12イデルの想い
自分の気持ちは自分で名付ける。例えば誰かに否定されても。
思い出せる限り一番はっきりしている最初の記憶は、伸ばした手を荒く振り払われた瞬間。顔もおぼろげなそのアルラウネは、きっと自分の“ハハオヤ”というやつだったんだろう。
途切れ途切れの記憶は、どれも薄っぺらくてありきたりなモノだ。
蔑み、嘲り、見下す無数の冷たい目と、何も思考する事なく、一瞬一瞬をただもがくように生きていた幼い自分。ろくなものを食べた覚えは無いし、正直よく生きていたな、と思う。
何故そうまで生にしがみついたかも分からない。ただ、……ただ、そう。意味があるとするならば、自分は、彼に逢うために生を選んだのだ、と。そう思いたい。
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はあ、はあ……。
自分の荒い息づかいが耳に響く。
衝動的に店から飛び出して、どれだけ走っただろう。やっと冷静さを取り戻す頃には、ずいぶんと店から離れて、見慣れない通りに立っていた。
ランプの光も見当たらず、夜の薄暗さで染まった不気味な場所。ここまで暗いとなると、シャッテン通りだろうか。……となると、少しまずい。特に治安の悪い事で有名な辺りだ。
重い身体を立ち上がらせて、ここからそう遠くない明るい通りを目指す。
まだ、店には帰りたくない。気まずいというのもあるけれど、何より、彼に分かってほしかった。自分がどれだけ、彼の生を望んでいるのか。自分が、どれだけ。
ふと、顔を上げる。自分が歩いている道の脇に、小さな小路を見つけた。
「……あそこは……」
彼と出逢ったあの日に、自分が踞っていた場所だ。
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いつから影の国にいたかなんて分からない。ただ、他人は自分を傷つけるという事は知っていたから、ひとけの無い小路を選んで逃げ歩くうちに、いつの間にかたどり着いていたのだ。
一番鮮やかな記憶は、ある雨の日の事だ。その日は、もう何日も食べていなかったし、雨で身体が冷えて、ずいぶんと弱っていた。
そんな時、あまり柄のよくない数人の男に絡まれた。なにぶん衰弱していたものだから、殴る蹴ると暴行されても、逃げるどころか抵抗すらできなかった。
ああ、今度こそ死ぬかな。そう思った事を覚えている。そんな時だった。
「――おい」
フェズが、現れたのは。
それからはあっという間だった。流れるような動きで男達を倒してしまって、自分には何をしたのか分からない程だった。分かったのは、彼が男達より圧倒的に強いヒトだという事。
そして男達が逃げ去った後、自分がアルラウネの異端児だという事を看破されて、イデルという名を貰った。
「俺と一緒に来るか?」
彼のその言葉がただの気紛れだなんて、あの時の自分にも分かっていた。それに、自分にとって他人は自分を殺そうとする存在でしかなくて。それでも。
初めて向けられた優しさ。柔らかい色の、瑠璃色の瞳。
その瞳を最期に見られるなら、どんな死に方でも幸せだ、と、本気でそう思ったから、自分は初めての笑顔で、彼の手を取った。
それは今でも一番大切な、イデルの思い出。
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……ねえ、フェズ。これが依存だとしても、間違いだとしても。この気持ち以上の“好き”は、イデルには無いし、いらないんだよ。
身勝手で歪んで、綺麗なだけではない想いだけど、イデルにとっては、これが恋なんだ。
泣きそうな気持ちでのろのろと歩く。
どうしたら伝わるだろう。何て言ったらいいんだろう。そんな言葉で頭がいっぱいだったせいだろう。
背後から忍び寄る足音に、気づけなかった。
「ッ!?」
ダン、と音を立てて近くの壁に叩きつけられる。
顔を上げると、数人の異形のヒトが立っていた。スライムのような触手を蠢かせていたり、両手だけ異様に大きな獣のモノだったり。影の国では、このくらいの異形は珍しくもないけれど、相手が悪かった。……こいつら、フェズに出禁にされたヒト達だ。
「情報屋スシェンのイデルだな?」
違う。そう言いかけて、止める。相手の目には確かな確信が宿っていた。ここで下手に誤魔化すのは悪手か。
「……だったら何?」
「なに、そう警戒するな。ただ俺達は、情報を買いたいだけさ」
「そう、お前も情報屋なら、売ってくれないか?フェズンツァイの弱味とかさあ。対価なら払うぜ?」
にたにたと嫌な笑みを浮かべる男達。気がつけば、くすりと笑いをもらしていた。
「あ?何笑ってやがる!囲まれてる現状理解できてんのかこら!!」
「怒り方まで三下っぽいね……フェズの弱点?さあね、知ろうとした事も無い。知っていても誰が教えるもんか。イデルはフェズを害する事が何より嫌いなんだ。……もっとも、教えたところで君らがフェズに勝てるとも思えないけどね?」
「……っこの、言わせておけば!」
振り上げられた手に、咄嗟に頭を腕で庇う。回避行動を取るにはこの路地は狭すぎた。ここは一撃受けて……。
……。いつまでも来ない衝撃。そっと目を開けると、荒く息を吐く人影。見間違うはずもない大好きな背中。
フェズが立っていた。
「フェズンツァイ……!?どこから現れやがった!」
「は、魔法特化の混血なめんなよ。やりようなんていくらでもあるさ」
ざわめいた男達は、しかし自分たちの人数差を思い出したのだろう。歪んだ笑みを浮かべて一斉に多様な魔法を放ってきた。
「……この万華鏡な、」
フェズを吹き飛ばすかに思えた魔法の雨は、突然現れた光の壁に掻き消される。フェズの手には、いつか見せてもらった万華鏡があった。
「覗くだけじゃなく、映して楽しむ事もできるんだよ」
言葉と共に万華鏡を回せば、地面に色鮮やかな万華鏡の景色が映る。
「それから面白いのがさ、」
どさり。重い音に顔を上げれば、地に倒れ伏す男達の姿。目の焦点が合っていない。混乱したように小さくもがいている。
「魔法障壁はオマケで、こうして正しく使えば強い幻術の効果があるんだ。……なかなか使う機会は無いが、よかったな、貴重な体験ができて」
そう笑って、あっという間に拘束魔法で男達を捕らえ、警備隊――影の国にも一応いるのだ――への連絡魔法を飛ばしていた。この間、フェズは一度も自分を見ていない。それが彼の怒りを表しているようで、身体が震えた。
「――イデル」
「……はい」
「怪我は?」
「……無いで……!?」
言い切る前に、勢いよく振り向いたフェズに抱き締められた。何が起きているのかいまいち分からない。
「……よかった」
小さく震える声でそれだけ呟いたフェズは、迷子の子供のようで。絶対に言わないと頑なになっていたはずの「ごめんなさい」が、ぽろりと口から零れた。
思ったよりも早く駆けつけてきた警備隊に男達を引き渡し、黙ったままのフェズと手を繋いで帰路につく。先程とは違い、二人の間に落ちる沈黙は穏やかなものだった。
「……コルースに、言われた」
静かな声音が、沈黙に波を打つ。
「……なんて?」
「自分の真実から目を反らすな、と。失う事を恐れて隙を作れば、絶望は簡単にたった一つを隠してしまう、と。……相変わらず、分かりにくい言い回しをする」
「……?よく、分からない」
「……なあ、イデル」
「なあに?」
「昔話を語ろうか。家に帰るまでの暇潰しに。それで、それを語り終えたら……」
「語り終えたら?」
「……その頃にはきっと、少しの勇気が背を押すだろうさ」
小さく笑ったフェズの顔は見えない。ただ、よく分からないなりに、それが彼にとって悪いものでない事は分かった。
「フェズが物語を聞かせてくれるなんて昔みたいだね」
「そうだな」
「どんなお話?」
「……そうだな……」
「ありきたりでつまらない、けれど確かに存在した過去の話」
「多くのヒトが忘れた、影の国の始まりの神話だ」
静かな声は風の向こう、銀糸の月明かりに溶けていった。




