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ヒーローなんていない  作者: サク
田舎貴族と本当の私
17/73

セシリオの心

 

 ということで、ピクニック当日。

 乗馬できるか確認されたので、乗れるとは答えたけれども。


「馬ってこれ……」


 目の前にいる馬は、ずんぐりむっくりというか、とにかくデカい。馬というものはスラッとしていて毛並みが艷やかで、美しいと評するものと思っていたが、これは……。


「すまない、ウチは貧乏だから農耕馬と兼ねているんだ」


 むしろ、そんな大事な馬をお貴族様のお遊びのために借りてきてよかったんですかね?

 セシリオは私の心配を他所に鞍や鐙を調整している。


「一人で乗れるか?」


 セシリオに手綱を持って押さえてもらい、鐙に足を引っ掛けてなんとか乗り上がる。幸いにも気性の穏やかな子のようで、落ち着いている様子に内心ホッとした。

 再度私の鐙を調整すると、セシリオも慣れた様子で自分の馬に乗り上がった。


「それじゃあ、行くか」


 まずはゆっくりと走らせ始めたセシリオに続く。

 苦手な乗馬も嫌がらずにレッスンに通い続けていて良かった。これも例のアーダルベルト殿下の〜(以下略)ってやつで一通り嗜んでいたけど、まさかこんなところで役に立つとは思わなかった。

 段々と駆け足になっていくセシリオを追う。

 広々とした丘陵を駆け抜けて行くのは気持ちが良い。馬に乗るのは久しぶりだけど、こんなに楽しいって思ったこと、なかった気がする。








 連なる丘陵の先、一際小高い丘の上に木陰を見つけ、そこでセシリオは馬を止めた。どうやらここで昼食にするらしく、彼は降りると馬を牽いて木に繋ぐ。

 遠くには小麦畑が広がっていて、風に揺られて麦穂が煌めくように色を変えている。


「ここは丘ばかりで、代わり映えのしない景色だが」


 言いわけのようにぽつりと彼はこぼす。

 私は胸いっぱいに澄んだ空気を吸い込んだ。真っ青な空は高く、さざめく麦穂の黄金が眩しい。あまりにも鮮やかな色の対比に、暫くの間目が離せなかった。

 ぼーっと眺めている私を尻目に、括り付けた荷を解いたセシリオは、さっと分厚い布を地面に敷き、籠と水筒を取り出した。


「おいで」


 敷布の上からセシリオが手を差し伸べてきたが、そう言ったあとに少し表情を曇らせた。


「……地面に座らせるのは、ラディアーチェ侯爵令嬢には無礼な振る舞いだったかな」

「そんなこと、今さらだわ」


 引っ込められそうになった手を掴み、遠慮なく座り込む。


「ここに来てからやってることなんて、どれもご令嬢方が見たら失神ものだもの。それに今日だってもうこんな格好で乗馬しちゃってるし、そもそも婚約者ではない男性と二人きりの時点で、王都じゃ大騒ぎよ」


 もっとも、そこはバレないように上手くやっている貴族は多いのだろう。

 ワンピースを摘んで肩を竦める。

 ペールブルーの足元までのワンピースは、実はお気に入りの一着だ。襟元と裾に繊細なレースが施され、ウエストにはクリーム色の帯を閉め、後ろをリボンで締めている。たっぷりとひだがあり、ふんわりとした女の子らしいシルエットが悪役感を消してくれる気がして好きだった。

 乗馬に適さないだろうことは分かってたけど、自分のイメージにそぐわないかもしれないけど、でもどうしても今日、これを着てお出かけしたかった。


「そういえば、あの堅苦しい言葉遣いもしなくなったな」


 言われて初めて気付く。


「本当だ。いつの間に」

「今となってはあの喋り方は違和感しかない。今の君の方が自然だ」


 そう言ってセシリオは目を細めて笑いかけてきた。


「それを言うならセシリオだって。澄ました言葉遣いじゃなくなってる」


 いつからだろう。私が令嬢の仮面を被らなくなったのは。セシリオが私に笑顔を見せてくれるようになったのは。

 お互いを名で呼ぶようになって、一緒にいるのが苦じゃなくなって。

 私はセシリオと婚約するためにここに来たはずなのに、いつの間にかそんなこと関係なしに彼と一緒に過ごしている。


「……お腹が空いたわ」


 こんな日が長くは続かないことは分かっていたはずだ。

 それなのに。


「ほら。君の好きなトマトたっぷりのパニーニだ」


 こんな日がずっと続けばいいだなんて、本気で思っているなんて。








 お気に入りのパニーニをお腹いっぱい食べたあとは、敷布からはみ出すのも構わずに、二人揃ってゴロリと横になる。

 澄み渡った空には、時折雲がよぎっては去っていく。


「君は随分と太い神経の持ち主なんだな」


 今日の彼は大分寛いでいるのか、声にはからかうような調子が混じっていて、珍しく冗談を言ってきた。


「こんなに喰らいついてくる女性は初めて会ったよ」


 クスクス笑ってますが、セシリオさんよ。あなたそんなんじゃ王都に行ったらすぐに肉食令嬢の餌食になるぞ。


「本当はそうでもないからね。来たばかりのときはあなたに拒絶されたのがショックで、顔を合わせるのも気が重かったし」


 セシリオは私の不貞腐れたような物言いにくつくつと小さな笑いを零したあと、ふと真剣な顔になった。


「ならなぜ君は、ずっとここにいる?」


 なぜ……。

 それはもちろん、アーダルベルト殿下との取引で、セシリオとの婚約が必要だったから。

 それが理由だったはず、なんだけど。


「……なんだかんだで、あなたに興味が出てきたのかもしれない」

「……興味」

「そう、純粋な興味。あなたは社交界なんてお構いなしにここで一人悠々と過ごしている。私にはあなたがなにかを貫くように、ここにいるように見えたから」


 彼は自嘲したように笑う。空に向けられていたシルバーの瞳が翳り、無機質な色を孕んだ。


「期待を裏切るようで申しわけないが、俺にはそんな高尚な理由はないよ。俺はただ、色々なものから目を背けて逃げているだけだ。一人でいれば俺を傷つけるものなんかなにもない、なにを気にすることもなく穏やかに生きていける。そう言い聞かせて、誰かに心を許して傷つけられるのが怖くて、ここでずっと閉じこもっているだけの情けない男だ」


 セシリオは目を閉じた。

 けぶるような睫毛が日を反射して煌めき、頬に影を落とす。


「アルファーノ公爵夫人のことは知っているか?」


 セシリオは、公爵の前妻の子だ。彼が六歳のときに母親が亡くなり、それからすぐにアルファーノ公爵は後妻を娶った。


「あれは悪魔のような女だ……今でもあのころのことを考えるだけで、手が震えて息が出来なくなる。継承権を放棄して、ヴェルデ領(ここ)に引っ込んで、それでも息を殺してひっそり生きていくのがやっとなんだ。俺は一人ここに逃げ込んで、全てを放り出した臆病者にすぎない」


 彼は片手で顔を覆い隠す。


「……幻滅しただろ」

「んー? まぁ、ちょっと……」

「君は本当に容赦がない」


 セシリオは力なく笑った。


「でもそう言う割に、君は俺を軽蔑してない」


 軽蔑なんてしない。するわけがない。彼には彼の事情があるのだろう。

 むしろ、彼なんかよりも。


「それをいうのなら、私の方が軽蔑されるような人間だわ」


 問いかけるような視線に、苦笑する。


「私、ニコレッティ嬢に嫌がらせをしていたから」

「ニコレッティ嬢?」

「アーダルベルト殿下の、新しい婚約者」


 それで分かったのか、セシリオは憂わしげな顔になる。


「私、彼女を狂ったように目の敵にしていたの。妬ましくて羨ましくて、とにかく彼女が気に入らなかった。それで酷いこともたくさん言ったし、殿下に近付けないように邪魔したこともある。もう終わってしまったことだけど、それでも未だに彼女のことを考えると嫌な気持ちになって、許せなくなる。……私、こういう人間なの。セシリオの嫌いなタイプの女ね、きっと。引いたでしょう?」

「ん、まぁ、ちょっとね」


 私の真似をしたセシリオに笑いが漏れる。


「……セシリオは私のこと、本気で追い出そうとはしなかったよね」

「そうだな。本当は、心から帰ってほしいとは思っていなかったのかもしれない」


 初めてセシリオの気持ちを聞いた気がして、不覚にも動揺する。


「高慢ちきな侯爵令嬢は、こんな田舎なんかすぐに音を上げるだろうと思っていた」


 彼は寝返りを打つように私の方を向く。はらりと横顔に絹糸のような髪が落ちてきて、その表情はよく伺えない。

 だけど光の加減か……見間違いか。隙間から覗いたセシリオの瞳には、見たことのない色が揺らめいている。


「でも君は去らなかった。ここでの生活を楽しんでくれた。そんな君を見て、俺は……」


 セシリオがゆっくりと手を伸ばしてくる。握り締めた拳を、彼の大きな手が包み込む。あの人とは違う、ごつごつした固い手の感触。

 言葉が途切れた、静かな時間。

 少しでも動いてしまったらこの温もりが離れてしまいそうで、私は誤魔化すようにそっと目を閉じた。








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