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ヒーローなんていない  作者: サク
没落殿下と毒の花
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約束だから

 

 近衛騎士たちに連れて来られたのは、拘束されたエーベルだった。


「目が覚めるのが遅いよ!」


 エーベルは私を見た瞬間、心配よりもなによりもそんな文句をぶつけてきた。


「そんなこと言われたって」


 ぶすくれて頬を膨らませると、エーベルはどこかホッとしたような笑みを浮かべる。


「少しはいつもの調子、戻ったの? 君がボーッとしてるとなんだか落ち着かないよ」


 セシリオ、王太子殿下、監視の騎士たち。そんな周囲の目を気にする様子もなくエーベルはベッドに掛ける私に近づいてくると、手を伸ばそうとしてきた。その途端に監視の騎士から制止が入り、エーベルはその端正な顔に苦笑を浮かべる。


「……その腕」

「ああ、これ?」


 エーベルはなんでもないかのように両腕を上げて、カラリと笑った。手枷で拘束された両腕にはぐるぐるに包帯が巻かれている。ナイフが刺さったのは左腕だけだから、右腕の怪我はどう見ても火傷としか思えなかった。


「もしかしてあのとき、火傷してしまったんじゃ……」


 私が二人を助けてほしいと願ってしまったから。


「大したことないよ。君が気にすることじゃない」


 辛気臭いのはお断りだとばかりに、エーベルはわざとらしく顔を顰めた。


「までも、この怪我のおかげで君が一生気にしてくれるのなら、それはそれでアリかな」


 その途端セシリオと王太子殿下の生温い視線を受けて、エーベルはカラカラと笑った。


「……連れて行かれる前に、君と話せてよかったよ」


 少し表情を改めたエーベルは、今まで見たこともないような真面目な顔をした。


「君の国の王子様からさ、約束してもらったんだ」

「約束……」

「そ、君が交わしてくれた約束、守ってくれるって」


 途端に見上げた殿下は、しっかりと頷き返してくれる。


「……助けの手を差し伸べてくれて、ありがとう」


 小さく呟かれた言葉に目を瞠ると、案外と至近距離からシトリンの宝石のような目がぶつかってくる。


「君を信じて、ヴィヴィエッタ・ラディアーチェを信じて本当によかった」


 にっこりと向けられた屈託のない笑みの衝撃に、息を呑む。

 その衝撃から立ち直る間もないままに、エーベルは出立の準備のためにもう連れて行かれようとしていた。


「セシリオと一緒に待ってるからね」


 後ろ姿にそう声をかける。エーベルがあのカラカラとした笑い声を上げた。


「うん、ちゃんと約束を果たしてくるよ」


 エーベルの後ろ姿が消え、殿下の退室に合わせてセシリオが軽く礼をする。

 再びしんと静まった客室の中、うしろからそっとセシリオに抱き締められる。その大きな温もりにやっとこの旅が終わったのだと実感して、私は安堵と一緒に目蓋を下ろした。








 それからのことは王太子殿下預りになり、すでに私が関与すべきことではなくなったのでよくは知らない。だが王太子殿下がそれはもうよく取り計らってくれたということだけは伝えておこう。

 彼は自身の弟が権威を悪用して“神の涙”を手にしたことの罪を正しく裁き、適正な処罰を下すため、公務の傍ら事件の真相解明に奔走している。エーベルは最重要証人として勾留されており、ラヴィラ男爵邸で別れて以降一度も顔を合わせていない。

 すぐに王都へと舞い戻った王太子殿下たちとは裏腹に、私は体調が落ち着くまでラヴィラ男爵邸での療養を余儀なくされ、それまでの間セシリオは本当に甲斐甲斐しく私の世話を焼いてくれた。


「調子はどうかな、ヴィヴィ」


 押し込められた寝室でもうとっくに見飽きたローザネラ山脈の峰とにらめっこをしていると、セシリオが私の食事を持って入ってきた。


「元気すぎるぐらいに元気よ、セシリオ」


 サイドテーブルに食事をセットしているセシリオをじとっと見上げると、彼の顔に苦笑が浮かぶ。


「元気が有り余っているのにこんなところに閉じ込められて、逆に病気になりそうなくらい」

「悪かった、でもわかってくれ。心配なんだ」


 たしなめるように向けられたシルバーの瞳にじっと目を合わせると、セシリオは宥めるような曖昧な微笑みをくれた。


「もう少しだけこうして君の世話をさせてくれ。そうしたらじきに俺も安心できると思うから」

「本当に? もう二度と旅行には行かないなんて言い出さない?」

「“もう二度と”までは言わないかもしれないが、当分は勘弁だな。また君がなにか危険な目に遭うんじゃないかと夜もおちおち眠れないよ」

「さすがにもうなんにも遭わないと思うわ」


 セシリオの言葉じゃないが、不法侵入に違法薬物、誘拐に家宅捜索、そして最後には火事にまで遭遇したときた。そうそうこれ以上のことを体験することなどないだろう。

 肩を竦めた私に、セシリオはトレーから器を持ち上げるとスプーンで濃厚なチーズのかかったパンリゾットを掬った。それをふうふうと冷ましながら差し出してくる。

 それをちょっと気恥ずかしく思いながらも素直にパクリと食べると、セシリオが頬を緩めて微笑んだ。

 セシリオはそうやってどこか楽しそうに、私がお腹いっぱいになるまで食べさせてくれた。


「俺の理想としては、君が元気になってもこの先ずっと、こうやって甘やかしていたいんだけどな」

「やめたほうがいいわ。きっとあなたのその際限のない甘さにずぶずぶに依存して、使いものにならなくなると思うから」

「いっそなってくれても気にしないのに」


 セシリオは自嘲するように遠くに視線をやった。


「こんなことを言うと君をぞっとさせるかもしれないけど……でも()の気持ちも少しだけだけど、わかったんだ。君を俺一人の手で、俺だけがずっとこうして君の世話をしていけたのなら、それはどんなに幸せなことだろうな。こうやって毎日誰の邪魔もなく、二人きりでずっと君だけを見つめたまま、君のことだけを考えて過ごせたら……」


 そこでセシリオは私に視線を戻して、仕方がなさそうに笑った。


「でもそんな毎日では、ヴィヴィのことを本当に幸せにすることはできない。俺は君を飼い殺しにしたいわけじゃないんだ」

「そうね」


 口の端についた欠片に気がついて、セシリオが手を伸ばしてくる。そっと親指で拭き取ると、彼は躊躇いもなくそれを口にした。そんな何気ない仕草にドキッとする。


「あなたはいつも私のやりたいことをさせてくれる。見守ってくれる。心配しなくても充分甘やかされているわ。そこまでしてくれなくても私はあなたのおかげで今幸せよ、過保護な婚約者さん」


 もう溺れそうなほどに甘やかされている。

 そう告げると、セシリオがそっと笑みを消して、真正面から私を見据えた。

 カチャリと、器にスプーンを置く音がやけに響いた。それほどまでにこのローザネラの麓の屋敷はシンと静まっていて、そして私たちは完全に二人きりだった。


「ヴィヴィ……」


 セシリオが呟いて、手を伸ばしてくる。


「君に出会って愛するって感情を知って、こんなにも幸せな反面、際限なく怖さばかりが後から後からわき出てくる。どんなに貴族らしく教育し直されても、君を守るための権力を手に入れたと思っても、こればかりは変わらない。俺の本質はずっと怖がりなままだよ……」


 真顔のセシリオが醸し出す雰囲気は少し怖い。恐る恐る伸ばされた彼の手が私の髪に触れてくる。

 しばらくセシリオはそうやって私の髪を弄んでいたけど、やがてなにかしら彼の心の中で整理がついたのか、セシリオは手を止めて、微笑んだ。


「だからあともう少しだけ、ここでこうやって君と二人きりの時間を過ごさせてくれ。安心させてくれ」

「あともう少しだけね。だって私はどこにいたってあなたのそばにいるんだからね。王都だろうがどこだろうが、あなたはもうなにも怖がらなくていいの。私はずっとここにいるから」


 落とされた手に手を伸ばして、ごつごつとしたその感触に触れる。握り締めた手はもう冷たくない。

 それ以上話す必要はなかった。今は目の前の愛しい人と一緒に過ごせるこの時間をじっくりと噛み締めるだけ。ただその思いで握り締めた手に、温もりが伝わってくる。

 ローザネラ山脈の雪景色は、今日も静かだ。









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