持ちかけた提案
なかなか更新できずにすみませんでした。
おまたせしすぎてもう待ってる人はいないかもしれないけど、また続き書きたいと思います。
本当に遅くてすみません!
エーベルはひとしきり笑った。
「やっぱり君っておもしろいよね!」
そうかな。いや、今のはどこにも笑う要素なんてなかったと思うんだけど。
アーベントロートとは、数ある周辺諸国のうちの一つの国家だ。
アーベントロートでは昔から王が複数妃を娶れる一夫多妻制であり、王妃のほかにも側妃が幾人もいる。世継ぎに恵まれやすいという面があるが、反面同世代で男児が何人も生まれると跡取り問題で揉めたりと、なにかと王室関係でお騒がせな一面のある国だ。
おそらく幾多繰り返しては水面下で握り潰されてきたその揉め事のうちの一つが、彼の現状ということなんだろう。
ちなみにうちの国では一夫一婦制しか許されていないから、王族であろうとアーベントロートのように複数人娶れないし、妻以外の女性は愛人という扱いになる。だからアーダルベルト殿下はモニカを愛人に留めるに良しとしなかったから、婚約解消を申し出てきたのだ。
「君ってほんと……不思議な人だよね。一見まるで貴族らしからぬ態度で振る舞うかと思いきや、僕の大っ嫌いな貴族そのまんまの傲慢さを振りかざしてくるし。そういういやに洞察力が鋭いところなんかも、ほんといやらしい貴族そのものだ……ねぇ、まるで庶民みたいなあけすけな君と、貴族みたいに傲慢な君、いったいどっちが君の本当の姿なの?」
「さあね、どうなんでしょうね。それより、エーベル」
洞窟の壁に寄りかかっているエーベルのそばに歩み寄る。近寄ってきた私に、彼の視線が突き刺さってくる。
しゃがみこんでその目を覗き込むと、エーベルはじっと見上げ返してきた。こんな場においてもどこかおちゃらけたような彼の雰囲気に呑まれまいと、ひたすらに変化を逃さないようにその目を、顔を観察する。
「もしもこのヴィヴィエッタ・ラディアーチェが“神の涙”からの脱却方法を教える、と言ったら?」
内心ドキドキしながらエーベルの顔を見つめる。彼の表情は変わらなかった。
「その人がいずれ“神の涙”を必要としなくなるまで、私が治療を保証する、と言ったら」
「なに? そんなこと?」
エーベルの声音が下がった。彼はちょっぴりがっかりしているようだった。
「そんなのもちろん、今まで何度だって色んな医者に見せたさ……それでもあのまがい物に対する執着はなくならなかった。それを君には治療できる医者に心当たりがあるとでも?」
「ええ」
エーベルの目がわずかに動く。少しの動揺を見せたようだ。
「私が誰か忘れたの?」
仮にもヴィヴィエッタ・ラディアーチェはかつてアーダルベルト第二王子殿下の婚約者であり、そうでなくてもラディアーチェ家は昔から王家との繋がりのある名家だ。そして今回の旅はほかでもない、王太子であるアルブレヒト殿下から直々に戴いた依頼だ。
私が前回アルファーノ邸で拘束されていた際に“神の涙”のまがい物を嗅がされたということで、その後アルブレヒト殿下は専門の医師を手配してくれ、私に少しでも“神の涙”の依存症状や後遺症が残っていないか、詳細な診察を受けさせてくれた。今もその医師による定期的な経過観察は続いている。
つまり、我が王家には“神の涙”に対する治療実績があるということだ。
ほかでもない殿下の目的を遂行するために、彼の権力、つまりその治療実績を利用するのは、まるっきりおかしいことじゃない。
彼というキーパーソンをこちら側に引き込めるのなら、アルブレヒト殿下なら“神の涙”に対する中和措置の情報開示、及び実行の許可ぐらいは出すだろう。それがあの代物の犠牲者を救うためとなれば、なおさらだ。
まるっきり貴族らしい私の傲慢な発言に、エーベルはうっすらと浮かべていた笑みを徐々に消していった。
「君は、本当に……それ、本気で言ってるの?」
「ええ、当たり前じゃない。本気も本気よ」
エーベルはしばらく私の顔を見つめていた。
「この僕に見ず知らずの医者を信用しろって?」
「医者じゃない」
ぐちゃぐちゃに乱れた緑の髪。中性的な整った顔は今は薄汚れて、所々傷を負っていて、疲れ果てている。
「見ず知らずの医者じゃない。このヴィヴィエッタ・ラディアーチェを、実績のある医師を紹介することのできる私の立場を、権力を、財力を、そしてコネを! 信じなさいと言っているの」
「君、は……」
エーベルはなにか言おうとして、開いた口を閉じた。
「なんなら契約書を交わしたっていいからね」
いつもの調子でそう言って、そういえばこの場には紙もインクもペンもなにもないことを思い出した。
「しまった、紙なんて持ってないわ」
「……そうだね。だから結局口約束にしかならないわけだけど……で? そんな条件を僕に提示してまで、君は僕になにをしてほしいの?」
すっかり笑顔の消え去ってしまったエーベルを見つめる。
「私は“神の涙”にまつわる真実を明らかにしたいの。そしてそれにアーダルベルト殿下が関わっているのなら、その事実も……そのためにあなたができることのすべてを行ってほしい」
彼が乗り気かどうかその表情から推し量りたかったが、生憎まだなにも察せなかった。
「あなたが関わった“神の涙”に関するすべてを、白日の下にさらけ出して」
これ以上“神の涙”が世に蔓延らないようにするために、懐に隠してあった証拠諸共彼の存在は必須だ。
エーベルが証言してくれれば今回の件だけでなく、いまや気が狂ってしまってなんの言葉も得られなくなってしまったベラドンナのかつての周辺関係や動きに関しても、確実に進展をもたらしてくれるだろう。これ以上前アルファーノ公爵に心労をかけないためにも、そこは大いに期待したい成果だ。
それと……私ももう一度、ラヴィラ男爵と向き合う必要がある。
今まで共に過ごした長い時間。誰よりも近しいと思っていた関係。そんなものはまやかしだったって苦いほどに痛感させられた今となっても、彼との関係は表面上は穏やかだった、はずだった。
――簡単にナイフを向けてきた彼。激情に駆られたわけでもなく、彼はただ淡々と己の都合で私を亡き者にしようとした。
私はもう一度、彼と向き合わなければならない。本当のことを知って、本当の彼と話をして、真実を知って……そうしなければ、今度はこんなことで彼に囚われたままだなんて、そんなの死んでもごめんだ。
「“神の涙”に関するすべてを、ね……」
そう呟いたエーベルに意識を引き戻される。
エーベルが素直に応じるかはわからない。ただ彼が“神の涙”に囚われた大切な人を救いたいとどこまで強く思っているか、これはその思い一点に縋った、半ば賭けだった。
エーベルはすぐにはなにも言わなかった。表情も渋いまま、変わらない。
そういえばもう一点、釘を刺さなければならないことがあったな。
「このまま“神の涙”に関わり続けていくというのなら、私にそれを止めることはできないでしょうけど。でも、考えてみて」
試すように声を潜めた私に、エーベルの目が瞬く。
「私をどうするつもりか知らないけれど、もしもこのまま連れて行くつもりなら、それはセシリオが絶対に許さない。きっとあなたをどこまででも追いかけて捕まえてみせるでしょうね。それにラヴィラ男爵の監視も強化されるでしょうし、そうなればあなたは彼と安易にコンタクトをとれなくなる。“神の涙”は今まで以上に手に入りにくくなるでしょう。あなたはもう私に協力するしか後がないと思うけど?」
エーベルの目がまた揺れた。
どうやら彼は迷っているようだ。その様子を見て思惑が当たっていたことを確信する。彼だってきっと、今のままでいいなんて思っていない。
「これは同情や憐れみで言ってるんじゃないの。お互いの手間や利益を考慮した、極めて冷静に考えた取り引きよ」
エーベルはしばらくの間、まっすぐに私を見つめたまま黙りこくっていた。
視線を逸らせないまま妙な時間が流れる。明るい黄色の目を見つめすぎて、ガラス玉のような目玉が目の前でぐるぐる回りだしそうな錯覚を覚える。なんとか踏ん張って負けじと真っ向から視線を合わせていると、やがて彼がポツリと言葉をこぼした。
「一つ、条件があるんだけどさ……」
やっと彼が見せた譲歩の姿勢に「言ってみて」と私は一転、にっこりと笑って促した。
詳しい取り引きの話を取りまとめてお互い納得がいったところで、町に戻りつつセシリオと合流することにようやくエーベルが肯定の意を返してくれた。
さて、愛しの婚約者に合流するためにも、いつまでもこんなところでちんたらなんてやっていられない。エーベルにはちゃんとした手当てが必要だし、私はこの目で見たことをセシリオやエヴァルドたちに報告しなければならない。その証拠の“神の涙”に関する書類も懐にあるし、エーベルの協力も取り付けた。
今度こそ、本当のアーダルベルト殿下と対峙しに行くのだ。
「それじゃあまずは町までよろしくね」
立ち上がろうとしたエーベルに手を貸すと、彼は苦いものを堪えるような顔をしながらも、私の手を拒まなかった。




