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ヒーローなんていない  作者: サク
田舎貴族と本当の私
37/73

アルファーノ公爵邸にて

少し改稿を行っております。アルファーノ公爵との話を付け加えました。

 

 アルファーノ公爵邸前。

 手入れの行き届いていない古ぼけた屋敷を見上げながら、つい感慨にふける。

 あんなにおどろおどろしく感じた雰囲気も、あの悪女がいないだけでただの古めかしさになるので不思議なものだ。

 今日ここに来たそもそもの目的はセシリオに託された信書を渡すことなのだが、その前に私はある方に面会の予定を入れていた。……言わずもがな、アルファーノ公爵だ。

 彼とはなにしろ始めのご挨拶が考え得る限り史上最悪の出来だったので、もう一度挨拶をやり直したいという思いがあった。それに公爵の事情も考慮せずに少々突っ走りすぎたことも謝罪したい。だがまだ会うには早すぎるだろうと思っていたのだが、私の来邸を聞いた公爵本人が少し時間をもらえないかと言ってきたのだ。

 トニオに案内された応接室で待っていると(トニオは私の顔を見るやいなや誠心誠意謝ってきたので、どうにかあのウソは許すことにした)、やつれた様子のアルファーノ公爵がやってきた。


「アルファーノ公爵様、まずはこのような機会を与えてくださって感謝申し上げますわ」

「いや、私も君に会いたいと思っていたから、来てくれて助かったよ」


 さっと立ち上がってカーテシーをする私に、公爵はさっと手を振って堅苦しくしないように言ってくれる。

 ソファに腰掛けて早々、謝罪の言葉を口にしようとした私を遮って、公爵は衰弱した体ながらにピンと背筋を張り、そして深々と私に頭を下げてきた。


「ア、アルファーノ卿……?」

「まずは君に無礼な口を聞いたことを謝罪させてくれ」


 どうにか頭だけは上げてくれないかと懇願して、アルファーノ公爵はゆっくりと姿勢を戻す。どれだけやつれようと衰えない美貌の奥のアイスブルーの瞳が、真摯に向けられてきた。


「君は真心をもって息子に向き合ってくれ、息子と私の現状をどうにか変えようと動いてくれたのに、私は君のその真心に気づかずにひどい言葉を浴びせてしまった」

「卿、それは……」

「親子共々君に救ってもらったというのに、こうして謝罪に出向くこともできずにこの場で伝えることを許してくれ」


 再び頭を下げようとしたアルファーノ公爵を止めながら、私も言おうと思っていた言葉を伝える。


「いいえ、こちらこそ……あなたがどんな思いでセシリオをヴェルデ領に託し、どんな思いでここから見守っていたのかなんてわたくしはなにも考慮せず、随分と卿の意思をないがしろにしてしまいました。あのときはきちんと経緯も説明せずに強引な手段に出てしまいましたこと、ここで謝罪させてください」


 頭を下げようとした私を公爵も遮る。互いに謝罪し合い謝罪を受け止め、そしてそれ以上の謝罪はいらないと遮る姿に、気づけばお互いクスリと笑い合っていた。


「息子が君のような真摯な女性と出会えて、本当に喜ばしいよ」


 公爵は微笑んだままほわりと目を細めたので、思わずその美貌に頬が染まる。


「他でもないラディアーチェ嬢だからこそ、なんのてらいもないまっすぐな気持ちを向けてくれた君だからこそ、息子も救われたんだ」

「わたくしこそ、このまま腐って沈んでいくだけだった人生をセシリオ様に掬っていただきました。そしてそんなことができるのは、見返りのない優しさを簡単に差し出せるセシリオ様にしかできないことでした」

「二人がヴェルデでどう出会ったのか、セシリオから少しだけ聞いたよ」


 アルファーノ公爵は本当に嬉しそうに笑った。


「ラディアーチェ嬢のことを語る息子の姿を見て、久しぶりに若かりし頃のことを思い出したんだ。愛しい妻と出会ったあの日。毎日が輝いて、そしてこんな日が続くのだと疑いもしなかったあの日……」


 公爵はそこで言葉を切って、しばらくの沈黙のあとにとりなすように話題を変えた。


「不甲斐ないことにアルファーノ公爵家の名前はとっくに地に落ちてしまった。これからもセシリオと君には大変な苦労をかけるだろう。それでもラディアーチェ嬢、君なら……」


 公爵が差し出してきた手を躊躇うことなく握る。


「公爵様、わたくしはこれからも一緒にセシリオ様と歩んでいきます。隣にセシリオ様がいてくれるのなら、わたくしたちはこれからなんだってできますわ」


 公爵は私の勇み足な言葉にクスクスと笑った。


「こんなに安心した気持ちになれるのはいつぶりだろう……ただ一人心残りだったセシリオのためだけに生きていた甲斐があったというものだ……」


 ベラドンナから解放されたアルファーノ公爵は、もう私を拒絶することはなかった。

 彼もまた、ベラドンナの被害者であり、傷つけられた者の一人であり、そしてようやく彼女の呪縛から解放されたのだ。








 その後、トニオに案内されて向かった先は書斎だった。


「ヴィヴィ!」


 開かれた扉の先では書き物机でセシリオが仕事をしていた。私に気づくと満面の笑顔で立ち上がって出迎えてくれる。


「もう出てきても大丈夫なのか? 用があるのならこちらから会いに行ったのに」

「体の方はもう平気。セシリオは心配しすぎ! そっちこそちゃんと休めてる?」

「田舎育ちなだけあって、頑丈さには自信があるんだ」


 はにかんだように笑うその笑顔にほっとする。

 セシリオに促されて、二人横並びにソファへと腰かけた。


「今日はどうしたんだ?」

「これを」


 信書を渡すと、セシリオは訝しげに受け取る。


「お兄様からよ。あなたにって」


 目を通すにつれ、セシリオの顔色が変わっていく。


「これは……」

「どうしたの?」


 真顔になってしまったセシリオに心配になったが、サラサラの髪を揺らしながら首を振られた。


「いや、大丈夫だ。それよりもせっかく来てくれたんだ。ちょうど一休みしようと思っていたところだし、気分転換に庭に出ないか」


 忙しいのに時間を割いてもらって大丈夫なのかな。遠慮がちに伺うと、セシリオはニヤリと笑ってとってつけたように恭しく手を差し出してきた。








 きっと昔はこの国有数の規模を誇る庭園だったのだろう。

 その広大な庭園も今は荒れ放題で木々も草花も好き放題に勝手に伸び、とてもじゃないけど優雅な散歩とはいかなかった。


「仕方がないけど、それにしてもすごい庭ね……」

「ヴェルデの家より凄まじいな」

「私たちじゃなきゃこんな庭を散歩しようだなんて思わないわね」

「言えてる」


 セシリオはクスリと笑いながらも空を見上げる。


「でも、空は一緒だ」

「一緒?」


 セシリオを真似して私も見上げてみる。

 真っ青な高い空に、浮かぶ白い雲。


「ほら、あの日ヴィヴィと一緒に見た、ヴェルデの広い空」


 流れ落ちる銀の髪に、日の光に照らされてキラキラと反射する睫毛。穏やかなシルバーグレーの瞳は真っ直ぐに空に向けられている。


「こうしてヴィヴィと一緒に見上げる空は相変わらず美しいな。変わらず澄んでいて、青くどこまでも続いていく。この空をまた君と見ることができるなんて……幸せだよ」

「どうしたの、急に」


 セシリオは振り向くと、目を細めて笑った。

 キラキラ光る太陽に負けない、心がぽっと暖かくなるような満面の笑顔。幸せだと伝わってくるような、心からの笑顔。

 こんな素敵な笑顔を今まで向けられたことがあっただろうか。


「君がいてくれて、本当によかった」

「うん。私も」

「なんだか照れるな」

「……うん」


 どちらからともなく、二人で無邪気な子どものように庭園の中を駆け出す。

 バカみたいにはしゃいだ笑い声を上げながら駆け抜けた先には、庭園の端、古びた木の扉。


「この間、偶然見つけたんだ」


 セシリオが木の扉をそっと押す。

 軋む音をたてながら開いた先には、こじんまりした草地があった。


「あの庭に似てないか?」


 ぼうぼうに伸びた草をかき分けながら、セシリオは奥へと進む。


「広大な庭を立派に維持していくのも必要だろうが、このくらいだったら好きにしてもいいと思うんだ」


 一角へと辿り着くと、セシリオは指を指した。


「ここにはクロッカスを植えようと思っている」


 二、三歩進むととまた別の区画を指す。


「それから……ここにはライラックか? 生憎俺は花には詳しくないから、あとはヴィヴィの好きな花を植えるといい。そうだな、君は種を植えたらガゼボの中で優雅に本を読む。それを片目に俺は下手くそな剪定に四苦八苦するんだ」


 ヴェルデでの日々が甦るようだった。

 追い詰められた中での、束の間の休息の日々。なにもかもを忘れて、一緒に過ごした優しい時間。侯爵令嬢でも、殿下の婚約者でもない。

 私が“ヴィヴィエッタ”になれた場所。


「そうね。そしてあなたはきっと花の手入れをしながらこう言うのよ。“ヴィヴィ、また花が咲くころに見に来るといい”。でも私は、今度はこう答えるわ」


 荒れた草地の中、不思議そうに立ち尽くすセシリオに歩み寄って顔を近づける。


「そんなのいつだって見に来るわ。だって私はあなたの婚約者だから!」

「まいったな」


 セシリオは小さな笑い声を上げた。

 耳に心地いいその声は風に流れて消えていく。


「本当にまいったよ。ヴィヴィ、君が好きだ」


 くしゃりと髪をかき乱して、セシリオは手で隠すように顔を覆う。


「やっと君に伝えられる。ヴィヴィ、君のことを愛している。図太い君も容赦ない君も、俺に寄り添ってくれた君もなにもかも、君の全てが愛おしい」


「こうして言葉にすると恥ずかしいな」とセシリオは頬を赤くしながら笑う。そんなセシリオを照れ隠しにからかおうとして、ふと熱い雫が伝っていった。


「ヴィヴィ?」

「知ってる……」


 泣きながら笑うなんて、きっと奇妙な表情をしているに違いない。


「だって私も、セシリオ、あなたが好きだもの。あなたの弱さも優しさも、みっともないところだってなにもかも好きよ」

「俺も知ってる」


 眉を下げながら、セシリオはしょうがないなぁと抱き寄せてくれる。


「本当に? だって私、こんなにもあなたのことが好きなのに?」

「まいったから、その辺にしておいてくれ」


 お日さまみたいに暖かい腕。壊れ物を扱うように撫でられる髪。セシリオの全てが私を受け入れてくれていると伝えてくる。

 セシリオはとうとう大笑いしながら、私を抱き上げてくるりと回り始めた。浮遊する体にみっともなく広がるスカート。でもそんなことどうでもいいくらい、同じくらいふわふわと心が浮つく。

 やることもやらなければならないこともまだまだ山積みだけど、私たちはあの稀代の悪女ベラドンナに打ち勝ったのだ。

 それに比べたら多少の困難なんて乗り越えられる気がする。

 セシリオはヴェルデで見上げたのと同じ青い空の下で、私の頬に口づけた。









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