嫌なことは続く
「ごきげんよう、ロランディ様」
動揺を隠すように扇子を開き、強張る口元を隠す。
「夜会に出席なさるなんて珍しいのね。領地はもうよろしかったのかしら」
無駄足を踏まされたことを皮肉ってみたのだが、小娘の言うことは痛くも痒くもないのか、テオドーロ・ロランディは堪えた様子もなく微笑んでみせた。
「ああ、その件は本当にすみません。まさかあなたが演習中にいらっしゃるとは思わなくて。私がいるときでしたらもっと丁重にもてなせたのに」
おっと、勝手に来といて文句言ってんじゃねえよって? 悪かったな、会いたいって言われて嬉々として行っちゃったんだよ!
「でもここでお会いできて本当に良かった。色々とお話ししたいこともありますし、ね?」
男の色気溢れる流し目で微笑まれる。
色々ってなんのことでしょーか。上手く丸め込む気だろうけど、あなたの色気になんて誤魔化されませんからね!
とにかく、殿下に“相談”するのが先だ。少し離れた先でまた囲まれてしまった殿下に視線を遣りながら、どうやってロランディ伯をあしらおうか、舌戦繰り広げる気満々で考えていたところ。
「ラディアーチェ嬢」
声をかけてきた人物を見て、思わず瞠目する。
出鼻を挫かれたのもあるが、意外な人物だったから。
「……ダリア様」
エヴァルド・ダリア。
ダリア公爵家の次男で、王太子付の近衛騎士。銀髪にアンバーの瞳は硬質で、滅多なことでは笑わない生真面目な美男子だ。
アーダルベルト殿下の婚約者だった私とは接点もなく、ほとんど話したこともない。彼はいつも護衛として王太子の後ろで冷たいアンバーの目を光らせていたし、あまり気安い人ではない。
今日は制服ではなくジュストコールを着ているところからみると、ダリア公爵家として来ているのかもしれない。そのエヴァルド・ダリアが王子の元婚約者に一体なんの用だ。
「療養されていたと聞いていたが、お身体はどうか」
ニコリともせず尋ねられて、これはこれで口元がひくつきそうになる。
「ええ、お気遣いありがとうございます。この通り……」
もうすっかり、と続けようとした言葉は、エヴァルド・ダリアに遮られた。
「先程より見ていたが、まだ顔色が悪い。久しぶりの夜会で無理をされているのではないか」
……えーと。
さっきから見てたってナニ? どーいうこと?
「少し休まれた方がいい。夜風に当たりに行こう」
ナゼ話したこともない男性に気遣われている?
突然の申し出に思わずぽかんと口が開く。その口元を隠す間もなく彼に腕を取られた。
「失礼。バルコニーへお連れする」
テオドーロ・ロランディはなにか言いたそうに口を開いたが、結局なにも言わずにそのまま閉じた。
いや、ちょっとくらい引き留めてほしかったんだけど……。今から私達色々とお話しするんじゃなかったの?確かにダリア公爵家様に物申したくはないけどさ!
遠ざかるロランディ伯の姿を遠目に見ながら、バルコニーに連れ出されて一体今からなにを言われるのだろうかと考えるだけでげんなりする。
――この世界が乙女ゲームの舞台であるのならば、その他の攻略対象になり得そうな男性が幾人かいる。……その内の一人がロランディ辺境伯だったのだが、妾に庶子が跡継ぎの時点で乙ゲーらしからぬと除外した。
そしてこのエヴァルド・ダリアが『攻略対象』の騎士担当じゃないかと私は密かに思っていた。
口ベタだが真面目で一途な騎士(公爵家出身)。これはまさに攻略対象というべきプロフィールではないか。
さらに実際、エヴァルド・ダリアとニコレッティ嬢には面識がある。これが私が彼を警戒している所以だ。
またニコレッティ嬢に当たっていたことを責められたりするのだろうか。そんな攻略対象(仮)な彼はバルコニーに出ると警護の騎士に離れるよう言い含め、なぜか二人きりにされてしまった。
「ダリア様?」
声を上げるが、口元に指を押し当てられてしまう。
突然の感触にぞわりと毛が逆立つ。淑女の唇に断りもなく触れるとは、この男、いったいどういうつもりなのか。
「ヴィヴィエッタ、久しぶりの夜会で疲れただろう? 庭の噴水そばにベンチがあったはずだ。そちらで少し休憩しようか」
なんだ……なんだ、この薄気味悪い感じは。勝手に名前を呼んでくるなんて。そもそも夜の庭園に未婚の令嬢を誘う時点で正気を疑う。
エヴァルド・ダリアの目的はなんだ。
「ヴィヴィエッタ」
エヴァルドが薄く微笑んだ。美しいはずのそれに滲むなにかに、頭の中でけたたましく警鐘が鳴る。
「ああ、可哀想に。アーダルベルト殿下に婚約破棄されて、こんなにやつれてしまって。今日も沢山の視線に晒されて辛かっただろう?」
なんだろう、声音も言葉も優しくて、だけど目が笑ってない。その目は、まるで……。
思わず後退ろうとするが、その前に背中に腕を回されて悲鳴を呑み込んだ。
「お言葉ですが、ダリア様」
近づく体に失礼にならないほどの力で押し返す。
「このような形でわたくしの令嬢としての名誉を汚そうとなさるのはお止めくださいませ。ダリア様の評判にも関わりますわ」
「大丈夫だ、心配しなくとも責任はちゃんと取る」
エヴァルド・ダリアの言葉に益々混乱する。
責任を取るって、なに? 彼の目的が見えてこなくて……怖い。
「あんな田舎者に嫁ぐだなんて、ヴィヴィエッタだって嫌だろう?」
さっきから一生懸命押し返そうとしているが、鍛えられた体はびくともしない。
異様に光るアンバーの瞳が、にんまりと細められている。
「奴に汚されるくらいなら、私が手に入れてやる」
混乱して冷静に考えられない私を半ば強引に抱きかかえると、エヴァルド・ダリアはバルコニーの階段を降りていく。咄嗟に上げようとした悲鳴は肩口に押し付けられ、くぐもった声しか出ない。
あんなに気合いを入れて作った髪型も化粧もグチャグチャに乱され、ドレスもしわくちゃだ。だが、そんなこともう気にしてられない。なりふり構わずめちゃくちゃに暴れているつもりなのに、彼は堪えた様子もない。
エヴァルド・ダリアは灯りの届かない薄暗闇へとどんどん歩を進めていく。
「ダリア様っ……お戯れは止めてくださいませっ!」
「戯れなんかじゃない、ヴィヴィエッタ。ずっとお前をこうしたかった」
月明かりに浮かび上がったエヴァルド・ダリアはゾッとするほど残忍で、サァッと血の気が引いていく。
「気取ったお前の顔を見る度に、私に情けを乞うときはどんな顔をするのだろうといつも考えていた。私はずっと焦がれていたんだ。あなたを手に入れて、ぐちゃぐちゃに汚してしまえたらと! ああ、やっとヴィヴィエッタが私のものに!」
エヴァルド・ダリアは乱暴に私を放り投げると、くつくつと笑い声を上げた。
「アーダルベルト殿下しか見えていないお前が、殿下以外の奴にその体を暴かれるのはどれほどの屈辱なんだろうな? さぁヴィヴィエッタ、楽しもうじゃないか」
「いやっ……てかキモい! 来ないでよ!」
特殊性癖かよ!
あまりの気持ち悪さに口調も取り繕えず叫んでしまった、そのとき。
「お取り込み中失礼します……あ、やっと見つけましたよ、ラディアーチェ嬢」
よりによってこんな場面なんか見られたくない相手、ジェラルド・バルトリが草むらからひょっこりと顔を出した。