戻ってきた王都
やっと戻ってきた私を出迎えてくれたのは、妖艶な美貌に疲労を滲ませた兄だった。
「おまえ……」
ロランディ伯もストレスが凄そうだったが、兄もなかなかに疲弊している。
「ロランディ伯にせっつかれてなかったら、いつまでもあっちに居座るつもりだったんじゃないの?」
「まさか、そんな……お兄様に全て押し付けて逃げるだなんて、そんなつもりはありませんでしたわ」
兄の鋭い指摘にギクリとする。
もちろん、流石にどこかで踏ん切りはつけようとは思っていましたよ! ただちょっと、現実から目を背けていた時間が長かっただけで!
誤魔化すように笑む私に疑いの眼差しを向けると、兄はその後方に佇む青年に視線を移した。
「……君は」
「お初にお目にかかります、ラディアーチェ様。ヴェルデ子爵セシリオでございます」
きっちりと礼をとった彼を、兄はもの言いたげに眺める。
「……ふぅん」
お兄様? 悪役感漂っているから意味深な表情はやめて。
「ヴェルデ殿、歓迎します。道中疲れたでしょう? どうぞ旅の疲れを癒してください」
含むような笑みを見せられて、セシリオが緊張したようにぎこちない笑みを返す。執事に応接間へと案内され、ソファへと腰掛けたセシリオは少し落ち込んだ様子で呟いた。
「やはり、君に苦労をかける男はそうそう受け入れられないよな……」
「気にしないで。思わせぶりなのはいつものことだから」
問いかけるような視線に肩を竦ませる。
「もともとああいう顔なだけだから。なにも考えてないって保証する、大丈夫よ」
それでも心配そうなセシリオの肩を軽く叩く。
真面目なセシリオとはあまり相性が良くないかもしれないが、慣れてもらうしかない。いくら顔面が整っていてミステリアスに見えようと、兄はみんなの想像しているような人ではないのだから。
応接間に現れた兄にセシリオを任せ、私は自室に戻ると筆をとった。今ごろ含むような言動に翻弄されているかもしれないが、他意はないと思うのでどうか耐えて欲しい。……でも兄のあれは寧ろ確信犯かもしれない。いちいち真正面から受け止める彼で遊んでいるのかも。
出来るだけ急いで殿下への手紙をしたためる。そして呼び鈴を鳴らし従者を呼んだところで、私はもう一人フォローしなければならない人物がいたことに思い当たった。
「お嬢様、ご無事のお戻りなによりでございました」
私の従者、ピオが恐ろしいほどの無表情で立っていた。
この世界での従者というのは、主人のマネージメントのようなものをしていて、夜会や茶会の招待の整理をしたり、贈り物や手紙等の管理をしたりしている。よって主人の予定を一番把握しているのは従者だ。私を探しているエヴァルドの矛先が向かうところと言えば。
「ええ、お陰で無事に用件を済ませることができたわ」
遠回しに労いの言葉をかけると、やっとピオは頭を上げた。
ヴェルデ領への無期限滞在(行き当たりばったりともいう)を決めた際に、ピオと取り決めたことが二つあった。
一つ、不在の際に予想されるエヴァルド・ダリアの追及を躱すこと。
これは「本来の業務より逸脱します」と言われ、泣く泣く追加報酬を約束した。次に会ったときのお父様が恐いよ……。
二つ、ピオの代わりに、侍女のマウラを連れて行くこと。
マウラはピオの妻なので、これはただヴェルデ領での様子を聞きたいからだと思う。私のヴェルデ領での動きというか、交遊関係やらなにやらを把握したいだけだろう。そもそも向こうでは屋敷に閉じこもってニートしてただけだし。
問題なのは。
「正直に申し上げますと、今回の件は私の従者としての業務内容から大きく逸脱する上に、その能力になんら関係のないものでした。加えてこれらに関する件のせいで業務時間が大幅に削られております。今後こういった関係のない業務依頼は出来るだけおやめくださいますよう、重ねて申し上げます」
据わった目でそう言われ、これは追加報酬は高く付きそうだと遠い目になる。
ピオは普段は余計な事は一切言わない寡黙な人で、ここまで慇懃無礼な態度は取らない。なにがあったのかまでは語らなかったが、よほど耐えかねたのか、マウラと離された日数が思いのほか長かったからなのか。
どちらにせよ珍しく憤っているらしい従者に内心慌ててフォローした。
「そうね、でもあなたならきっと上手くやると思っていたわ。だってあなたの優秀さはよく知っているもの」
実際ピオは無口なだけで、実によく働いてくれる優秀な人材だ。合理主義の父らしい人材のセレクトである。
「……それで、御用は」
一応は彼の中で気が済んだのだろうか。手に持っていた殿下への手紙を思い出して、「至急で」と渡す。やはりピオは顔色一つ変えることなく恭しく受け取ると、一礼して立ち去っていった。
ようやく兄の元へと行き、セシリオを救出がてら、現況について聞き出すことにする。
「お前が色々と根回ししていったからね、ラディアーチェ家はそうでもなかったけど。ロランディ伯がなんか可哀想なことになってたね」
王都の婦人の間では今、ロランディ伯とエヴァルド・ダリアが恋仲だという噂が実しやかに囁かれているそうだ。二人が一緒にいるのをよく見かける、ラディアーチェ侯爵令嬢を巻き込んで泥沼に発展した、ロランディ伯はエヴァルドとの仲違いのため領地に帰った、などなど……。
どちらも婦人・令嬢方に人気のある男性のため、嘆く者、興味津々の者、眉を顰める者、反応は様々だ。
ただ、その一方で。
「でもエヴァルド殿も火消しに回っているからね。ヴィヴィエッタとこそが恋仲だと主張し、ダリア公爵にも直談判して、一部の交易権を事前に譲り受けたとも言われている」
それは……かなりまずい。
ダリア公爵領はこの国随一の海港を保有している。条件にもよるが、一部とはいえその使用権が彼に与えられるのなら、父なら目前にチラつかせられればコロッと落ちてしまうかもしれない。
――ここまでやってきて今さらそんな結末、到底受け入れられられるはずもない。
「お兄様、お願いがございますの」
にっこりと満面の笑顔を浮かべた私に、兄は失礼にも嫌な顔をした。
「お前のお願いはえげつないから、出来れば聞きたくないなぁ……」
「可愛い妹のために、どうぞお聞きになってくださいませ」
「……仕方ないね」
兄はなんだかんだいって、父より格段に甘いので聞いてくれるだろう。
横で兄妹のやり取りを暢気に眺めているセシリオにも、ニコリと笑ってみせる。
「もちろん、セシリオ様にもですわ」
「私に出来ることならなんなりと」
こちらは兄と違って、笑顔は硬いが力強く頷いてくれる。……うん、さすがセシリオ、素直でホッとする。
やることは山ほどある。彼を完璧な“ラディアーチェ侯爵令嬢の婚約者”に仕立て上げねばならない。
「明日から忙しくなりますわね」
溜息をつく兄と、やる気に瞳を輝かせるセシリオ。そんなセシリオと目を合わせて、二人頷き合った。




