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ヒーローなんていない  作者: サク
没落殿下と毒の花
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精一杯の看病

 

 川の水を掬って戻ってきたら、すでにエーベルが五徳をセットし終えていた。

 そこに鍋を置いて水を煮沸させ、その間に携帯糧食をいただく。カンカンに硬い味気ないビスケットをこれほどまでに美味しいと感じたのは、人生で初めてだ。火から下ろしてある程度冷ましたただの白湯を口にして、どれほど生き返る心地がしたことか。

 生きているってだけで素晴らしいって言葉を改めて実感する。普通に食べるものがあって飲みものがあるって、ありがたいことなんだなー……。

 涙目でしんみりと白湯を口にしている私をエーベルは胡散臭げに見遣ると、彼は起き上がって革袋から中身を取り出し始めた。

 昨日押さえた傷口からは、また血が滲み出している。


「ちょっと、せっかく止血したのに、むやみやたらと動いたらまた……」

「だからといってこのままってわけにもいかないでしょ」


 エーベルは巻き付けていた布を取り去ると、上着を脱ぎ捨てた。


「町に戻ってから医者に診てもらればいいじゃない」

「医者には行かない」


 間髪置かずに返された言葉には、微塵の譲歩もなかった。


「医者は信用しない。自分で縫ったほうがよっぽど安心だね」


 エーベルは顔色一つ変えずにそう言った。その体にはあちこちに傷跡が残っている。自分で処置したものばかりなのか、その傷跡はお世辞にもきれいなものではなかった。


「傷を負うときは正面からって決めてるんだ。じゃなきゃ自分で縫えないからね」


 私の視線に気づいて、エーベルは自嘲するように言った。


「見てて気持ちのいいものじゃないからさ、君は向こうに行ってなよ」


 そう言い捨てたエーベルは、どこか自暴自棄気味だ。


「私がする」


 針を火で炙り出したエーベルの腕を押さえてそう言うと、エーベルは束の間目をパチクリしていたが、やがて笑い出した。


「君が……? ハッ……ッハハハッ! 君ってほんと冗談が好きなんだね!」


 あんまりにも笑うものだから、傷口からまた出血してきてしまっている。


「今まで傷口なんて見たこともない、処置をしたこともないだろう?」

「……」


 前世の記憶のおかげでそこまでお嬢様なわけでもない……ことは言えるわけないな。


「そんな蝶よ花よと育てられた君が、まさかその頼りない手でこの醜悪な傷を塞いでくれるっていうのかい?」

「あなたがやり方を教えてくれるならね」


 フラフラしているエーベルの体をトンと押すと、彼は不意を突かれたように脱ぎ捨てた上着の上に倒れ込んだ。


「そんなに私の世間知らずが心配? だったら、ついでにこんな取り引きでもどう?」


 倒れ込んだエーベルを上から見下ろすと、彼は嘲笑を収めて私を見上げてきた。


「私はその傷の手当てをする。その代わりにあなたは私を町まで送り届けるの。私にとってメリットのある対価があるのなら、適当にするわけないって信じてもらえるでしょ?」

「嫌だ、って言ったら?」


 表情の抜け落ちたシトリンのガラス玉が、突き刺すように見上げてくる。


「君が傷の手当てをしてくれて動けるようになったら、僕はそのナイフで君を傷つけるかもしれない」

「だったらあなたはあのときあんなふうに私を庇ったりしていない。だから少なくともあなたには私を傷つけるつもりはない! もうそんな捻くれたことを言ってないで、いい加減に大人しくして」


 エーベルは口を噤み、そっぽを向いた。それを勝手に許可が出たと解釈して、ぎこちない手つきで準備を進める。

 一度煮沸して冷ましていた水を布に含ませ、傷口を拭う。それからエーベルがセットしていた糸付きの縫合用の針を手に取り、深く深く深呼吸を繰り返した。

 傷口を見て、最後まで残っていた躊躇いを捨てる。強張った顔で傷口に覆いかぶさった私に、エーベルはもうなにも言わなかった。








 エーベルの指示通りにわずかに震えの残る手で最後まで縫い終えた私に、「逆に怖かったんだけど」とエーベルはチクリと嫌味を言ってきた。


「……無事に終わったんだからいいじゃない。はい、どうぞ!」


 傷薬の軟膏を縫って包帯を巻く。すべて終わって血で汚れた手を洗いに行って、戻ってきたときにはエーベルは新しい服に着替え終わったあとだった。

 エーベルは処置中、叫ぶことも罵ることも痛いと訴えることもなく、ただひたすらに耐えていた。

 この人は今までもこんな目に遭うことがあって、その度にこうして一人きりで耐えながら凌いできたのだろうか。


「その憐れむような目つき、なに?」


 洞窟の壁にぐったりと寄りかかりながら、エーベルがうんざりしたような声を出す。


「僕は君に憐れみを向けられるほど情けなかった?」

「べつに憐れんだりなんて……」


 ふと洞窟内に沈黙が落ちた。それきり無視されると思ってたけど、しばらくの間のあとに唐突にエーベルが訊いてきた。


「ねぇ、前に言ってたさ、僕が隠し子だと思うってやつ。なんであのとき君はそう思ったのさ」


 そういえばそんなことを言ったこともあったな。


「ああ、あれね。あれは……」


 そこまで言いかけて口を閉じた。

 言えない。まさか髪と瞳が転生前にはない色でいかにも攻略対象っぽくて、それで消去法でいうとなんかそれっぽかっただけだなんて……口が裂けても言えない。

 エーベルは訝しげにじっと私を見つめている。どこにも行き場がない中、なんだか誤魔化せそうにない雰囲気だ。


「え、えーっと……あ、あれはなんか、ほら! 前に読んだ本になんかそんな人が出てたのよ。ヒロインの恋のお相手が実は外国の王子様で、でも認知されてなくて陰で暗躍してて的な?」

「なんだそりゃ!」


 しどろもどろに誤魔化すと、エーベルが一気に白けた目をした。


「君はなんでそう思ったんだろうって、僕はずっと気になっていたのに……まさかの真相はたかだか頭お花畑の恋愛物語に出てくる登場人物に似てたからって! はー……あまりにもあんまりな答えすぎて、いっそ笑いも出てこないよ!」

「そ、そんな言い方しなくてもいいじゃないの! そのときはそう思ったってだけで!」

「あんな場面でそんなお花畑なこと考えられるって、ある意味肝のすわりがすごいよね、君! そしてそれを言っちゃう厚かましさもさ!」

「それよりこっちも答えたんだから、そっちも答えなさいよね。あなたの目的、“神の涙”の製法なんでしょ」


 最初はベラドンナの手下。そして今はラヴィラ男爵の取り引き相手。こうも行く先々で出現するのだから、ほぼ間違いないだろう。

 エーベルは口を噤んで目を逸らした。


「それを盗んでどうするの、って……おそらく国に持ち帰るためよね。お金もうけのためか、権力を誇示する道具として使うのか、もしくは誰かに頼まれたのか。そのためにアーダルベルト殿下と結託して、どうせ上手いこと“神の涙”の取り引き話でも持ちかけたんでしょ。殿下は殿下でモニカを眠らせ続けるために、ソーニャの花を“神の涙”に精製し続けるだけの設備と費用がいる。それに“神の涙”が良い値で売れれば、それだけモニカのための諸々の維持費用にも回せる。つまり、そこまではあなたたちの利害は一致していたわけだ」

「なんだ、君って完全に頭の中がお花畑ってわけでもないわけだ」


 エーベルは諦めたようにため息をついた。再び向けられたシトリンの瞳から表情は消え、今彼がなにを考えているかまではわからない。


「そうね。ねぇ、なんで()()がいるの?」


 懐からちらりと紙束をちらつかせる。それを見てエーベルはなおさら深いため息をついた。

 私が見せたのは、エーベルが気を失っているときに懐から失敬したもの。先ほど着替えたときに、私に奪われたことには気づいていたのだろう。それを見せてもエーベルは大した反応は見せなかった。

 内容はチラッと見たけど、すぐに閉じた。――おそらく“神の涙”について書かれたものだったからだ。もう手遅れ感が無きにしもあらずだが、それでも極力“神の涙”については関わりたくない。内容を知ってしまえばそれこそ本当に後戻りできない予感があった。


「本当に、ただ私利私欲のためにやっているの? それともなにか事情が?」


 まっすぐに視線をぶつける。


「ねぇ、教えて?」


 エーベルのシトリンみたいな目と、正面からかち合った。









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