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ヒーローなんていない  作者: サク
没落殿下と毒の花
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兄としての謝罪

 

 次に目が覚めたとき、私はラヴィラ男爵邸の客室に寝かされていた。

 鈍った頭はまだぼんやりしている。気怠い首を動かして、窓から外を伺う。そこから見える景色は、来たときと変わらない寒々としたローザネラ山脈。

 部屋の中には誰もいない。とても静かだ。ベッドサイドのチェストにベルと水差しが置かれている。そのベルを鳴らして誰かを呼ぶこともできたけど、なんとなくそうはせずに重くだるい体をなんとか起こした。

 しばらくそうやって、体を起こしたままなにを考えることもなくボーっとしていた。


「……っ」


 唐突に扉が開く音がして、そちらを振り返る。

 扉を開けた状態で、セシリオが驚いたように目を見開いて固まっていた。


「ヴィヴィ……!」


 目が合った瞬間、セシリオは弾かれたように駆け寄ってきた。その勢いのままベッドに身を乗り出してきてギュッと抱きしめられる。

 脱力している私の体を抱きしめて、もう離さないとでもいうようにその力は強かった。


「やっと目が覚めた……!」


 震える声でそれだけを告げて、それからセシリオは縋り付くように抱きしめてきた。泣いているのかとも思ってその顔を覗き込もうとしたけど、強い力で遮られてそれは叶わなかった。








 セシリオは私を抱きしめたまま、あれからの状況をぽつりぽつりと教えてくれた。

 ラヴィラ男爵と夫人は所々火傷を負って重症、意識はあるが応答が曖昧なまま。今も懸命な治療が続けられているそうだ。それから屋敷の差し押さえ、証拠品の押収に関係者全員の捕縛、その陣頭指揮に立っているのが、なんと。


「驚かずに聞いてほしいんだが、」


 セシリオの大きな手が、私の存在を確かめるように髪を梳いている。


「なんと王太子殿下がこちらにいらっしゃってるんだ」


 なんだって……今王太子殿下って言った?


「……やっぱり驚くよな。俺も出迎えたときにその姿を見てびっくりした。知らせを受けてすぐに馬を飛ばして駆けつけてくれたそうだ。今は殿下自ら指揮をとって後処理にあたっている」


 後ろから柔らかく抱きしめられ、慈しむように髪を撫でられて、また眠ってしまいそうだった。それを意図してかそうでないのか、セシリオは涼やかな声をそっと囁かせて、まるで子守唄のように言葉を続ける。


「それで殿下は君のためにケインズ医師も連れて来てくれた」


 ケインズ医師は王家に代々仕える医師の家系出身で、生まれながらにしてエリート医師街道を爆進してきた、すごく優秀な医師だ。すべての医学にオールマイティに対応できるが、その中でも薬物医学、特に“神の涙”の精神に与える影響について詳しい。

 前回のアルファーノ邸での事件以降、定期的に私の体調を診てくれていたのはこのケインズ医師だった。


「目が覚めたら詳しく問診をとりたいと言っていたから、呼びにいかないと……」


 いけないんだけど、と。

 セシリオは声音を落とすように言葉尻を窄めた。そこでセシリオは躊躇うように束の間黙り込んでしまった後。


「でももう少しだけ、あと少しだけ二人きりでこうしていてもいいだろうか」

「いいわけないでしょう」


 言葉を返そうとした私の代わりに、ノックもなく部屋へと入ってきたのは例のケインズ医師だった。


「目が覚めたらすぐに呼ぶようにとお伝えしていたはずですが?」


 しらっとした視線を向けられて、セシリオは気まずそうに視線を逸らす。

 ケインズ医師は慇懃にセシリオに退くように伝えると、私の顔を覗き込んできた。


「ケインズ医師。来てくれたのね」

「しばらくぶりですね、ラディアーチェ嬢。ええ、そうですよ。またあなたを診なければならなくなったと殿下から伺って、殿下と一緒に一生懸命に馬を飛ばして駆けつけたんですよ。患者のためとはいえ、もうあんな無茶な早駆けは勘弁したいものですね。それでまぁ……あなたときたらまたちょっと見ない間にずいぶんと傷だらけになって。あなた本当に貴族のご令嬢ですか」


 歯に衣着せぬケインズ医師の言い様に零すように笑うと、ケインズ医師は手元の問診表に私の反応を書きつけた。


「それで、ええ、続けますけど、ここがどこだかわかりますか」

「ええ、大丈夫。わかっているつもりよ。ここはラヴィラ男爵の屋敷だわ」

「そうですね。では……」


 隣で神妙な顔をして食い入るように聞き入っているセシリオには一切構わず、ケインズ医師の詳細な診察はしばらく続いた。








 長々と続いていたケインズ医師の診察も終盤に入ったころ。


「こちらにケインズ医師は来ていないか。しばらく姿が見えないものでね」


 軽いノックの音と共に顔を伺わせたのは、王太子殿下その人だった。

 振り返った私と目が合った王太子殿下は、驚いたように海のように明るい目を瞠目させて「これは失礼」と一旦扉を閉めようとした。


「いえ、いいですよ。これ以上はラディアーチェ嬢も疲れるでしょうし、一旦ここらで止めておきましょう」


 ケインズ医師は殿下の姿を見てあっさりと診察を中断した。


「少しでも体調の変化があれば、今度こそベルを鳴らして呼んでくださいよ」


 彼は私たちがすぐに呼ばなかったことを遠回しに非難しながら、殿下の後を追って部屋を出ていってしまった。

 しばらく扉の外でやり取りがあったのだろう。それから少し間を置いて、今度は王太子殿下が様子を伺うように部屋へと入ってきた。


「失礼、ラディアーチェ嬢。無事に目が覚めたみたいでホッとしたよ」


 カーテシーを取るべく無理やり立ち上がろうとした私を片手で制して、殿下はベッドサイドのイスに腰掛けた。


「満身創痍の君にこんな話をするのもどうかと思ったが、私もすぐにここを発たないといけないのでね。ラディアーチェ嬢、少し時間をもらえるかい?」


 セシリオは制止したそうに口を開こうとしたが、私は殿下に是と返した。

 それに王太子殿下はオレンジブロンドの明るい髪を揺らし、思案げに視線を伏せたあと、どこか躊躇うように口を開いた。


「まずはラディアーチェ嬢……色々とご苦労だった」


 殿下の言葉に頭を下げる。かしこまらずに聞いてくれと言われて、顔を上げる。殿下のどことなくこっちを見ていないその様子に少し違和感を持った。


「君は私の信頼を裏切らずによく応えてくれたね。今回の件は君が勇気をもって動いてくれたおかげで無事に解決へと至ったが、そうでなければもう二度と表には出ずに見つかることはなかったかもしれない。……ただ今回もそのせいで君を大変な目に遭わせてしまったことは深く謝罪しよう。今後も君のことは王家が責任を持って治療にあたらせてもらう。起こったことの埋め合わせには到底ならないかもしれないが、せめてそれくらいはさせてくれ。――君のような忠実な臣下を持てて、私は誇りに思うよ」


 そこで王太子殿下は言葉を切って、やっと視線をこちらに向けてきた。その真剣な目を見て、おそらく殿下が本当に言いたいのはここからなのだと悟った。殿下は構わずにまるで独り言のように続ける。


「そして、ここからは一人の不出来な兄の独り言として流してほしいのだが、」


 王太子殿下は囁くように喋るものだから、私は言葉を拾うために顔を近づけなければならなかった。


「よくぞ……よくぞあの弟を止めてくれた」


 かき消えそうに小さな声は、少し震えているようでもあった。


「ありがとう……ラディアーチェ嬢。弟を止めてくれて。これ以上馬鹿な真似を繰り返す前に見つけてくれて、ありがとう」


 今にも消え入りそうな殿下の声に、息が止まる。殿下は吐息を揺らがせた。


「私には弟を止めることはできなかった。ずっと見守っていた、ベラドンナの二の舞にならないように正しい道に導いていた、そしてそんな私の思いを弟はわかってくれていると思っていた。だが……所詮それらは全部“つもり”だっただけで、私には弟を止めることはできなかった。本当に不甲斐ない兄だよ……」


 おそらく本来なら誰にも見せられないであろう、押し寄せる後悔に押しつぶされそうな殿下の姿。


「でも君が、ずっとそばで弟を支えてくれていた君が、最後まで向き合ってくれたから。だから……」

「いいえ、殿下。わたくしこそ、ずっとおそばにいたのにアーダルベルト様のお心に気づくことができず、このような事態になるまでなにも打つ手がございませんでした」


 ずっとその背を追って、その横顔を見つめて追いかけていたはずなのに。

 滲むように押し出された私の声に王太子殿下は弱々しく微笑んで、私の手を握ってきた。


「……いや、君ほど弟のことを見てくれていた人はいなかったよ。君ほど熱心に弟のことを見てくれて、わかろうとしてくれた人はいなかった。だから弟は君の前であの本性を出したんだ。君だけだよ、あのアーダルベルトの心と向き合えた人は」


 刹那握られた手はすぐに離れて、あとには寒々とした空気だけが残った。


「……とにかく、もう二度とこのようなことは繰り返さないと、この名にかけて誓おう。この誓いをもって王家に尽くしてくれた君たちへの感謝の印とさせてくれ」

「これ以上望むべくもないお言葉です」


 ちらりと見守ってくれているセシリオに視線を合わせる。しんしんと降り積もる雪のようなシルバーの瞳が、柔らかく細められた。

 次に視線を向けたときには王太子殿下はすでに弱々しい表情を取り払った後であり、その束の間の姿はまるで先ほどの懺悔が私の幻であったかのような錯覚を受けた。


「先ほども言ったとおり、私は今日中にここを発つ。アーダルベルトと彼の夫人、そしてエーベルも一緒に連れて行くつもりだ」


 そこで私はエーベルの存在を思い出した。


「殿下、差し出がましいですがエーベルに関しては……」

「心配しなくてもわかっているよ。大体のことはセシリオや私の騎士たちから聞いたから」


 それでもなおと口を開いた私に、殿下は苦笑をちらりと浮かべた。


「彼を無下に扱うことはしない」


 そうきっぱり言い切られてしまえば、それ以上なにを言い募ることもできない。


「……そうだな、だったら君のためにもう一肌だけ脱ごうか」


 殿下はそう呟くと扉を開け、外に控えていた騎士たちになにか指示を出した。








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