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ヒーローなんていない  作者: サク
田舎貴族と本当の私
36/73

助けに来てくれたのは彼

 

 聞こえてきた声は、待ち望んでいた声だった。


「セシリオ!」

「ヴィヴィ! 無事か?」

「私は大丈夫! セシリオこそ無事なの?」

「今助ける!」


 暫くしてセシリオが馬を宥める声が聞こえてくる。

 連絡用の小さな窓から、セシリオが手綱をとって残りの馬を宥めている様子が伺えた。暴走気味に走っていた馬車はやっと減速し始め、やがてゆっくりと止まる。

 すぐに扉が開けられ、セシリオが飛び込んできた。


「ヴィヴィ!」


 強い力で抱き締められる。遠慮もなにもない、彼にしては無骨な強い力だった。


「ああ、こんなに傷だらけで……なんてことを……」


 抱きしめる力のままに震える声でそう言ったセシリオに、痛む顔面を無理やりに笑みを形作る。


「でもお互い生きてまた会えたわ。これ以上喜ぶことなんてある?」


 あの陰気な屋敷でまざまざと突き付けられた死に比べれば、こうやってまだ生きて会話できていることが奇跡のように思えてくる。

 それになによりも、こうしてセシリオが生きていた。


「でも、」

「無理についていくって言ったのは私。自業自得だから」


 セシリオは私を抱え込むと馬車から降りる。地面に降ろされて、改めてその瞳を見上げようとした。

 だけどその前にセシリオは強い力で私を引き寄せ、その胸板に私の顔を押し付けてしまう。


「……ごめん。俺に力がないばっかりに、ヴィヴィ、ごめん……」


 その声がひどく怯えているように聞こえて、なにも言えなくなった。それからまるで縋るように私を抱き締めてくるものだから、思わずその頬に手を伸ばす。滑らかな頬は薄汚れていて、傷までついてしまっている。


「ヴィヴィ」


 小さな声で名前を呼ばれると同時に、泣きそうな顔が近付いてきた。サラサラの髪が擽ったい。肩を竦めた瞬間、柔らかい感触が唇を掠める。

 僅かに顔を上げたセシリオは、乱れた前髪の隙間から揺らめくシルバーの瞳を覗かせた。その瞳に浮かぶ恐れに、開こうとした口は結局言葉を紡げなかった。ただ力の入らない腕を、彼の胸元に向かって伸ばす。

 顔を寄せたのは、どちらからだったか。

 再び降りてきた柔い感触に、私はそっと目蓋を閉じた。








 無事にセシリオに助け出された、あの日から数日が経った。

 私は私の怪我を見て一層頑なになってしまったセシリオから、安静が必要だとずっと自分の屋敷に押し込められている。私だって一応関わった当事者だと思うので供述やらなんやらかんやら協力したいのだけれど、「今はなによりも怪我を治すことに専念してほしい」と縋るように言われては、あまり強くも言えずに現状に甘んじていた。セシリオはどうやらベラドンナの事件のことで、私を煩わせないよう極力遠ざけておきたいみたいだった。


「相変わらず暇そうだねぇ、ヴィヴィエッタ」


 ノックの音と共に聞こえてきた兄の声に振り返る。


「怪我のほうはどうだい?」

「もうすっかり治っていますわ。どなたかが過保護過ぎるおかげで」


 語気荒く言い返すも、鼻で笑われ返された。


「そうは言っても、侯爵令嬢が負っていいような怪我じゃなかったからね。ほんと、セシリオがもらってくれるって言わなかったらどうなっていたか」

「そのために頑張ったのですから、当然ですわ」


 手慰み程度に刺繍をしている私の向かいに、兄も腰掛ける。


「ヴィヴィ、今回は流石にお転婆が過ぎたね」


 兄は長い睫毛を伏せながら、物憂げに刺繍を眺めている。


「父上はお前の所業にカンカンだ。僕にもとばっちりがきて散々だよ」

「妹が無事に婚約者を見つけられたのだから、それくらい甘受してくださいませ」

「お前にも戻ったら覚悟しておくよう言っていたからね」

「げっ」


 遠い目をする私に、兄が意地悪く笑った。


「それで、その婚約者様は?」

「まだお忙しいようですわ」


 あの日、私がベラドンナと対面した日。

 トニオに引っ張り出された私の後を追おうとして、セシリオはアルファーノ公爵に呼び止められ、一つの懐中時計を手渡された。その懐中時計はセシリオがまだアルファーノ公爵家にいたころに、母と一緒に誕生日プレゼントとして渡したもの。

 この切迫した状況の中、なぜそんな物を渡してきたのか真意を問おうとしたけど、公爵はすでに足早に立ち去った後。

 その後を追おうとして、セシリオは違和感に気づいた。あれだけ父に執着しているベラドンナから、どうやって母の形見を隠していた? これだけの年月を彼女から隠し通すのは恐らく不可能だ。

 どこか、父の隠し場所があるはず。そのことに気づいたセシリオは、ふと幼いころに見つけた隠し部屋の存在を思い出した。

 幼いころ、その隠し部屋はまるで秘密基地のようで、大切な宝物を隠しては一人になりたいときなんかによく逃げ込んでいた。なにも言われたことはなかったが、父も母ももちろんそのことは知っていた。

 一か八か。セシリオは紆余曲折を経てその部屋にたどり着く。果たしてその部屋には予想通りの物が置いてあった。

 セシリオの幼いころの宝物。母の形見。――そして、ベラドンナのサインが載った、“神の涙”に関する契約書。

 セシリオはそれを持って今度は私に追いつこうと踵を返すも、行方を尋ねたトニオにはすでに帰った後だと嘘をつかれてしまう。……トニオ、いくらセシリオを守りたいがためのウソであったとしてもさ……後で覚えてろよ。

 それならばと直接アーダルベルト殿下の元へと向かおうと運良く近くに繋いであった馬に乗り(これはエヴァルドの馬だった)、事前に知らせていたお陰で王宮に詰めてくれていた殿下に証拠品を渡す。

 殿下はすぐに動いた。その殿下と騎士隊と共に蜻蛉返りした屋敷にはなぜか関係者と思われる男を拘束したボロボロのエヴァルドがおり、よくよく聞くと先ほどまで私と共に監禁されていたという。どこにもいない私を探していると、使用人より馬車が一台出ていったと聞き、慌てて追いかけてきたというのがセシリオ側の事の顛末だ。

 殿下は無事にベラドンナを拘束し、今は“神の涙”に手を出した供述を吐かせるのに四苦八苦している。エヴァルドも重傷を負い、自宅療養中だ。

 肝心のセシリオは事情聴取やら、心身共に衰弱しているアルファーノ公爵の代わりに大量に滞っていた領地の事務処理やら、その他にも今後のことで色々とやることは山積みで、王宮と屋敷を往復する毎日だという。

 一応の収束をみせた今回のこの事態。何事もない平凡な毎日を送っていると、ついこの間だったあの悪夢のような一日はまるで嘘のようだ。本当に夢だったんじゃないのかとさえ思えてくる。

 なによりも、あの唇の感触。今でもあれは自分の産み出した妄想じゃないかと日に何回もつい考え込んでしまう。


「その癖」


 ふとかけられた声に顔を上げる。


「その唇に手を当てる癖、やめたほうがいいんじゃない。なんだか恋する乙女みたいでお前の柄じゃないよ」

「お兄様、一言余計です!」


 思わず立ち上がった私を、兄は「あぁ恐い」と茶化しながらも逃げてゆく。


「まぁ休めるうちに休んどいたら? アルファーノ公爵と縁を結べるとはいうものの、あの領地を立て直すのには骨が折れそうじゃないか」


 ベラドンナが捕縛されたことで殿下の後ろ盾も得られたことだし、私たちの婚約を邪魔するものは粗方片付いた。

 だけど、問題はまだまだ残っている。荒れた公爵領のことだ。

 貴族の社会に慣れていないセシリオが急に公爵代理になったところで、出来る事も限られているだろう。

……それに、私をついでのように攫ったあの緑髪の御者。どこかの国の王族がなんでベラドンナの下僕のような真似をしていたのか……。まだまだ解決していないことは残っている。

 それでも。


「そうですわね。忙しくなる前に、ゆっくりさせていただきますわ」


 これから先、セシリオと二人力を合わせて生きていくと思うだけで、胸の奥がドキドキして、なんだかふわふわするような浮ついた気持ちになる。

 これから解決すべき問題が沢山あるんだってわかってても、不思議と落ち込みはしなかった。だって私たち二人なら、きっと乗り越えられるって信じられる。

 いろんな不安もあったけど、恐怖も不安も受け止め合って、あの日傷だらけになりながらも必死に追いかけてきてくれた彼だから、信じようって思うことができたんだ。


「それじゃあさ、気持ちも纏まったところで暇な妹に一つ頼みたいんだけど」

「休めるうちに休めって言ったのはお兄様ですわよね?」

「ちょっとアルファーノ公爵家まで信書届けてくれない?」


 勝ち誇ったようなドヤ顔に歯噛みしながらも、ノーとは言えなかった。








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― 新着の感想 ―
エヴァルド、良かった、生きてた! 最初は変態キモ男と思っていたけど、彼視点のお話とか今回の活躍とか読んじゃうと、憎めない。。。
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