辺境伯の真実
執事は私を客間に通しお茶を用意すると、姿勢を正して静かな口調で語り始めた。
テオドーロ・ロランディには贔屓にしている女性がおり、その女性の産んだ子どもが先程の少年二人である。彼はその子どもたちを引き取り、いずれ跡取りにするつもりで育てている。
今回私が来領するにあたり息子を視察に同行させ、そう遠くない社交界デビューの日までに関係を築かせておこうという魂胆だった。子どもたちにはその旨を説明しており、二人とも領主の前では了承していた。
だが子どもたちは、領主の出立後に突然自分たちの母親は一人だけだ、私のことは受け入れられないと主張し出して存在を拒否しているという。
「まずは事情を説明してから顔合わせをと思っておりましたが、まさかあのような暴挙に出られるとは思っておらず……誠に申し訳ございません」
なんというか、今代で没落するつもりなのかと問い詰めたくなるような所業に、呆れて溜息も出ない。
ラディアーチェ家も随分と舐められたものだ。
「……どうしようもないわね」
ロランディ辺境伯夫人になるための覚悟とかやる気とか、前向きに頑張ろうと思っていた気持ちが急激に萎えていく。
なんだかどうでも良くなって、投げやりに窓の外へと視線を向けた。
「わたくしが言うのもなんだけど、そんな内情をペラペラと喋ってしまってもよかったのかしら?」
「当主より許可は得ています。ラディアーチェ様には全てを知った上で来てほしいとの意向です。アーダルベルト第二王子殿下の婚約者であったラディアーチェ様ならば、きっと受け入れて下さるだろうと」
よく言うわ。
私の立場を分かった上でそんなことを嘯いているんだから、テオドーロ・ロランディもよっぽど質が悪い。
「……少し休みたいわ」
「長旅でお疲れのところに申し訳ございません。すぐにお部屋へご案内いたします」
綺麗に下げられた白髪交じりの頭を尻目に、私は部屋へと向かった。
父へと現状をしたためた手紙を送って数日後。
することもないし、かといって父の許可もなしに勝手に帰ることもできないので、返事がくるまで予定通り領内を見て回ることにする。
あれだけ拒否していたにも関わらず、執事になにか言われたのか、案内役として例の少年二人が改めて紹介された。そのそばにはロランディ伯の執務補佐をしているという青年も控えている。
「コルネリオ・ロランディと申します」
「エドモンド・ロランディです」
十才前後の少年と、それより少し幼く見える少年が、ぎこちなく礼をとった。二人とも父親によく似た明るい金髪に、鮮やかなスカイブルーの瞳をしている。
隠し切れていない敵愾心の混ざった瞳で見上げられているのが居心地悪くて、軽く頷くとそっと視線を外した。
「はじめまして、ラディアーチェ嬢。ジェラルド・バルトリと申します。視察の際の詳しい説明は私の方からさせていただきますね」
ジェラルド・バルトリ。
文官を多く輩出しているバルトリ家の三男で、現子爵とその子息達もなかなかの切れ者揃いと聞く。見目もアッシュブロンドの波打つ髪にヘーゼルの瞳をおっとりとした笑ませた優男のようだ。が、そう見えるように振る舞うことも計算ずくなのだろう。
ジェラルド・バルトリは礼をとると、私の手をとり軽く口づけた。
「ラディアーチェ嬢、どうぞ馬車へ」
そのまま彼は流れるような仕草でエスコートすると、ニッコリと微笑んだ。
「広大な丘陵を有するロランディ辺境領では、牛の放牧を主な畜産業としています。乳牛もそうですが荒くれ者の多いこの地では肉の消費も多いので」
そう言っていたずらっぽく笑うジェラルド・バルトリに視線を遣りながら、彼の有能さに内心舌を巻いていた。
その説明は紙上の情報しか知らない私にも分かりやすく、柔らかな声も相俟って惹き込まれるもので、目の前で硬い表情で俯いている少年二人の存在など気にならなくなるほどだった。
「……どうかいたしましたか?」
集中が切れたのが伝わったのか、一拍置いてジェラルド・バルトリが様子を窺ってきた。
「いえ。……まぁ、あれが牛というものかしら?」
遠目に草を食んでいる動物を指差すと、「牛も見たことないのかよ」とボソリと目の前の少年が呟いた。
「……」
がんばるのよヴィヴィエッタ・ラディアーチェ! 子供の言うことにいちいち反応してたら大人気ないわよ!
「よかったら近くで見てみませんか?」
とりなすようなジェラルドの声に辛うじて引き攣った笑顔を返す。ジェラルドは御者に合図を出すと、馬車は進行方向をゆっくりと変えた。
ややあって着いたのは、家畜の独特の臭いが広がる牛舎だった。
「ラウロを呼んできて」
馬車から飛び降りた少年二人にジェラルドが声をかける。こちらを見上げたコルネリオが顔を顰めた気がするが、それを確かめる前にジェラルドが遮るように手を差し出してきた。
「バルトリの旦那、どうしたんだい?」
ゆっくりと馬車を降りていると、牛舎より訝しげな顔をした壮年の男が出て来ていた。
「こちらのお嬢さんは?」
「ラディアーチェ侯爵令嬢だよ。今視察に来領されているんだ」
ニコニコしているジェラルドとは対照的に、男の顔はどういうわけか厳しくなっていく。
「……へぇ」
その表情にコルネリオたちと同じような敵意を感じるが、理由が分からない。
男は小さく礼をすると、表情を隠すように帽子を深くかぶり直し黙って歩き出した。
「地面が泥濘んでますので、お気をつけください」
男に感じた居心地の悪さについて考えていると、ジェラルドにそう注意を促され、意識を呼び戻された。
「ええ、お気遣いありがとう」
ニコリと微笑みかけられた顔面が眩しい。
綺麗に笑う男だ。多分自分の笑顔がどう見えるのか正解に把握しているに違いない。
アーダルベルト殿下の精悍な美貌を見慣れている私でさえ、ちょっと見とれそうになってしまった。
ジェラルド・バルトリは「よかったらお手を」と差し出してきた。言葉に甘えてエスコートしてもらう。
いい香りがするなとかそんなどうでもいいことを考えながら泥濘に苦戦していたら、気付いたら目の前に牛がいた。
「……うし」
「ええ、牛です」
クスリと甘い笑みをこぼしながらそう柔らかい声で返されたので、まじまじとその顔を見てしまった。
くそう。面食いな自分が情けない。
「エド、せっかくだから乳を絞ってみせたら?」
そんな私の様子を怪訝そうに見上げていた年下の少年は、コクリと頷くとタタタと駆けていった。
「見とれてんなよ……」
ついでに聞こえた年上の少年の呟きに、睨み返す。ヴィヴィエッタ・ラディアーチェは断じて見とれていません!