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ヒーローなんていない  作者: サク
没落殿下と毒の花
54/73

間一髪

 

 思わず目を瞑った先。ヒュオッと風圧が通り抜けて去った後。

 恐る恐る目を開けて見上げると、私のすぐそばをセシリオの乗った馬が通り過ぎたあとだった。


「セシリオ……」


 思わず安堵にヘロヘロと地面に座り込む。もう幾つ命があったって足りない。こんな思いばっかりして、せっかく貴族になってかわいい顔に生まれたっていうのに、めっきり老け込んでしまったらどうするんだ。


「……」


 セシリオは馬の首を翻して降りると、無言でまた剣を持ち上げた。それから間髪置かずにエーベルへ向かおうとする。


「セシリオ! 待って!」


 咄嗟にせき止めるようにセシリオに抱き着く。振り払われたらどうしようと思ったけど、幸い乱暴に扱われることはなく、セシリオは渋々といったように剣をおろし、もう一方の手で私を抱くように掴まえた。


「ヴィヴィ、お願いだから離してくれないか」


 凍りついたような声に身が竦む。でもここでこの手を離したら交渉が決裂してしまう。敵に回ったときのエーベルの脅威を考えただけで背筋が震える。


「君を傷つけ怖い目に遭わせた奴を、俺はとてもじゃないが許せそうにない。暴力に訴え出た俺は君のそばには相応しくないかもしれない。それでも……君に危害を加える可能性のある危険人物をそのままにしておくことなんて断じて……!」

「セシリオ、そうじゃなくて! まずは私の話を聞いてほしいの!」


 震える声に手。さすがに剣だの矢だの目にして、平常心ではいられない。


「それとも君は、奴を庇うというのか?」


 セシリオはようやくこっちを見た。その表情に息を呑む。なんて顔をしてるんだ、セシリオは。


「違う、違うのよ、セシリオ……私はただ、真実ではない事実を鵜呑みにしたせいであなたが力に訴え出て、その結果後悔して傷ついてほしくないから言っているの」


 私は精一杯気丈さを装って、セシリオに呼びかけた。

 セシリオはエーベルを睨めつけたまま、やるせない気持ちを逃すように一度剣を振り上げた。それから――。








 それから力なく剣を振り下ろし、鞘にしまったセシリオに、思わずホッと胸を撫で下ろす。


「セシリオ、助けに来てくれてありがとう。それから……状況もわからないだろうに、私の言葉を信じて剣を降ろしてくれたことも。あなたにここまでさせてしまって、本当にごめんなさい」

「……」


 セシリオはなにも言わずに首を振った。


「……セシリオなら絶対に助けに来てくれるって、信じてた」


 セシリオは今になって私の震える声や手に気づいたらしい。その言葉に目を見開いたあと、私の手をそっと取り持ち上げた。血の気を失った乾いた手は貧相なほどに見劣りするけど、セシリオはその手をなんとも言えない顔で握りしめる。それからセシリオはまるで自分が傷ついてしまったかのように、私の頬に走った傷を労るようにそっと頬をなぞった。


「あのね、セシリオ。なにがあったかなんだけど、その……」

「ちょっと待って。その前に僕は安全を確保してくるよ。じゃないと話すもんも話せないでしょ?」


 水を差すような少しからかいの含まれた声に、ようやく険のとれてきたシルバーグレーの瞳が、再び鋭さを帯びた。


「どういう意味だ?」


 私の手を握って後退りしたセシリオに、エーベルはトントンと頬を叩いて見せる。

 セシリオはその仕草に、キッと視線を鋭くした。


「ねえ、まさかとは思うけど、僕を疑っているわけじゃないよね」

「……ほかに誰がいる」

「まさか! 僕なわけないよ、“警備兵”さ」

「“警備兵”?」


 エーベルは肩を竦めた。


「さっきも言ったけど、()の雇った“警備兵”さ。ある意味僕たちを探してるに違いないよ。なにせ彼女に生きていられちゃ彼はご都合が悪いみたいだったからね」


 その答えにセシリオがわけがわからないような、複雑そうな、それでいて怒りをこらえるような顔になった。


「というわけで、君が事情を説明している間に僕はちょっくら掃除にでも行ってくるよ」

「待て。逃げる気か?」


 背を向けたエーベルにセシリオが鋭い声をかけると、彼の動きが一瞬止まった。


「逃げる? まさか」


 振り返った彼は、あのヘラヘラのおちゃらけた笑いを引っ込めていた。


「僕は彼女と大事な取り引きをしたんだ。それこそ一世一代の、僕の大切なものをかけた取り引きをね。それを彼女が果たしてくれるまでは、僕はなにがあっても彼女のそばを離れる気はない。それに僕は腹を括ったんだから、むしろ彼女が腹を括らせたんだから、そっちこそ僕がいない間に逃げないでよね」

「エーベル、」


 じゃ、と言ってひらりと手を振った彼を呼び止めるように話しかけると、軽い口調が返ってきた。


「君が心配しているような過激なことはしない。ちょっと眠ってもらうだけだよ」


 その言葉を堺に、エーベルの姿が視界から消える。セシリオはその消え去った後ろ姿をまだ警戒したように見つめていたけど、とりあえずエーベルのことは信じることにして、まずはセシリオに話を聞いてもらおうと私は口を開いた。








 エーベルを追って辿り着いた別邸にラヴィラ男爵が入っていったことから始まって、モニカが“神の涙”でこんこんと眠っていたこと、それからエーベルとラヴィラ男爵に見つかって――彼は躊躇いもなく私の命を奪おうとしたこと。それを庇ったせいでエーベルがケガをしてしまったこと。

 そこまでを一息に捲し立てると、さすがに息が切れる。肩で息をしながら見上げた先のセシリオはなんともいえない顔をしていた。……ただあの凍りつくような無表情だけは消え去ってくれたことに、心の底から安堵感が押し寄せてきた。


「ヴィヴィ……」


 セシリオはぎゅっと抱きしめてくる。まるで縋るような腕の力に、私もそっと抱きしめ返す。


「ヴィヴィ……君が危険な目に遭っているときに守れなくて、本当にすまなかった」

「いいえ、セシリオ。どうかあなたは謝らないで」


 セシリオが戸惑うように身動ぎしたので、彼を抱きしめる腕の力を強くする。


「謝るべきは私よ、勝手に行動した私が悪い。あなたの言うとおりに大人しくしていれば、こうしてあなたに心配をかけるようなことにはならなかった」

「でもそれがある意味ヴィヴィらしさでもある」


 セシリオの声がようやく緩んで、その腕がふわりと私を包み込みなおした。


「君は傲慢で強かで、それでいでお節介で人を放っておけない。そんな君が無茶をして危険な目に遭わないか心配なのも事実だけど、でもそんな君だからこそ惹かれたのも事実だ」


 セシリオが促すように頬に手を添えてきたので、そんな彼を見上げる。


「さぁ、ヴィヴィ、どうか君の顔をよく見せてくれ。君が無事で、今ここに俺の腕の中に戻ってきてくれたってことを実感させてくれ」


 さらさらのプラチナブロンドの奥から覗く、揺れるシルバーの瞳。薄い唇が震えるように微かに開いて、それから私を求めるように――。


「……ってちょっと待った!」


 セシリオに制止をかけると、彼の目がきょとんと瞬いた。


「一昨日からお風呂に入ってないのを思い出した……!」


 慌ててセシリオから離れようとする。が、セシリオは離してくれなかった。


「多分、いや確実に汗くさいから!」

「大丈夫だ、俺にはどんなヴィヴィだって受け入れる覚悟がある」

「におうのは否定しないのね!」


 恥ずかしすぎて死にそうだ。必死にセシリオから離れようとする。そんな私を見て、セシリオはようやくあのいたずらっぽい笑みを浮かべた。


「冗談だよ。いや、受け入れるという意味では冗談でもなんでもないが……とにかく、君がどんな姿であろうと俺の大切な婚約者であることに変わりないよ」


 今度は違う意味で顔が熱くなった私に、セシリオが微笑みながら顔を近づけてくる。ようやく大人しくなった私をもう離すまいとでもいうかのように、セシリオの腕はしっかりと私を包み込んできた。








 そうこうしているうちに姿を消していたエーベルが戻ってきた。

 結果的に助けてもらったのだから、もうやんや言うのは止めよう。それに彼は逃げ出そうと思えばそうできたのに、疑われていると知っていてもこうして再び私たちの元へと戻ってきた。


「……君はあっち側の人間だと思っていたが」


 セシリオはじろじろとエーベルを眺めている。それにエーベルは軽く肩を竦めることで返す。

 それから私はセシリオにエーベルと交わした取り引きのことを伝えようとして、でもその前にセシリオは唐突に衝撃的なことを訊いてきた。


「一つだけ訊いておきたい。なぜ君はヴィヴィを助けたんだ?」


 エーベルはぐるりと視線を回して目を逸らした。そのまましばらく逡巡するように空を眺めていた。が、セシリオに引く気がないのを悟ると、やがて観念したようにポツリと呟いた。


「なぜ、って訊かれてもね……正直、そんなのわからないよ」

「わからない、って」

「だって、自分でもわからないものはわからないんだから」

「じゃあ君は理由もなくなんとなくでヴィヴィを助けたっていうのか」


 なんだそれは、とセシリオが詰め寄る前に、エーベルはかすかに首を振った。


「それは……わからないけど、ここで彼女を失ってしまうのはなんか違うって咄嗟に思ったんだから、そうとしか言えないよ」


 言い募ろうとしたセシリオは言葉を失ったように口を噤んだ。


「彼女を失ってしまったら……もう二度と彼女と話すことも、彼女を知ることも、彼女がなにを考えているのか答え合わせをすることも、なにもかもできなくなる」


 エーベルは考え込むように視線を落とした。


「死ぬのはいつだって簡単なんだ。いつだって奪おうと思えばすぐにでも奪える。でももう二度と会うことはできない。話すこともできない。顔を見ることもできない。それは……って思っただけなんだ」

「……ああ、君もか……」

「セシリオ?」


 セシリオがなにかをポツリと呟いたが、私にはよく聞こえなかった。セシリオはなんでもないと首を振ると、話を戻そうと口を開いた。


「すまなかった、ヴィヴィ。話を戻そう。それで君たちの言っている取り引きとはいったいなんのことだ?」

「うん。それでね、セシリオ、」


 振り返って見下ろしてきたセシリオがようやくいつもの顔を見せてくれた。それにどこかホッとして私も笑顔を返す。

 セシリオは眩しそうに目を細めたあと、語り出した私に耳を傾けてくれた。









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