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その3 神さま仏さま

 白月亜美が月白郷リタ・ツマクの住人となった日の翌日、彼女は隣室の如月絵里と朝食を一緒にとっていた。起床して顔を洗い、さあ朝ごはんどうしようと考えていたところにインターホンが鳴ったわけである。

 両者にとって気の許せる誰かとのひとりじゃない食事は望むべくところだった。

「ねえ、えっちゃん。お金を手に入れるにはどうすればいいの」

 コンビニで買ってきたおにぎりを食べながら、亜美がゲームで行き詰まったような悩みを打ち明けた。昨夜お風呂に入ったあと気づいたが、替えの下着も衣服もないのだ。洗濯機で洗濯してから乾燥機にかけているあいだ、全裸で布団にくるまっていた。

 住居と食事は無料だが衣類はそうはいかないわけで、このままでは不便だし着続けて使い物にならなくなったらまずい。

「それなら仕事斡旋所を利用するといいわ。子供でもそれに応じた仕事が紹介されるから。私もそこを利用して生活用品や趣味のものを買ってるの」

「へえー、そうなんだあ。ここって子供でも働けるんだ」

「そゆこと。まあ急いで探さなくても、安い服くらいなら私が買ったげるから、そのうちゆっくりみつければいいと思うわ」

「おおー、太っ腹だ。じゃあお言葉に甘えてそうさせてもらうね〜」

 やっぱり持つべきものは友達だなあと感じる亜美。ふと親友の浪子のことを思い出して悲しい気持ちになったけれど、顔には出さなかった。現実で死んでしまい、ここで生きることになったのだから、前を見て頑張らないと。

 そういえば絵里はどういういきさつでリタ・ツマクの住人になったのだろう。気にはなったが、せっかく友達になったばかりなのだから波風立てぬよう、いつかさりげなく訊いてみようと思うのだった。


 正午前、散歩に出かけた亜美がリタ・ツマク公園を過ぎた交差点の十字路で信号待ちをしていると、横合いから声をかけられた。

「すみません、道をおたずねしたいのですけど」

 十字架模様のついた大きな青い帽子を頭にかぶり、白と青を基調にした一風変わった服装の少女だった。見た目は少し年上だろうか、腰上で波打つさらさらの金髪とブルーサファイアのようにきれいな碧眼が印象的だが、なにより眼に入るのは西洋風ファンタジーの女性僧侶が身につけている感じの格好である。

 現実世界なら間違いなくコスプレだが、ここでそれはナンセンスだ。

「えっと、なにかな」

 明らかに外国人である少女へ普通に返事する亜美。リタ・ツマクでは人種や言語が違っても互いの言葉を理解して会話できるのだ。ただし、文字は別だが。

「私はメルカッセ・ジョアン。プレスター・ジョンの国からやってきました。このあたりに教会があると聞いて足を運んだのですけど、もしご存知でしたらそこまでの道を教えていただけますか?」

 どうやら異境から来た人間らしい。目的地や服装からしてキリスト教徒だろうか。

「あたしは白月亜美。教会ならこの近くだよ、案内してあげるからついてきて」

「これはご丁寧に、ありがとうございます」

 感謝をあらわすメルカッセはその容姿もあいまって上品できれいだった。同性としてちょっとした憧れを感じつつ、亜美はハレバレした空の気持ちよさで彼女を先導した。

 教会に到着すると、メルカッセは聖堂前の壁面に彫刻された聖母マリア像に祈りを捧げてから、亜美のほうを向いて丁重にお礼を述べた。近くの芝山には『ファチマの聖母と羊飼い』と題された彫像がいくつか配置されている。

 それまで澄ました表情で微笑していたメルカッセが、ふいに眉をひそめて言った。

「ところで白月さん、反対側の通りに社らしきものを見かけたのですが……あれはなにを奉っているのですか」

「リタ・ツマク神社のこと? 稲荷神社だからキツネの神様じゃないかな」

「……どうしてそんなものがあるのです」

 メルカッセの声音が凍える吐息となった。青い目が爛々と据わり、氷の鋭さを発する。亜美はわけがわからずたじろいだ。

「ここに唯一の神の礼拝所があるのですから、異教の信仰場など打ち壊すべきです。なぜのさばらせておくのですか」

「そ、そんなことあたしに言われてもわかんないよー。信仰の自由なんじゃないの?」

「それではあなたはキリスト教徒ではないというのですか」

「あたしは無宗教ってやつだよ。気が向いたら教会にも神社にもお寺にもお参りしたりするの。そのほうがわけ隔てなくていいよね♪」

 あっけらかんとぶっちゃけたら、眼前の聖少女がボンと爆発したのである。

「な、な、な、なんという罪深き不敬涜神者! ああ愚か者よ、恥を知りなさい」

「ええぇー」

 突然の豹変に眼をまるくするばかり。さりとて涜神の意味はわからなくても、愚か者とののしられては黙ってはいられない。亜美の脳もあったまってボンだ。

「なんでそんなこと言われなきゃいけないのさー! しゅーきょーを人に押し付けるのはよくないんだからっ」

「神を畏れぬ馬鹿者……天罰を受けるがいいわ!」

「ひうっ?」

 メルカッセの物言いが真に迫っていたので思わずビクッとなる亜美だったが、しかし、何も起きなかった。

 しばらく無言が続いた後、亜美は意地悪い目つきでニヤリと口端を笑みの形に変えた。

「んっふっふ〜、どうしたのー? はやく天罰を与えてみなさいよ」

「くっ……! 神は慈愛なのです。あなたのような愚か者をも赦されるのです」

「なんか言い訳くさいよ」

「黙りなさいッ。もはやあなたに用はありません、去れ!」

「なにその態度ー。言われなくてもさよならだよっ」

 親切に道案内した結果がこれである。ぷいとそっぽを向き、完全に頭にきてその場を立ち去る亜美だった。


 昼食に『天下一品』でこってり味のラーメンを食べておなかもこころも満足。ようやく機嫌がよくなった亜美が、月南ハイツの裏手にあるリタ・ツマク幼稚園の周辺を歩いていると、道の角を曲がる白マントが眼に入った。

 急いで後を追った先、少女の瞳に映るのは月白寺に足を踏み入れるイーハトーブからの来訪者。――KENjIは仏教を信仰しているのだ。

「こんにちは、お兄ちゃん」

 本堂前で合掌して「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」とお経を唱えていたKENjIは、弓形の笑みを浮かべて馴染みの少女に挨拶を返した。

「いいお日柄ですね。亜美さんは散歩の途中ですか?」

「うん、そんなところ。……そういえば、ケンジお兄ちゃんは仏教徒なんだよね」

「そうですよ。くわえていえば法華経ほけきょうです」

「ホーホケキョ?」

 言ってから、ハッとして口を押さえる。メルカッセとのやりとりが頭に残っているだけに不安でいっぱいになるが、青年の顔に気を悪くした様子はなかった。

「ええ。ウグイスの鳴き声は、法、法華経とも聞きとれるわけです」

 やっぱりケンジさんは違うなあと嬉しくなる亜美であった。

「そうだ、お兄ちゃんの宗教ぐあいはどんななの? たとえばキリスト教との違いとか」

「何かありましたか」

「えっ……ん、ううん、ちょっときいてみただけ」

「難しいですね。その人にとっての神様……ほんとうの神様……ほんとうのたったひとりの神様。さて」

「あれ、お兄ちゃんは仏教だから仏さまだよね?」

「そういうことではないのですよ。違いかどうかはともかく、僕の具合で言うなら、みんなが幸せにならないといけないということでしょうか」

「それだーっ。みんなしあわせ、ハッピーになるの絶対! うん、それだよー」

 パチンと指を鳴らしてばんざーいと両手を上げる、そんな少女をほほえましく見つめ、KENjIは鳩のさえずりに耳を澄ませた。

 そして彼は暑い陽射しが屈折するような声で言う。

「でもね、亜美さん、それはとてもとても大変なことなのですよ。そのことをよく考えたうえで行動するべきだと、僕は思うのです」

 ほのかな風に線香の匂いがゆらゆらと運ばれてきた。


 散歩を続けていると、月中井戸を通り過ぎてしばらく進んだところで、誰あろうメルカッセが顔をしかめて道端に腰を下ろしていた。無視する気にはなれず話しかけてみると、足をくじいて動けないのだと忌々しそうに答える。

 この先はリタ・ツマク遺跡、異境からの来訪者の出入口であるムーンゲートが存在する場所。元の世界へ帰る途中だったのだ。

「わかったならさっさと私の前から消えなさい。しばらく休めば痛みもひくでしょうから」

「……イヤだね」

 つっけんどんに拒否した亜美は、強引に聖少女を立たせると、無理矢理肩を貸した。

「ちょっ、何をするの、汚らわしい! 手を、身体を離しなさいっ」

「だからイヤだって言ってるでしょ。あんたのことは好きじゃないけど、怪我して困ってる人をほうってなんかいられないよ」

「戯言を。そんなことをしても善きサマリア人として認めはしませんよ? だいたい誰があなたの助けなんか――」

「あーもう、サマルトリアとかローレシアとかどうでもいいから、暴れるなあっ」

 じたばたするメルカッセの腕をしっかり自分の肩まわりに固定する亜美。背丈は亜美のほうが小さいが、活力は彼女が上だ。足の痛みもあり、メルカッセは心底嫌そうな顔をしながらも、しぶしぶ亜美に身を預けることにした。

「白月さん、あなた愚か者のうえにお節介焼きと救いようがありませんね」

「そういうセリフは自分で歩けるようになってから口にしようね」

「くっ……あなたが勝手に肩を貸しているくせにっ。私にとってあなたは敵ということを忘れないで」

「あるアニメ映画のラストで名もなき敵兵たちが、いざ隕石が地球に落ち始めたら主人公と一緒になって押し返そうとするの。さっきまで敵だった連中なのにそんなのヘンだって思う人もいるかもしれないけど……でも、あたしはおかしくなんかないと思う。それが人間なんだよ。いざというときは敵味方人種なんて関係なしに手を取り合える、そうじゃなくちゃいけないんだよ」

「敵は敵です。回心しない限りわかり合うことはありません。救われるのは神を信じる人間だけなんですから……」

 亜美の言葉に驚いた風な顔をしながらも、メルカッセは自分の信条を噛み締めた。

 それから二人の間に会話が交わされることはなく、リタ・ツマク遺跡についた。ムーンゲートの前で身体を離すと、門の縁に手を添えて足を支えるメルカッセ。

「……まあ、一応お礼だけは言っておきます。ありがとう」

 少し照れくさそうに頬を赤くしてそれだけを口にする少女。亜美はにっこり笑った。

「気にしなくていいよー。それじゃ、また機会があれば会おうね、メル」

 さよならは明るく。そう思っていた亜美だけれど、予想外の反応というものがあることをいま一度体験することになった。

 まさか、直後にきつい平手打ちを喰らうなんて。

「ななな……なにすんだこのーっ!」

「それはこちらのセリフです! なれなれしく名前を、しかも略称で呼ばないでくれますかッ。ああ穢れてしまいそう、それではごきげんよう!」

 言うだけ言ってゲートの異空間にさっと姿を消すメルカッセ。

 後を追うことなど当然できるわけもなく、亜美は憤懣やるかたない様子で肩を怒りにふるふるさせた。

「だ――台無しだよっ!!」

 そんな叫びが蒼穹をどこまでもどこまでものぼっていくのだった。

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