ー幕間ー ある令嬢たちの茶会
レンティス伯爵家自慢の庭園にて、交流のある令嬢数人を集めた茶会が開かれていた。咲き誇る華やかな花々に囲まれて、隅々まで手入れの行き届いた見事な庭園には令嬢たちの楽しげな歓談の声が聞こえてくる。
サネラ子爵家の令嬢クラリーチェも隣の席の令嬢と和やかに会話をしながら、薫り高い紅茶を楽しんでいた。
麗らかな陽気に恵まれて、一見穏やかに見える光景。
だかクラリーチェはにこやかに微笑みながらも、ただ一人の到着を待っていた。
(――来たわ)
先導する従僕の後ろから姿を現したのは、長い黒髪をたおやかに結い上げた、ヴィヴィエッタ・ラディアーチェ侯爵令嬢。すかさずレンティス家令嬢アリアンナが立ち上がり、周りにいた令嬢たちも振り向いては挨拶を交わす。
「ヴィヴィエッタ様、来てくださって嬉しいわ。お身体はもう大丈夫なの?」
それにヴィヴィエッタはお手本のような笑みを浮かべる。
「こちらこそお招き頂いて光栄ですわ。まだ本調子ではないのだけれど、今日は大分気分もいいの」
そう答えると、アリアンナの隣へと着席する。それはまるでマナーの教本通りのような動作だった。
そのヴィヴィエッタがカップに口をつけると、お茶会の雰囲気が僅かに変わる。和やかに会話を続けてはいるが、誰が例の話を切り出すのか、皆お互いを窺いあっているのが分かる。
ほかでもないクラリーチェもその一人だった。
彼女が今日ここに来たのは、この度のアーダルベルト殿下の突然の婚約解消騒ぎと、それに伴うラディアーチェ侯爵令嬢の身辺に起きた騒動の真相に少しでも近付くためだ。アーダルベルト殿下が婚約解消後、例の男爵令嬢を婚約者にしようと動いているのは公然の秘密だ。
だが、ラディアーチェ侯爵令嬢はどうなるのか。肝心の侯爵家はずっと沈黙を貫いている。この嵐の前の静けさのような沈黙の真意に、なにか思惑があるのではと勘繰ってしまうのは貴族の性なのかもしれない。
無論、中には純粋にレンティス伯爵家自慢の庭園を堪能しに来ただけの令嬢や、ただ噂話をしたいだけの令嬢もいるだろう。だがクラリーチェは談笑しながらも、ラディアーチェ侯爵令嬢の一挙一動に注視する。
彼女もこの雰囲気を悟っているだろうに、何食わぬ顔でカップを傾け周りの話に聞き入っている。
やはり最初の一投はホスト側であるアリアンナが投じなければならないのか、レンティス伯爵令嬢はその可憐な口を開いた。
「そういえば、皆様ご存知? アーダルベルト殿下がニコレッティ様とご婚約なさるつもりだそうよ」
えぇだのまぁだの令嬢の口から様々な言葉が飛び交う。
肝心のヴィヴィエッタは音を立てずにカップを受け皿に戻すと、ゆっくりと微笑んだ。
「もちろん、存じてますわ」
別段変わった様子は見られない。
微笑み一つ変わらない様子に、幾人かがほうと溜息をついた。
「モニカ様にはこれからも末永く殿下を支えていただきたいですわね」
「そう、ですわね……でもヴィヴィエッタ様はどうなりますの? 幼少のころからあんなに殿下に尽くしてこられましたのに」
どこかアリアンナらしくない感情的な声に、ヴィヴィエッタも僅かに笑みを曇らせる。
「わたくしは……」
ヴィヴィエッタは言葉を切ると、物憂げに息を吐いた。その言葉の先を聞こうと、皆息を詰めて待っている。
その場が茶会らしからぬ緊張感に包まれたとき、幾分硬い声が割り入ってきた。
「ラディアーチェ様、もしかして新しい婚約者というのはエヴァルド様ではありませんか?」
ぎこちない笑顔で彼女を真っ直ぐに見つめているのは、ベルナル伯爵令嬢カメーリア。
彼女は以前よりダリア公爵子息エヴァルドとの婚姻を熱烈に望んでいたが、話が纏まらず未だその希望は叶わないまま。エヴァルドに関する話になると過剰に反応してくる令嬢だった。
ヴィヴィエッタは彼女の言葉にピクリと片眉を動かした。いつも仮面のように貼り付けた笑顔を崩さない彼女には珍しいことだ。
……もしや本当なのか? クラリーチェはそう早合点しそうになったが。
「……どうしてダリア様の名が出てくるのかしら?」
感情のない淡い菫色の瞳がヒタリとカメーリアに定められる。しかしカメーリアも負けじとその瞳を見返した。
「夜会のときにわたくし見ましたの。ラディアーチェ様がエヴァルド様と共にバルコニーへと出られるところを。もしやその時にお話があったのでは、と……」
カメーリアの追求に、クラリーチェは思わず息を呑んだ。
「確かに、エヴァルド様はヴィヴィエッタ様との婚約に向けて動いていると、わたくしもお聞きしましたわ」
別の令嬢も声を上げると、ヴィヴィエッタは笑みを引っ込め困ったように溜息を一つ吐く。
「あなたのために黙っておきたかったのだけれど……」
カメーリアは不愉快そうに眉を顰めた。その様子を気にすることもなく、ヴィヴィエッタは声を顰めるように語り出す。
「わたくし、殿下より新たな婚約者候補としてロランディ様を薦めていただいたのよ。それで夜会の日にロランディ様にご挨拶しようとしましたの」
クラリーチェもそこは把握している。
確かにロランディ辺境伯は魅力的な美丈夫だが、元婚約者を辺境に飛ばすのかと複雑な心境になったものだ。
「それでわたくしがロランディ様に声をかけてすぐ、ダリア様が遮るようにお声をかけてこられましたの。私を見るそのお顔は強張っていらっしゃって、少し強いお力でバルコニーまで連れて行かれたわ。そこで……ロランディ様から手を引くように言われましたの」
ヴィヴィエッタは儚げに睫毛を伏せた。
「理由を尋ねても、ダリア様は答えてくれませんでした。でも焦がれるような視線をホールへと向けられたときに、わたくしピンときましたのよ。……もしかしたらダリア様は、ロランディ様をお慕いしているのではないかと」
麗らかな庭園に令嬢たちの悲鳴が沸き起こる。
予想もしなかった展開に、気づけばクラリーチェも黄色い悲鳴を上げていた。
「そ、そんな……」
カメーリア一人だけが青褪めた顔をしている。
「そう言えば、わたくしつい先日王城のサロンでお二方をお見かけしましたわ。そのときはなにやら言い争っているご様子で、ヴィヴィエッタ様のお名前がチラリと聞こえたので、わたくしはてっきりヴィヴィエッタ様を巡る言い争いかと」
別の令嬢が活き活きとそう申告すると。
「いいえ」
ヴィヴィエッタは物憂げな表情で首をふる。
「きっとそれは、わたくしとの婚約話に嫉妬したダリア様が詰め寄っていたのでしょう……」
「まさか……」
「いいえ、でも……」
にわかに活気づき、あることないこと好き勝手に喋り始める令嬢たち。
ヴィヴィエッタの笑みが、深くなる。
「……いけませんわ。わたくし少し喋りすぎたみたい。皆様、このお話はどうかお胸にそっとしまっておいてくださいね?」
神妙に頷きながらも、帰ったら直ぐに母へと報告せねばとクラリーチェは決意した。