16君の手を取って
音に合わせて舞い踊る。君と二人、想いを込めて。
カチリ。針が時を刻む。
俺はイデルの手を取って中央へと足を進めた。あの日、両親がいた場所に。
一つ大きく呼吸し、イデルと向かい合って手を差し出す。
「お手をどうぞ、イデル」
「はい、フェズ」
笑顔のイデルが手を取り、またカチリと音が響く。途端、音が降り始めた。その言葉が一番適している気がした。流れる音楽が国中を鮮やかに彩る。ここは影の国、満月の夜はこれからだ。遠いツィルクスの明かりも一層華やかさを増したように思う。
ただ音に合わせて足を動かす。笑顔のイデルを見つめて、不思議と自然に動く身体に肩の力が抜けた。くるり、軽やかにイデルが回る。その腰を支えて、今度は二人で回る。
くすくすと笑うイデルは楽しげだ。もう一つくるりと回る。ダンスの種類など気にせずに、ただ身体の動くままに。
足元から光が弾けた。舞台は淡く光を放ち、ふわりふわりと、舞い上がる蛍火のように光が空を流れ、イデルの笑顔を照らしている。回った拍子にイデルの帽子がぱさりと落ちて、甘い香りの花が風に揺れた。
「――フェズンツァイ!イデル殿!……ッヴァールハイト!」
叫び声が空気を裂く。いつも冷静なあいつにしては珍しい、悲鳴のような声だった。
踊りを止めないままにちらりと視線を向けると、やはりそこにいたのはクラルハイト。いつもきちんと整えられている髪を崩して、必死にこちらに呼びかけている。
視線を横に流せば案の定、あの日と同じように闇が集まっていた。失敗したのか。その言葉は、不思議と現実感が無い。だって、こんなにも楽しいのだ。
イデルはちらりとだけクラルハイトをその目に映したものの、またすぐに踊りに夢中になった。心底楽しげなその様子は、闇も見えたはずなのに変わらない。
なおも必死に警告し続けるクラルハイトは、幼い俺と重なって見えた。あの頃、両親の死に呆然とする俺の側にいたあいつは、より強い恐怖を抱いているだろう。そう言えるくらいには、浅くない関係だったから。
他人事のように頭の隅で考えながら、ふと思った。
あの日、あの時。両親は、俺の方に意識を傾けすぎてしまったのではないのだろうか、と。そもそも、確かに俺を愛してくれた両親が、理由も無しに不老長寿の伝説に挑むだろうか。もしそれが、その時すでに短命だと宣告されていた俺に、希望を見せるためだとしたら。互いに向ける愛情を、親としての愛情が勝ってしまったとしたら。
あまりに都合のいい考えだ。もしかしたら違うかも知れない。あの最期の瞬間、俺に向けたのは伝説を失敗させた原因に対する怒りだったかも知れない。それでも、死者はもう何も語ってはくれないから、いいだろう。そう、初めて思えた。少しくらい、自分に優しい世界を信じたっていいだろう。イデルの曇りの無い笑顔を見ながら、そう思う。
思考はそこまでだった。迫り来る闇を見て、イデルに集中する。イデルと踊るこの一瞬を楽しもう。終わりの来るその瞬間まで、世界に二人しかいないかのように、イデルだけを考えよう。
弾ける音に合わせて足を踏み出す。音の流れに身を任せ、くるりくるりと舞台を回る。闇がすぐそこまで迫って来た。けれど恐怖はどこにも無い。イデルの瞳にも。俺は珍しく自分でも分かる程満面の笑みで、イデルと繋ぐ手に力を込めた。
闇に触れたような気がした。身体の感覚が薄れていく。それでも踊るのは止めない。イデルの背後の闇に終わりを感じたけれど、そんな事はどうでもいい。ただ、幸せそうに笑ってくれるイデルの笑顔が、最後に見えた世界の全てだった。
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――。
――……?
「……?」
《ああ、やっと目覚めたか》
「……番人……?――っ!イデルは!?」
《その腕に抱いているじゃあないか》
その言葉に下を見ると、確かにイデルをきつく抱き締めていた。どうやら舞台の上で倒れ込んでいたらしい。身体を起こすと、イデルの長い睫毛が震える。
「……?……フェズ?」
「ああ」
「生きてる……?」
「どうやらそうみたいだ」
「え、でも、あの時確かに闇に呑まれて……」
どういう事だろうか。説明を求めるように番人に視線を向けると、番人は分かっているとばかりに一つ肩をすくめた。
《……影の国の神話を知っているか?》
「?ああ」
《ならばそこで語られただろう。闇もまた、神の心より生まれしモノ。心の真偽を問うならば、同じ心が最も適役だ》
「……闇が真実か否かを判断する、と?」
《そうして、真実と認めた心の持ち主を闇は分解、再構築する。今も心臓は痛むか?》
「は?……何も、感じない?」
今まで常にあった違和感。血の薄い混血でありながら強い魔力を持つが故の心臓の痛み。終わりに近づく証とも言えたその痛みが、今はもう無かった。
《おめでとう。お前達の踊り、ちゃんと魅せてもらったよ。見事だった。お前達は伝説を成功させた》
「……ありがとう、と言っておくか」
「――フェズ!」
「ぅわっ!」
急に勢いよくイデルが抱きついてきた。小さな嗚咽が耳に響く。
「……よかった……よかったフェズ……よかったあ……」
“よかった”。泣きながら言われたその言葉は、短くとも重く、複雑な色をしていた。俺と一緒に死んでくれると言ったイデル。けれどそれ以上に、一緒に生きたいと思ってくれていたんだろう。肩を濡らす雫を感じながら、抱き締める手に力を込めて、生きている実感に息を吐く。生きている、生きている。これからも、イデルの未来に俺はいられる。その幸福を噛み締めて。
―――――――――――――――――
どうやら俺達が意識を失ってから、まだ数分しか経っていないようだった。目覚めたならば早く去れとばかりに番人に見送られ、塔を降りる。不老長寿の身体とやらは、再び体験したあの浮遊感に対する耐性は付けてくれなかったようだ。
外に出ると、扉の開閉音がやたらと大きく響いた。その音に、上を見上げて立ち尽くしていた人影が反応し、慌ててこちらに駆けてくる。いつも身だしなみには人一倍気をつけているあいつが、髪型が崩れたのもそのままに泣きそうな顔をしているのを見て、どれだけ心配してくれたのかが窺えた。
「ッ、フェズンツァイ、イデル殿……!生きて……?しかし、先程確かに闇に……」
「俺達は成功したぞ、クラルハイト。……心配かけたな」
「心配してくれて、ありがとうございます、クラルハイトさん」
「いや、それは別にいいんだが……成功、したのか?本当に?」
「ああ」
「……そうか、よかった――。」
心からそう思ってくれたんだろう。静かに涙を溢すクラルハイトに、珍しく素直にありがとう、と口にできた。
「……ところで、クラルハイト。さっき、確かお前、“ヴァールハイト”と叫んだな?」
「う、すまない。フェズンツァイは名前で呼ばれる事を嫌っていたのに……」
「いや、いい。好きに呼べばいい、昔のように。知り合いから幼なじみくらいには格上げしてやる。……心配もかけたしな」
「フェズンツァイ……。……いや、ありがとう、ヴァールハイト」
両親の“真実の愛”が塔によって否定されてから、自分の名が苦手になった。“真実”という意味を持つこの名前が。その事を知っているこの幼なじみは、こちらが何も言わずとも察して、家名を呼ぶようにしてくれた。
けれど、今はもうそれも気にならない。いつかの騎士殿のように親しくもないのに呼ばれるのは気にくわないが、こいつらならいいと思える。
「……素直じゃないなあ」
「フェズは“ダルデレ”に見せかけた“ツンデレ”だってコルースさんが言っていました」
「成る程」
「……おい、聞こえているぞ、二人とも」
響く笑い声に頬を緩めながら、月明かりの下帰路につく。行きより一層穏やかな気持ちで、生ある今を噛み締めて。繋いだ手の先、イデルの笑顔を見つめながら。
途中の影の道でクラルハイトと別れ、イデルと顔を見合わせて笑う。
「さて、帰るか。俺達の家に」
「うん!」
優しい光が夜道を照らす。二人の未来もほのかに輝く。




