王太子からの呼び出し
王城に向かう馬車に揺られながら、この登城の意味をずっと考えていた。
王太子殿下とはちょくちょく言葉を交わすことはあったが、それは私がアーダルベルト殿下の婚約者であったからで、個人的な深い関わりがあったわけではない。従って私的に呼び出されるような仲でもない。
セシリオも公爵位を継承したときに一度挨拶に伺っているはずで、婚約の話もまだ詰めている段階だ。
今の段階で特段呼び出されてまで話すことなどないはずで、あるとすればアーダルベルト殿下のその後を親切にも教えてくれるのかな、それくらいしかなかった。
でもそれにしたって二人一緒に来なければならない意味はなんなのだろう?
特に意味はないのかもしれないが、色々と厄介事を隠してくれていた男どものせいで、やたら疑り深くなってしまっている。
正式な面会というわけでもないようで簡単な登城手続きを踏んだあと、それなりの客室へと通された。
ますます目的が読めなくてセシリオと訝しみながら待っていると、ようやく王太子殿下が姿を現した。
「わざわざ来てもらってすまないね」
立ち上がって礼をとる私たちに片手で制しながら、殿下はソファにもたれるように腰掛ける。長い足をスラリと組み、随分リラックスした様子だ。
「まずはこの度の騒動について改めて感謝を述べよう。二人ともよく立ち向かって乗り越えてくれた」
殿下は用意されたお茶に口をつけると、従僕に目配せして部屋を出ていくように促す。
「領地の方はどうかな?」
「お陰様で少しずつですが、整理をつけているところです」
「なにかあれば言ってくれ。可能な限り力になろう」
殿下の海のように青い瞳が私に向けられる。
「ラディアーチェ嬢も、体調はもう良いのか?」
「ええ、お気遣い感謝いたします」
「そうか。かなりの手傷を負ったと聞いていたから心配していたが、ホッとしたよ。まぁ二人とも、そんなに固くならずに力を抜いてほしい」
殿下はニコリと口角を上げると、小首を傾げて両腕を軽く広げた。
「今日君たちを呼んだのはほかでもない、我が弟アーダルベルトについてなんだ」
やっぱりアーダルベルト殿下の話だったのか。
「此度の活躍で恩赦が与えられてね。今は新しく男爵位とラヴィラ領を貰い受けて奥方と二人、領地へと旅立っていった」
ラヴィラ領か。ラヴィラ領はローザネラ山脈に面していて、一言でいうとアルプスのような場所だ。
険しい山嶺に冷涼な気候。
だが風光明媚で空気は美味しく水は澄んでいる。
領地も広くないし王都からもかなり離れているので、二人をそこに送ることで今回の火消しも兼ねているのかと憶測する。
殿下はきっとかの地で愛する人との美しく穏やかな生活を手に入れたのだろう。
「ラヴィラ男爵様が幸多き道を歩まれることを、お祈り申し上げますわ」
「まるで令嬢の鑑のような返答だな」
その通り杓子定規の言葉を返したのだが、王太子殿下はなにが気に入らなかったのか不穏な笑みを浮かべた。
隣のセシリオが僅かに眉を顰める。
「してやられたかもしれないというのに」
してやられたってどういうこと?
セシリオもそう思ったようで、なにも言わないものの硬い表情がそう物語っている。
王太子殿下は足を組み替えると手を組んで顎を乗せ、こちらをじっと見据えてきた。
「アーダルベルトが今回貰い受けた土地、先ほどラヴィラ領だと言ったが。この地は実に美しい。なかでも澄んだ湖の美しさは格別だ。その湖畔にはソーニャが群生していて、静謐な碧に可憐な彩りを添えていると聞く」
その名前にドキリとした。
二度と関わりたくない悪夢の元凶。
でももう終わったことのはず。
「ソーニャの花……」
「そうだ。これがどういう花か、もう説明しなくても知っているだろう?」
もちろん知っている。
ソーニャの花自体はなんの害もないただの綺麗な花だ。
“神の涙”に精製した場合たいそう危険な代物になるが、その精製方法も非常に煩雑な上、王族が厳重な管理の元封印しているという。
「ですが、殿下がラヴィラ領を賜ったからといって……」
王太子殿下の言わんとしていることを悟って、思わず口を挟んでしまった。
滅多な事を言い出さないでほしい。だってもうこの件は終わったのだ。ベラドンナは捕らえられて、アルファーノ公爵家は解放された。
アーダルベルト殿下との婚約解消とそれにまつわるあれこれも無事に終わり、そして私は今セシリオの隣に立っている。
全てあるべきところに収まった。
「そうだな。私も弟に対して随分心無い勘繰りをしてしまったと思ったよ。だがどうにもアーダルベルトから事前に打診があったようでな。今回の件を踏まえて誰か監視者が必要だと。父上も長年の頭痛の種が無くなってえらく上機嫌だったものだし、まぁラヴィラ領だろう? 一も二もなく許可したそうだ」
「ならば、その額面通りのお言葉ではありませんか」
「本当にそう思う?」
王太子殿下の真っ青な目は、あまりアーダルベルト殿下とは似ていない。そのあまりにも透明度の高い瞳はなんでも見透かしてしまいそうだ。
「長年アーダルベルトのそばにいた君ならもう分かっているだろう。弟はそんな男だったか? 自らを犠牲にしてまでこの国のために尽くすと、それも現れるかもわからぬ花泥棒の監視のためだと、そんなことを言い出す男だっただろうか。もしそんな男だったなら、君がどうなるかなんて分かっていた上で婚約解消だなんて言い出したか?」
殿下が容赦なくグサリグサリと癒えたばかりの傷口をつついてくる。
なにも言い返せない私を見て、セシリオの表情がますます険しくなった。
「ラディアーチェ嬢、弟は君がニコレッティ嬢に辛く当たっていたときも敢えて止めなかった節があっただろう? だって君たちがこうなる前にいくらでも手の打ちようはあった」
その言葉は流石に堪えた。
もうなんとも思っていないはずだけど、それでも一緒に過ごした時間が虚構だったと改めて思い知らされるのは、心を斬られるように辛かった。
「殿下、そのことはもう……」
「セシリオ、そう目くじらを立てないでくれ。これくらいでやめるから」
殿下は降参したように両手を軽く上げた。
私の過去の黒歴史をほじってまで、殿下はなにを言いたいんだろう。
「さて、話が逸れてしまったが、君たちを呼んだのはほかでもない、弟のこの行動がどんな意図を含んでいるものか、ちょっとばかり見てきてもらいたいからだ」
「殿下、残念ながらそのような話はお受けできません」
その途端、セシリオが強引に殿下を遮った。いつも穏やかな彼にしては珍しく強い口調だ。
「そもそもなぜ私たちなのですか? ラディアーチェ嬢まで呼びつけて……殿下には優秀な騎士も揃っておりますし、正直私たちの手に負えるような案件では……」
「理由はいくつかあるが、まず君たちは既に“神の涙”に関するこの件に関わっている」
まるで責めるような言葉の響きだった。……私たちだって関わりたくて関わったわけじゃないのに。
王太子殿下はこの件について関係者をできるだけ増やしたくないと言う。
「君一人でもいいけど、ラディアーチェ嬢は弟をよく分かっているから」
セシリオが露骨に顔を顰めた。
「もちろん二人きりでとは言わない。私の護衛を貸すよ。危ないことは彼らに任せておけばいい。君たちは弟の目を引きつけておいてほしいんだ。セシリオ、君だけでもいいけど彼女がいた方が弟の目がいくと思わないか」
そうですね。ニコレッティ嬢にまた当たり散らされないか大いに警戒されるでしょうね。
殿下はまたあの笑みを浮かべた。
アーダルベルト殿下とご兄弟なだけあって殿下も大変整った容姿をされているが、だからこそぞわりとくるような仄暗い笑みだった。
「我が弟のように無茶な要求はしていないつもりだよ。なに、ちょっと息抜きがてらラヴィラ領に婚前旅行に行ってみてはというだけの話だ。美しい湖畔でのデートは二人の仲を深めるのにさぞうってつけだろう。そこに美しい花が生い茂っていればなおさら、な」
「ええ、そうですね。ぜひわたくしも同行させていただきますわ」
セシリオが振り向いてきた。
殿下の前などお構いなしに強い視線で非難してくる。
「ヴィヴィ?」
「なにかしら?」
「言っただろう。二度と君を危険な目に遭わせないって」
「それはわたくしだって同じでしてよ」
それに王太子殿下の言う通り、アーダルベルト殿下、いやラヴィラ男爵のことは私が一番よく知っているという自負がある。
私がいた方が絶対にセシリオの助けになれる。
「どうとでも構わないけど、頼むよ」
まだなにか言いたげなセシリオをそっと制して、肯定の意を返す。
こうも王家に振り回されるのは不服だけど、旅行という響きは悪くない。私たちは花が生えているか見てくるだけでいいというのなら、その通り見てくるだけ見てあとはセシリオとの旅行を楽しもう。
ここ最近ずっと忙しかったセシリオとはなかなか時間がとれなくてちょっと寂しかったし。……うん、どちらかというとセシリオと二人でゆっくり過ごしたいってのが本音だ。
殿下は立ち上がると話は終わりとばかりに扉の方に手を差し出した。
「今後とも君たちとは良い関係でいたいからね。兄としてのこの気持ちを鑑みてくれると嬉しい。ぜひ頼むよ」
晴れやかな笑顔でよく言うよ。
まだ不服そうなセシリオと二人退室の挨拶をして、追い出されるように部屋を後にした。




