その5 吟遊詩人になろう
仕事斡旋所を訪れた亜美は、スーツを着たまだら猫の職員におおまかな希望を促され、こう答えた。
「ファンタジックな歌のお仕事なんかがやりたいなって思います。できれば拘束されずに好きなとき自由にやってもいいのを」
なんとも実に子供らしい考えだと思いながら、しかしそこはプロである職員、ひげをさすりさすり、要望と本人に合うような職種を頭の中でめぐらせる。
「それなら吟遊詩人なんてどうだい?」
「ぎんゆうしじん……わあ、それいいかも! うん、うん、それにするっ」
愛用の楽器をお供に各地を訪れ、好きなときに気に入った場所で奏で、歌い、人々の心に潤いを与える。ファンタジー作品によく登場する夢幻的な歌い手の姿を思い浮かべ、亜美は二つ返事で応じた。
「そうか。ではどの楽師協会に所属するかね? トルバドゥール、トルヴェール、ミンネジンガー、ジョングルール、ミンストレル、バード、マビノグ……いろいろあるが」
「ん〜、よくわかんないけど、家から近いほうがいいです」
「きみの住居は月南ハイツか。ならトルバ協会が一番近いな。すぐ紹介状を用意するから、それを持って事務所をたずねなさい」
亜美は紹介状と、事務所の場所に赤ペンで印をつけた地図を受け取り、まだら猫の職員に花マル感謝で頭を下げた。
ホーエン坂を月白学院沿いの通りに下っていくと、大使館のようなレンガ造りの大きな建物がある。
そこがトルバドゥール協会――トルバ協会の事務所だった。
ゴシック様式の建物の中に入ると、二十代前半といった感じの愛想のいい女が出迎えた。協会の事務員で名前を白鳥由紀という。亜美が用件を告げると、紹介状を受け取って事務所の奥へ消えた。
程なくして戻ってきた彼女は受付嬢スマイルでニコニコっとほほえみ。
「会長がお会いくださるそうです。御案内しますのでこちらへどうぞ」
中世の修道院のような廊下をしばらく進んだ突き当たりに会長室はあった。
室内に足を踏み入れた亜美は、思わず眼を丸くパチパチ。
「やあ、キミが白月亜美君だね。私はトルバ協会の会長セルカモンだ、よろしく」
デスクに腰かけたグレーのシルエットがそう自己紹介してきた。立体感を伴った、中年男性風の人型の影だ。
「シャドーマン?」
つい昔の名探偵漫画のキャラクター名が口をついて出てしまう。
「ははは、私の姿がシルエットにしか見えないのは気にしないでくれたまえ。それよりキミは本当に吟遊詩人になりたいのかな? そこのところをはっきり聞かせてもらおう」
「はいっ。歌で人を感動させたい……なんて立派な動機じゃなくて、ファンタジーの吟遊詩人ってなんだかきれいでカッコいいイメージがあるから。あ、えっと、そんな理由じゃダメですか?」
「おっ、いいねえ、その正直さ、キーンときたよ。うむ、私の目に狂いがなければキミはなかなかいいものを持っている。よし、決まりだ、キミをトルバドゥール協会の吟遊詩人として所属させる。問題ないかね」
「いいの? やったー! はいはいはいっ、問題ありません!」
気さくで朗々とした会長の承諾に、亜美はバンザイ笑顔でくるっとターンして喜びをあらわした。まさかこんなに簡単にトントン拍子とは。
「それでは亜美君、どの楽器を使うか決めたまえ。そこに飾ってあるものの中から、自分がこれで演奏したいと思うものを選びなさい」
会長室の一角には様々な楽器が展示されていた。フィドル、レベック、シターン、マンドーラ、リュート、プサルテーリウム、ハープ、オルガニストルム、ショーム、フルート、リコーダー、トランペット、ホルン、バグパイプ、チャイム・ベル等。
亜美は透明な氷砂糖をなめまわすようにそれらを丹念に眺め、じっくりじっくり悩んでから、ひとつの楽器を指差した。
「これがいいです!」
少女が選んだのはリュートであった。
「それで、吟遊詩人のレッスンの調子はどうなの?」
「んー、まあいい感じかな〜」
月白寺近くに位置する銭湯、リタ・ツマク温泉の露天風呂に浸かって星空を見上げる如月絵里と白月亜美。白い満月が夜空の星と調和して淡い幻想感をまたたかせている。
「でも、リュートの奏で方はほとんどおぼえたけど、吟遊詩人の歴史の勉強が難しくて頭いたくなってくるんだよー。なんでそんなことまで学ばないといけないのかなあ」
塗れタオルを頭の上にのせて線目で愚痴を漏らす亜美。
彼女がトルバ協会に所属してから一週間。リュートの演奏法は楽しいからスムーズに習得して上達中だが、吟遊詩人という存在の歴史上における実態などの授業は大変だった。
「いま一般に知れ渡っている吟遊詩人のイメージは近代に創られたものだとか、中世の音楽の歴史とかどうでもいいよー。リタ・ツマクって幻想世界のはずなのに、なんでいろいろ現実世界とリンクしてるんだろ」
「ま、頑張りなさいな。でも私の思い描く吟遊詩人像って、詩歌を歌える漂白のプータローなのよね」
「えっちゃん、人のやる気そぐようなこと言わないでよー」
「ごめんごめん。そういえばソングマスターとか黄昏のオードってファンタジーRPGがあったわよね」
「両方プレイ済みだよそれ。ソングマスターは、ゲーム自体は普通のRPGだけど、歌で奇跡を起こしたのはエンディングだけなんだよね。黄昏のオードは……弘司絵以外はろくでもないクソゲーだよ! 歌システムが超ボイスだわ敵エンカウント率がやたら高いわ四人パーティなのにラストメンバーは強制で全員男とか、ありえないっしょ!」
当時の腹立たしさが蘇ってきたのか、頭にのせていたタオルを湯船につけてクラゲ状にふくらませる。それをぷしゅーと圧迫する亜美を横目で見て、絵里が笑った。
「それで、吟遊詩人になるのはいいとして、歌はどうするの?」
「発声練習とか歌のレッスンをやってるから大丈夫だよ。歌詞は、あたしには詩の才能がないからムリだけど」
「じゃあ歌詞は他の人に書いてもらうのね」
「うん。ちなみにお願いする人はもう決めてるんだ〜」
そうつけ加えてほほえむ亜美は、さっきまでの愚痴や不平がすいすいっと雲隠れしたようにルンルン気分のご機嫌さを取り戻していた。
エゾシカの群れを通り抜けながら望月公園の中央へ駆けていくと、望月樹の近くで白マントの青年を発見した。猫紳士が川辺にいるほど確実ではないが、KENjIはこの場所にいることが多い。
亜美が事情を説明すると、彼は穏やかに微笑してみせた。
「僕でよかったらよろこんで作詞を担当しましょう」
「わーい、ありがとうケンジお兄ちゃん」
「ただ亜美さんの初披露までには間に合いませんから、最初の曲は僕が以前書いたものでよろしいですか?」
「うん、全然オッケーだよー」
彼女にとってKENjIの作詞で演奏して歌うことができるならなんでもいいのだ。
青年は木々の根元に寝かせていたトランクを開けて数枚の紙を取り出した。そこに書かれているのは彼の歌曲。
「どうぞ、受け取ってください」
「星めぐりの歌……うわあ、ロマンチックな感じ」
「それは僕の書いた童話「双子の星」の挿入歌なのですよ。もし亜美さんが双子だったらイメージに合っていたかもしれませんね」
「そうなんだ〜。残念ながら、あたしは一人っ子だけど」
もし自分が双子だったら、姉か妹の名前は真美かなあと思ったりする亜美だった。
「デビューのときには必ず聴きに行きますから、楽しみにしていますよ」
「うん! がんばって練習するねっ」
その日がやってきた。
リタ・ツマク公園の砂場に立った白月亜美が、その場の人々に呼びかけるように元気いっぱいに吟遊詩人としての活動開始を宣言したのだ。
新人の吟遊詩人に興味をひかれて、ちらほらと集まってくる老若男女。聴衆の中には言うまでもなく絵里とKENjIがいた。
緊張を吹き飛ばすようにひとつコホンと咳払いしてから、亜美は徐に指でリュートを弾き始める。弦が奏でるその音色は、妙なる調べとまではいかないものの、人が聴いて心地よいと感じるくらいの旋律にはなっていた。
そして少女は桜色の唇を開いて、若さあふれる歌声をリュートのメロディに乗せた。
♪あかいめだまのさそり
ひろげた鷲のつばさ
あをいめだまの小いぬ
ひかりのへびのとぐろ
オリオンは高くうたひ
つゆとしもとをおとす
アンドロメダのくもは
さかなのくちのかたち
大ぐまのあしをきたに
五つのばしたところ
小熊のひたひのうへは
そらのめぐりのめあて
余韻を残し、亜美は歌い終えた。最後の音律が空気に流れて自然のせせらぎに還ると、聴衆からのまばらな拍手と声援にとってかわった。
曲の途中で離れていった者も少なくなかった。大歓声というわけでもない。しかし、このうえない満足感に満たされた。自分の演奏と歌を終わりまで聴いてエールを送ってくれたことが亜美にはなによりも嬉しかったのだ。
「みんな、ありがとうー」
さわやかに手を振る亜美。こうして彼女は充足とともに初仕事を終えたのである。
そんな新人吟遊詩人を、木陰に隠れて複雑そうな眼差しで見つめる少女がいた。ファンタジーRPGめいた聖職者の帽子と衣服を着た金髪碧眼の少女――メルカッセ・ジョアン。
「まさかあのFOOLにこんな楽師才能があったなんて……」
公園をたまたま通りかかったらこれである。しかもうっかり聞き惚れてしまった。亜美のことは敵視しているものの、それは認めざるをえない。そして、むくむくと悔しさが脳内でもたげてきた。いてもたってもいられなくなったメルカッセは、公園をそっと後にして周辺で情報を集め始めた。
しばらくして彼女の足が向かった先はルネサンス様式の大きな建物。
ミンネジンガー協会――ミンネ協会の事務所であった。