表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ヒーローなんていない  作者: サク
没落殿下と毒の花
72/73

聞いてほしい話

 

 エーベルを迎えに談話室に戻ると、彼は母親と笑顔で談笑しているところだった。

 エーベルがもう泣いていないことにどこかホッとする。――勝手ながら、エーベルに涙は似合わないと思ってしまった。彼はそうやってニヤニヤ笑っているくらいがちょうどいい。せっかくシトリンみたいなきれいな瞳をしているのだから、その目にはもうあの薄暗い陰は立ち込めてほしくない。


「アルファーノ卿に、ご夫人も」


 エーベルのお母さまは私たちに気づくと、ふんわりと笑ってお辞儀をした。


「この度は私たち親子を救っていただき、なんとお礼を言っていいか……」


 目を潤ませて言葉を詰まらせた母親に、エーベルが支えるように手を添える。それにセシリオは気にしないでと首を振った。


「まだまだこれからの道のりは長いのでしょうが……でも久しぶりにこんなに笑う息子の顔が見られたのです。がんばらないわけにはいきませんね」

「あまり無理をなさらないように……笑っているあなたの姿が見られることが一番だと思いますわ」


 私の言葉にエーベルのお母さまは微笑んだ。


「これからはいつでも会いに来るよ……堂々と」


 エーベルは少し気恥ずかしそうにそう言って、母親に笑いかけた。微笑み合う二人の姿は――とても素敵で眩しかった。








 エーベルのお母さまにこれからはいつでもエーベルを連れて来ることを約束して、私たちは修道院をあとにした。

 帰りの馬車の中で押し黙っていたエーベルは道の途中で唐突に、馬車を停めてほしいと言ってきた。

 要望を受けた御者は慌てた様子で通りかかっていた公園の敷地に入り、そこで停車する。

 馬車が止まり、周りに誰もいないことを確認したエーベルはカーテンを引いて、真剣な顔で話を聞いてほしいと言ってきた。







 突然だけど、どうか君たちに聞いておいてほしい話があるんだ。君たちには親子共々救ってもらった。だからなぜ僕の母親が“神の涙”に囚われることになったのか、その経緯を話しておかなければならないと思ったんだ。

 もう知ってるとは思うけど、僕の名前はヒルデブレヒト・ベルンハルト・アーベントロート。かつてはアーベントロートの世継ぎ候補の一人だった。

 エーベルってあだ名は僕が小さいころ、色々な役柄になりきって母の前で演技することが好きだったみたいでね。そんなとき僕はいつもエーベルって名乗ってたから、そこからとったんだ。

 僕の母親、テレージアは現国王の三番目の妃だった。

 二番目のマルティナ妃とはまるで姉妹のように仲が良くて、共に王を支える立場の者同士協力し合おうと、それはそれは気にかけてもらっていたらしい。

 そのころの王の寵愛はマルティナ妃に傾いていて、そしてそれは僕が産まれても変わらなかった。だからこそ母たちの関係は変わらず良好に保たれていたんだ。その当時子のいなかったマルティナ妃は、それでも彼女は僕のことをまるで我が子のように可愛がってくれていた。

 ――おそらくだけど、それが崩れたきっかけはマルティナ妃が男児を身籠ったことだった。そしてそれと共に王の寵愛が母に移ったことだった。そこからマルティナ妃の態度が変わった。今まで本当の家族のように、第二の母のように接してくれていた彼女の態度に、わずかに敵意が混じるようになった。彼女は無事に男児を出産したが、その後も王の寵愛は母に移ったままだと知ると、それが少しずつ顕著になった。

 そんな折、母が体調を崩した。寝込む母に久々にマルティナ妃が見舞いに来てくれた。心配そうなマルティナ妃の様子……僕はどんなに嬉しかったか。昔のように優しく接してくれたマルティナ妃は、母のために自身の専任の医師を手配してくれた。その医者はどんな病気も一発で治す()()があるといって、そして母にその薬を飲ませた。

 一見、母はすぐに体調が良くなったかのように見えた。だけど、薬の効果が切れると母は具合を悪くして寝込むようになった。いつまで経っても体調が戻らずに寝込む母に、当然王の寵愛は遠のいていく。それが狙いだったのかなんなのか、マルティナ妃は母に秘薬を飲ませ続け……気づけば母は“神の涙”の中毒者に成り果てていた。

 幼い僕は、母の身に起きたことにすぐには気づくことができなかった。僕は情けないことに……まるで本当の家族のように、第二の母のように可愛がってくれたマルティナ妃を疑うことができなかった。

 そのマルティナ妃が手配してくれた医者を信じ、せっせとバカみたいに彼の薬を飲ませ続け、そして僕は僕自身の手で僕の母親を薬漬けにした。

 母が立派な中毒者になったと知るや否や、マルティナ妃は母へ医者を派遣してくれなくなった。これ以上バカ高い薬をわざわざ母に使う意味もなくなったからね。あとは自分でどうぞと言わんばかりに、彼女はいくら母が苦しもうとも、薬を乞い求めても、それを見て見ぬふりした。そしてついに直談判しに行った僕を邪険に扱って……そんな彼女の姿を見て、僕はやっと真実を悟った。

 だからといって、後ろ盾もない僕たちにできることなんてなにもなかった。

 証拠はなにも提示できなかった。マルティナ妃からもらった薬が“神の涙”まがいのものだとはわかったけど、マルティナ妃専属の医者は自分がその薬を処方したことを否定し、あまつさえ僕たちがマルティナ妃を陥れるためにケチをつけているに違いないと宣い、僕たちは危うく助けてくれた恩人に仇を返す恥知らずのレッテルを貼られるところだった。それくらいマルティナ妃と僕たちの間には圧倒的な力の差があった。僕たちは権力に負けたんだ。

 僕たちはただこれ以上標的にされないように、阿呆の道化を演じて跡目争いから早々に身を引き、母は療養の名の元に王から遠ざかり……僕は“神の涙”の因果を断ち切ろうとしてはもがき苦しむ母のために死ぬ気で国中を駆けずり回って、薬をかき集めることしかできなかった。








「だから……本当は“神の涙”の製造方法を手に入れたら、あいつらに復讐してやろうと思ってたんだ」


 エーベルの薄暗く翳る瞳の意味がわかった。彼はずっと、こんな思いを一人で抱え込んで生きてきたんだ。


「母がどんなに苦しんだか、あいつらもそれと同じ思いを味わえばいいと思ったんだ。苦しむ母をいとも簡単に捨てた王だって同じように身を滅ぼせばいいと。僕は“神の涙”をマルティナ妃を始め、彼女の息子や家族、そして……宮廷中にばら撒くつもりだった」


 エーベルはそこまで話すと、一度口をつぐんだ。それからふーっと細く息を吐き出す。再び向けられたシトリンの瞳の奥には、もう薄暗い陰は消え去っていた。


「でも、もういいんだ」


 エーベルは私の顔を見て、笑った。


「あんなに絶対に思い知らせてやるって復讐の気持ちに執着してたのに、今はなんだかどうでもよくなっちゃった。そんな薄暗い気持ちに執着するよりももっと、僕には大切にしたい感情が見つかったから」


 最後まで聞いてくれてありがとう。なんてことのない、ただの過去の話をね。

 エーベルが話し終わると、馬車の中をシンとした沈黙が覆った。


「……一つだけ勘違いしてほしくないんだけど、べつに同情してほしくて話したわけじゃないよ。ましてや憐れみの声かけなんてほしくないからね」


 そう言ってエーベルはいつものようにへらりと笑う。


「……そうね。あなたはきっと、本当にそんな言葉は欲しくないでしょうから」


 きっとエーベルは、乙女ゲームの主人公がかけてくれるような甘ったるい同情の文句なんて必要としてないのだろう。それなら私は私らしく、かつて悪役令嬢として地べたを這いずり回って手に入れた、泥臭い言葉を彼に贈ろう。


「今までされたことはどうしようもない、なくならない」


 かつてアーダルベルト殿下に厭われたときのことを思い出す。


「今まで自分がしでかしたこともなくならない、変えられない」


 そしてモニカへと八つ当たりしていたかつての自分のことも。


「……でも、それでも私たちが前を向いている限り、私たちの前に道は広がるわ」


 片手を伸ばすと、エーベルはどこかおずおずと私の手を掴んできた。その手はどこか冷たかった。


「一緒に進みましょう。幸い私たちには前が見える。あなたのお母さまだって前を向いてくれている」


 セシリオは透明なシルバーグレーの瞳に温かな光を乗せてエーベルを見つめている。それにエーベルはどこかはにかむように微笑み返した。


「……それともう一つ、あなたに知らせておきたいことがあるのだけれど」


 手を離しながらセシリオにチラリと目配せすると、彼は軽く頷き返してくれる。きょとんとしているエーベルに伝えていいものか迷ったが、彼にだって知る権利はある。


「今回の件でアルブレヒト陛下がアーベントロートとの交渉を行った際に、もちろんあなたのお母さまの現況をお伝えすることになったのだけれど……アーベントロート国王陛下はとてもショックを受けておられたそうよ。そしてなぜテレージア妃が“神の涙”の魔の手にかかってしまったのか、真実を解明して、二度と同じようなことを起こさないと……そう約束されたと」

「……ウソだろ」


 見開かれたシトリンの瞳に続けていいものか迷ったが、そんな私の躊躇いを察知してかセシリオは私の手を優しく繋ぐと、続きを引き受けてくれた。


「いいや、嘘じゃない。建て前だろうとなんだろうと、事実国王陛下はアルブレヒト陛下にそう約束された。それからしばらくしてアーベントロートより、第二王妃マルティナ夫人が深刻な体調不良のために王妃の座を退き、以後無期限の療養に入ると発表があった。……表向きの発表はそうだが、君の話を元にすると、おそらく国王陛下にその所業が暴かれたんだろうね。事実上の没落だ」


 セシリオの声に、エーベルは気が抜けたようにカーテンの向こうに視線を遣った。呆けたようなその様子に少し心配になる。


「ごめんなさいね、あなたに言ってなくて。贖罪の最中にアーベントロートのことは……って、敢えて伝えていなかったの」


 エーベルは力なく首を振り返す。


「……君がわざわざその手を汚して復讐しなくても、裁きを受けるべき人間はいつかその咎を背負うことになる。君だってそうだ、だから今までの罪をきちんと雪いできたんだろう?」


 セシリオの声にエーベルはまたすぐに振り返ってくると、強張った顔でゆっくりと頷き返した。


「そっか。そうだったんだ……」


 どこか強張った声でエーベルは呟くと、次の瞬間ケラケラと笑い出した。

 あまりの様変わり様に彼の様子が心配になる。窺うような私たちを尻目にエーベルは一通り大きい声で笑った。


「不思議なことに、もうなにも感じない」


 エーベルが今どういう感情なのかわからないけれど、その声は平坦だった。


「あいつが僕の知らないところで勝手に自滅して身を滅ぼして、当然の報いを受けている。それを僕は心底望んでいたはずなのに、そのためにはるばるこんな遠い国まで来てこの両手を罪に染めて……それなのに今の僕はなにも感じない。僕は、ただ……母が笑っていられるならそれでいい」


 エーベルはようやくその顔にカラリとした笑顔を浮かべた。


「ああ……きっと僕の復讐はもう終わったんだね。僕の心は復讐から解放されたんだ。長い長い暗い時間は終わった。僕はもう自由だ」


 そう言ったエーベルは本当に晴れやかで、このときやっと彼は心の重荷を降ろすことができたのだと、そう実感した。


「ええ、あなたは自由よ。あなたの前にはどんな道だって続いている」

「君に繋がる道もかな」


 一瞬言われた言葉の意味がわからずに固まった私に、隣のセシリオが身動ぎした。


「僕は今とても素晴らしいことに、前しか見えていないんだ。僕の過去はもう終わった。これからは君に繋がる道をまっすぐに突き進むよ」

「くれぐれもほどほどに頼むよ」


 晴れやかに笑うエーベルに、釘を刺すようなセシリオ。エーベルは締め切られていた連絡窓を開けると、御者へと再び馬車を出すように指示する。

 馬車はゆっくりと、進み出した。









評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 完走おめでとうございます! 途中少し駆け足っぽいところもありながらも、ひとつの世界を完結させるのは凄い事だと感動しています。 ワクワクする時間をありがとうございました!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ