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ヒーローなんていない  作者: サク
田舎貴族と本当の私
24/73

握った手

 

 セシリオは黙り込んだままだった。なんとなく声をかけづらくて、ちらちらと彼を盗み見る。

 憂うように長い睫毛を伏せ、ぼんやりと窓の外を見ているセシリオ。

 そんな彼を窺っていた何回目かで、ばちっと思いっきり目が合って、不意打ちに固まった。お互いに無言で見つめ合う、数秒間。

 やっと口を開いたセシリオから出てきた言葉は、思ってもいなかったものだった。


「君はこの件から手を引くんだ」

「……え?」

「ベラドンナはまともじゃない。踏み込むのは危険だ」

「それは……」

「殿下はベラドンナが“神の涙”と関わっている証拠が欲しいんだろう。それなら俺一人でなんとかする」

「一人で、って」

「今ならまだ君は手を引ける。殿下には俺から伝えておくよ」

「ねぇ、待って」


 まるで私の返事を聞きたくないかのように、無機質に喋り続けられ、我慢が出来なくなる。


「ちょっと待ってよ!」


 強い口調で遮って、やっと口を噤んでくれた。


「さっきから一人で全部決めて……だってあの日、私言ったよね? 後悔してないって。そりゃ確かにびっくりしたけど、思ったより大事だったけど、でもそれとこれとは別だって分かるでしょ?」

「少しでも怯む気持ちがあるのなら、無理することはない」

「どうしてそんなに止めさせようとするの? もしかして、やっぱり私とは婚約したくなくなった?」

「なんでそうなる!」


 シルバーグレーの瞳が爛々と燃え上がって、私をきつく見据えた。


「なんのためにわざわざ領地から出てきたと思っている。君との未来を勝ち得るためだろ! 君のそばにいたいからこそというのが分からないのか!」


 くしゃりと顔が歪むのが分かった。じわりと込み上げてくる熱をかろうじて堪える。


「ごめんなさい、言っちゃいけないこと言ったわ。本当にそう思ってるわけじゃないの。謝るから、だから一人で置いていかないで……」


 息を呑む音。燃え上がっていた熱がみるみる萎えていって、瞳が陰っていく。


「俺って……」


 セシリオはぐしゃぐしゃに髪を掻き乱し、項垂れた。


「こっちこそごめん、ヴィヴィエッタ……」


 そのまま顔を覆い、黙り込んでしまう。

 再び重い沈黙に襲われる。

 アルファーノ公爵の過去、ベラドンナへの恐怖、セシリオが受けた衝撃、不安。色んな感情がせめぎ合って、お互い冷静に考えられる状態じゃない。

 でもこんなときだからこそ、二人支え合って乗り越えていかなければ。

 思い切って、彼の隣へと座り直す。ギシリと揺れる座面に、わずかに揺れるセシリオの体。


「……余裕がなくて、みっともない。情けないよ」

「そんなの私だって。それに今さらよ。私たち、お互いのみっともないところをもう知ってる」

「……」


 馬車の走る音が響く。

 頭部に注がれ続ける視線の圧力を感じとってくれたのか、セシリオはそれはそれは大きな溜息をついて、顔を埋めたまま呟いた。


「自分でも格好悪いと思う。あの悪魔の話を聞くだけで、いまだに怖気が止まらないんだ。でも、本当に怖いのはそんなことじゃくて……ただ一人になるのが恐いんだ。父も母も、自分の居場所もあの悪魔に奪われた。でも君が現れて、そばに居てくれて――。なのにまた一人になってしまったらと思うと……奴に奪われてしまうんじゃないかと思うと、どうしようもなく恐ろしくてたまらなくなる」


 呻くような声が、ぐしゃぐしゃに乱れたプラチナブロンドの奥から届く。私よりも大きな体なのに、身を丸めている姿はまるで臆病な少年のよう。


「俺は、君がいなくなることを、なによりも恐れている」


 予想もしていなかった言葉に、虚をつかれた。


「私がいなくなるのが怖いの?」

「ああ、怖い」


 ゆっくりと背を撫でると、強張った体から力が抜けていく。顔を覆っていた手から力が抜け、血の気の失せたセシリオの顔が顕になった。


「ヴィヴィエッタ、多少時間はかかるかもしれないが必ずやり遂げてみせる。だから大人しく待っていてくれないか?」


 縋るように向けられた瞳はゆらゆらと揺れていて、私と同じなんだと思ったら喉につまっていた重い塊がすっと落ちていったようだった。


「ヴィヴィ――」

「嫌」

「なっ……!」

「あなた一人に押し付けて自分は高みの見物してろって? そんなのごめんだわ」

「相手はあの悪魔のような女だ、話を聞いただろう? 奴はまともじゃない。軽く考えないでくれ」

「軽く考えてなんてない。むしろそんな相手だから、なおさらセシリオ一人に押し付けられない」

「ヴィヴィエッタ!」

「待てないの。待つほど時間は残されてないし、二人力を合わせて向かわなきゃ、きっと勝てない。でもそんなことよりも……もっと大事なことが、あって」

「それは……」

「あなたのそばにいたいの。そばにいて、あなたの力になりたい」


 それは純粋な気持ちだった。打算や体裁や貴族としての矜持とか、そんなもの全部関係なしにただただセシリオのそばにいたい。

 ただそれだけだった。

 投げ出された手に、手を伸ばす。今度こそ握ることが出来た、冷たい手。指と指をしっかりと絡ませ、力を込める。

 屋敷までの残りの道中、私たちはただただお互いの手を握り締め合っていた。








 その日の夜。

 寝室の扉を叩く。ノックの後に入室を促す声が聞こえて、そっと扉を開ける。

 ソファには夜着で寛ぐ兄の姿。どうやら寝る前に読書をしていたらしく、グラス片手に読み耽っていたようだった。


「ヴィヴィエッタか、珍しいね。いつもはセシリオにべったりなのに」


 兄はちらりと視線を寄越すと、また読書へと戻っていく。


「べ、べったりなんて! していませんわ」

「……。それで、なんの用?」


 ページをペラリと捲る音がやけに響いた。


「お兄様、……あの」


 なかなか言い出せない私に、兄の方から訊ねられる。


「セシリオのこと?」

「……ええ」

「君が彼を連れて来たときはまさかと思ったけど、本当に本気?」


 コクリと頷くと、兄は書物から目を上げ、呆れたように溜息をついた。


「お前はまたどうして、こう……あの王子の次はよりにもよってアルファーノ公爵子息だなんて」


 嫌な笑みがその顔に浮かぶ。


「本当はエヴァルド殿との縁を無理矢理結んだって良かったんだよ。それを父上はお前がどう動くのか見たいからなんて、言い訳なんかしちゃってさぁ。結局あの人もお前に甘いんだから。それにお前もお前で、あんなエセ潔癖王子に上手くのせられちゃって。その結果こんなことに巻き込まれてるんだから」

「そうかもしれませんけど……でも、最終的にセシリオと婚約すると決めたのは自分自身、ですから」

「あーあ、そうだね。ならやるからには全力で上手くやらなきゃ。お前、出来る?」

「出来ます」

「本当かな……お兄様は不安しかないよ」


 兄は苦笑を漏らす。緩いウェーブを描く髪の束が微かに揺れた。


「それから言ってなかったけど、今度の夜会、エヴァルドも呼ぶからね」

「それは、またどうして」

「このままずるずる逃げ回ったところでなにも状況は変わらないだろ。余計な火種を撒かれる前に、早々にけりをつけといた方がいいと思うけど。丁度いい機会だし、引導を渡してやったら?」

「引導って……ダリア様が簡単に引くとは……」

「まぁそうかもしれないけどさ。建前は大事だよ」

「なっ……」

「たしかに彼は簡単には諦めそうにはないよねぇ」

「どういうこと? なにかご存知ですの?」

「いや、ただの男の勘ってだけ。薄々思ってたくらいで、それにお前は殿下の婚約者だったから。滅多なことは言えないし」

「……お兄様って、やっぱり性格悪い」

「どういたしまして」


 兄はわざとらしく肩を竦めた。


「なんにせよ、セシリオのためにもここらではっきりさせといたら? 彼、結構気にしてるみたいだからさ。焦らすのもいいけど、なんか彼って、我慢しすぎて後で爆発させそうだよ」


 兄の物言いに毒気を抜かれる。それからもうこっちへの興味は失ったかのように、読書に戻った兄。

 その姿に、退出しようと背を向ける。


「ヴィヴィエッタ」


 扉に手をかける直前、呼び止められる。


「お前は本当にどうしようもない奴だけど、それでも僕の可愛い妹であることに違いないんだからね。ちゃーんと上手くやるんだよ。使えるものは今度こそ、きちんと利用し尽くしてやるんだよ?」


 振り返った私を、魅了されそうな美しい色合いの瞳が捉えた。


「それから僕も早く領地に帰りたいんだから、そこんところもよろしくね」


 閉まった扉の前で、思わず苦笑を浮かべる。

 兄だって、充分私に甘い。









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