は返答に窮した。


 ほんの少しだが、この時間を楽しいと思ってしまったのだ。


 素直にコクリと頷く。


「んじゃあ、罰よ。一緒にいてやんない!」


 俊太郎は倉の外に追い出されてしまった。


 少しの間ポカンとしていた俊太郎は、台車の上にのっている木箱を見ながら考えてみた。


「違う違う。そんな馬鹿なことがあるはず無いって」


 ほんの数秒で結論を出した俊太郎は、それでもたまに首を捻りながら、台車を走らせる仕事に戻って行った。






「おう俊太郎、どうした不景気な顔して」


「ああ、父さん……」


 俊太郎が台車を押し歩いていると、離れた位置にある倉から、大量の荷物を背負った父親がやって来た。


 どうやら俊太郎と同じく、祖父のいる離れに向かうようだ。


 自分ではどうにも適当な結論しか導き出せない俊太郎は、先程あった稔との話をかいつまんで話してみた。


「これが、その……女の子に対する、一般的な気持ちなのかな?」


 父親はそれが恋ではなく、同情であるということにすぐ気が付いた。


 これから死地に向かわねばならない救国の英雄が、プライベートにそんな悩みを抱えていたのだ。


 感受性の強い所がある自分の息子なら、そう思うのも仕方がないだろう。


 稔という娘も、そんな俊太郎の態度が気に入らなかったに違いない。


 だが一人の親として、自分の息子が確実な進歩を果たしたのだと考えていた。


 少なくとも、自分が女の子をどう思っているか悩んだりする事は悪くない。


「父さんにもハッキリしたことは言えない」


「うん」


 父親は真実を告げなかった。


 ここで第三者が事実を言い聞かせても意味はない。


「でも、お前が何か引っかかると言うなら、こんな物をプレゼントしたらどうだろう。彼女は刀を折ってしまったんだろう?」


 父親は背負っていた荷物を降ろすと、そこから幾振りかの刀と脇差しを取り出した。


 その中の一本を手に取ると、ザリザリという固く渋った音と共に、錆だらけの刀身が姿を現す。


「刀が4本に脇差しが3本だ。お前が選んでみろ。どれも、要らないから捨ててくれと言われた安打ちの品だ」


 俊太郎は刀の目利きに全く自信がなかった。


 しかも刀身が錆び付いており、どれも安打ちと言われる粗悪品だという。


 それでも一本一本慎重に刀を手に取ってみた。


 本来なら柄を外して刀工の名を確認したり、空手の瓦割りのように、何人の罪人を重ねて一度に斬ることが出来たかという、二つ胴や三つ胴などを確認しなければならない。


 だが、この粗悪品に名工の名が刻んであるはずもなく、切れ味に優れているはずもない。


 その細工の質で判断の付く場合がある鍔も、ボロボロでどうにもならない状態であった。


 そこで俊太郎は、刀のバランスを量ってみることにする。


 重量自体はどの刀でもそれ程の変わりがなく、どれも野球のバットと同じくらいの重さが一般的だ。


 だが、刀の製造過程には、まず鍛えという作業が必要となる。


 その鍛えの段階で、地金の元になる鉄から不純物を取り除き、必要な物のみを残す作業を行うのだ。


 その作業で、初めに用意した材料を三分の一ほどに煮詰めていくのだが、この段階にムラがあると、刀の先が重くて根本が軽い等という現象が起こったりする。


 無論粗悪品の一つだ。


 その後も、刀の製造過程ではバランスを整える作業が延々と続いていく。


 その最たる物が、良く映像でその姿を見る、刀をトンカントンカンと叩く精錬だ。


 無論、鍛えも精錬もその為だけに行われる作業ではないが、バランスが悪いと言うことは、十中八九それらの作業は上手くいっていない。


 俊太郎は稔が取った構えを思い出していた。


 いわゆる青眼という系統の構えだったように思う。


 若干下段気味に構えてはいたが、新刀を用いる刀の構え方だ。


 テレビでは古流剣術の様に言われていた御前府等辺流だが、時代と共に変化した分派もあったのだろう。


 甲冑を相手にする古流剣術ならば、反りが深く重ねの厚い刀の方が良いが、青眼に構える剣術ならば、反りが浅く切れ味の良い刀の方が向いていた。


 群雄割拠の時代が終わりを迎えると、剣術は戦場の実用性から遠ざかり、道場剣法と言われる突きが重視されるものに変わったからだ。


 相手が平服である事から、肉厚の丈夫な刀よりも鋭利な刀が重宝されたのは当然と言える。


 俊太郎は明らかにバランスの悪い刀を取り除き、反りの浅いものを探した。


 中には錆が酷く、ビクともしない物もある。


「昔の人は、その事を抜き差しがならないと言ったんだね」


 父親は息子の選別を目を細めるようにして眺めていた。


 この事について口出しをするつもりは全くない。


 自分で選び、その結果を自分で背負う。


 鑑定に関わる人間全てがそう生きていかねばならないのだ。


 そうして、俊太郎は二振りの刀を選び抜いた。


 錆びているために分かり難いのだが、刀身に粘りがあり、ある程度の風格を感じさせる刀だ。


「どれ、じゃあそれはお前にやる。家に帰ったら爺ちゃんに研ぎ方を教えてもらうんだ。このままじゃあ使い物にならないからな」


「うん、わかったよ」







 そろそろ日が暮れる時刻になった。


 まだまだ倉の整理は終わらないが、大体の所で切りよく仕事を終える。


 なにも今日一日で全てを終わらせる必要はないのだ。


 門弟達の訓練も終わりのようで、初老の男性を中心に輪を作って解散の号令をかけている。


「あ、ちょっと待って」


「ん?」


 帰り支度を終えた父親が、掛けたばかりの車のエンジンを停止させる。


「ちょっと井奈波と話をしてくる」


「ああ、まだ時間はあるからだいじょうぶだよ」


「うん」


 俊太郎は少し心がときめいていた。


 これが恋ならば、悪くはないと思い初めていたのだ。


 思い思いに引き上げていく、ボディースーツを身にまとった一団に声を掛ける。


「い、井奈波」


 稔が振り返ると、先程ケンカ腰で別れた俊太郎の姿があった。


「う、何よ」


 俊太郎は恐ろしいほどに晴れやかな顔をしている。


「さっき刀を折ってしまっただろう。換えの刀もあるとは思うけど、倉の中にいらない刀が結構あったんだ。錆びてはいるけど、僕が良さそうな物を見繕った。ちゃんと研いでくるから受け取ってくれないかな」


「今朝の覗き男じゃない」


「あ、いや、あれはそういうつもりじゃなかったんだよ……」


 稔の周りには、仲の良い女の子達がたくさん集っていた。


 井奈波はその中心的存在のようだ。


 まぁ、この性格では、一匹狼か中心的存在かの二拓しかないだろう。


「なんでそんなコトするのよ?」


 他の女の子も少し怪しいなという目つきで俊太郎を見ている。


「僕のせいで刀を折ってしまったんだからね。弁償って言われても、払えるような額じゃないだろうから、少しでも足しになればと思って」


「へぇー、でもそれは口実でさ。ホントは稔とお近づきになりたいだけなんじゃないの~?」


 いかにも純朴そうな俊太郎を見て、女の子の一人がからかった。


「そうなんだよ。多分、いや、きっとそうなんだ!」


「はぁ?」


 煽った本人が理解不能という感じで相づちを打つ。


「多分これが女の子を好きになるって事だと思うんだよ」


「いや、ちょっとあんた大丈夫?」


「新手のナンパか?」


「あ……もしかして、僕、少しずれた事言ってる?」


 周りにいた女の子全員が頷いた。


 俊太郎がひるむ。


「うっ、いや、違うんだ。もちろん井奈波の事情もあるんだから、恋人になって欲しいとか言うのとは違うんだよ。ただ、僕は初めて女の子を好きなれたのかも知れないと思って、浮かれてるんだ。だから、何が出来るかなと思って、さっき折ってしまった刀を研ごうかなって……」


 なんとなく周囲の視線が冷たい気がした。


 実際は何だか良くわからんという、呆れたような目だったのだが、俊太郎にその違いは分からない。


「やっぱりこれってずれてる……のかな」


 明らかに気落ちしている俊太郎を見て、稔が口を開いた。


「椋田君は、私と付き合いたいって事なの?」


 稔はあくまで澄ましたままだ。


 体ごと振り向いてさえいない。


「うん……実はまだ、付き合いたいって良くわからないんだけど……多分そうだと思う」


「いきなりだよね。プレゼントの前に何か一つ手順とばしてないかなぁ」


「え?」


 何だろうと俊太郎は考える。


「友達からとか、いや……違うみたいだね」


 俊太郎が顔を赤くする。


 女の子の一人が、つい我慢できなくて吹き出してしまったのだ。


 他の子達も悪いと思いながらもクスクスと笑っている。


「告白。告白を忘れてるよ」


「何でもない男からのプレゼントなんて、気味悪くて貰えないって」


「あああっ」


 子犬みたいにオドオドとしていた俊太郎が、全財産の入った財布を落としたみたいに頭を抱えた。


「そうだ、告白をしなきゃいけないんだよな」


「じゃあして?」


 前を向いたままだった稔が、初めて俊太郎の方を向いた。


 その顔が半分にやついている。


「夕方だしねー、部活の帰りっぽいし」


「ロケーション的にはまぁまぁなんじゃないかなー」


 周りの反応も上々だ。


「え……ここで……?」


 突然恥ずかしくなった俊太郎は、十人はいるだろう女の子達を見回した。


 二十歳過ぎの女性もいれば、明らかに俊太郎より小さい女の子もいる。


「言えない?」


 稔が俊太郎を見つめた。


「言えなくはないけど……」


 興味津々で見ている女の子の視線も、早く終わらせてくれという女の子の視線も、今の俊太郎にはこの意気地なしがっ、と言っている目に見えていた。


「じゃあ言って」


「う……」


 俊太郎は何も考えられなかった。


 気の利いた台詞を言わなければイケナイと思いながらも、何でそんなことも用意せずにこんな所にいるんだという、後悔ばかりが頭を巡っていた。


 俊太郎が焦っている間、稔は微動だにせず、真っ直ぐに目を向けている。


 その目は、倉の中でこぼしていた悲しみ、辛さ、憤りの様なものを俊太郎に思い出させた。


「あの、僕じゃ駄目かな。井奈波を守ってあげたいんだ」


 ひゅ~という、冷やかすような声が一斉にあがった。


 一瞬たじろぐが、俊太郎はもう一言告白に添えた。


「好きなんだ。君だから好きになれたんだと思う」


 なんだかんだと言っても、他人の色恋沙汰を目の前で見るのは面白いものだ。


 友達の愚痴を聞いたり、のろけ話を聞くのは疲れるが、それが目の前で行われるのならば話は別といえる。


 ドラマでも映画でも、色恋の話に人気があるのは、それが目の前で行われている映像だからだろう。


「わかった」


「えーっ!」


「うそぉ!」


「ホントにーっ!」


 周りが一気にヒートアップする。


 稔が分かったと言った途端に、過熱ぶりが最高潮に達したのだ。


「ち、違う! そうじゃないって。聞いて、聞いてったらもう!」


「あ、うん。僕は聞いてるよ」


 稔は少しばつの悪い顔をした。


 俊太郎は、多分自分のことを愛してはいないだろうと直感したのだ。


 告白に付きまとう最大のリスクは、断られたときの辛さと気まずさである。


 俊太郎にはまるでそれがない。


 稔が好きなのではなく、自分は恋をしているのだと思い込もうとしているように見えた。


 何故山に登るのか。


 理由を言ってしまうと、ほぼ必ずその代用が連想されてしまう。


 充実感と答えたならば、他に充実できる物が有れば山なんてどうでも良いのか? と言われてしまう理屈だ。


 俊太郎は稔だから好きになれたんだと言った。


 その言葉に偽りはないだろう。


 だがそれは、告白のリスクを伴っていない偽物だと稔は思った。


 最悪、自分に嫌われても良いという程度の覚悟で喋っている。


 稔はそれが分かったと言ったのだ。


 ただ、俊太郎自身にはそれが分かっていない。


 指摘したら傷ついてしまうかも知れなかった。


 それに、俊太郎からは嫌な気持ちが伝わってこなかった。


 多分、今まで稔に告白してきた誰よりも純粋に愛そうとしているだろう。


 ただ愛するだけ。


 そう、やましい話どころか、一緒にいたいとすらも思わない。ただ愛するだけの恋だ。


「考えておきます。今は返事が出来ません」


「あ、うん。突然で悪かったね。どのくらい掛かるか分からないけど、刀は最後の日までに必ず間に合わせるから」


 稔は、まぁ良いかなと思い直していた。


 自分を含め、この世の人々はもう死に絶えるのかも知れない。


 別に特別好きな人は居ないのだが、恋も知らずに死んでしまうのは勿体ない気がしていた。


 俊太郎は悪い人ではないと思う。


 多分、一生懸命稔を愛してくれるだろう。


 そんな。


 そう、そんな理由で俊太郎のことを好きになっても良いかと、稔は思い始めていた。






「刀を研ぐには機械を使うのが一番良い」


「え……なんか、職人みたいな人が気難しい顔してやるもの何じゃないのかな……」


「感覚で研ぐよりも、そりゃ機械の方が正確に研げるさ」


 自宅に帰った俊太郎は、飯を食べると祖父の作業室に籠もって指導を受けていた。


「だが、機械で研ぐには経験を積まなきゃいかん」


「うん」


「刀の研ぎというのはな、決して失敗のゆるされんもの何じゃ」


「うん」


 返事はいいが、もちろん俊太郎は何も分かっていない。


「削った分が増えることは決してない。集中力と緊張感に押しつぶされるように砥がねばならんのじゃ。大体に置いて、刀というのは値段の張る物じゃしな」


「うん」


 やり直しのきかない作業。


 俊太郎はふつふつとやる気がわいてくるのを実感した。


「経験で学ぶことは数多いが、最低限、刀のタイプと作られた土地の事を考えねばならん」


「タイプと土地」


「そうじゃ、古刀から新刀、新々刀だの現代刀だのと色々ある。それに、作られた土地の作風に合わせた研ぎの技術が必要なのじゃよ」


「うん」


「研ぎ石は9種類用意してある。地金の部分と刃の部分でも使う砥石は違うから注意しろよ」


「うん」


「返事は、はいにしようか」


「はい」


「まずは、この練習用の包丁でやってみよう」


「はい」


「この錆び錆の状態からはな、まず下地研ぎから始める」


「錆を取るんだね」


「そうじゃ、これに失敗すると全体のバランスが崩れて、冴えない刀となる」


「うん」


「はい、じゃな」


「ごめん」


「じゃあ、わしが研ぎ石と研ぐ場所を言うから、取りあえず初めてみろ」


「はい」


 この日から俊太郎は、それこそ寝る間も惜しむほどの努力を続けていった。


 無論、初めての俊太郎がいきなり完遂できるような技術ではない。


 所々というより、そのほとんどを祖父に頼ってはいたが、出来るだけ自分の手で刀を研ぎ、本当に極わずかではあるが、祖父が俊太郎に任せる部分も増えていったのである。






 午後8時過ぎ。


 俊太郎は研ぎたての二振りを持って、井奈波家を訪れていた。


 学校が終わると、そのまま道場の倉へ行って仕事を手伝い、家に帰って刀を研ぐ。


 ともすればやる気の失せてしまう世情の中、俊太郎は人生最大とも言えるほどのバイタリティを発揮していた。


 最後の日が近づくに連れ、御前府等辺流関係者への報道管制が敷かれ、井奈波家の周りも一時期からは信じられないほど静かになっている。


 少し緊張して、俊太郎が家のチャイムを鳴らした。


『……どなた様ですか?』


 母親だろうか。


 警戒したような声がインターホンの向こうから聞こえてくる。


「あの、井奈波さんのクラスメイトで椋田と言います」


『あー、稔に頼まれてたの。ちょっと待ってね』


 しばらく門の前で待っていると、玄関から母親が姿を現した。


 意外と若い気がする。


「ごめんなさいねー、変な人が多くて」


「いえ、そういうの分かりますし」


「ふふふっ、稔の言ってたとおりの子ね」


 イタズラ好きそうな顔の母親が、更にイタズラっぽく笑った。


「え?」


「何でもないわ。稔はさっきいきなり呼びつけられてね、道場の方に行っちゃったのよ」


「あ、そうだったんですか」


「刀を持ってきてくれたんでしょ? 名人なんですってね」


 デマである。母親が今考えた、単なる口から出任せだ。


 さすが親子だけあって性格もよく似ている。


「え、ち、違いますよ。そんなこと誰も言ってません」


「だってあの娘、どんな男の子が言い寄ってきても全然相手にしなかったのよ。多分武術に関係しない子には、興味がなかったのかも知れないわねー」


「い、いや、でも、本当に初心者なんですよ」


「ちょっと刀、見せて」


「え」


「これでも、おばさんだって少しは見る目があるんだからね」


「う、いや、あの……」


「知ってるわ。刀を研いだのは初めてなんでしょ?」


「知ってたんじゃないですか」


 母親は、ふふっと笑って脇差しを受け取った。


 カチャッと刀身を抜き放つと、それを流れるような動作で下段青眼に構える。


「上出来なんじゃないかな?」


 母親は俊太郎を見て微笑んだ。


「あ、じゃあ、僕は道場の方に行きますんで」


「はいはい、脇差しは置いてっても良いわよ。後で渡しておくから」


「はい、ではお願いします」


 にわかに自信が沸いてきた。


 上出来だと井奈波の母親も言っているじゃないか。


 俊太郎はすっかり本数の減った電車を幾つか乗り換えて、東京の果てにある道場を目指していった。


 祖父は、俊太郎の研いだ刀の出来をまぁまぁくらいだと言っている。


 もしかしたら、父が運んでいた錆だらけの刀の中には良い物が混じっていたのかも知れない。


 だから父は持って帰ろうとしたのだと、今更ながらに気が付いた。


 自分はそれを上手く見つけることが出来たのだ。


 何か、少しだけ一人前になれた気がする。


 鞘袋に入れた刀をギュッと握りしめ、電車を降りた。


 道場までは歩いて15分ほどだ。


 道々に警官が立ち並んでいる様子を見ると、井奈波がいきなり呼び付けられたのは、何かの式典が行われたからだと推察した。


 そこに皇族なり政治家なりが来ているのだろう。


 道場までの道のりを半分ほど消化した所で、霧雨が降り始めた。


 そう激しい雨でもないが、長い時間晒されていれば濡れることは濡れる。


 傘のない俊太郎は、少し早足で道場に向かった。


 道場の周りには、10メートル間隔くらいで警察官が立っている。


 門が警備員で固められているところを見ると、関係者以外は立ち入れない何かをやっているらしい。


 警備に立つ警察官に不審な目を向けられながら、俊太郎は道場の門まで向かった。


「君、何をしているんだ?」


 特に人が集まっている門の前で、俊太郎は年輩の警察官に呼び止められた。


「あの、道場の方に倉の整理を依頼されている業者なんですけど……」


「ああ、そういうのが出入りしているらしいですよ」


 年輩の警察官の隣にいる、私服の若い男がそう情報を伝えた。


「そうか、でも今日は勘弁してくれないかな。大事な式典を行っているんだ」


「え、でも、報道の人とかもいないですし……」


「報道陣は完全にシャットアウトだ。どれだけ重要なのかわかるだろう」


「その長い包みは何だい?」


 私服の若い男が俊太郎にそう尋ねた。


 年輩の警官は、もう俊太郎には興味を無くしたように違う仕事に取りかかる。


「これは、井奈波さんに渡す研いだばかりの刀です」


「あー、それはもう要らないだろうなぁ」


「え……」


「もしかして、君の家で仕事を受けたのかな。だったら代金は払うと思うから心配しなさんな」


「いえ、代金とか、そんな……」


「仕事で届に来たんでしょ?」


「いえ、そうじゃなくて……個人的な品物です。今日渡すって約束をしていたので」


「井奈波さんに?」


「はい、学校でクラスが一緒だから……」


 若い男は嘆息して、どうしたものかなと横を向いた。


「本当は家で渡すはずだったんですけど、なんだか急に呼ばれてしまったって、井奈波のお母さんが……」


「ちょっとだけだよ」


 若い男が表門の通用口を開けて、俊太郎を中へ手招いた。


 中は、ものすごい光と飾り付けで、紳士淑女の群がパーティーが行っていた。


 まだ雨は降っているのだが、暖かい気候のせいかパーティーは続いている。


 ふと、壇上に見知った女の子が上がっていることに気がついた。


 稔だ。


「もう少し近くに寄ってみようか」


 若い男が壇上に近づいて行った。


 稔も、いつものようなセーラー服やボディースーツ姿ではない。


 見たことのない髪型で嬉しそうにはにかみ、肩の空いた純白のドレスを身に纏っていた。


 ライトが彼女だけを追い、この場に居合わせている全ての人の視線が稔に注がれている。


 住む世界が違った。


「それでは続きまして、不幸にも愛刀を失ってしまった井奈波稔様に、大日本刀剣界理事を務めます岩永芳裕さまより、本年度日本美術協会刀剣保存会会長賞の2尺3寸1分が送られます。みなさま盛大な拍手をお願いいたします」


 割れんばかりの拍手に、井奈波は少し戸惑っている様に見えた。


 だが、現代刀2尺3寸1分は、男性が使うにはあまりにも短くて軽い。


 多分井奈波のためだけに打たれた一振りなのだろう。


 俊太郎でも名前を知っているはずの、現代の名工が打った刀である。


 錆びて捨てられた一振りを、素人が研いだ物とは格が違うのだ。


 なかなか手を出さない井奈波の間を取るように、何とかと言う理事が鞘から刀を抜いてみせる。


 勉強を始めたばかりの俊太郎から見ても、その刀の出来映えの良さがうかがい知れた。


 地鉄が良く、清澄感溢れる姿に光の強さが目立つ。


 誰が見ても俊太郎の刀とは遙かにレベルが違う。それは言うまでもないことだった。


 隣の男に肩を叩かれた俊太郎は、頭を垂れて踵を返した。


 友達や雑誌の言うとおりだった。


「初恋は実らないって、本当なんですね」


「ん、そりゃちょっと違うな」


「椋田君っ!」


 後ろから稔の声がした。


 自分を呼ぶ声に少しだけ振り返ってみると、そこには俊太郎の知らない稔が視線を向けていた。


 参列者達も、ションボリと雨に濡れた子供に視線を向ける。


 酷く動揺している俊太郎の瞳を見た稔は、その抱えている鞘袋と合わせ、一瞬で全てを理解した。


 しかし、壇上から見下されている俊太郎にそんな余裕はない。


 刀を抱え、一目散にその場から走り出す。


「椋田君っ!」


 頭を振って、遠くから聞こえる声を聞くまいとした俊太郎は、通用門で人にぶつかりながら道場の外を走っていく。


 自分は井奈波に同情されていた。


 それはそうだろう。


 相手は連日マスコミをにぎわせている救国の美少女だ。


 どうしてそんなところに足を踏み入れてしまったのか、今ではもう良くわからない。


 俊太郎はもう何も考えずに駅を目指して走った。


 刀が重い。


 もう誰も使うことのない刀が邪魔だった。


 走っている間に、四回刀を捨てようと考えた。


 走るのに邪魔だし、この刀を見る度に自分は惨めな思いをするだろう。


 だが、そのたびにこの刀を研いだ苦労が思い出され、地面に叩き付けようとするその手を止めさせた。


 息の切れる呼吸を整えながら立ち止まると、俊太郎は刀に謝った。


「ごめんな、お前が悪いんじゃないよ。僕が未熟なせいでお前に恥を掻かせちゃったんだ」


 刀を優しく撫で付ける。


「恥なんかかいてないよ……」


 俊太郎の後ろで稔の声がした。


 恐る恐る俊太郎が振り返る。


 そこには抜き身の刀を手にした稔が、息を切らせている姿があった。


 もうドレスも普段着もない。


 二人とも汗と霧雨で濡れ鼠になっている。


「恥なんか掻いて無いじゃない」


 稔は精一杯微笑んでいた。


 自分はもう死ぬかも知れない。


 誰のためでもなく、みんなの為に死ぬのだ。


 ふと、一人になった時、絶望で押し潰されそうになることがある。


 どうして自分達ばかり、こんな酷い目に遭わねばならないのか。


 最後の日が近づくに連れ、行きつけの店が閉まり、車の往来が少なくなって、友達も一人二人と姿を消していった。


 今まで散々言い寄っていた男達も、腫れ物に触るように稔には近づかない。


 そんなとき、一点の曇りもなく、稔に接したのは間違いなく俊太郎だった。


 俊太郎が本当に稔を好きなのか、今でも稔には良くわからない。


 でも、少なくとも愛してはくれていたし、大切にしてくれた。


 俊太郎のことを考えると、押しつぶされそうな胸がすーっと晴れやかになっていく。


 稔は俊太郎を愛せると思うし、俊太郎も自分を愛そうと努力してくれている。


 それで十分なんじゃないかと稔は思っていた。


 俊太郎の刀を持っていけば、どんなところに行っても怖くない。


 きっとその刀が守ってくれるとさえ思える。


 不器用に、でも真剣に自分と関わりを持とうとしていた姿を思い浮かべられる。


「私は、椋田君の刀を待っていたんだよ」


「…………」


「確かに凄く良い刀だと思う……」


 稔は理事長の持っていた抜き身のままの刀を奪い、俊太郎を追い掛けて来ていた。


 その刀を掲げて見せた後、そっと道路沿いの自動販売機に立てかける。


「でもこれは椋田君の刀じゃないよ。それは、私には要らないの」


「その刀の方が良い。きっと井奈波の命を救ってくれる」


「ううん、私は椋田君の刀が欲しいの。その刀がないと、怖くて最後の日を迎えられないと思う」


「お守りか……」


「あ、違うわ。そういう事じゃないよ」


「そういう事じゃないか! 井奈波は僕に同情しているんだ!」


「……同情してるのは椋田君の方じゃない! 何よ、こんな物でいじけちゃってっ! ちょっと情けないわ!」


「僕はいじけてなんかいない!」


「なによこんな刀っ!」


 稔は立てかけられれていた刀身を横から体重を掛けて蹴り折った。


 重ねの薄い現代刀は、その程度でも簡単に折れてしまう。


「なにをするんだっ!」


「何よ! 刀は受け取らないってあれほど言っておいたのに! こんなことで椋田君とケンカしなくちゃいけなくなっちゃってっ」


「やめろっ!」


 俊太郎が稔の頬を叩いた。


 涙を浮かべ、折った刀を踏みつけていた稔が、呆然として俊太郎を見やる。


「そんな事するなよ……そんな事するなんて、刀を作った人が可愛そうだ……」


「だって、だって……」


 霧雨にまみれた二人は、顔をくしゃくしゃにして泣いていた。


「僕だって井奈波に刀を使って欲しいよ。でも、僕のじゃ駄目なんだ。もっと良い刀の方が井奈波は安全なんだよ」


「もう良い。椋田君は私の気持ちを分かってくれてない」


 涙声を絞り出して、稔は道場の方へ走り去った。


 俊太郎が折れた刀を拾い上げる。


「ごめんな……でも許して欲しいんだ……」


 屈んでいる俊太郎の目に、誰かの革靴が目に入った。


 誰だろうと、顔を上げてみる。


「これはお前の分だ」


 鞘袋に入った刀を奪い、襟首を掴んで俊太郎を引っ張り上げると、その顔面を全くの容赦無しにぶっ飛ばした。


「がはっ」


 俊太郎がもんどり打って倒れる。


 そこには、先程門の前にいた若い私服の男が立っていた。


「そしてこれは、俺の分だ」


 若い男はジュースの自動販売機を睨み付けると、その上段の辺りに思いっきり頭を打ち付けた。


 霧雨の舞う夜の街路に、思いっきり派手な破砕音が響き渡る。


 自動販売機の照明が火花を吹き、若い男の顔は血まみれになっていた。


 頭蓋骨にヒビくらいは入ったかも知れない。


「井奈波稔の分はたっぷりと用意されているからな。気の毒なほど不公平だとは思うが」


 若い男は俊太郎の刀を掴むと、道場の方に引き返して行く。


 俊太郎が道端から起きあがったのは、それから十分も後のことだった。






 そして、最後の日がやってきた。






 一ヶ月後。


 日本は世界に先駆けて最後の日を迎え、なんとかそれを凌ぎきった。


 一時期とはいえ、少なくとも日本の脅威は去ったのだ。


 この成果に世界中が沸き、希望を与える結果となった。


 何とかなるのだと。


 世間のお祭りムードを余所に、椋田俊太郎は半ば死んだような生活を送っていた。


 来週から学校が始まる。


 だが、その前に井奈波に会っておきたかった。


 それも、出来れば二人きりで会いたい。


 一ヶ月何もしなかった俊太郎は、ぼさぼさの頭に櫛を通し、外へ出た。


 最後の日が嘘だったような青空が広がっている。


 俊太郎はそのまま井奈波の家に向かった。


 家の周りに報道陣は詰めかけていない。


 最後の日に関する報道は、勝利したとだけ新聞の号外が出回り、詳細を知っている民間人は一人も居ないと言われていた。


 チャイムを押す。


『どちら様ですか?』


「あの、井奈波さんのクラスメイトで椋田と言います」


『……お待ち下さい』


 母親の声が沈んでいた。


 以前聞いたときのような闊達さがない。


 少し時間を掛けて、母親が玄関から現れた。


 神妙な顔をしている。


「いらっしゃい、中にお上がりになって……」


 俊太郎は思わず息をのんだ。


 不自然じゃないかと思う。


 井奈波が居なければ不在だと言えば良いのだし、居るのなら、ちょっと待ってくれと言えば良いのだ。


 中に上がるとはどういうことなのか。


「あの、失礼します」


 自然の木の形をたくさん残している家だった。


 見えるところは、極力加工を控えている感じだ。


「こちらです」


 母親の案内した部屋には仏壇が置いてあった。


 俊太郎は手を合わせることもなく、部屋に入った途端にへたり込む。


 母親は仏壇から手紙を取り出すと、それを放心している俊太郎の胸ポケットに挟んだ。


「故人の遺言です。椋田君が来たら渡してくれと……」


 俊太郎はもう母親の話を聞いていなかった。


 失礼しますと言って、井奈波家を出て行く。


 しばらく彷徨った後、公園で手紙を広げてみた。




-----------------------




 椋田君がこれを読んでいると言うことは、私はもうこの世には居ないのだと思います。


 私はたくさん考えました。


 椋田君のことと自分のことを、頭悪いけど、悪いなりに一生懸命考えました。


 私は男の子を好きにはなれません。


 多分、今後もそう簡単に好きになることはないでしょう。


 でも、椋田君のことは好きです。


 初めは分からなかったけど、椋田君に嫌われたくないと、今私は確実に思っています。


 もうこれは、好きと変わりません。


 椋田君は私のことを多分好きじゃないと思います。


 椋田君の私に向けた感情は、恋ではなくて同情だとすぐに分かりました。


 でも、椋田君はそれを分かってないみたいで、無理に恋だって思いこもうとしていて、それは私にとって救いでした。


 世界の為なんかじゃなくて、私個人を愛してくれていて、私に好きになって欲しくて刀を送ってくれて……。


 この世に私が存在できるのは家族と仲間の他には椋田君だけでした。


 ケンカなんてしちゃって、本当に後悔しています。


 ごめんなさい。


 でも、椋田君も悪いです。


 もっと自分を信じて、私を愛して欲しかったと思います。


 俺に付いて来いって、ほっぺたを叩いて欲しかったです。


 そうしたら、私は遠慮無く椋田君を叩き返したでしょうけど。


 私は、そんな二人になりたかった。


 椋田君には、これからもっと素敵な人が現れるかも知れません。


 でも、私は一連の騒ぎの中で、人の本当の姿というものを見てしまった気がします。


 椋田君以外の人が私にはいません。


 でも、この手紙でさよならです。


 もしも、まだ私のことを好きでいたいって思ってくれたなら、学校の裏山の百葉箱を覗いてください。


 本当につまらない物ですが、私の感謝の気持ちです。


 それでは、この辺でおいとまいたします。


 願わくば、椋田君がこの手紙を読む事がないように。




-------------------------------




 手紙をポケットにしまい込むと、椋田は学校の裏山を目指して歩いた。


 結局、自分は何をしたかったのだろうか。


 恋愛を体験したかったのか、愛する人を見つけたかったのか。


 稔とケンカした後の日々は憂鬱だった。


 どうしようもないほどに仲直りがしたかった。


 会ってゴメンと言いたかった。


 いや、言えば良かったんだと思う。


 どんな偉い人に何を言われるのか、どれだけ沢山の人に非難されるのか分からない。


 でも、言えば良かったんだ。


 手紙の場所へ、俊太郎は歩いていく。


 学校の裏山には誰も居なかった。


 いや、学校にすら誰の人影もない。


 俊太郎はトボトボとした足取りで、眺めの良い岡に建っている百葉箱まで辿り着いた。


 その箱の中をそっと開けてみる。


「え……」


 そこには、道場の倉で女の子を隠し撮りした写真が、10枚以上束になって入っていた。


「ななななな、なんでこんな物を!」


 俊太郎はこれ以上ないくらいに頬を紅潮させる。


「なんでこれが感謝の気持ちなんだよっ」


 もう訳が分からない。


 井奈波はどういうつもりだったのか。


「あはははは、あははははははははははははっ!」


「いやだー、顔が赤くなってるー」


「やっぱり女の子に興味有るんじゃないのー?」


 辺りの木々から、何処かで見たことのある女の子達がわらわらと姿を現した。


「いやらしいなー、私椋田君に幻滅したなー」


「ちょっ、ちょっと待って。これは一体どういう……」


「こう言うことよ」


 百葉箱に背を向けていた俊太郎の背後に、誰かもう一人女の子が現れた。


 すぐ後ろの木から飛び降りてきたようだ。


 俊太郎が後ろを向くと、そこには恥ずかしそうにした稔が立っていた。


 後ろの女の子達から、ひゅーひゅーとはやし立てられている。


「手紙を見せるのは恥ずかしかったんだけど、みんながそうした方が良いからって」


 俊太郎は、学校をバックに立つ井奈波を眩しそうに見つめた。


 その手には、ボロボロになった大小が二本握られている。


「この二本は……最後まで私を助けてくれたんだよ。今度は、私が椋田君の女の子嫌いを救ってあげ……」


 俊太郎は最後まで言わせずに、稔の体を抱きしめた。


 暖かい。


 稔がそっと抱き返してくる。


「お帰り……僕も、井奈波の男嫌いを治してあげるよ」


 周りのはしゃぐ声が一層高まっていく。


 二人は抱き合う手に少し力を込め、目を閉じてお互いの幸せを確かめ合った。


 最初は愛していなかったのかも知れない。


 恋を経験せずに、愛を確かめ合おうとしたのかも知れない。


 しかし、それでも今二人は幸せだった。


 二人が無事である幸せ。


 これ以上幸せな愛は他にない。


 周りの女の子達が呆れる程、二人はお互いの体を離さなかった。


最後まで読んでいただいて、ありがとうございました!


パソコンが代替わりしてしまって、昔書いた物があまり残っていないのですが、取っておけば良かったなと悔やんでおります。


ひとりでもふたりでも、読んで頂けるなら幸せを感じられたのに。


懲りずに昔の短編などを投降すると思いますので、よろしくお願いします!

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