緑髪の御者
グラグラ揺れる感覚に目が覚める。痛む頭を押さえながら身を起こすと、どうやら馬車の床にぞんざいに放り出されていたようだ。
よかった、まだ生きてる。……今度は完全に一人だけど……。
ガタガタパカパカ、馬車を走らせる音だけが響いている。ヨタヨタとなんとか起き上がって窓の外を確かめてみるも、とっくにどこかの森の中に入ったあとのようで、ここがどこか確かめるきっかけにはならなかった。
馬車の扉へと手をかけてみる。案の定ガタリと音を立てて軋んだだけで、鍵がかけてあって開かなかった。
「あれー、もう目が覚めたの? おっかしいなぁ、着くまで目が覚めないはずなんだけど……ってか、危ないからちゃんと座っててよね」
突然進行方向の連絡窓が開き、男が顔を見せた。
緑髪のあの男だ。いやに整った顔のつくりに、なんだか引っかかる。
「お嬢さんさぁ、僕が命を助けてやったんだから、ちゃんと言うこと聞きなさいよ?」
男の顔をまじまじと見つめる。
「……あんた、誰?」
「ご令嬢があんたって……」
「この馬車、どこに向かってんの?」
男はそれに答えず前を向いた。そろりと連絡窓へと近づく。
キラキラと艶めく鮮やかな緑の髪。アーダルベルト殿下とはまた違う、中性的なその美貌。
近付いた私にシトリンのように美しく輝く瞳を細めて、男は「内緒」と微笑んだ。
前世の記憶がまたもや警鐘をけたたましく鳴らしている。ヒロイン同様、あり得ない髪色と瞳。イケメンがホイホイ出てくるこの世界の中でも、トップクラスにイケメンな美貌。
こいつがただのベラドンナの手先なはずがない。――こいつはもしかして、もしかしなくとも。
「ねぇ、あんたもしかしてどっかの国の要人? まさか隠し子とか」
男は驚いたように再びこっちを振り返ってきた。
「なんでそう思うわけ?」
訝しげに細めた視線になにも返せず黙り込む。
ただ単に髪と瞳がありえない色でいかにも攻略対象っぽいからとは、あまりにもぶっ飛んだ推理など聞かせられるはずもない。そしていまだに出てきていない攻略対象で面識がないとなると、それくらいしか思いつかなかった。
「まぁ答えなくてもいいけどさ。君の言う通り、僕はエーベル。どっかの国のしがない王位継承権持ちさ。でもそんなことが分かったところでどうするの? 僕は君を助け出して保護したいわば命の恩人で、君の命は僕のものになった。僕が何者だろうと今の君には関係ないし、どうすることもできないよ」
「なに、そのトンデモ理論」
冷めた視線を送るも、自称王族はもう前を向いた後なので、届くはずもなかった。
――恐らくこいつこそが、本当の隠れキャラじゃないか。なにかの陰謀に関わっていて、ヒロインがこいつのルートに入って攻略できると愛が勝って陰謀が阻止できる系なやつ。だって、これほどまでに見事なファンタジー髪の派手なイケメン、社交界でもなかなかお目にかかったことがない。
「それで、私をどうするつもりって?」
答えが返ってくるとは思っていなかった。案の定、彼はまたも「それも内緒」と鼻で笑う。
「まぁ、大人しくしていれば悪いようにはしないからさ。正直、第一目標は手に入ったし。君のような手土産もできて今回は収穫も多かったし」
いかにも私の方がオマケみたいな言い方をされた。
いや、いいけど。いいんだけど。ちょっと腑に落ちないというか、納得しがたいというか。ついでかい!
「ということで、そろそろ余計なお喋りはやめようか。君も穏便に済ませたいだろ? 態度次第ではいい待遇用意してあげるからね。君みたいな跳ねっ返りが好きそうな献上先も目星ついてるし。そいつに気に入られたら愛人ぐらいにはなれるかもよ?」
その言葉を聞いた途端、私は再び扉に飛びついた。限界に近い体力を振り絞って、ガチャガチャと扉を揺する。
「だからなにしてんのー? やめなって」
後ろから飄々とした説得が聞こえてくるが、冗談じゃない。
これ以上好き勝手にされてたまるか。お前らみんなヒロインだけを構ってろ!
「いい加減、無駄な抵抗は……って、ん?」
エーベルは言いながらも、突如馬車の速度を上げた。
扉に齧り付いていた私は不意をつかれた重力付加に、あちこちぶつけながら床へと倒れ込む。
「ちょっと、なにするのよ!」
「追手がいるんだよー」
エーベルはさらに鞭をしならせた。無茶なスピードに馬車が激しく揺れる。立っていられなくて床にしゃがみ込んだまま、座席へとしがみつく。
いくら乙女ゲーム仕様の乗り心地が改善された馬車だからといって、床から直にくる衝撃は耐えられるレベルじゃない。口汚く罵ったが、エーベルはそれどころじゃなさそうで、相手にもされなかった。
「残念! このままじゃ、追いつかれちゃうなぁ!」
エーベルは連絡窓からニヤリと笑ってくると、次の瞬間姿を消した。
死に物狂いで座席に齧り付き、なんとか乗り上げて窓を除き込むと、エーベルは既に馬へと乗り移って馬車とのハーネスを解除した後だった。
「この! 私を好きにするんでしょ! 最後まで面倒みなさいよ!」
「大丈夫、迎えが来てるよ!」
最後にエーベルは流し目をくれると、バチリとウィンクを飛ばしてきやがった。
「わかってるだろうけど、僕のこと調べようとしたって無駄だよ。僕は存在を消された者だから、いくら君が調べたところで僕につながることはないだろうよ!」
「分からないでしょ、そんなこと!」
そうは言ったものの、心当たりもなくて見当もつかないのも事実だった。そもそも普通だったら王家の血を引く者が身を危険に晒してまでこんな真似をするわけがないし、実際に周辺諸国にエーベル王子がいる事実もない。それに、彼の顔は見覚えがないものだった。
「もしも君が生き残れたら、またどこかで会えるといいね!」
「そうね! もしも次に会うことがあったら、今日のこと、一から十までぜーんぶ問い詰めてやるからね! 覚えておきなさいよ!」
「おー怖い」とエーベルは笑いながらひらりと手を振って馬車から離れていく。振り返りもせずに去っていくその後ろ姿をいくら睨もうとも、状況が改善するわけもない。
御者を失った馬車はスピードを上げたまま、森の中を突っ走っている。このままじゃいずれ馬車諸共木っ端微塵に吹っ飛ばされる。なんとかして馬車の扉をこじ開け、飛び降りなければ。
飛び降りたところで無事では済まないだろうけど、運良く軽症で済んだら追ってきてくれた人が助けてくれるかもしれない。
……でもそもそも、追手って一体誰。無事に逃げおおせたエヴァルドか、それともエヴァルドを制したあの騎士崩れの男か。そう考えごとをしている間も、馬車は暴走を続けている。
――とりあえずなんにせよ、扉を破るのが先決だ!
そう決意したタイミングで、外から扉をガンガンと打ち付ける音が響いた。激しい音に、思わずビクリと身を竦ませる。心臓がドクドクと音を立てる。
外にいるのは、果たしてどっちだ?
「誰かいるか? ヴィヴィ、そこにいるなら返事をしてくれ!」
聞こえてきた必死な叫び声は、私が今一番聞きたかった声だった。




