私の婚約者、セシリオ・アルファーノ
今日は朝からずっと緊張しっぱなしだった。
私の従者ピオを何度も呼びつけては予定を復唱させ、マウラを始めとした侍女にドレスやアクセサリーを確認してもらい、何度も何度も頭の中でシミュレーションを繰り返す。
呆れた兄が茶々を入れてくるのも気にならないほどに、緊張しきっていた。
「お嬢様、アルファーノ公爵様がお見えです」
シックなワンピースドレスにシンプルなアクセサリーを合わせて何度も鏡の前で確認していると、従僕が知らせてくる。
一斉に頭を下げる侍女たちを労いながら、姿勢を正して部屋を後にした。
玄関のホールに佇む一人の青年。
透けるようなプラチナブロンドを丁寧に撫で付け、上質なジャケットにすらりと長い足の貴公子は、遠目から見ても気品があって美しい。
思わず見とれそうになる自分を叱咤して、視線を意識しながらゆっくりと階段を降りる。
「……ラディアーチェ嬢、本日はお招きいただき感謝する」
セシリオは綺麗に笑うと優雅に礼をした。
「アルファーノ公爵様、お忙しいのにわざわざお時間を作っていただいてこちらこそ感謝いたしますわ。さぁ、こちらにいらして」
指先まで意識して手を差し出すと、セシリオは一拍おいてその手を恭しくとってくれる。その口角が一瞬、面映ゆそうに歪んだ。
セシリオはつい先日、前公爵から公爵位を受け継いだ。
前公爵は長い間ベラドンナに拘束され精神的に衰弱しており、長期的な療養の時間が必要なことと、領地立て直しのために精力的に勉強し働くセシリオの姿を見て、前公爵がそう判断するのは早かった。今では立派なアルファーノ公爵として、さらに日々邁進している。
セシリオのエスコートで食堂室に着くと、既に兄は降りてきていたところだった。
「やぁセシリオ、元気にしていたかい?」
いつもどおりフランクな対応の兄にセシリオが若干苦笑いしつつも、当たり障りのないマナーどおりの返答を返す。
飄々としている兄に若干イラッとしながら、今日だけは余計なちょっかいを出さないでよねと視線で牽制していると、従僕が本日のメインイベント、ラディアーチェ侯爵の到着を告げた。
――一気に場に緊張が走る。
「遅れてすまない」
寡黙な無表情に鋭い眼光、愛想笑いもアルカイックスマイルにしかならない父、バルダッサーレ・ラディアーチェが入室してくる。
「今日はよく来てくれました、アルファーノ公爵殿。バルダッサーレ・ラディアーチェです」
「こちらこそお招き頂いて光栄です、ラディアーチェ侯爵様。セシリオ・アルファーノです」
立ち上がったセシリオはさすがに緊張が隠せないようだった。その様子をハラハラしながら見守る。
父の視線があら探しをしている、ように見える。普段から含むような笑みを浮かべているところしか見たことがないので、本当にそうなのかどうなのか分からないけれど。
あの日、私がセシリオの元に持っていった信書は、この会食の申し出だった。婚約に関する詳細な話し合いを行いたい、ということで顔合わせも兼ねてこの会食を開くことになった。
ようやく父が座り込むと早速従僕たちが料理を運んでくる。まずは見た目も鮮やかな野菜のテリーヌ。いつにも増して気合いの入った豪華な盛り付けに父の本気が垣間見える、気がする。本当はどう思っているのか分からないけれど。
それから前菜、スープにパン、魚料理と順調に進んでいってセシリオの緊張も解れ出したころ。
最後のデザートに手をつけながら、今までどうでもいいような世間話しかしなかった父が突如本題を斬り込んできた。
「それで、公爵殿はヴィヴィエッタのどういったところを気に入って頂けたのかな?」
あまりに唐突な質問に、こっちが思わず喉をつまらせそうになった。
お父様、今さらそんなことを気にしてどうするの? お父様にとって結婚はお互い利があるかどうかが大事なんでしょ? 一番それを重要視しているのはあなたなのに!
「もちろん、その凛とした気高さや高潔さ、博識で物腰優雅なところなど、挙げれば枚挙に暇がありませんが」
セシリオは父へと向き合った。
「敢えて挙げるとするならば、弱さを認める強さ、でしょうか」
「ふむ」
父もカトラリーをおくと、セシリオを真正面から見据える。
「私の情けないところもみっともないところも全て目にしてきたはずなのに、それでもラディアーチェ嬢はこうして隣に立って微笑んでくれた。彼女がずっとそばにいてくれたから、私は今この場にいることができるのです」
知らん顔で食事を口に運ぶが、頬が熱くなるのを止められない。兄がニヤニヤしながらこっちを見ているのは分かっているので、敢えて無視をする。
「それがどんなに嬉しかったことか……私はラディアーチェ嬢のためならどんなことも乗り越えられると思いました。彼女に相応しい自分になりたい、彼女の力になりたい。その思いが、彼女の支えが、こうして立ちはだかった困難を打ち勝つ力になった」
父は語り終えたセシリオを暫く眺めていたが、コーヒーを一口飲むと立ち上がった。
「セシリオ殿、ありがとう。あとの事務的な諸々は後ほど書斎にてお話しいたしましょう。せっかく来られたのだ。ゆっくりと過ごしていかれるといい」
退席する断りを入れてから、父は先に戻っていく。その後ろ姿が見えなくなったのを確認して、それまで詰めていた息を一気に吐き出した。
「随分緊張しちゃって。柄にもない」
途端にニヤニヤし出した兄に殺意が湧く。
自分だって結婚する前は奥さんの前でつんと澄ましていたくせに!
「すみませんアルフォンソ殿。わざわざ付き合っていただいて」
「大切な未来の義弟のためだからね。ヴィヴィエッタがまた婚約者を逃しても後味悪いし」
「お兄様、聞き捨てなりませんわよ」
据わった目でセシリオを見据えると、彼は苦笑を浮かべていた。
「セシリオ様、先ほどのお言葉は嘘ではありませんわよね?」
「もちろんだ、ラディアーチェ嬢」
セシリオはいたずらっぽく笑いながら返してくる。
「心の底からの賛辞だよ。俺にとって君以上に素晴らしい女性なんていない」
「聞かれました? お兄様」
「あーハイハイ」
妹の素晴らしさを全く理解した様子もなくおざなりに返事して、兄は立ち上がった。
「僕はもうお腹いっぱいだから、あとは若い二人でお好きにどうぞ」
ひらひらと手を振りながら出ていこうとして、でもなにかを思い出したのか兄は立ち止まって振り向いた。
「ところで、王太子殿下より二人で来いって呼び出しがかかってるんだけどさ、お前たち今度はなにしたの?」
それに二人同時に顔を見合わせた。




