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ヒーローなんていない  作者: サク
没落殿下と毒の花
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そして彼が見たものは

 

 さらに数ヶ月後。

 今日はエーベルが定められた贖罪の日々を過ごし終え、禊の牢から出てくる日だ。

 いつもはバルトリ文官と進む道を、今日はセシリオと一緒に辿る。

 今日も今日とて王家の森の塔で番人をしていたエヴァルドは、私に続いて馬車を降りてきたセシリオの姿を見て、途端に仏頂面になった。


「今日は貴様も一緒か……」

「やあ、エヴァルド。いつも()がお世話になっているね」


 わざわざ()のところを強調され、エヴァルドの顔がますます苦々しく顰められる。


「塔の番人の仕事はどうだ? 君が自ら志願してここに異動になったと聞いたときには心配したけれど、案外と心穏やかに続けられているみたいだな」

「心配しなくとも今までで一番充実している。なんていったって定期的にヴィヴィエッタ自らが会いに来てくれるからな」


 エヴァルドのヴィヴィエッタ呼びに、ピクリとセシリオのこめかみがひくついた。


「へぇ……()()()()()()()、ね。まぁ私はヴィヴィとは毎日会っているが。なにしろヴィヴィは私の愛しの妻、だからな。まぁ毎日会っているのは一緒に生活しているから当たり前の話なんだが」

「っ……、」

「……」


 まるで今にも剣を抜きそうなエヴァルドと、ここ数年で鍛えた表情筋を活かして穏やかな笑みを維持するセシリオ。

 これはいつも繰り広げられる、いわば見飽きた応酬だ。もう止める気にもならない。この二人はもう仲がいいのか悪いのか、よくわからない。いっつも私のことで言い合っているようにも見えるけれど、案外とそれが二人のコミュニケーション方法なのかもしれない。

 二人ともなにも言わないけど、たまにうちの屋敷で二人酒を酌み交わしているのも知っている。……実はエヴァルドってとっくにセシリオに心を許しているのではないかとさえ思っている。

 人形のように美しいけれどあまりにも冷たいエヴァルドの鋭さ。それに耐えられる数少ない人物に、セシリオが入っているのも知ってる。こう見えてエヴァルドがセシリオに一目置いているのも。

 たぶんエヴァルドはセシリオのことを希少な友人として認めるのが恥ずかしいんじゃないかな。じゃなきゃこんなにも粘着質に絡むはずがない。つくづく面倒な男だ、エヴァルドって奴は。

 後ろで微笑みながら二人の口論が終わるのを待っていると、「……なんだか勘違いされているようだからこれくらいにしておいてやる」ととりなすようにエヴァルドが咳払いした。


「それよりも、だ」


 エヴァルドはセシリオに目で合図を送った。


「とうとう奴が出所してくる日になった」

「ああ……とうとう、だ」


 今度は今度でなにやら言葉もなく二人で通じ合っている様子に、そろそろいいかしらと声を上げたくなる。今日はほかにもエーベルを連れて行ってあげたいところがあるのだ。用事が詰まっている。

 焦れた私の顔を見てエヴァルドはため息をつくと、重苦しく塔の扉を開けた。








 塔の中にエヴァルドが消えてしばらくして、ようやく鎖を解かれたエーベルが姿を現した。


「ヴィヴィエッタ!」


 私を見つけたエーベルは手を振り、軽い足取りで歩み寄ってきた。


「ようやくね、エーベル」


 エーベルが近寄ってきて、私の手を取ってもったいぶったようなお辞儀をした。


「迎えに来てくれてありがとう。今日から世話になるからよろしくね。それと」


 隣で貼り付けたような笑顔のセシリオにも、エーベルは軽い調子で声をかけた。


「君も久しぶり。僕を受け入れてくれることに同意してくれてありがとう。これからよろしく〜」


 エーベルの差し出した手を心なしかセシリオはガッと掴んだ。


「ああ……こちらこそよろしく。ちなみにヴィヴィは結婚してもう私の妻となったんだ。だからこれからはヴィヴィエッタではなくてアルファーノ公爵夫人と呼んでほしい。いいかな?」

「アルファーノ公爵夫人? わかったよ」


 すんなりとそう言ってにっこりと笑ったエーベルに、セシリオは憑きものが落ちたような顔になる。


「案外と素直だな……君よりマシじゃないか」

「騙されるな、セシリオよ……こいつはそういう奴だ。この態度に騙されて油断したところをこいつは確実に横からかっ攫っていく。決して隙を見せないことだな」

「そ、そうか……そうだな。素直じゃない君にだけは言われたくないだろうが、今回ばかりは君の言うことを信じるよ」

「おい、一言多いぞ」

「ねぇ、僕先に行ってていい?」


 キリキリと絶対零度の視線を向けられて苦笑を浮かべたセシリオに構うことなく、エーベルは小さな荷物を抱えてさっさと馬車に乗り込んでしまった。


「さっ、それじゃあ私たちも行きましょう」


 エヴァルドに挨拶をして、セシリオを促す。来たときから一転、どこか同調するように頷き合う二人にやっぱり仲がいいんじゃないかと思いながらも、私は賢明にも口には出さなかった。








 王城を出てから屋敷に帰る前に、私たちはある修道院へと寄っていた。

 この修道院群は昔からケインズ医師の一族が経営しているもので、ここの修道士・修道女たちは病人の看病に長けており、その縁で()()()()()()()()()を見てもらっていた。

 私たちが用があるのはそのうちの女子修道院のほうだ。呼び鈴を鳴らすと、院長であるシスターマルタが対応に出てきてくれた。


「ごきげんよう、シスターマルタ」

「ごきげんよう」

「ごきげんよう、アルファーノ公爵様にご夫人も」


 シスターマルタはエーベルを連れて来た私たちを見て、綻ぶような笑みを浮かべた。


「こうしていつもご足労いただき、感謝しております。……こちらが」


 シスターの澄んだ目がエーベルへと降り注がれる。それにエーベルがペコリと頭を下げると、シスターは目礼を返した。


「本当にそっくりでいらっしゃるのね。さぁ、こちらへとどうぞ。今はサシェ作りも終えて少し休憩していらっしゃるところかしら。すぐにご案内できると思います」


 シスターに促されて男性の立ち入りが許されている応接室へと案内される。エーベルはどことなく少し緊張しているみたいだ。いつもはおちゃらけた笑みが浮かんでいるその顔が強張っていることに気づいて、セシリオとそっと目配せし合う。

 応接室で待っているときもエーベルは言葉少なく、私たちと目を合わせようとはしなかった。

 やがて少しのノックの音が響いた後。扉を開けたシスターの後ろから顔を覗かせた人物に、エーベルは思わず立ち上がった。


「母上っ……!」


 シスターに導かれてやってきたエーベルによく似た女性は、エーベルの姿を見て目を潤ませて微笑んだ。


「エーベル……」


 長年“神の涙”のまがいものに苦しめられてきた女性――エーベルのお母さまは、エーベルを見た瞬間、感極まったように両の腕を伸ばした。それに呼応するようにエーベルは駆け寄ろうとして、途中で崩折れる。


「母上……」


 声にならない声を絞り、溢れ出す感情を必死に押し留めようとする彼の姿に、エーベルのお母さまも目を潤ませて彼へと駆け寄る。そっとエーベルのそばに屈み込むとお母さまは彼を包むように抱き締めた。二人の間にはそれ以上の言葉はなかったが、二人共に震える肩を見れば、そこに言葉は要らないことぐらい分かる。その様子に顔を見合わせた私たちはそっと立ち上がった。

 シスターマルタに続いてそっと応接室を退室し、エーベルとお母さまがゆっくりと再会を喜べるようにそっと扉を閉める。


「公爵ご夫妻の慈悲の御心に感謝いたします」


 部屋の外でシスターマルタは祈りを捧げるように、両手を握り締めた。


「卿とご夫人の采配がなければ、悲しみに沈む親子の心は決して救われませんでした」


 シスターからの深い感謝に私たちはそっと首を振り返した。


「いいえ、わたくしたちはなにもしてはおりませんわ。すべては彼エーベルが望み、そのために決断し行動したこと」

「それでもアルファーノ卿のご慈悲とご夫人の献身的な介抱がなければ、こうも喜ばしい再会にはならなかったでしょう」


 あの日あの時エーベルに約束したとおり、アルブレヒト陛下はエーベルの大切な人――エーベルのお母さまを助けるために、彼女をこの修道院へと招待した。それからケインズ医師の指導の元、今日まで彼女はここで“神の涙”の依存症状に対する治療を継続していた。

 もちろん治療は一筋縄とはいかず、それは険しい道のりだった。彼女は苦しみに苦しみ、目を離せないような緊張状態が続くこともあった。

 それでも私たちは私たちにできることをしたいと、私は彼女の元に通うのをやめなかったし、セシリオはこんなことしかできないからと寄付をし続けた。

 そして最近、彼女は長年苦しんできた魔の誘惑からやっと脱し――笑顔で話すことも増えてきたのだ。


「慈悲深きご夫妻に神のご加護があらんことを」


 膝を折り私たちのために祈りを捧げてくれたシスターマルタに、私たちも祈りを捧げ返す。

 それから私は、エーベルが母親との久しぶりの再会に涙している間、もう一人の目的の人物に会いに行くことにした。









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