しつこいダリア
翌朝、やはり父は王宮から帰ってきていて、早速書斎へと呼び出された。
――どうでもいいことだけど、婚約解消されてからというものの、父が事あるごとにとんぼ返りしてくるのがすっかり定番と化しているのに笑える。
重厚な扉の先、傷一つない執務机について待ち構えていたのは、ちょっとよれよれの顔色の悪い父だった。
「なぜ呼ばれたか分かるか」
「まぁ……なにかしら、お父様。わたくしさっぱり分かりませんわ」
父はにこやかな笑顔の私を胡散臭そうに眺めてから、肘をついて手を組むと目を眇めた。
「エヴァルド・ダリア殿より婚約の申し込みだ」
「あら、ダリア様が……?」
名前を聞いただけで昨夜の異質な空気を思い出し、ぶわりと鳥肌が広がり立つ。
内心の怖気を押し隠したつもりだったが、目敏い父はなにか勘付いたのか、眉間の皺が深くなる。
「なにかあったのか?」
「いいえ、なにもございませんわ」
即答で否定する。
事実を知れば、父のことだ。難癖をつけて有利な条件で縁を結ぼうとするに違いない。
「そういえば、久しぶりの夜会ということでお気遣いの言葉を頂きましたわね」
「そうか……おかしいな。あちらはお前を傷物にしたと言ってきているが」
……はぁ? なんで自己申告してくるわけ?
危うくはしたなく声を上げそうになり、既のところで堪える。
おかしくない?
傷物にされた令嬢が責任とれって迫るならまだしも、格上の公爵家の方から、お手つきだからもらってあげるよ、だなんて。第一そんな事実もないのに、だ。
……こんな野蛮な方法で婚姻なんて結べるはずない、絶対結びたくない。そこまでして私を手に入れたいというのか?
エヴァルド・ダリアのどうやら本気だったアプローチに、冷や汗が吹き出してくる。狂気じみた執着に追い込まれる閉塞感に、体の奥からぞわりぞわりと悪寒が這い上がってきた。
「一体なんのことでしょう? 身に覚えがありませんわ」
精一杯微笑みながら否定した私に、父は手を組んだまま、無表情で見上げてくる。
「一夜の過ちとはいえ真摯に向き合いたい、と」
「いやいやいやいや……」
ないわ。マジでないない。なーんもなかったから。
語彙力が崩壊気味だが、全力でなにもなかったことを主張したい。
「ありません。そんなもの、どこ探したって出てきません。ないものはない」
「……」
「バルトリ家のご子息、ジェラルド様が……」
「……」
「ロ、ロランディ伯も」
「……」
「アーダルベルト殿下も証明して下さるはずです」
その場には居なかったので、あまり信憑性はないかもしれないけど。
「話してくれるな?」
「……」
父にはバレたくなかったんだが……。
観念して洗いざらいぶちまけた私に、父は顎に手をやり暫く考えに耽っていたようだった。
「お前はエヴァルド・ダリアに嫁ぐ気はないというのだな?」
「ええ、そうなるのならばいっそ修道院へ入りたいくらいです」
それにドキドキしながら答える。
どうか父よ、エヴァルド・ダリアに嫁げと言わないでくれ……。
「実は、昨夜の謝罪と共に婚約の話もしたいと面会の申し込みがきている」
「それは……ロランディ伯とのこともありますし、殿下からも婚約者候補を紹介していただけるとお約束して頂いたので、私の一存ではなんとも」
会ってしまったら婚約の話を進めざるを得なくなってしまう。ロランディ伯のようにこっちに不利な条件を隠してたんならまだしも、エヴァルド・ダリアは隙を見せてはくれないだろう。
殿下から婚約者を見繕ってもらうのだから、こっちで勝手に婚約の話を進めたらきっと不敬にあたる、そうだ、きっとそうに違いない!
「屁理屈こねてまで避けたいか」
父は深い深ーい溜息をついた。
「ヴィヴィエッタ、お前のことで煩わされるのはもう勘弁してほしい。一々呼び出されては王宮での業務も滞る。アルフォンソを早めに呼び寄せているから早急に解決するように」
「……申し訳ありません」
しゅんと項垂れた私に、父は殊のほか優しい声を出した。
「私はな、お前には我がラディアーチェ家の利になった上で、幸せな家庭を築いて欲しいと思っているのだ。お前が嫌がるのなら、出来るだけ無理強いはしたくない」
「……お父様」
利益は外せないのね。
「なに、単純なことだ。ダリア家を凌駕する結び付きを探せば良い。朗報を待っているぞ、ヴィヴィエッタ」
そんな良物件、そうそう見つかるとも思えないけど……。テンションの落ち込んだ私を尻目に、父は立ち上がった。
「王宮へ戻る。なにかあれば連絡だけはしてもいい」
もう呼び出すなよと釘を刺して、父は足早に立ち去っていった。お辞儀をしてその背中を見送る。
地味没落エンドを回避したかと思ったら、今度は特殊性癖執着エンドか。しかも今度は、周りからするとハッピーエンドに見えそうな所がなかなかに厄介だ。
でもあんな陰険マウンティング野郎なんかには負けない。
思い通りになんて、絶対になってなんかやらないから。