寝起きの悪い生真面目さん
ユリア嬢が回復したあとの事。
ビアンカ嬢のお誕生日会前日のお話。
危篤だったユリア様を回復させた後、アフターケアの為にも一度お見舞いに伺う約束をしていたの。
シリウス様には、一緒に行くから一人で訪問しないようにって言われて、でも3日もろくに飲み食いせず寝ていない彼は限界。
だから、翌日はゆっくり休んでもらって、翌々日にお見舞いに行くことになった……はずなんだけど――
神殿に迎えに来る予定のシリウス様が来ない。
あれぇ? 日にち間違ったかな?
いやいや、ちゃんと確認しましたよ?
何しろその日は、ビアンカ様のお誕生日の前日だから間違えようもない。
しかし、昼前に来るって聞いてたのに待てど暮らせど来なくて、レティシア様に伝書鳥を飛ばして聞いたら、まだ起きてこないという。
しかも、シリウス様ったら寝起きが悪いんだって。
え? あの生真面目さんが!? とびっくりして、わたしがシルヴァ家にお迎えに上がりました。
先日のビアンカ様を思い出したわ。
エスコート役のマシラ王子が、迎えに来いって言ってきてブチ切れていた様子を。
わたしは怒っていませんよ。ええ、びっくりしているだけです。生真面目さんでも約束を破ることもあるんだって。
昼過ぎの訪問なのに、シリウス様はまだぼんやり寝ぼけ眼だった。
何故か両頬が赤くなっていて、しかも眼鏡もかけてないし、疑問を投げかけたら……
「約束があるのになかなか起きないから実力行使をしたのよ! ほほほほほ」
大変良い笑顔でレティシア様が、手振りで往復ビンタを再現してみせてくれた。つ、強い!
どうやら昨日丸っと一日寝ていて今朝も目覚めず、予定を知っていたレティシア様が起こしに来たそうだ。
「簡単に目を覚まさないのは分かっているから力づくで浴室に放り込んで、普段は嫌がるけれどメイドに体を洗わせて今に至るのだけど……」
ソファに座り、濡れた髪をベテランメイドさんにタオルで拭いてもらっているシリウス様を、わたしは何とも言えないまましばし見つめた。
これは諦めた方がいいだろうと思ったね。一応わたしにも予定があるのだ。
ユリア様の様子は、早めにぜひ見ておきたかったのに、この日を逃すとわたしは何日か行けなくなってしまう。
そぅっと近づいて視界の範囲内に入る。
「ごきげんよう、シリウス様」
「…………」
反応がないので顔の前で手を振ってみた。
「…………」
うん、諦めよう。
メイドさんが暖かな風魔法で髪を乾かした。それには少し目を細めているので、寝てはいないんだろう。
「シリウス様、ユリア様のお見舞いはわたしだけで行ってきますね。今までのお疲れもあるでしょうから、心行くまで休養してください」
ぼーっと見ているのかどうか分からない目線が、一応わたしの顔に向いている。
「それからこれ、この前作りかけだったポプリが出来ましたので、嫌でなければ枕元に置いてみてください。安眠効果のある香りですので。それから同じように眠る前のハーブ茶と一緒に、レティシア様にお預けしますね」
ぺこりとお辞儀をして踵を返す。なのに進めない。何故ならば、腕を引っ張られたから。
そんなに強い力ではないけれど、予期せず腕を引かれたので体勢を崩した。おかげでとすんとソファに斜めに腰かけるはめに。
むうっと見上げると、なにやらぶつぶつ喋っている。
「なんですか?」
首を傾げてシリウス様の顔を覗き込んだけど、視線を向けられただけで、言葉は続かない。
あれー? 前にもこういうのあったっけ。
そうだ、生徒会室で仕事漬けの徹夜明け、昼食をご一緒する為に訪ねたらいなくて、寝落ちしていたってピエール様が連れ出したらこんな風にぼーっとしてて。
見かねたレティシア様が助け舟を出してくれた。
「アリス様、申し訳ございません。シリウスの寝起きの悪さはいつもの事ですが、今日は特別悪いようです。もうしばらくは覚醒しないでしょう。この後のご予定もある事でしょうから、どうかシリウスは置いて行ってください」
わたしの腕をつかむシリウス様の手を、レティシア様が剥がそうとしたら、ボーっとしているくせに抵抗する。だけど抵抗虚しく、べりっと手を剥がされると、
「……一緒に行く」
ぼそっと一言呟いた。
……駄々っ子か!?
「シリウス、いい加減になさい!」
あまりにもいつもの生真面目さんと違うし、駄々っ子発言で養母さんに叱られているし、段々笑いがこみ上げてきた。
でも笑っちゃダメだよね。ということで意識して息を吐き我慢した。
レティシア様もシリウス様を再び寝かせる為に、メイドさんに寝室を整えるよう指示を出しに行った。
その間にわたしも説得にあたる。
ちゃんと聞こえているかどうかわかんないけどねー。
「シリウス様、ユリア様のお見舞いはまたいずれご一緒致しましょう。今日はこれ以上遅くなると都合が悪いですし、明日はビアンカ様のお誕生日会もありますし」
事前の予定では、またエスコートしてくれる事になっている。だから明日に備えておいた方がいいと思うのよ。
「明日またお会いしますし、今日はもう無理をなさらないでお休み下さい。あ、こちらのポプリをどうぞ。嫌いな香りじゃなければいいんですけど」
もうラベンダーの香りに包まれて眠るがいいよ!
そう思って、小ぶりのバックからポプリの巾着を取り出して、シリウス様の鼻先に突き出す。
表情を見て、嫌そうでなければそのまま置いておこうと思ったのよね。
「……いい匂いだ」
それは良かった。
でもな、手を離してくれないだろうか。
わたしの手ごとポプリの巾着を掴まないで欲しい。
改めて顔を見ると、まだ両頬に赤い手形があるし、普段のクールビューティーが台無しになっている。
もういっそのこと、回復魔法を掛けておこうか。
3日間の引き籠り生活は相当体に祟っているみたいだ。
――て、ちょっと待て!
香り効果か、頭がふらふらしている。まさかこのまま寝るのか!?
ああ、失敗したー!!
ぐらりと前のめりに倒れてくる、もう少年とは言えないシリウス様を、何とか支えようとしたけれど生憎体勢が悪かった。
べしょっと潰されて下敷きになったわたし。
枕にされて、背中にかかる重みと、呼吸を感じて、目茶苦茶心臓が跳ねる。
しかもこの人、まだわたしの手を握っているのよ!
うわーっと訳が分からない恥ずかしさと焦りとで、じたばたもがいていると、すっと重みが消えた。
と、同時にバキッと何かが殴られたような音も頭上から聞こえた。
「大丈夫ですか!? アリス様」
イリアさんに肩を抱かれ体を起こすと、正面からすごく不安げな目がわたしを見ていた。
「申し訳ございません、出遅れました」
「――ありがとう」
さすがに枕役はごめんこうむる。
ソファから立ち上がり、ふとシリウス様はどうなったのかと振り返る。
右頬を右手で押さえ、左肘を床に付いて座り込んでいた。
俯いているので表情は分からない。でも……こんなカッコ悪いシリウス様は見たくなかった。
ふらりとシリウス様が立ちあがった!
割としっかりした足取りでこちらにやって来る。
もしかして、イリアさんのパンチで覚醒したのかしら。
つい、咄嗟にイリアさんの影に隠れた。
「…………申し訳、なかった」
俯いているので、恐らくイリアさんからその表情は見えてないだろうけど、背の低いわたしからはよく見えた。
痛みにか眉間にシワはあるけれど、恥ずかしそうに目を逸らし赤面しているのが。
出会った当初は感情の起伏のない、氷雪の貴公子だったのに、こんな表情を見れるようになるとは。
うん、これはちょっと母性本能を刺激されるというか、絆されたというか。
「シリウス! あなた、何をやらかしたの!?」
戻ってきたレティシア様が、わたしの前に険しい顔で立ちはだかるイリアさんと、頬を押さえながら俯くシリウス様の構図を見れば、そういう発言になるのかもね。
「いえ、あの、大丈夫ですから。ちょっとふらついたシリウス様の下敷きになっただけで」
腰に両手を当ててシリウス様を睨み、わたしたちに視線を転じたレティシア様がつかつか歩み寄り、目の前で屈みこんだ。
「アリス様、大変申し訳ございませんでした。シリウスはわたくしがよぉく叱っておきますので、本日はこれでお引き取り下さいませ。明日は夜明けには動けるよう、しっかり準備させます」
謝罪しながらも決意を新たに目をきらりと光らせたレティシア様は、やっぱり騎士服が似合いそうだわ。
「はい、分かりました」
にこりと笑って頷いてから、シリウス様を見上げる。
顔、腫れるよねぇ?
「あのぉ、回復魔法を……」
と言いかけたら顔ごと逸らされた。
代わりにレティシア様がにっこりと、「そんなもの、回復薬で大丈夫です」と請け負った。
なんとも言えない気持ちでポプリとハーブ茶をレティシア様に手渡し、わたしたちはシルヴァ家をあとにした。
シリウス様が来なかったことで、ユリア様は残念なようなホッとしたような複雑な顔をしていたけれど、ともかく順調に回復しているようで安心した。
――夜、シリウス様から謝罪の伝書鳥が飛んできた。
たどたどしい感じで述べられる謝罪に、寝ぼけていたシリウス様を思い出して笑っていると、蝶子さんに変な方向でからかわれた。
『痴話げんかでもしたのぉ?』
「違うわよ!」