仲を深めたいのに
翌日、セシリオは早速私とのお茶の時間をとってくれた。
少なくとも話は聞いてくれるってことかと喜んだのも束の間、どこか硬い様子のセシリオ。早々に用件を終わらせるつもりなのが伝わってきて、ちょっと切なくなる。
彼は昨日と同じくあまり目を合わせることもなく、率直に本題をぶつけてきた。
「ラディアーチェ嬢、私は正直、あなたが会いに来られるとは思ってもいませんでした」
「……どうしてですの?」
セシリオは視線を上げた。
彼は微笑みもせず、こちらの様子を伺っている。その瞳が如実に警戒しているのだと、それを隠しもしない彼に苦笑を浮かべそうになる。
「それはあなたがよくご存知でしょう」
もちろん、嫌というほどに分かっていますとも。
「私と結婚することで、なにかラディアーチェ家の利になるようなことがありますか?」
笑みを崩さない私が不快なのか、目の前の男は警戒心をますます強めたようで、眉間に皺が寄る。
「確かに、今のあなたにはなにもありませんわね」
「ならば……」
なおも言い募ろうとする男を遮って、私は笑顔を消し去った。
「でも、これからのあなたにはとんでもない価値が付くわ」
一瞬ポカンと口を開けたセシリオは、しかし私の言わんとしていることに気付いたのか、段々と顔を強張らせた。
「……お引き取りください。この話はなかったことに」
「あら、拒否権があるとでも?」
「殿下からは会うだけでも、と言われております」
……アーダルベルト殿下! 出来ればお膳立てはきちんとしといて欲しかったな!
「現状をほうっておくと仰るのね?」
脅しにもとれる言葉に、しかしセシリオは頭を横に振る。
「私は今のこの平穏な暮らしを気に入っております。それに私は幼いころにアルファーノ公爵家に関する全ての継承権を放棄しました。今さらその権利を主張するつもりはありませんし、それに見合うような能力も身に付けておりません。申しわけありませんが、他の方を当たっていただきたい」
取り付く島もない。あの希薄な雰囲気が嘘のように頑なだ。
――この私が。ラディアーチェ侯爵令嬢ヴィヴィエッタが! 助けを申し出ているのに! って、ちょっとムッとしてしまった。
「あなただけの力じゃなくってよ。このわたくしが協力すると言っているの。アーダルベルト殿下もそれを望んでいるわ」
その苛立ちが伝わってしまったのだろうか。
「……やめてくれ」
突然、セシリオが唸った。
決して大声を出したわけじゃない。でも急に雰囲気の変わった刺々しい彼に、思わず身が竦んでしまう。
令嬢になって十七年、こんなにあからさまに尖った敵意をむき出しにされたのは初めてだったものだから。
……やばい、ちょっと泣きそう。
うっとこみ上げてきた私に気付いたのか、セシリオは慌てて頭を下げた。
「す、すみません、無躾な真似を……怖がらせるつもりはありませんでした。ですが、もう巻き込まれたくないのです……お願いです、私のことは放っておいてください。早々にお引き取りを」
それきりセシリオは俯いたまま、黙ってしまう。――よく分かんないけど、トラウマかなにか抉ってしまったのだろうか。
ああ、穏便にと思ってたはずなのに……やってしまった……。
その日の夕食はあまりにも辛気臭くてげんなりした。
向こうも一切目を合わせようとしないし。てか気まずいなら理由つけて食事の時間くらいずらしたら! ……なんて、八つ当たりにも近い苛々を募らせてしまう。
ということで、昨日の今日で流石にセシリオへ特攻する気にはならず、となると時間は沢山余っているわけだ。
それをいいことに荒れた庭に勝手にテーブルを出してお茶をしていた私のところへ、セシリオは未だ気まずそうにやってきた。
「ラディアーチェ嬢、昨日はとんだご無礼を……」
「あぁ、いえ……」
なんか、お互い様って感じで意地を張ってたのに、そうも簡単に向こうから謝罪しに来てくれたことに拍子抜けして、上手く返事が返せなかった。
「……あの、座りません?」
謝罪後もセシリオがきまりが悪そうに突っ立っているものだから、つい声をかけてしまった。
「昨日は私も悪かったわ。ちょっと強引だったと反省してる」
見上げると、彼は呆然とこっちを見ている。その間抜けな立ち姿に毒気を抜かれて、いつの間にか彼に辟易していた気持ちは消えていた。
「今日はその、迫ったりしない。あの、良かったら、なんでそんなにも頑ななのか、聞きたいかなぁー、なんて……」
「……」
「ダメ?」
「ダメというか……」
「じゃあ、いい?」
「いや、すまないが、人に聞かせるような話でもありませんので」
すげなく拒否された。そりゃそうですよねー……。
後ろめたさから話してくれないかなぁなんて、少し期待したんだけど。
「じゃあ、その話はしない。今日は」
「今日は?」
「うん……とりあえず、今日は」
セシリオは溜息をつくと、肩の力が抜けたようでやっとテーブルへと着いてくれた。
「こんなところでお茶をしても味気ないのではないですか?」
視線を庭へやる。
木々の剪定は下手くそで、おそらく素人がしたのだろう。雑草がまばらに残り、花がぽつりぽつりとしか咲いていない殺風景な庭。
「いいえ。私、庭でお茶するの好きですから」
「こんな庭でも?」
近付いてくる侍女を制し、自らセシリオのカップへとお茶を注ぐ。
「ええ。こんな庭でも」
セシリオは訝しげな顔をする。
「不格好な庭でしょう」
「そりゃあ、王都の数ある邸宅に比べたら……」
比べるのも烏滸がましい、けど。
「でも、なんというか。肩肘張らなくていいからかな。ここにいるのはすごい楽」
隙無く纏められた髪型、締付けの強くて重いドレス。足を痛めるハイヒールに、表情を隠す為の扇子。
ここにはそんなもの必要ない。
長い髪はそのままに飾り気のないワンピースを纏って、子供のお遊びのような庭に出れば、色々考え込んでた現状が遠退いていく。
セシリオがヴェルデ領から出たくないと言い張るのも分かる気がした。
「……私、本当は令嬢らしくするの苦手なの。言葉遣いもマナーもなかなか覚えられなかったし。礼一つとるのでさえ何回も何回も繰り返し練習させられて。おかげで型通りには出来るけど、優雅とはほど遠くて」
自分でもよく分からない。
ただ気づけば誰にも言ったことのない自分のことを喋っていて、それでセシリオはチラリと視線を寄こしたけど、そのままなにも言わずに聞いてくれていた。
「華やかな夜会も、茶会も苦手。でもずっと頑張ってきたのは、アーダルベルト殿下のためだったから」
私は『アーダルベルト殿下の婚約者』に相応しい令嬢になりたかった。マナー、教養、嗜み、覚えることは尽きなかったけど、彼の隣に並び立つには必要なことだと思えば頑張れた。
でも、平凡な令嬢だった私は、どんなに頑張っても人並み以上にはなれなくて。
立ち振る舞いから可憐で、惹き付けるような魅力を持った彼女のようにはなれなかった。
「頑張らなくても認めてもらえるっていうのは、きっと羨ましいことだわ」
「それは……」
労しげに私を見るセシリオの瞳は、思いのほか優しい。神秘的なシルバーの瞳は、こんな貴族として落ちこぼれな自分を曝け出しても、馬鹿にするような色を浮かべなかった。
「……なにを言ってるんでしょうね、私。少し気が緩みすぎたみたい。あなたにこんな話をするなんて」
ちょっと恥ずかしくて、自然とはにかんだように笑っていた。忘れ去られたような屋敷で誰も王都の自分を知らないから、油断していたのかもしれない。
セシリオは穏やかな瞳のまま、微笑んだ。
「あなたの令嬢としての気高さは、そんな日々の努力の上で成り立っているんですね」
寂しそうな笑顔だった。
そんな顔をさせるつもりはなかったのに……私はまたなにか、失敗したみたいだ。