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ヒーローなんていない  作者: サク
没落殿下と毒の花
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その目の色は

 

 気づけばいつの間にか広場の端、陽気に踊る群衆から外れてぽつんと道化師と二人きりになっていた。


「あ、あの……?」


 私を抱えたまま止まったっきり、道化師は動かない。


「いい加減この手を離してくださる?」


 仮面の向こうからじっと観察されているような視線を感じる。

 さっきの陽気に笛を吹き鳴らし、戯けるような動作で動き回っていた様子とは打って変わって、道化師は不気味なほど静かに私を見下ろしていた。


「おーい、聞いてますの?」


 セシリオはどこに行ったんだろう。正直目の前の道化師は気味悪いしこの空気は気まずいしで、私はセシリオを探しに立ち去ろうとした。


「ごめんなさい、きっと婚約者が待ってるだろうから、行かなくちゃ……」


 道化師の横を通り過ぎて戻ろうとして、ガシッと腕を掴まれる。突然の動作に思いのほかびっくりして、思わず身を竦ませた。


「な、なに!?」


 それでも道化師は私の腕を掴んだまま、なにも言わない。

 ……うーん、なんだこいつ。黙って突っ立って私になにか用でもあるのか? 正直にいうと、薄気味悪くて理由の分からないこの状況に少しイライラしていた。


「あのね。私に用があるのなら、きちんと仰っていただける?」


 そう言ってキッと見上げた先。

 じっと見下ろしてくるその双眸の色が見たことのある気がして、思わずじっと目を凝らす。


「ヴィヴィッ!」


 そのとき、随分と焦ったようなセシリオの声が響いた。遠くまで響き渡るほどの、焦りを隠そうともしない声だ。

 咄嗟に道化師から離れて距離を取る。次の瞬間、後ろから強く腕を引っ張られた。


「ヴィヴィッ! 無事か?」


 ひどく息を切らしたセシリオが、駆けつけてきて後ろから抱き締めてきた。それからセシリオは自分の体で隠すように私を後ろに追いやって、ひたりと視線を目の前の道化師に向けた。


「君は……?」


 セシリオの瞳が胡乱げに道化師を眺める。道化師はしばらく不気味に佇んでいたが、やがて弾かれたように大げさに飛び上がると、テレテレと照れたようなジェスチャーをしながらどこからともなく紫色の薔薇を取り出して私に差し出してきた。……っていうか、まーた紫色の薔薇かよ。

 突然の戯けた動作にそれを受け取るかどうか迷っていると、私の代わりに警戒したようなセシリオが毟り取るようにそれを受け取った。それは若干といわず乱暴な動作だったにも関わらず、道化師は両手を口に当て喜ぶように体を左右に振ると、軽く手を振ってあっと言う間に群衆のいるほうへと戻っていった。


「なんだったんだ、あいつ……」


 道化師の姿が群衆のその先へと消え去ったあとも、セシリオはしばらく警戒した様子を崩さずにその行方を見つめていた。


「戻ろう」


 セシリオはもうすっかり祭りを楽しむ気分じゃなくなったみたいだ。いつもよりも強めに手を引っ張られ、踵を返すように広場から離れようとする。

 途中で鋭い視線のエヴァルドとすれ違ったが、二人とも言葉を交わすこともなく、目も合わせなかった。エヴァルドはただ私のほうをじっと見つめてきたので、それに軽く頷くだけ返しておく。

 早足で立ち去るセシリオに引っ張られながら、一度だけ広場のほうを振り返る。先ほどまで目の前にいた道化師の姿はどこにもなく、あのどこか薄暗い雰囲気も今は祭りの空気に霧散していた。








 それからはもう祭りを楽しむ雰囲気じゃなくなって、セシリオはすぐに私を連れて泊まる予定の宿へと戻った。それからその日はもう宿の外に出ることはなかった。

 今は部屋から窓越しに町の様子をぼーっと眺めている。セシリオはずっと無言で、向かいのソファに腰掛け、ただひたすらに気を紛らわすかのように本を手に取り、パラリパラリとページを捲っていた。

 あの道化師の目。

 仮面の奥だからそんなにくっきりと見えたわけじゃない。だからあまり自信はないけど、でもあの目の色は――。


「君とはぐれてしまったとき」


 トーンダウンした声にいきなり話しかけられて、ビクリと跳ねた肩を隠して向かいの様子を伺う。


「心臓が止まるかと思ったんだ。また君が拐われてしまうんじゃないか。そう思ったら気が気でなくて……」


 セシリオはそのときのことを思い出したのか、露骨な嫌悪感を顔に浮かべた。


「なぁ、ヴィヴィ、君はやっぱり……」


 その目に浮かぶ心配を見て、これ以上セシリオになにか言われる前に彼の隣ヘと移る。それからそっと身を寄せて、肩に頭をちょんと預けた。


「セシリオ、大丈夫よ。もうベラドンナはいないの。誰も私たちを傷つける人はいないし、これはただの旅行よ。ね? そうでしょ?」


 セシリオはなにか言いたそうにしていたが、結局開きかけた口を噤んだ。

 あのとき仮面の奥から覗いた目は、まるで薄暗く煌めくシトリンの宝石のようだった。そして私は、そのような目を持つ人物を過去に一人だけ見たことがある。

 ――ベラドンナの手下。追手を撒こうと、拐った私を無情にも馬車の中に置き去りにして去っていったあの男、エーベル。

 でもその事実を今ここでセシリオに伝えてしまったら、彼は私に引き返すべきだと言って引かなくなるだろう。

 今はまだこの先に連れて行くことへの不安と、私を一人で帰すことの危険性を天秤にかけて、おそらく葛藤しているに違いない。

 でも私は彼のそばから離れたくなかった。もしも万が一のことがあったときに、そばにいなければセシリオの力になれない。後悔してからじゃ遅いのだ。

 懇願するように肩にもたれたままの私に、セシリオは幸いにもそれ以上なにも言わなかった。








 それからまた何日か馬車の旅を続けて、険しい山脈に冷涼な気候、アーダルベルト殿下――現ラヴィラ男爵が新たに統治することになったラヴィラ領へとやっと到着した。

 長閑な麓の村を通り抜けて、奥まったところに建っているこじんまりとした屋敷へと辿り着く。

 馬車の到着を受けて、わざわざラヴィラ男爵本人が出迎えへと出てきてくれた。


「ご無沙汰しておりますわ、その……」

「っはは、私はもう称号を剥奪された身だよ、ヴィヴィエッタ。気軽にアーダルベルトとでも呼んでくれ。それよりも遠路はるばるよく来てくれたね。歓迎するよ」


 つい先日まで婚約者として一緒に過ごしていた男の顔をまじまじと見つめる。まだ一年も経っていないというのに、彼の隣に立っていたのはもう遠い昔の出来事のようだ。


「なにもないところだが、ゆっくりしていってくれ」


 この言葉をかけられるのも、数えてみればもう三度目だ。どうやら自分はやたらと辺境にばかり縁があるらしい。

 今度こそは最後まで平穏無事に過ごしたい。どうかなにも起こりませんように。

 ラヴィラ男爵は私たちに中に入るように促すと背を向け、玄関の中に消えていった。








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