デジャヴな光景
セシリオにエーベルと交わした取り決めについて端的に説明したあと、じゃあ町に戻ろうと私たちは森の中を歩いていた。
三人の間に会話はない。セシリオは私を馬に乗せてくれて手綱を引いているし、エーベルはその馬の後ろを歩いている。
どこか気まずいような、強張った空気の中、セシリオからもうすぐ町に着くと知らされた後のことだった。
ヒュオッと風が裂ける音がわずかにしたと思った瞬間、ほぼ反射的にセシリオとエーベルが動いた。次の瞬間聞こえてきたのは、剣と剣がぶつかる音。驚いた馬が嘶いて棹立ちになろうとするところを、素早くエーベルが手綱を取り戻して距離をとりながら宥めてくれた。
「どけ。貴様のような臆病者になど用はない」
いつの間にか目の前にエヴァルドがいた。彼は目にも止まらぬ速さで私たちに近づいて、エーベルに刃を向けたのだ。それをセシリオはとっさに剣を抜いて受け止めていた。
「奴を目の前にのうのうと……貴様はいったいなにをしている。それでもヴィヴィエッタの婚約者か! 腑抜けた貴様が手を下さんというのなら、この私が始末をつけてやる……!」
エヴァルドの剣圧に押し負けそうなのか、セシリオが顔を歪める。そりゃそうだ、相手は腐っても近衛騎士。悔しいが剣の腕は向こうが上だ。
「ちょっと待って、エヴァルド!」
咄嗟に出たのはそんな言葉だった。
「説明するから! まずは事実を確認してほしい!」
エヴァルドの切り裂くようなアンバーの瞳が向けられる。
思わず息を呑んだ。
まるで喰い裂かれそうな鋭い眼差し。本物の殺意の籠った視線。気丈に振る舞おうとしても否応なく全身が震える。
ってかこのやりとり、セシリオのときもやったよな。それだけみんなに心配をかけてしまったってことか。ああ、本当に申し訳ない、けど……どうか今一度、冷静になってほしい。セシリオと私がエーベルと一緒にここにいるという意味を、どうか。
「これには事情があって、ちゃんと話すから。その……まずはこうやって探しに来てくれて、ありがとう。心配かけてごめん」
ちびりそうに震える体を叱咤して、今にも切り裂いてきそうなアンバーの目に視線を合わせる。
わかってほしいという気持ちを込めて彼の目を見つめると、切れ味抜群なアンバーの目から徐々に力が失せてゆき、それから剣に籠もる力が躊躇うように抜けていった。
セシリオが弾くように刃を押し返す。二、三歩後退ったエヴァルドはまるで縋るように私を見上げてきたものだから、思わず安堵に乾いた笑いが漏れた。情けないことにまだ膝が笑っている。
「……なにがおかしい、ヴィヴィエッタ」
「いえ……ただ、私を信じてくれてありがとう、って」
その途端、信じられないことが起きた。
いつも凍るように感情の抑えられていたアンバーの目が見開かれ、彼の頬が赤く染まったのだ。突然見せられた彼の感情の機微に、ポカンと口が開く。驚いた……驚いたというか、驚いた。
エヴァルドはサッと顔を俯かせてすぐに表情を隠した。次に顔を上げたときは、いつものなにを考えているかわからないエヴァルドに戻っていた。
「それで、あなたの話とは?」
幸いにもセシリオとエーベルがそのことを茶化すことはなかった。まぁ……エーベルは若干ニヤニヤはしていたが、私の視線を受けて辛うじて黙っていてくれた。
「え、ええ……それでね、」
セシリオに話したことをかいつまんでエヴァルドにも聞かせる。そうこうしているうちに騎士テスタまで駆けつけてきて、彼もまた慌てて刃を抜こうとするものだから、いったい何番煎じだと心の中で脱力する羽目になった。――いや、助けに来てもらった立場で言うことじゃないな。
「……あれ? え? なんか違う感じ?」
真剣な顔をして後ろからエーベルに飛びかかろうとした彼は、だけどエヴァルドと違ってすぐに場の空気を察してくれた。一人だけ殺気を纏っている場違い感に、戸惑うように立ち止まる。
「そうだな。どうもそうらしい。そしてその茶番は先ほど私がすでにやったから、おまえはもうやらなくていいぞ」
「茶番、って……俺は心配に気が狂いそうなエヴァンを心配してだな」
「そうか。だが君に心配されなくても私は必ずヴィヴィエッタを助けるつもりだった」
「そっちの心配はしていない。気が狂った君に敵う奴なんているはずないからな。そうじゃなくて、君が彼女のためにどんな無茶をしでかすかの心配だよ!」
エヴァルドと騎士テスタが気安い調子で話し始める。強張った空気がほぐれ始める。それを見てセシリオもやっと警戒を解いて剣を戻すと、エーベルから手綱を受け取ろうとこちらに寄ってきた。
――セシリオが、すぐそばにいる。
ようやく。ようやくだ。みんなの元に帰ってこれたんだ。息さえできないような、細い糸を手繰り寄せるような緊迫した昨日という日を乗り越えた。
そして――みんな、私を心配して迎えに来てくれた。
そう思った瞬間、ポロリと涙が溢れ出た。
「……え?」
ポロポロと頬を流れた涙は顎を伝って、そのまま落ちていった。
「君、大丈夫?」
エーベルに声をかけられたけど、戸惑ってなにも言えなかった。
「ヴィヴィエッタ?」
エヴァルドが慌てたように近寄ってくる。
「ラディアーチェ嬢? こいつがまたなにかわけのわからないちょっかいのかけ方でもしましたか?」
エヴァルドがわざとらしく咳払いした。
「おい、前科があるからといってなんでも私のせいにするな」
「いやだって君、夜会のときに初めてラディアーチェ嬢に近づいたときなんか君、あれ完全に変質者のそれだったじゃないか」
「ぐっ……それはそうだが……おまえに指摘されるとそれはそれで腹が立つ……」
言い合っている二人を背景に、セシリオが私を見上げてくる。
「ヴィヴィ……」
その顔を見てなにも言えなくなった。セシリオはなんて顔をしているんだ。
まるで今すぐ私を抱きしめたいとでもいうような、とても慈しみの籠った眼差しで私の婚約者は見上げてきて、それにますます涙が止まらなくなる。
「ヴィヴィが無事で本当によかった……」
呟かれた言葉に、セシリオへと手を伸ばす。差し出した手をセシリオはしっかりと握り締めてくれて、それがもうセシリオの答えだった。
きっとこれからもしっかりと私を掴まえて離さないでいてくれるだろうその手を、私もしっかりと握り締め返した。




