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ヒーローなんていない  作者: サク
田舎貴族と本当の私
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勉強の成果

 

 セシリオは思いのほかマナーに通じていた。

 彼はヴェルデ領で過ごす時間の中で、余暇を読書などに費やしていたらしい。その読んでいた本というのが、儀礼教本、領地管理教本、ダンス教本……など、貴族にとって必要と言われる知識であり、それを独学で学んでいたのだそうだ。

 あとは公爵家を追い出されたときについてきていたスーパー使用人ジャコモはやはり優秀な人のようで、セシリオが幼いころは領地経営を代理で行ったり、ほかにも様々な事を教えてくれたと言う。

 飲み込みの早さに驚く私に、少し恥ずかしそうにそう教えてくれたセシリオ。社交界に出る気はないと言っていた彼が学んでいた知識。そこに彼の心情を垣間見た気がして、なんともいえない気持ちになる。

 でもそれを寂しいだとか悲しいだとかで表現してしまうと、彼のこれまでを否定してしまうような気がしたから。

 だから私は、今までセシリオが身に付けてきた知識が彼の力になるように、精一杯サポートする。

 精一杯、サポートをする、のだが。


「なに、この隙間」

「……」


 ただいまダンスのレッスン中である。

 アルファーノ公爵家にいたころに習ったステップを朧気に覚えているのと、実際には実母と踊ったのが数回だという。流石にダンスの練習まではしてなかったらしく、ホールドの部分から遠慮が感じられてぎこちない。


「そんなに離れてちゃ踊れないよ」

「頭では分かってるんだが……」


 知識はあっても経験が足りない。そして、あってはならない感情が彼にはあった。


「もしかして、照れてるの?」

「……っ!」


 わずかに頬を染めたセシリオに、私も顔が赤く……はならなかった。


「セシリオ様?」


 突如仮面の笑顔の令嬢モードで喋り出した私に、セシリオの顔が瞬く間に青くなる。


「こんなことを申し上げるのも心苦しいのですが、今度の我がラディアーチェ家主催の夜会では、セシリオ様はこのわたくし、ヴィヴィエッタ・ラディアーチェの婚約者候補として出ていただかなくてはなりません。セシリオ様はその自覚がお有りですの? たかが腹と腹をくっつけ合うのに羞恥などの感情、一欠片も必要ないと思いませんこと?」

「いや、君だって肩が触れ合っただけで恥ずかしがっていただろう……」


 あれはあれ! これはこれだ!

 とにかく、星空の下というロマンチックなシチュエーションで触れ合うのとは訳が違うのだ。これはれっきとした社交(ダンス)、まずは彼に堂々とリードしてもらわなければ、話はなにも進まない。


「そんなこと言うんなら、いっそ今日は一日中ホールドのままで過ごしてみましょうか……ずっと張り付いていたらそのうち恥ずかしいなんて感情、どうでもよくなるでしょ!」


 ぐいと迫るが間一髪で避けられる。


「こら! 逃げちゃダメ!」

「ちょっと……悪かった! ちゃんとする! するから落ち着いて!」


 そう叫びながら逃げるセシリオを追いかける私に、呆れた声がかけられた。


「ダンスのレッスンを見に来たんだけど……なんで僕は恋人同士のイチャつきなんか見せつけられているのかな?」


 呆れた様子を隠しもしない兄の登場に、急に冷静さが戻ってきた。


「お、お兄様……コホン、お見苦しいものをお見せしてしまいました。もどかしさのあまり、つい」

「アルフォンソ殿、私が悪いのです。余計な感情にとらわれて、真剣なヴィヴィエッタを怒らせてしまった」

「……いや、どっちもどっちだけど」


 兄は半目でそう呟くと、その目を私に向ける。


「ヴィヴィエッタ、焦る気持ちも分かるけど、今のはちょっと引くというか、ないというか……」


 途端に恥ずかしくなって、誤魔化すように咳をする。

 一方シュンと落ち込んでしまったセシリオ。そんな彼を見て、兄は意味ありげに微笑んだ。そしておもむろに手を差し出されて反射的にその手をとってしまう。流れでエスコートされながらフロアに出ると引き寄せられ、従僕の演奏する簡単な練習曲が始まった。

 兄とは昔から数え切れないほど練習しているので、息をするように踊れる。仮令足を踏んでキレられても、息が合わずにキレられても、兄しか練習相手がいなかったのだから嫌でも慣れるしかなかった。それにラディアーチェ侯爵令嬢としても〜(以下略)ということで、得意とまでは言わないが、まぁ普通に踊る分には問題ないとは自負している。

 兄はセシリオに見せつけるように嫌にきっちりとしたダンスをすると、最後まできちんと踊り終えた。パチパチパチ……と、手を叩く音がする。ちょっと悔しげな表情を滲ませたセシリオが、拍手していた。


「いい? 今のは基本中の基本だけど、さっきの君はこのレベルさえできてなかった」


 兄はセシリオを真似るかのように、みっともなくへっぴり腰になってみせた。


「見た目もひどいしこれじゃあリードなんて出来やしない」


 兄はツカツカとセシリオに歩み寄ると、挑発するように肩に手を置き口角を上げる。


「うーん……不格好な君じゃあ、さすがに大事な妹の相手は任せられないかなぁ」


 そしてヒラヒラと手を振ると、兄はその表情のまま勝ち誇ったように去っていく。セシリオは俯いて立ち尽くしている。

 またあけすけな物言いをしてからに。兄のフォローをしようとしたところで、俯いたセシリオの口角が上がっているのに気づいた。


「……考え直そう」


 ゆっくりと顔を上げたセシリオは笑っている。満面といっていいほど笑っている。――目だけが、据わっている。


「ヴィヴィエッタの言うことも最もかもしれない。ずっと触れ合っていたら、たしかに羞恥心など麻痺するかもしれないな」

「えっ?」


 ビシッと、セシリオは手を差し出した。……嫌な予感がするのはなぜだろうか。

 まぁとにかくやる気になってくれたのなら、こっちも否やはない。私はこの後ホールドの練習に徹底的に付き合わされることになるとも知らず、呑気にその手をとった。








 ……おかげで筋肉痛にきしむ体を叱咤しながら、今日もセシリオのダンス練習に付き合っていると。


「失礼します、お嬢様。本日もダリア様より花束を頂いております」


 入室してきた従僕が恭しく差し出してきたいやに大きい花束を、辟易した気持ちで眺める。

 ロランディ伯が帰領してしまったため、エヴァルドに対して居留守が使えない。仕方なく私は『ロランディ辺境伯様が帰領なされてからというものの、お嬢様は塞ぎ込みがちで……』と仮病で凌いでいるような状況だ。それでもエヴァルドはこうやって性懲りもなくせっせと花束を持ってくるものだから、彼も大概だ。

 今日も鮮やかな紫色の花束をずいと近付けられて、従僕は笑えていない笑顔でもう聞き飽きた問いをしてきた。


「こちらの花は、どの部屋に飾りましょう?」

「うーん、今日は食堂室で」

「すでに埋まっております」

「じゃあ、お兄様の居室」

「同じく」

「えーと、あとはお父様の書斎?」

「万一ご帰宅された際に不要だと怒られます」

「じゃあ、お前の部屋は?」


 従僕は頬をピクピク引き攣らせながら、それでもなんとか呑み込んで頭だけ下げると、フラフラと下がって行った。

 この花束のせいで、今この屋敷には紫色の呪いがかかっている。どこを見ても紫色の花ばかりで、紫色のゲシュタルト崩壊や! と、思わず叫び出してしまいそうになるくらい紫色だ。

 瞳の色の花を贈るなんて本来なら情熱的で好まれるんだろうが、生憎鮮やかな紫色はあまり好きじゃない。紫色のバラ、紫色のユリ、紫色のカサブランカ、……どれも単体で見ると、見事に咲き誇る美しい花々なんだけどね。

 こうやって毎日毎日飽きもせず同じような紫の花束を持ってくるエヴァルドにいっそ感心する。私のなにが彼をそんなに躍起にさせるのかいまだに理解出来ない。

 ――でも、あの時の屈辱と恐怖は忘れもしない。私を打ちのめしてやりたいのだと、まるで物のように放り投げられた屈辱と恐怖。思い出すだけで体が震えてくる。

 花束を目にしてから黙り込んでしまった私に、セシリオが心配そうに覗き込んできた。


「大丈夫か?」


 これだけ一緒にいるのだから、私が極力エヴァルドにもらった花束を目に入れないようにしていることなんて、彼はもう分かっているだろう。セシリオが時折窺うように私を見ているのは知っている。

 だからいつもセシリオには隠しごとをしたくないと思って、エヴァルドとのことを言おうと思って、口を開いて、息を吸い込んで。

 そして、そこから先が出なくなる。


『念のための確認なんだが、庭園へと降りたのは自らの意志ではなかったのだな?』


 あのとき殿下にそう言われた衝撃。

 もちろんセシリオがそんなことを言う人じゃないなんてことくらい分かっている。でもわかっていても、あのとき殿下にそう言われたことを考えるだけで、胸が締め付けられて息ができなくなる。

 結局言葉が出なかった私に、セシリオの温かい手が触れた。


「ヴィヴィエッタ、練習を再開しようか」


 話題を変えるように明るくそう言った彼に、なんとか笑い返す。

 私に人のことなんか言えない。私の方が全然、自分の弱さを乗り越えられてない。








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