それは愛か、執着か
「ヴィヴィエッタ、やっと会えたね」
エヴァルド・ダリアは私を一心に見つめて、蕩けそうな笑顔を浮かべた。その後ろから兄が慌ててやってくる。
それにしても、エヴァルドとの温度差がひどい。これ、避けていた間にますます拗らせてない? 思わず数歩後退る。
あの日を思い出す、硬質なアンバーの瞳が私を捉えた。
「ダリア様、誤解を招くような言い方はおやめ下さいませ」
「誤解だなんてとんでもない。あなたを心底愛していて、そして手に入れるのはこの私だ。紛れもない真実だろう?」
私に身を寄せようとしたエヴァルドの腕を、咄嗟に兄が押さえる。
「妹にはまだ婚約者もおらず、不用意に近付かれては困ります」
「それなら今すぐ私を婚約者に迎えてはどうですか。そうなればいくら近づいたとてなにも支障はあるまい」
「……わたくしの婚約者になるお方はセシリオ様ですわ」
その言葉に一瞬にして能面のような無表情になるエヴァルド・ダリア。それから一拍置いて、不気味に嘲笑い始めた。
「なにがそんなにおかしいというのです?」
「いや、すまない、ヴィヴィエッタ。あなたの冗談が秀逸でな」
冗談で言ったつもりはない。
私たちの間に漂う硬い雰囲気を察したのか、エヴァルドは笑いをおさめる。
「……仮にセシリオ・ヴェルデが婚約者になれたからといって、どうだという」
エヴァルドの酷く冷たいアンバーの瞳から、刺すような視線が注がれる。
「あなたのお父上が奴との婚姻を許すはずがない。まだあの田舎者のほうが現実味があるというもの」
「それは……」
「愛しいヴィヴィエッタ、逃げるあなたを追いかけるのもなかなかに楽しいが、焦らされ続けるのはあまり好きじゃない。あなたがそれほどまでに私の気を引きたいというのであれば……」
―――心配しなくとも今すぐ存分に可愛がってやる。
兄の静止を振り切って近付いてきたエヴァルドが耳元に囁いてくる。その言葉がこびりついたように離れない。冷たい手が首元に伸ばされ、まるでキスするように顔を寄せられそうになる。
咄嗟に後退ったものの、悍ましさで身が竦んで震えが止まらない。
「エヴァルド殿、はしたない真似はおやめください」
押し殺したような低い兄の声に、縋ろうと震える手をなんとか伸ばす。
その手を力強い手がしっかりと掴んでくれた。
「ヴィヴィエッタになんの用でしょう」
慣れた温もりに引っ張られて包み込まれ、ようやく息を吐き出す。
見上げた先にはセシリオ。彼は強い光を瞳に湛えて、エヴァルドを見据えていた。
「おや、君は……誰だったかな」
エヴァルドは明らかに侮蔑を浮かべて、口端を歪ませた。
「これは失礼。セシリオ・ヴェルデと申します」
「ヴェルデ殿、君がそこに立つには些か先走ってはいないかな?」
「それは……」
セシリオは顔を歪ませた。
「たかが田舎の貧乏貴族の分際で、隣に立てると思っているのか」
「……ええ。今すぐは無理だとしても、必ずやいつかは。私は本気で立つつもりですよ」
「あまり大きなことは言わない方がいい。あとで恥をかくのは君だ」
「お言葉をお返しいたします。ヴィヴィはあなたを望んでいない」
エヴァルドの笑みが消え去った。
「ヴィヴィは私に隣に立ってほしいと望んでくれた。力ですべてを手に入れようとしたあなたじゃない、私だ」
エヴァルドの気が逆立ったのが分かった。アンバーの瞳が冴え冴えと光る。
「……だからといって、それがどうした? 貴族の結婚にお互いの気持ちなど必要か? 要るのは利益と権力、そしてこのどちらも貴様は持ち得ない」
「でもあなたが本当に求めているのは、ヴィヴィの心でしょう」
睨みつけるような視線から隠すように、セシリオは私の前へと出る。
「どうしてそうヴィヴィに執着する? 利益と権力がほしいのならばほかにいくらでもいるだろう。嫌がる彼女に無理強いなんかしなくても、数多の令嬢方が手ぐすね引いて待ってるぞ」
「……」
「あなたがたとえ力ずくでヴィヴィを手に入れたとしても、その心は決して手には入らない。あなたのそのやり方は……」
「小汚い田舎者が、調子にのるなよ?」
唸るような、低い声だった。
「ぽっと出のおまえになにがわかるという。私は今までずっと、片時も目を離さずヴィヴィエッタを見守ってきたんだ。ヴィヴィエッタのすべてをこの目で見守ってきた。それを今まで引き篭もっていたおまえなんかになにが理解できるという!」
「少なくともあなたよりは理解できているだろう」
セシリオは一歩前へと踏み出す。
「あなたは長いときを見守ってきたという。でもどうだ? ヴィヴィの心に寄り添うわけでもなく、自分本位な愛情を押し付けこんなにも怯えさせている」
「小癪な野郎が!」
激昂したエヴァルドの前に、兄が咄嗟に立ち塞がり、首を振る。
「ダリア様、それ以上場を乱されるのであれば出て行ってもらわなければなりませんわ」
「……ヴィヴィエッタ、そんな冷たいことを言わないでくれ。あなたならわかるだろう? ラディアーチェ侯爵令嬢としてとるべき道を」
「ダリア様こそいい加減理解されるべきですわ。私があなたの手をとる日など来ないことを」
「残念だ……」
エヴァルドは軽く首を振った。その瞬間垣間見えた表情に目を見開く。悟られないようにすぐに扇で口元を隠した。
「なぜこうも私の愛をわからない。こんなにもあなたを求めているのは私だけだというのに」
人形のような無表情に戻った彼は、身を翻すとようやく去っていった。その後ろ姿を見送る。
わずかに見えたあの表情。まるで私に恋い焦がれに焦がれたような、あまりに切ない表情。……まさかの見間違い、だよね……。
「彼、あんなにも情熱的な人だったんだねぇ」
ポケッとした兄の呑気な言葉に、一気に脱力した。
「王宮で見かけるときはいつもこう……無気力で、おざなりな感じなんだけどな。ねぇ、そういえばなんでそんなにおまえに執着してるわけ?」
「知りませんわそんなこと。こっちが聞きたいくらいです」
完全に他人事な物言いの兄へ、冷たい目を向ける。
「ところでお兄様、引導を渡すどころかかえって頑なになりましたけど?」
兄は艷やかな黒髪を掻き上げた。そんなみっともない動作でも、ムカつくことに色気が増しただけだった。
「うーん……珍しくアテが外れたな。そもそもあんなにおまえ個人に執着してるとは思わなかった。なんか余計に火がついちゃったね」
それ、一番ダメなパターンじゃない?
「まぁでも、あっちにも火がついたから良かったってことで」
いまだにエヴァルドの去っていった方向を睨みながら、拳を握り締めているセシリオのほうを顎で指す。
「わたくしもう二度とダリア様とはお会いいたしませんわ」
「逃げれば逃げるほど囲い込んでくるんじゃない? 逃げ回ってばかりじゃなくて、上手くあしらえるようになりなよ」
「悪かったですわね、殿方の扱いが下手くそで……」
溜息を吐く。
シャンデリアの照らす、きらびやかな空間。ダンスに合わせて揺れる色とりどりのドレスに、談笑する貴族たち。
取り敢えずエヴァルドとの対決はおあずけということで、気を取り直して社交の場に戻ろうとセシリオに声をかけた。




