1影の国の情報屋
今宵も時計塔は月に陰る。
手に持った新聞紙を無造作に投げ捨て、ほのかな光が照らす夜道に踏み出した。
煙草の煙を視界に映して、頼りなく光る街灯をくぐり抜ける。立ち入り禁止の柵を踏み越えて、影の向こうへ。
少し歩けば、細い路地の隙間から見える日の光。それ以上先へは進まずに、壁に背を預け煙を吐く。
煙草の火が進むのをぼんやりと眺めていたら、話し声と軽い足音が耳に届いた。
視線を向けると、見慣れた緑がかった金の髪を揺らす人影。
「フェズ」
こちらの姿を目にしただけで綻ぶ表情を視界に収めて、「行くぞ」と踵を返した。
光陰の国、アルクスナードの影。各所に点在する『影の道』の先に存在するのは、異端の国、『影の国』。
異空間だとか、地下世界だとか、あるいは異世界だとか、様々な憶測が飛び交うが、真実は深い闇の底。法則も常識も通用しないことしかわからない、謎に満ちた常夜の国。それが、俺達の住む国だ。
頭部を覆う程の触手を生やした異形が営む露店を冷やかし、甘ったるい声ですり寄ってくる娼婦を遠ざける。ほのかに移った強い香水に顔をしかめて、背後に声をかけた。
「イデル」
「ん?なあに、フェズ」
呼び掛けに素直に寄って来る身体を抱き寄せて、小さな頭には少し多きな帽子に顎を乗せた。何が面白いのかクスクスと笑うイデルから香る、甘いが爽やかな香り。嫌な匂いを忘れるように暫くそうして、満足して離れる。
イデルは少し不満げだが、歩き出せば素直について来た。
「ね、フェズ。今日もね、騎士に呼び止められたんだ」
「そうか」
「最近影の道の近くで良く見るなぁ。何かあったのかもね」
「そうだな」
我ながら気のない返答だとは思うが、イデルは気にした様子もない。この短い会話で満足しているのだろう。他のやつが相手だとこちらも気を使わねばならないのが面倒だが、イデルと居るのは楽だ。沈黙も苦にならない。
初めてこの国に来た者なら迷うだろうが、“この国の法則”に慣れた住民は簡単に深部に来れる。影の国の中心部である『陰りの時計塔』から少し外れた通りにある小さな店が、俺達の家だ。
「ただいまー」
「……。」
「フェズ、お帰りなさい!」
「……ただいま」
外のランプに発光花を入れて、閉店を示す札を裏返す。中に入り灯りをつけて、イデルはアルクスナードで買って来たらしいパンを片しに家の奥へ向かった。
家に着くまでに随分と短くなってしまった煙草を新しく取り出し、口にくわえて火をつける。ため息と共に煙を吐き出したところで、チリン、と、来客を知らせるベルが軽やかに鳴り響いた。
仕事か。ああ、面倒だ。だが生活するためだから仕方ない。治安が良いとは言えないこの国の、こんな深くまでお越しくださったんだ。さて、今回の仕事はどんなものだろう。口角を上げるのは、皮肉か嘲りか。歩み寄る影に感じる欲を、笑って嗤って迎えた。
「ようこそ、情報屋『スシェン』へ。……さあ、どんな知識が欲しい?」
ここは影の国の情報屋、望む知識を与えよう。深き店まで辿り着き、正しく対価を支払えば。
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「今日のお客はどうだったの?」
「つまらん。こんな所まで来て、望むのが身内の病気の特効薬の作り方だと。医者か研究者にでも聞いてこい」
「……そっか、もっと面白い依頼だとよかったのにね」
とす、と、肩に体重がかかる。背後から首元に手を回して、イデルが抱きついて来た。その温もりに、少し苛立ちが収まる。
イデルは俺を宥めるのが上手い。昔、出逢った頃は手のかかるガキだったが、いつの間にか俺にとって居心地の良い存在になっていた。
ぼんやり遠くを見つめる目に映るのは、後悔だろうか。
(“そういう相手”なんて、作りたくなかったんだがな……。)
「……?どうしたの?」
「……いや」
けれど、安らぐその時間を、知ってしまえばもう手遅れなのだ。目を閉じて想う、後悔と愛しさと。
進む時計の針に気づいて、イデルが夕食の準備をしにキッチンへ向かう。そのタイミングを見計らったように現れた“客”に、思い切り顔をしかめた。
「おやおや、そんなに嬉しそうに歓迎しないでくれよ。照れるじゃあないか」
「この顔が嬉しそうに見えるなら、お前の目はガラス玉にも劣る。……それより、何の用だ。」
「何、ちょっとばかし知恵を借りにね」
「帰れ」
「……おやおや、随分と手厳しい。ワタシはキミに何かしたかね?」
「お前の依頼はつまらん。そう多くの対価を取れるでもなし。何より頻繁に足を運びすぎだ」
「……ふむ」
鳥を模した派手な仮面で顔全体を覆うこの異形はコルース。この国でも名の知れた住民の一人である。本名かは不明だが。体格を隠す大振りなコートに身を包んでいて、正しい種族もわからない。が、わざわざ調べる程の興味も無い。
「まあ、そうつれないことを言わずに。今日は先に対価を持ってきたんだ」
「それで?依頼内容は?」
「対価に見合う分だけ、闘技場の勝率をだね」
「相変わらず、俗物らしい依頼だな」
「照れるね」
言葉に合わせて頭を掻きながらテーブルに“対価”とやらが置かれる。
「……万華鏡、とか言ったか?」
「おや、良く知っているね!それは、ドワーフが妖精族の作る月光の雫石やら希少な星の石やらで造った、珍しい品でね。小さいモノだが、複数の属性魔法に対する防御壁を展開する効果があるそうだ」
「ほう」
随分と良い品を持ってきたものだ。大方、最近ギャンブルで大損したんだろう。さて、この対価の価値はいかほどだろうか。右目に集中して万華鏡を視る。
「……仮面にマント、細身の双剣を装備した一見人間のような者」
「勝率は?」
「八割」
「ほう、ほう。一見ということは、人間ではないのか」
「さてな」
相手の種族を明かすのは依頼の範囲外だ。端的な俺の回答に気を悪くするでもなく、満足げにコルースは笑う。
「では、次の闘技場では期待できそうだ。助かったよ、ヴァルフ君」
「そりゃあ何よりだ。なら次はもう少し面白い依頼を持って来い」
「これは手厳しい」
最後まで愉しげに笑いながらコルースが帰る。それに合わせたように、イデルが部屋に入って来た。
「フェズ、お客さん?」
「ああ、またつまらない依頼だ。……だが、良いモノが手に入った」
「……?何、その……筒?」
「後で教えてやる。メシができたのか?」
「あ、うん、今日はシチューだよ!」
「そうか」
席を立って奥へ向かう。ちょこちょこと後ろをついて来るイデルの存在を感じながら、さして変化の無い退屈で平穏な一日が夜に沈んでゆく。




