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ヒーローなんていない  作者: サク
田舎貴族と本当の私
19/73

星空に願う

 

 セシリオがその気になったのなら、もはや動かなければならない。私はひとまず早馬で手紙を頼んだ。セシリオが領地について一通り片をつけるのを待ってから、準備が出来次第彼と王都へと向かうつもりだ。

 やっと婚約を取り付けたところで、まだまだ問題は山積みだ。彼から申し出てくれたことは純粋に嬉しかったけど、だからといって脳天気に喜んでばかりもいられない。

 ヴェルデ邸の使用人たちはセシリオの決断に喜び半分、戸惑い半分といったところだ。始めに私を迎えてくれた、執事兼、家令兼……そのほかにも諸々兼ねているスーパーなんでも使用人のジャコモは、それでも嬉しそうに笑っていた。――子供のころにヴェルデ邸に押し込まれたセシリオを支えてきた彼には、主従関係を超えた情が確かにあったのだ。

 残りわずかなヴェルデ領での日々を噛みしめるように過ごすセシリオに、ほんの少し申し訳なさのような心苦しさを感じた。








 ヴェルデ邸に滞在する最後の日。

 セシリオは朝から最終確認をしたり、使用人に再度指示を出したり、挨拶に回ったりと忙しくしていた。今日ばかりは大人しくしといたがよさそうだと一人庭へと退散する。

 来たときよりも若干すっきりした庭。掘り起こされた一角にはクロッカスの球根が植えられ、小さな芽を出している。

 バタバタする邸内から切り離されたような、静かな空間。


「おまえはどんな花を咲かすの?」


 ちょんと芽の先をつついてみる。

 ふいにあのときのセシリオの言葉が頭を過った。


『またそのころに見に来るといい』

「見に来れるかなぁ……」


 しゃがみ込んだ膝に顔を埋める。

 正直、これからのことを考えると怖い。私一人なわけじゃないし、上手くやるつもりではあるけど、それでももし失敗したらと考えずにはいられない。

 それに……セシリオとは婚約するといっても、現段階では口約束だ。一度乗りかかった彼が途中で降りるとなれば、文字通り私は貴族生命が終わることになるだろう。

 彼は己のトラウマに打ち勝てた?

 そのトラウマを上回るほど、私といたいと思ってくれた?

 なにも確かなことは言えないし、分からない。だって、殿下は書類上の契約(婚約)だって簡単に解消してみせたじゃないか。って……ダメだ、こんな弱気じゃいけない。

 この先の自分の為に最善を尽くす。ただそれだけ。それだけを考えるべきだ、ヴィヴィエッタ・ラディアーチェ。








 ほんのちょっと豪華な晩餐を食べて、いつもより饒舌なセシリオの話を聞いて。珍しく思い出話を披露する彼に、本当に今さらだけど、私のために大きな決断をさせたのだと実感する。

 取り留めもなく話を続ける彼は、未だにここから飛び出す恐怖と戦っているのだろうか。

 晩餐も終わればまた明日と挨拶を交わし合い、それから客間に戻って一旦はベットに入ってはみるものの、頭の中はどこか醒めきっていて眠りは一向に訪れなかった。

 夜も更けてきたころだったと思う。

 躊躇うように扉をノックする音が間を置いて二回聞こえて、私はガウンを羽織りながら恐る恐る扉を開けた。


「……やっぱりまだ起きてたか」


 扉の外にはセシリオが立っていた。


「こんな夜更けになんの用?」


 私の硬い声に気付いたのか、彼は安心させるように一歩下がった。


「君の様子がおかしかったから。もしかして眠れないんじゃないかと思って」


 ホットミルクを飲まないか? そう蝋燭を持っているほうと反対の手を差し出される。

 こんな夜中に男の人に着いていくなんて……って今さらか。それに、眠れないのも事実だ。

 差し出された手に、こわごわと手を重ねる。軽く握り締め返されて、セシリオはゆっくりと歩き出した。








 いつもの食堂室ではない、厨房の方へと連れて行かれて、古びた木のテーブルへと座るよう促される。

 驚いたことにセシリオ自らが手際良く厨房の火を起こし、ミルクを鍋で温め始めた。沸騰寸前のミルクを鍋から降ろすとコップに移し、はちみつ酒を垂らして差し出される。

 ――私のために、セシリオが用意してくれた。

 そう考えるだけで胸の奥がじんわりと温まってきて、ほぐれてくる。


「おいしい」


 なんでもないホットミルクは、今まで味わったことのない優しい味がする。そんな私を暫く見守っていたセシリオが、ふと思い立ったように声を上げた。


「そういえば一つだけ、ヴェルデ領(ここ)にも誇れる景色がある」


 目を瞬かせた私に、セシリオは珍しい顔をした。


「今から行ってみるか?」


 彼は悪戯っ子みたいに目を輝かせて、ニヤリと笑った。








 彼に連れられて夜の屋敷を歩いていく。なんだか秘密の冒険みたいで、少し心が浮ついている。

 物音を立てないように二人ひっそりと進んだ先は、誰も使っていない屋根裏部屋。


「散らかっているから、足元に気を付けて」


 セシリオは窓へと近付いていく。


「本当は屋根へ出た方が良く見えるんだが、その格好じゃ危ないから」


 極力音を立てないよう細心の注意を払って窓を開け放つと、セシリオは得意気な顔で気障ったらしくお辞儀した。


「さぁ、御覧あれ」


 それは夜空一面に輝く星々だった。遙か悠久から夜空を彩ってきたであろう数多の星が、静かに瞬いている。何ものにも遮られることのない空が地平の向こうに消えるまで、その姿を飾るように星々が散りばめられている。

 なにも言葉が出てこない。だってこんな夜空、今まで見たこともない。人間の創造したものを遥かに超える、圧倒的な自然。

一心不乱に空を見上げる私の横で、セシリオは窓枠に腕をおくと、不意に訊いてきた。


「君も怖いのか?」

「急になに? 怖いって……」


 思わず見上げたセシリオの顔は、思っていたような表情ではなかった。真っ直ぐに向けられたただただ透明な瞳に、薄っぺらな虚勢は張れなくなる。


「……うん、そうね。ちょっとだけ怖い」

「ちょっとだけ?」

「正直に言うと私、あなたがもし恐怖に負けてしまったらと考えてしまったの。あなたがこの先耐え切れなくなって、私から離れてしまったら、って」

「それは最もな心配だ」


 セシリオは小さく笑った。


「たしかに俺は、ここから踏み出すことがすごく怖い。俺はほとんどここから出なかったし、煩わしい付き合いもしてこなかった。そんな俺が今さら王都に行ったところで、果たして役に立てるんだろうか」


 視線を外される。頭一つ分高い彼は夜風に髪を揺らしながら、遠くを見やった。


「後悔してるか?」

「……」


 私は、ここに来なければよかったと、思っているのだろうか。セシリオに出会わなければよかったと、そう思っているのだろうか。


「ううん、後悔なんてしてない。だって私が望んでここにきて、そしてあなたと婚約するって決めたから。ならそれを叶えるのにそんな感情、持つわけない」

「なんだ、同じじゃないか」

「同じ、って」

「俺だって怖いし不安だし、君に愛想尽かされたらって思うと気が気でない。だけど、ヴィヴィエッタと婚約するってことはほかでもない自分が決めた。それなら一度決めたことは最後まで貫き通すだけだ、そうだろ?」


 一体どれだけこの言葉を渇望していただろう。

 先のことは分からない。人の心も言葉も、常に移ろいゆくものだ。

 そんなの痛いほど分かっている。それでも私は、ずっとこの言葉が欲しかったのだ。


「……すごい殺し文句」


 星空を見上げる私の肩に温かいものが触れる。セシリオの体が寄せられて、触れた肩と肩から体温が溶け合っていく。

 密やかな息遣い、かすかなセシリオの匂い。


「俺たちは怖がりで、疑り深くて、どうしようもないけど。でも俺はそんな君とだからこそ、きっと上手くいくと思ってるよ」


 心を許しきったような、柔らかい声。


「もちろん。あなたがいれば、上手くいくに決まってる」


 ただ夜空を見上げ続ける。

 全てが片付いたときは、今度こそ素直になりたい。

 こんなどうしようない私でもついてくると決意してくれたあなたに、照れ隠しではなく感謝の気持ちを――。








 翌日、寝不足で少し顔色の悪い私をセシリオは苦笑いで迎えた。


「夜更かしが過ぎたみたいだな」


 悪戯っぽく煌めくシルバーの瞳に、昨夜のことを思い出して思わず頬が熱くなる。そんな私の顔を見てセシリオは瞳を緩ませると、ポンポンと頭を撫でてきた。

 今までだって蔑ろに扱われたことなどないが、婚約すると決意してからのセシリオはどこか吹っ切れたのか、いつになく甘やかしてくる気がする。

 いかん、私としたことが振り回されている。両手を頬に当てて気持ちを落ち着かせると、気を取り直して玄関先に並んでいる使用人たちの元へと向かった。


「皆様」


 私の澄ました声に、談笑していた使用人たちが振り向いてくる。


「ご当主、セシリオ・ヴェルデ様はラディアーチェ侯爵家がお守り致します。このヴィヴィエッタ・ラディアーチェの名にかけて、必ずや」


 ゆっくりと、指先一つにまで意識を通して、お手本のようなカーテシーを披露する。

 優雅さも繊細さも足りないかもしれないけど、全身全霊の力を込めたカーテシー。使用人風情に頭を下げるなどトチ狂った行為だなんて言われかねないけど、ここは王都じゃないし、ほかに見ている者もいない。それに、私を信じて決断してくれたセシリオたちに、一つのケジメを見せたかった。

 呆気にとられているだろう使用人たちを想像しながら、体を起こす。

 ――私の方が呆気にとられてしまった。

 綺麗に並んだ使用人たちが、一斉に頭を下げていたのだ。


「セシリオ様のことを、どうか……どうか、よろしくお願い致します」


 かっちりと頭を下げたまま、ジャコモが振り絞るように言う。その様子を言葉もなく見ていたセシリオに任せ、私は一足先に馬車へと乗り込んだ。








 馬車に乗り込んだあとも、セシリオは暫く遠ざかる領地を眺めていた。

 ――さて、ここからは色ボケした頭を切り替えていかなければならない。王都に着けば一気に慌ただしくなるだろう。

 でもその前に、無言で窓の外を見つめるセシリオをそっと見遣って、私は足りない睡眠を補うために瞼を閉じることにした。









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