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ヒーローなんていない  作者: サク
没落殿下と毒の花
48/73

絶体絶命、からの

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

ブックマーク、評価、いつも大変嬉しく思ってます!

ありがとうございます!

 

「鍵の調子が悪いと思えば……。いつの間にかネズミが二匹、潜り込んでいたらしい」


 ラヴィラ男爵はまるでいつものお茶会に現れたかのような、そんな常と変わらない様子でそこに立っていた。


「エーベル、たしかに私は君の助けを必要とはしていたが、だからといってこんなプライベートな場を荒らしていい許可を出した覚えはないな」


 エーベルは口汚く罵りながら舌打ちすると、責めるような視線を私に向けてきた。


「あーあ……君がうるさいもんだから見つかってしまったじゃないの」

「ハ……ハァ? 私のせいだって言うの?」


 そっちだってぐだぐだ言葉を重ねていたじゃないか。そう睨み返すと、エーベルは肩を竦めて私の手を引っ張り、起こしてきた。痛む肩を擦りながら、彼の手を借りて体を起こす。ラヴィラ男爵に向き合うと、彼は呆れたような笑みを深めた。


「エーベル、君は私のことを世間知らずのお坊ちゃんとでも思っていたのかもしれないが、私とてそこまでバカではない。君の思惑などとうにわかっている。いつかはその懐に隠した()()に手を出すだろうとは思っていたよ」

「へぇ……君がそれほどまでに疑り深い男だったとはね。さしずめあの女の血縁者、といったところ?」

「血のつながりがあるからといって、ベラドンナと一緒にしてほしくはないな。それに私はまだあの女のように完全に狂ってはいないつもりだ」


 それから彼の紺碧のような瞳が私に向けられた。


「ところでヴィヴィエッタ、君はこんなところでいったいなにをしている?」


 ラヴィラ男爵は真顔になって目を細めた。その表情に思わずドキリと心臓が音を立てる。

 この表情は私が彼の意に沿わないことをしたときによく向けられていたものだ。もう怯える必要はないと頭ではわかっていても、それでもその視線を向けられて、心臓が早鐘のように打つのを止められなかった。


「ラディアーチェ侯爵令嬢たる君が人の家に勝手に侵入するなんて……令嬢として、それ以前に人としてあるまじき行為だとは思わないのかな」

「アーダルベルト様、お言葉ですが、」


 押されるな、ヴィヴィエッタ。後ろめたいことをしているのは彼のほうだ。


「わたくしからもお尋ねしたいことがありますの。なぜモニカ・ニコレッティはこのようなところに、こんなにも深く眠っていらっしゃるの。それにモニカの部屋に漂っているこの甘い匂い……これは“神の涙”ではなくて?」

「一つ訂正してもらおう」


 一瞬、彼の瞳が虚無に染まる。あのときと一緒だ。あの女の持つ、底なしの虚無がそこにあった。


「モニカはもう“ニコレッティ”ではない。彼女は正真正銘私の妻となった。“ラヴィラ男爵夫人”と、きちんとそう正しく呼んでほしい」


 ラヴィラ男爵は懐からなにかを取り出した。薄暗闇の中でもわずかに光り輝く、それはナイフだった。

 とっさにエーベルが私の体を引っ張る。次の瞬間、今までいたところをラヴィラ男爵の投げたナイフが通り過ぎていった。

 信じられないことに、彼は顔色一つ変えずに躊躇いもなく、私にナイフを投げつけていた。


「い、いま、なにをして……」

「彼だけなら、まだ使い道もあるからきついお灸を据えた(のち)に赦してやってもいいとも思っていた。だが、」


 表面上はいつもと変わらない理知的な紺碧の瞳が、穏やかに微笑みかけてくる。


「よりにもよって()にここを見られてしまった。さすがに君は駄目だ。このまま帰すわけにはいかない。賢い君ならわかるだろう?」


 その言葉の意味するところは、つまり。


「まぁ幸いというべきか、ここには彼もいる。エーベル、こうしないか? 今回は君に罪を被ってもらい、後始末を任せることにしよう。引き受けてくれたら泥棒まがいの件は不問に付してもいい」


 目の前の事実がなに一つ信じられずに、私は不甲斐ないことにその場に立ち尽くすしかなかった。

 ラヴィラ男爵は一挙一動冷静に、だが確実に私を狙ってナイフを投げてきた。それに反応出来ない私。当たり前だ。ただの侯爵令嬢である私がナイフ投げを避ける訓練など受けているはずもない。銀色に鈍く光るナイフがまるで吸い寄せられるかのように向かってくる。

 もう絶体絶命、万事休す、だ。

 ラヴィラ男爵のそれは、本当に躊躇いのない動作だった。








「……ふむ」


 ラヴィラ男爵はナイフを投げる手を一旦止め、興味深そうに顎に手を遣った。


「……ほんと、君って趣味悪いよね」


 吐き捨てるように言われたそれは、どちらに向けられた言葉だろうか。ナイフを向けられてなお呆然と立ち尽くす私か、かつての婚約者に平然とナイフを向けた彼か。

 腕を伝う血はボタボタと床を汚している。それにラヴィラ男爵は眉を顰めた。


「わかってはいたことだが、ここはモニカが眠りにつく大切な場所だ。なるべく汚したくはなかったんだが……」

「よく言うよ、だったらナイフを投げてくんのやめてくれない?」


 エーベルはそう悪態をつくと、ナイフの刺さった左腕を右手で押さえた。


「なんで……」


 エーベルは首を振った。

 彼がなにを考えているのかわからない。なぜ彼は私を庇ってくれた?


「意外だな……()()を犠牲にすればこの場を切り抜けられるというのに……それに言ってはなんだが、君は自分の体を投げ打って誰かを庇うなんて、そんな高尚な人物には見えなかったが……」


 再び間髪置かずに私に対して投げられたナイフを、エーベルはまた左腕を差し出すことで防ぐ。


「な、なんで……? なに、どういうつもり……?」

「どういうつもりって……君こそさ! あれだけ啖呵切ってたくせに、簡っ単に呆然としちゃって、もう!」


 さすがにナイフが二本も刺さって痛いのか、エーベルが顔を顰める。

 ラヴィラ男爵は懐からさらにナイフを出そうとして、しかし先ほどのもので最後だったのか、その手にはなにも握られていなかった。

 それを好機と捉えたのか、エーベルは反対の右手で咄嗟に私を抱え込むと、モニカの部屋の窓際へと走り寄った。


「頭を抱えて!」


 反射的にその声に従うと、エーベルは素早く窓の閂を上げ、両開きの窓を開け放つ。


「死にたくないなら大人しくしてなよ!」


 言われなくても抵抗出来なかった。エーベルは乱暴な勢いで窓の外に私を投げると、自分も飛び出してくる。そのまま私を抱え直すと軽い身のこなしで塀の上へと飛び上がり、それから逃亡し始めたからだ。

 腕一本で抱えられながら軽々と飛び回られて、情けないことに私は体が竦んで動けなかった。









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