10休日のスシェン
休日は優しく平穏であるといい。
その日は珍しく、店の扉に休日を示す看板がかかっていた。元から店主であるフェズの気まぐれによってやっていたり、いなかったりするこの店だが、稀にこうしてきちんと休みの日を作ったりする。と言っても、不定期故に何故今日なんだと苦情が来た事は一度や二度じゃないのだが。
今日が休みだという事は前日にフェズが決めたので、今朝はフェズを起こさず、簡単な軽食を作っておいて、店の掃除をする。休みの日は、フェズはいつも以上に長く眠る。起こせば起きるが、怒られこそしないものの、その日一日不機嫌になる。一度それを体験してから、イデルは休みの日は決してフェズを起こさないようになった。あの沈黙が支配した重い空気を味わうのは、二度とごめんである。
いつ客が来るかわからないため、いつもはつい簡単に済ませてしまう店の掃除を、満足のいくまで終わらせる頃には、時計の針も随分と上を向いて、少し空腹を覚える時間帯だった。
掃除も済ませたし、早目の昼食でも食べて少し昼寝でもしようか、と家の方に顔を向けた時、タイミングがいいのか悪いのか、来客を知らせる軽い音が響いた。
反射的に扉に振り向き、その場から少し飛び退く。緊張した面持ちで扉を見つめ、完全に開いたその向こうを見て身体から力を抜いた。
「……コルースさん、クラルハイトさん、今日はお店は休みですよ」
「いや、いや、悪いね。驚かせたかね?大丈夫、今日は依頼がある訳ではなくて、通りがかったから遊びに寄っただけだからね」
何も大丈夫ではない。
「……すまない、イデル殿。今日が休みだという事は看板を見てわかったのだが、生憎今日しか予定が空かなくてね。先日、連続行方不明事件の情報を買った際の対価を持って来たのだが、フェズンツァイはいるかな?」
「フェズはまだ寝ています。お仕事の関係なら起こしてきましょうか?」
フェズが不機嫌になるのはとても嫌だけれど、お仕事ならば仕方ない。だが、クラルハイトさんは首を横に振った。
「いや、イデル殿に預けていく事にしよう。今回の対価は彼に指定されたモノだから確かだし、イデル殿なら信用できるからね」
「……わかりました、お預かりします」
クラルハイトさんが差し出した包みを両手で受け取る。シンプルな包装をされたそれはイデルの両手にすっぽりと収まるサイズだ。何が入っているのかはわからない。後で、フェズに訊いてみようか。
「さて、ではイデル君、お茶を淹れてくれるかい?この間のがいいね、花の香りのアレ」
「遠慮……いや、礼儀って言葉を知っているかな?コルース殿」
いつの間にか勝手に椅子に座りお茶を要求するコルースさんにクラルハイトさんが呆れた視線を送る。
「大丈夫です、クラルハイトさん。いつもの事ですから」
「そうそう、ワタシはいつでもこんな感じだよ、クラルハイト君?」
「いや、そこ胸を張る所じゃないでしょう」
「まあまあ。取り敢えず、キミも席に着きたまえ。イデル君のお茶は美味しいよ」
「……。イデル殿、怒っていいと思うよ」
クラルハイトさんも苦笑いだ。
「それはそうと、イデル君」
「はい?」
「そろそろ挑戦するのかい?時計塔の伝説」
「……、イデルは」
「止めた方がいい」
「……クラルハイトさん?」
「不老長寿の伝説なんて挑むだけ無駄だ。そんな事に命を賭ける必要はない」
「……っ」
「おや、言い切ったね」
「だってそうでしょう。真実の愛。大変結構。実に美しい響きだ。けれど、その“真実”とは誰の定義か?それもわからない、実在するかもわからない曖昧なモノに命を賭けるなんて私にはできないね」
「……。」
「キミもなかなかに夢が無い。正義の聖騎士殿とは思えないね」
「欲望渦巻く冷めた家庭に生まれた人間なんてこんなものですよ。真実の愛なんて言葉はあまりに遠くて、まるで星のようだ。友人には恵まれましたがね」
やれやれと言うように肩をすくめて、クラルハイトさんが扉に手をかける。
「イデル殿のお茶を飲めないのは残念だが、生憎急ぎの仕事があってね。ここで失礼するよ」
「……そうですか、お気をつけて」
「ありがとう。――ねえ、イデル殿。」
「……はい?」
「ああ、気を悪くしたならすまない。別に私は、伝説に挑む者達を否定したい訳ではないんだ」
「?」
「真実とか愛とか、そんな綺麗なモノを信じていける者達が、なんというか、そう――きっと、羨ましいんだろうね」
自分に囁くように呟くと、にこりと一つ笑って、クラルハイトさんは店を後にした。
「彼もなかなかに不運な生まれだからねえ」
コルースさんが笑う。
「さて、イデル君。さっきの話の続きだけれど……。何か言いかけてなかったかい?」
「……、イデルは、フェズが望まない事はしたくありません」
「ふむ」
「フェズは多分、イデルが時計塔に関わる事を嫌がってる。でも、最近、塔の方に目を向けている事が増えてきていて……。イデルはフェズの命を延ばす方法があるなら何でもしたい。でも、きっとフェズはイデルが望めば受け入れてくれるけど、そうじゃなくて……」
「ヴァルフ君自身に生を望んで欲しい、と。」
こくりと頷く。
「……ふむ、ねえ、イデル君」
「はい?」
「イデル君は、もう少し我が儘になってもいいと思うがね」
「我が儘……ですか?」
「ヴァルフ君の意思も大切だが、キミはどうしたいんだい?理屈とか相手の気持ちとか、余計な事は考えなくていい。自分がどうしたいか、取り敢えず伝えてみる事だ。頭の中の相手といくら話し合ったところで、足は前に進まないからね」
「……自分が、どうしたいか……。」
「そうそう。――さて、イデル君」
「はい?」
「美味しいお茶をもう一杯所望するよ!真面目な話なんて性に合わなくて疲れたからね!」
「……、ふふっ、はい、少しお待ちください」
ぱたぱたとお茶を淹れに行くイデルの背を見送って、コルースは小さく笑みを溢した。
「――さて、どうなるかな。楽しみ、楽しみ」
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――フェズが起きてきたのは、コルースさんがお茶菓子をおかわりして、三杯目のお茶を飲んでいる時だった。
「……コルース、何して――、いやいい、把握した。相変わらず図々しいなおい」
「おや、図々しいとはひどいね。ワタシはいつだってこうじゃあないか!」
「それが問題だと言っている」
不機嫌そうに顔を歪めてコルースさんを追い出そうとしてるけれど、瑠璃色の瞳は暖かい色をしている。
お客さんの中でも、コルースさんやクラルハイトさん、薬屋の店主など、限られた人にしかしない目だ。
「さっさと帰れ、ギャンブル中毒者」
「素直じゃないね、本当はワタシが来て嬉しいくせに」
「誰がいつそう言った。お前の耳は人形のそれより劣るらしいな」
……。
いつだってお茶とお菓子はたっぷり用意してあるし、常連さん達に出すお菓子はそれぞれ別に用意してあるのに。
出会った頃からそうだ。口では乱暴な事を言いながら、なんだかんだよく見ているし、気遣ってくれる。
まだ言葉の応酬を続ける二人に、くすりと笑みが溢れた。
……本当に、素直じゃないなあ。
優しい貴方の時間を染めるのが、少しでも優しい色でありますように。




