遭遇当時の服装は
雨上がりの湿気が残る朝。ハイドパークは、いつもと少し違う様相となっていた。閑散とし、周囲にはバリケードテープが張られており、公園の中心部に、数人の警官が集まっている。
直後、スーツ姿の上にコートを羽織った男が1人、テープをくぐって警官に接近した。
「不審な物は見つかったか?」
「はい。警部。」警官は1センチほどの金属片を、警部の前に摘まみ上げた。
「銃弾か。」金属片はひしゃげてこそいるものの、綺麗な銀色と無数の溝があることから、一目で弾丸とわかるものだった。
「この弾丸を使用する銃を割り出すぞ。恐らくこれが凶器だ。」警部はやや興奮したような声を上げた。
その時、
「本当にそうか?」
突如背後から聞こえた声に、警部と警官は揃って背を振り返ると、そこには20歳を超えているであろうオーラを纏いながらも、まだ幼さの残る顔立ちの少年が突っ立ていた。
「誰だ貴様は!」警部は怒鳴り声を上げた。
「勝手に入るんじゃない!」その声を受け、警官は賺さず少年の腕を掴み、外に連れ出そうとした。
しかし次の瞬間には、鰻を掴んでいるかのように手から腕がするりと抜けて、少年は警部の手から銃弾を掠め取った。
「これが人を撃った弾に見えるか?」少年は嘲笑うように警部の顔を見た。
「人の体を抜けた位じゃこんなにも変形しない。この弾が当たったのはもっと堅いところだ。」少年は手の中で転がしながら銃弾を観察した。
「血も付いてない。」そう言って警部に銃弾を投げ返し、ぼそりと呟いた。
「どこに目を付けてるんだ。」すると、
「さっきから何なんだ貴様は!」今まで抑えていた警部の感情が爆発し、少年の胸ぐらに掴みかかった。
「部外者はすっこんでいろ!」警部は少年を勢いよく突き飛ばした。
そのとき、少年のジャケットの内ポケットから、丸く巻かれた紙がぽとりと地面に落ちた。
「こいつを摘まみ出せ!」警官は少年の肩を掴み、無理矢理立たせ連れて行った。大人しく引き摺られる少年の背を見送りながら、警部はやれやれと頭を搔いた。
ふと目を落とすと、少年が落とした紙が目に入った。
警部はそれを拾い上げ、中を開きボソボソと読み上げた。
「この証書を有する者は、刑事と同等の捜査権を行使することを許可する・・・」警部は驚愕し、自身の目と偽造を疑った。紙を隈無く隅から隅まで確認したが、内務大臣の署名と捺印が入っており、とても偽造とは思えるものではなかった。
警部は顔を上げ、少年を連れ出そうとしている警官を呼び止めた。警官はすぐに肩を掴んでいた手を放し、少年を警部の方に向かせた。
少年は顔を上げ警部を睨みつける。
「これを何処で手に入れた?」警部は拾った紙を少年の顔に突きつけた。その問いに少年は当然と言わんばかりの口調で答えた。
「内務大臣執務室でだ。」こんなガキが内務大臣に会っただと?警部は信じてはいなかったが、一応少年の言うことが真実だという体で尋ねた。
「貴様、何者だ?」少年もまた、信用されていないと思いながらも、信じてくれるという体で質問に答えた。
「ガイア・ゴールディン。探偵だ。」
少年が立ち去り、警部たちはすぐに現場検証を再開した。
「これが終わったらあの探偵殿の素性を調べておけ。」探偵を自称しているだけの子供のことを調べたところで何もわかるわけがない。この場に居る全員がそう思い、軽い返事をした。
現場検証を終え、撤収の準備始めた警部達。
そんな彼らの元に、今度はまた別の少年。身に纏ったスーツを、きっちり着てるとは言い難いが、乱れているとも言えない。何とも言いようがない服装をした少年が来訪した。
警部は、またややこしそうなのが来た。と思い、無視して撤収を開始しようとした。
「ちょっとお尋ねしたいんですけど・・・」警部は少年に捕まり、うんざりした。
「今度はどこのどいつだ?」
昼下がりのトラファルガー広場。ガイアは噴水の縁に腰掛け、パンくずを啄む鳩を眺めていた。先住民であるはずの鳩が、後から来た人間のおこぼれを貰い、今では人間なしで生きれなくなった鳩の姿は、彼には実に滑稽に思えた。
そんなガイアの隣に、パン屋の袋を抱えた中年の男が腰を下ろした。
「仕事の調子はどうだい?」
「ああ、トレンスさん。」ガイアは顔を上げ、内務省職員であり、ガイアの古くからの知り合いであり、尚かつ自分の名前の由来になった人物。ガイア・トレンスの顔を見上げた。
「なかなか大変ですよ。『探偵だ』って言っても信じてくれないし。」ガイアは苦笑いし、トレンスが袋から取り出したクロワッサンを受け取った。頭を下げてから口に運ぶと、思わず口元を綻ばせた。
そんなガイアを見てトレンスは微笑し、自身もスコーンを頬張った。2人はしばらく黙り、手早く昼食を済ませた。
「それで今、何の事件を調べてるの?」
「ハイドパークで死体が見つかったでしょ?あれです。」
「ああ、あれね。」トレンスは何かに妙に納得し頷いた。その反対に、ガイアは浮かない顔をしていた。
「ちょっと引っ掛かるんですよね。」
「確かに、刺殺体の傍から弾丸が見つかったのは妙だね。」
トレンスは先ほど聞いた情報を思い浮かべ、自身も引っ掛かっていたことを口に出した。
「何処でそれを?」ガイアは心底驚き、その顔を見たトレンスは得意気になった。
「世界中で自分だけが知っていることなんてないんだよ。」実際にガイアが驚いたことは、警察と内務省の情報伝達の速さだったが、その何か意味あり気な言葉に興味を持った。
「さすが国の安全を守ってる特務科(現実でのMI5にあたる組織。内務省内に設置されている。)だ。何処で聞かれてるかわからないや。」
「気を付けないと消されるよ?」2人は見合い、一瞬の間を置いて笑い合った。
トレンスは懐中時計を見詰め、立ち上がった。
「それじゃあ、そろそろ行くね。」
「ごちそうさまでした。」ガイアが頭を下げると、トレンスは庁舎の方へ歩いて行った。
最後にこの言葉を残して。
「遺体はすぐに埋葬されるから、よく見ておいた方がいいよ。」
「補佐官!」
遠くの方から、スーツ姿の男が走りながら大声で叫び、庁舎の玄関の前まで戻ったトレンス呼び止めた。
「どうした?そんなに慌てて。」男はトレンスの側まで来ると、膝に手を置き項垂れた。乱れてはいたものの、良質さが感じられるスーツを着て、内務省の庁舎の前で息をつくその男は、端から見ても内務省の職員だと言うことがわかる。
「こっちが担当していた少年が・・・」職員は息を切らしながら精一杯声を絞り出し、今にも消えそうな声で用件を伝えようとした。言うまでもなく、声よりも息を吐く音の方が大きく、ほとんど何を言っているかわからなかった。
「まぁ落ち着いて、息を整えて。」職員は声を絞り出すのをやめ、息を整えることに専念した。
「それで、そっちが担当していた少年が?」
「こっちが担当していた少年が、あの公園の事件を調査し始めて・・・」
「探偵ってのは盗人よりも殺人犯を追いたいのもんだ。今までだってそうだったろ。」
「それはそうなんですが・・・」まだ呼吸が整っておらず次の言葉が出てこない職員を、トレンスは赤ん坊が立とうとしているのを見るか如く、温かく見守った。
そして、およそ1分経って漸く職員が口を開いた。
「自分も、さっき聞いて飛んできたんでよくわかんないんですけど、どうも大臣が少年に指示したみたいなんですよ。」職員はトレンスが驚くだろうと、ある種の期待を持って走ってきたが、トレンスはまったくと言っていい程驚かなかった。
内務大臣が自分たちには理解しがたい行動をすることは、窃盗の調査を依頼した探偵見習いが殺人の捜査に手を出すことと、同じくらいよくある。また何か企んでいる。程度にしか思わなかった。
そして、トレンスにはそれよりも気になることがあった。
「君、気を抜くとすぐその口調になるね。」職員はハッとし、またやってしまったとがっくり項垂れた。
ガイアはトレンスに言われた通り遺体を確認しようと、死体安置所を訪れた。
検死を担当した医者は探偵慣れしているようで、何の疑いもなくガイアを遺体の元まで案内し、書きかけの検死報告書を持ってきた。
「私見以外は書き終わってる。」わざわざ聴く手間が省けると知ったガイアは、安心して報告書に目を通した。
左下腹部の刺創は腹大動脈まで達しており、この傷による失血が死因と見られる。
後頭部に打撲が認められるが、刺されて転倒した際にでたものと見られる。
左上肢示指橈側(左手人差し指の親指の側面)に熱傷が認められる。
胃の内容物の消化具合から見て、死亡推定時刻は6月6日の午前3時から5時。
「左手の火傷ってのは?」
「これだ。」医者は遺体に掛かっていた布を取り、左腕を持ち上げた。ガイアは腰を落とし、指を注視する。
「水疱になりかけているところを見ると、死ぬ直前に火傷したんだろう。」
その後ガイアは、遺体を隅々まで確認したが報告書通りで、不審な点は見つからなかった。
「さぁ後は家でゆっくり考えてくれ。」医者はガイアの持っていた報告書を取り上げ、デスクで私見を書こうとしていた。
後で気になることがあったら訪ねるつもりでガイアは一応住所を聞きはしたが、ベイカー街と聞いて訪ねることはしないと心に決め、死体安置所を後にした。
ガイアは死体安置所を出た直後、自分と歳の変わらないと思われる少年と衝突しかけた。
「ごめんよ。」少年は軽くお辞儀して、足早に安置所に入って行った。
スーツを着慣れた感じはするものの、やる気の感じられない着こなしをしたその少年の姿が、ガイアにはとても印象深く記憶に刻まれた。
しかし、特段興味を抱くことはなかった。ただ死体となった身内に会いに来ただけの少年。ガイアにはその様に映った。
次にガイアは、現場検証を終え、報告書を纏めようとしている警官の元を訪れた。
「あぁ今度は君か。」警官は顔を上げ、面倒くさそうに呟いた。
「この忙しいときに次から次へと・・・」これ見よがしにタイプライターを叩いているが、ガイアは申し訳なくも、可哀想とも思わなかった。
「遺留品を見せてください。」ガイアは先程公園で会ったときとは変わって、敬語で話しかけた。その態度を警官は気に入り、もとい相手をするのが面倒になって、遺留品の置き場所を素直に指差した。
指差された方に行くと、公園で見たひしゃげた銃弾等の遺留品と、これまた公園で見た警部が、そこそこの大きさのテーブルに鎮座していた。
「なんだ君か・・・」警部はガイアに気付くや否や、先程の警官と同じように、自らへの哀れみが含まれた溜め息に近い声を上げた。
「さっきはすまなかったな。」警部はそう言うと、席を立ちテーブルを明け渡した。
テーブルには、先程見たひしゃげた弾丸、被害者のものと思われる手帳、デリンジャー(掌に収まるサイズの拳銃)、紙煙草の箱が置かれていた。
「遺留品はこれだけですか?」ガイアが端に立っている警部に尋ねると、警部は静かに頷いた。
「手帳を見ても?」
「構わないが、何も書いていないぞ。」ガイアはこの言葉の意味を、不審なこと何も書いていない。と解釈した。しかし、いざ手帳を開いてみると、捲れども捲れども真っ白なページが続くばかりで、文字通り何も書かれていなかった。
「どういうことだと思います?」ガイアは実に漠然とした問い掛けをした。そして警部はガイアの予想に反し、はっきりとした答えを口にした。
「手帳を新調したか、若しくはすり替えられたか。どちらかだろう。」ガイアはもう1度テーブルを見回した。
「本当にこれだけだったんですよね?」
「少なくとも手帳は、これの他にはない。」それを踏まえ、ガイアは考えられる可能性を頭の中に羅列した。
手帳を新調したなら、古い手帳がないのは不自然だ。なら古い手帳が盗まれたのか。
それとも警部が言うように、被害者が持っていた手帳を何者かがすり替えて持ち去ったか。
はたまた別の何かがあったのか。
「被害者の家には?」
「全てひっくり返したが、何もなかった。」ガイアは落胆した。これで残った手掛かりは、未使用の手帳と未使用の拳銃のみとなった。
本人が購入した手帳なら、調べたところでどうしようもない。すり替えられた物だとしても、この手の手帳を購入した人物はロンドンだけでも100人は居るだろう。
拳銃の弾は2発とも入っており、発砲していないことから、親しい者の犯行とも考えられるが、暗闇で急に刺されて抵抗する暇がなかったということも十二分にありえる。
これ以上の進展は望めない。そう思ったその時
「見付けましたよ警部。」今のこの状況に場違いとまで思える明るい声が、ガイアの背後から歩いてきた男―スーツを着慣れた感じはするものの、やる気を感じられない着こなしをした少年―から発せられた。
少年は右手で拳銃を掲げていた。
「また来たのか。」警部は次々に来る少年2人にうんざりした。
「警部さんが怒って、証拠を持って来いって言ったんじゃないか。」警部は一瞬言葉を詰まらせたが、持ち前の回転の速さですぐさま話をすり替える。
「それでその銃は?」少年はやや不満げだったが、警部の心中をさっしたのか、口喧嘩に勝った気になったのか、若干表情が晴れやかになった。
「これは、その銃弾の主です。」そう言って、少年はテーブルの上のひしゃげた弾丸を指差した。少年が持ってきた拳銃は、スミス&ウェッソン社製ミリタリー&ポリス。装弾数は6発。
「どこでこれを?」
「僕が調べてた物盗りの被害者が持ってました。」警部は、物盗りを調べてたのなら、何故殺人の捜査に首を突っ込んでいるのか問いただしたくなったが、これ以上面倒を被らないように黙って聴くことにした。しかし
「盗みを調べてて、なんで殺人に手を出してんだ?」黙って聴いてろ。余計な口は利くな。警部は心中で毒づく。
「君は・・・探偵かい?」ガイアの問いに、少年は問いで返す。
「ああ。あんたと同じ見習いだがな。」お互いに、自己紹介せずともお互いの立場を認識した。
「内務大臣に依頼で物盗りの調査をしてたら、被害者がこれを持っててね。殺人の話もちょっと耳に入ってたから一応と思って銃のことも大臣に報告したら、こっちに回されたって訳だよ。」
そして、少年たちは自己紹介を始めようとした。その動きをいち早く察知した警部は、2人を追い出した。
「これからその銃を調べるから帰ってくれ。またなにかあったらこっちから呼ぶ。」暗に、もうここには来るなと釘を刺した。
「その物盗りの被害者ってのはどういう人間だ?」警察署を追い出された2人は、別れる前に情報交換をすることにした。
「元々は警官で、6年でやめてからは造船会社で作業員をやってる。」ガイアが尋ねるよりも先に、少年は自分でこう付け足した。
「やめた理由はわからない。」
続いてガイアから少年へ。
「僕は君の後追いしてたみたいだから、聞きたいことは特にないかな。」
「そうか。」ここでガイアと少年は別れようとした。
そのとき、あっという声でガイアは動かしかけた足を止めた。
「そういえば1つあった。」少年はガイアの方に向き直った。
「僕はドゥエイン・スクワイア。君は?」そのとき漸く、ガイアは自分の名前を言っていないことに気が付いた。
「ガイアだ。ガイア・ゴールディン。」
~翌日~
拳銃と弾丸の照合結果が出た、とガイアは警部に呼び出され、警察署に赴いた。
言われた時間通りに来たが、10分経ってもまだ、警部は結果を伝えようとしない。警部に何故か尋ねると、こんな答えが返ってきた。
「もう1人が来てからだ。」なんで関係ない俺があいつを待たなくちゃならないんだ。ガイアがそう思っている以上に警部は、どうしてこのくそ忙しい時にガキ探偵2人の相手をしなくちゃならないんだ。と思っていた。
結局ドゥエインが警察署に来たのは、約束の時間を46分過ぎてからのことであった。
「照合の結果、あの銃弾の旋状痕が拳銃と一致した。」ガイアとドゥエインは同時にあくびしながら聞き入れた。その姿に警部は証拠品の拳銃の引き金に手を掛けようとしたが、なんとか我慢しゆっくりとテーブルに置いた。
「これからこの銃の持ち主、ハリー・ウォーカーの身柄を拘束する。」2人の目を交互に見た。
「これで事件は解決だ。また何かあったときは頼む。」警部は心にも思っていないマニュアル通りの台詞を吐き捨て、エントランスに待機させていた警官隊を引き連れ、ハリー・ウォーカーの元へ向かった。
そんな警部たちの背中を、2人は半ば放心状態で見送った。
「それじゃあ、報告に行こうか。」
「ああ・・・」ドゥエインは立ち上がり、内務省に行くように促した。ガイアは考えを巡らせドゥエインの声を理解していなかったが、反射的に返事をした。
「無事、容疑者の身柄を拘束したそうだ。警部も君たちのことを褒めていたよ。初仕事でこれだけできるとは驚きだ。」内務大臣は見習い探偵2人に惜しみない拍手を送った。
「次からはもう職員の子守は必要なさそうだ。いや、実に見事だ。」
「ありがとうございます。」ドゥエインは頭を下げた。対照的に、ガイアは未だ上の空で、無反応だった。
それを見た大臣は2人に言った。
「これで今回の仕事は終わりだが、気になることがあるならまだこれを持っていてもいいぞ。」大臣は、たった今返却されたばかりの捜査許可状を差し出した。
「いえ、もう大丈夫です。」ドゥエインはこれを固辞した。しかしガイアは、またもドゥエインと対照的な行動をとった。
「じゃあそうさせて貰います。」そう言ってガイアは捜査許可状をポケットにしまった。
「さぁ、あとは自由にしてくれ。」2人は内務省庁舎を後にした。
「これからどうする気?」ドゥエインは、ガス灯に肩をぶつけかけたガイアに尋ねた。しかし、耳には入らなかったようで、ガイアは黙って歩き続けた。
すると、ドゥエインはガイアの前に立ち行く手を阻んだ。ガイアはそこで漸く、ドゥエインがまだ傍に居たことに気づいた。
「今から初仕事祝いに何か食べに行かない?」ガイアは全く乗り気ではなかった。無論、ドゥエインもそうだろうと思っていた。
「何が腑に落ちないのか、そこで聞かせてよ。」ガイアは渋々ながらそれを承諾した。
「鴨のローストとサーモンのムニエルとサラダ。あとオレンジジュース。」ドゥエインは5分以上熟考した結果。以上の料理を注文した。
「君はどうする。」
「俺も同じのでいい。」ガイアには、料理よりも今抱いている違和感の方が重要だったので、二つ返事で注文したが、冷静に考えればジュースは不要であった。もっとも、今のガイアにとってはそれこそ重要ではないことか。
注文を終えたドゥエインはガイアに向き直る。
「それで、何に納得いってないの?」納得いっていないものを挙げるとすれば、被害者が殺害された理由、現場に落ちていた弾丸、凶器の行方、指にあった熱傷、発砲した形跡のないデリンジャー、容疑者が所持していた拳銃、等々ほぼ全てのことに納得できていないが、その最もたるは
「なんで銃弾と拳銃だけで逮捕に踏み切れたんだ?」
「確かに凶器とは関係ないってわかってるもので逮捕できるなんて不自然だね。」ドゥエインは納得していない理由については理解しているが、あまり関心を示していない。
それを受けてガイアは語気を強めた。
「自分が調べてた事件だぞ。興味ないのか?」
「興味がないと言えば嘘になる。」ガイアは、なら何故そんなに無関心なのか聞こうとした。しかし、それよりも一瞬早くドゥエインが口を開いた。
「でも、僕らが依頼されたのは事件の調査だ。それ以上でもそれ以下でもない。」
「それでも―」ドゥエインはガイアの反論を遮った。
「僕はね、報酬を手切れ金だと思ってるんだよ。依頼を受けたら何処だろうと穿り回す。でも、報酬を受け取ったらもうそれ以降は関わらない。そういう合意で受け取るもの。そう思ってる。」
暫くの沈黙の後、今度はガイアが口を開いた。
「そうか、それがお前の信念か。」ガイアは立ち上がった。
「だったら俺も、俺の信念を貫く。」そう言って立ち去った。
直後、注文した料理が運ばれてきた。ドゥエインは独り鴨肉を口に運んぶ。
人は言われたことだけやってればいい。そうすれば、傷つくことも、不幸になることもない。必要ないことに手を出して、人が傷つくのを見るのはもう沢山だ。
~数日後~
ガイアは銃声らしき音を聞いて跳ね起きた。辺りを見回すと、見知らぬ部屋だということが確認できた。
「おはよう。でも、もうこんにちはといった方が良い時間かしら?」体を起こすと、正面の椅子に見知らぬ老婦人が座っていた。老婦人はガイアが起きたことを確認すると、何処かへ行ってしまった。
「先生、彼が目を覚ましましたよ。」老婦人のものと思しき声が誰かを呼んだ。
程なくして、今度は見知った顔の男が部屋に入ってきた。
「やあ。お目覚めは如何かな?」その男―死体安置所で会った、検死を担当した医者―はさっきまで老婦人が座っていた椅子に腰を下ろした。
「ここは?」
「君が、聞いた途端にいやな顔をしたベイカー街だ。」
8割方状況を理解したガイアは、目が覚めたときのことを思い出した。
「さっきの銃声は?」医者は特に驚く様子もなく淡々と答えた。
「友人が撃ったんだろう。」医者の言う友人というのは、イギリス中で名の知れた探偵だ。推理力もさることながら、その変人ぶりでガイアの耳にも入っていた。しかし、自宅で拳銃を発砲するとは露程にも思わなかった。
しばらくして、老婦人が紅茶を持ってきた。
「どうも。」ガイアと医者は軽く礼をした。
「あと、彼にもお茶を。」そう言って医者が天井に目をやると、老婦人はうんざりしたように溜息をついた。
「犯人が捕まったそうだね。」ガイアは弱々しく頷いた。
「それにしては浮かない顔をしているな。」
「眠いだけですよ。」余計な詮索を避けるためにわざとらしくあくびして見せた。
医者は、そうか。と口では言ったものの、ガイアが悩んでいることに気付いていた。もっと言えば、何に悩んでいるかもわかっていた。
「ナイフは何処に在りや?ライオンが咥えて持って行ったか?」医者は芝居がかった声で、何に使うのかナイフを探し始めた。その声はガイアの頭の中に響き、しばらく離れようとしなかった。
「ほんとにナイフはなかったんですか?」
「だからなかったって言ってるだろ。」ガイアは警察署に押しかけ、現場検証に当たっていた警官を問い詰めた。
「第一、あったとして隠すわけないだろ。」確かに普通ならそうだ。だが今回は、どうも普通じゃない。ガイアはそんな気がしていた。
「まぁここじゃなんだから。」ガイアは警官の襟を掴んで取調室に押し込んだ。
「ここなら誰にも聞かれない。」
「いや、そういう問題じゃない。」
この水掛け論が20分続き、お互いに埒が明かないと思い始めた。必死に部屋から出ようとする警官に対し、ガイアは扉を開けさせまいと必死で阻んだ。
「人の命が懸かってるんだぞ!」ガイアは思わず、外に聞こえるくらいの声を上げた。
「このままじゃ、容疑者は絞首刑だ。あんたはそれでいいのか?」一転して声を落とし、今度は誰かが来るかもしれないという焦りから早口になった。
「あんたも隠蔽に苦しめられただろ。今度はあんたが隠蔽する番か?」外がざわつき始め、ガイアは語気を強め捲したてる。
「あんたに人殺しの片棒を担ぐ覚悟はあるのか?」
「うるせぇ・・・」
「死んだ両親に顔向けできんのかよ?」
「黙れよ・・・」
「このままじゃ一生後悔することになるぞ。」
警官は突然ガイアの胸ぐらに掴みかかった。
「そんなことお前に言われなくてもわかってる!!」体を震わせ、有りっ丈の声を吐き出した。
「でも・・・しょうがないだろ。俺だって好きでこんなことやってんじゃないんだよ・・・」警官はガイアの胸ぐらを掴んだまま項垂れた。
「何をしている?」誰かが扉を叩いた。ガイアは扉を開ける直前に
「それを聞けただけで十分だ。ありがとう。」そう言って、すぐに外に出て行った。
「うちにあるのはこれで全部だ。」骨董屋の店主は、裏の倉庫から錆びたマインゴーシュ、象の彫刻が施されたククリ、辛うじて表面に金が残っているジャマダハル、真新しいレイピア、先が折れたショーテル、鞘の割れた脇差し、刃だけのマチェットといった刀剣類を店の方に引っ張り出した。
「それで、何をお求めで?」
「そうだな。殺人に使ったら警察が必死になって隠そうとしそうな、そんなナイフとか。」言うまでもなく、店主は怪訝そうな顔をした。だがそこは商売人、深くは追求しようとはしなかった。
「中々難しい注文だな。」
「ないですか。」ここ2、3日で10回は聞いたこの言葉に、ガイアは肩を落とし、あきらめて別の方法を考えようと回れ右をした。
店主はそんなガイアを、まぁ待てと呼び止めた。
「大人ってのは、できないことなら無理だとはっきり言う。」
「じゃあ難しいと言ったときは?」
店主はいやらしい笑顔を浮かべた。それは、悪徳商人が金の勘定をしているときのような顔だった。
「どうにかできる。金次第でな。」まだ酒も飲めない歳の子供からも金を巻き上げようとするご立派な大人と対峙し、大人とはけだものであると再確認した。
ガイアは溜息をつきながら店内を見回した。すると、とてもおもしろい物を発見した。
それはショーケースに入った翡翠製のアヘンパイプだった。一見すると売り物だが、値札が見当たらない。それに加え、まだ新しい煤が吸い込み口に付着していた。それを確認したガイアは、心の中でほくそ笑んだ。
「大人しく出した方が自分のためですよ。」店主は突如として態度を変えたガイアに驚いたが、自分の有利を信じて疑わず更に高圧的になった。
「これだけ手を煩わせておいて、ロハでブツを渡すと思ってるのか?」
「嫌でも出すことになるぞ。豚箱にぶち込まれたい願望がなければの話だが。」依然として余裕そうなガイアの表情に、店主は異様な感覚に陥った。何かに足首を捕まれたような、そんな感覚に。
「そのパイプ。見せて貰ってもいいか?」
「それは売りモンじゃない。」
「だろうな。」ガイアは思わず口元を緩ませた。
「まだ使ってるんだもんな。そりゃ売れないに決まってる。」
店主は驚いて目を見開いた。阿片の常習を隠すためにショーケースに入れ、吸引する際にだけ取り出して使用する。翡翠製というのが骨董屋にあっても不審に思われない、絶好の隠れ蓑だ。また、これだけ堂々と展示していれば、使用しているなど誰も露にも思うまい。
そう見越しての策だったが、突如現れた訳のわからない子供に見破られ、店主の顔が一気に青ざめた。そんな顔を見ながらガイアは得意気に、証拠となるパイプの煤のことを指摘した。
言い逃れはできない。そう確信していた店主の心を支えていたのは、パイプの使用に気付いた唯一の人物が子供であるという事実だった。
「もし俺がアヘンをヤッていたとして、それでどうする?警察にタレコんだところで、お前みたいなガキの言うこと誰が信じる?」店主は脂汗を流しながら"最後"の抵抗をした。
「信じるやつがいないかどうか、試してやろうか?」そう言ってガイアは、試作品の名刺をショーケースの上に置いて店を去ろうとした。名刺は名前と所属のみ記載された真っ白なペラ紙だったが、今の店主にとどめを刺すには十分過ぎた。
店主は頭が真っ白になりながらも、本能でガイアを呼び止めた。
「やっと出す気になったか。」ガイアは語気を強め、店主に詰め寄った。
「あぁ。でもここにはない。」
「ああぁん?なら豚箱行きだ!」店主はひぃと声を上げた。端から見れば、店主が強盗に脅されているようにしか見えない光景だ。
「現物はこの店、いや、世界中探しても売られてない。」店主の勿体振った言い方にイラッときたガイアは、拳をショーケースに思いっきり振り下ろした。
ショーケースのガラスがミシミシと音を立てて、一面にクモの巣を張り巡らせた。そのとき店の窓から警官が見えたが、当然呼べる筈もなく、可及的速やかにガイアに帰ってもらえるように努めた。
「写真ならある。それだけで十分にわかるはずだ。」そう言って店主は、カウンターの棚から分厚い冊子を取り出した。大雑把に3分の2あたりの所で開き、そこから1ページ1ページ捲っていった。
「あった、これだ。」
写真を受け取ったガイアは見間違えを疑い、写真を凝視した。そして、見間違えでないことを確認し絶句。それと同時に全てに合点がいった。
「こりゃあ慌てて隠すはずだ。」
「ちょっと!勝手に入るな!」内務省庁舎を訪れたガイアは、職員の制止を無視してトレンスのもとに押し入った。職員は必死になってガイアの服の襟を掴んだが、そのときには既にトレンスの目の前まで来ていた。
「なんの騒ぎだ?」トレンスは机から目を離し顔を上げると、目を丸くした。
「こいつが急に来て、補佐官に会いたいって。止めても聞かないんですよ。」それを聞いてトレンスはほぼ全てを察し、ガイアを自分の前に座らせた。
そして、不満げな職員に仕事を与え、席を外させた。
「総監補佐に、あとで伺うと伝えておいてくれ。」この指示に職員と、おまけにガイアも嫌な顔をした。
「押し掛けてくるなんて、何の用だい?」
「わかってるでしょ?あの事件のことですよ。」白々しくとぼけるトレンスに、ガイアは感情的になり机の上の書類を床に放り落とした。
「あの事件なら犯人は捕まったろ?」どうやら、しらを切り通すつもりらしい。そこでガイアは自分から話を切り出すことにした。
「凶器のこと調べましたよ。」
「それで?」顔色1つ変えないトレンスに、少し不安になりながらも、凶器のナイフのことを話した。
それでもトレンスは顔色を変えなかったが、少し違った反応を示した。
「もし君が言うように国からの圧力があったとして、君はどうする気だい?新聞社に流すのかい?」
「そうなれば、今度は俺が公園で変死しているでしょうね。」
「人魚に河に引きずり込まれてるかもしれないよ?」片や脅しともとれる警告、片や手の内を知っているというアピールで、お互いに牽制しあう。そんな睨み合いがしばらく続いた。
すると、この膠着状態を打ち破る来訪者が扉を開いた。
「取り込み中だったか?」
「いや、どうぞ入ってくれ。」トレンスは猛獣の檻から解放されたが如く胸をなで下ろし、来訪者を手招いた。
「呼んでもないのに、いいときに来てくれた。」
「丁度、外に出る用があったんでな。」トレンスが、ガイアそっちのけで親しげに話すその来訪者は、先ほど職員に言伝に行かせた、警視総監補佐オークス・ディンズデールだ。
「ガイア君、話は終わりだね?」まだ話は終わっていなかったが、これ以上何も望めない、そう思い、そして何よりも、総監補佐がこの場に来たことが、早急に立ち去りたいという思いを加速させた。
程なくして、ガイアは部屋を出た。扉の前にほんの気持ちを添えて・・・
「わざわざ御足労いただけるとは思ってなかったよ。入れ違いにならなくてよかった。」
「ちょうど大臣に呼ばれていてな。玄関で伝言役に会って、そう言ったんだが、聞いてないか?」トレンスはいいや。と首を振った。
「まぁいい。それで何の用だ?」ディンズデールは床に散らばった書類を机の上に戻した。トレンスはそれを受け取り、封筒にしまった。
「ガイア君が勘付いたみたいでね。注意を促しておこうと思ってね。」
「それだけか?」
「それだけだね。君がガイア君に言って聞かせてくれるって言うなら、言っておいて欲しいことはあるけど。それも難しいだろうし。」
「そうだな。」
トレンスは溜息をついた。
「本当に君は、息子に対して厳しいね。それとも、当て付けかな?自分自身への。」ディンズデールは一瞬考え込んだが、直ぐに背を向け扉の方に向かおうとした。
「またなにかあれば呼んでくれ。」そう言ってドアノブに手をかけた。
「そう言えば・・・」その瞬間、何かを思い出してトレンスの方に振り返った。
「もう知っているかもしれんが、今朝うちに見習いの探偵が押しかけてきて、例の凶器のことを聞いてきてな。」
「それでどうしたの?」
「知らぬ存ぜぬで突き通したが。恐らく此処にも来るだろう。」それを聞いてトレンスは、仕事が増えると泣き言を上げそうになった。
「国の威信を賭けたハッタリに、見習い探偵が2人も気付くなんて将来有望だね。」トレンスは苦笑いを浮かべた。一方ディンズデールは、皮肉な結果にか、はたまた皮肉そのものにか、眉間に皺を寄せた。
「まったく・・・確かに突然のことではあったが、ガキに気付かれるとはな。」
「途中で折れてくれるといいけど、2人の性格から言って無理だろうね。」2人は、行動には現れなかったものの心中では頭を抱えていた。
時計塔の鐘が4時を告げる。
「まぁそういう訳で、頼んだぞ。」
「君もね。」
今度こそ出て行こうと、ディンズデールはドアを押した。しかし、そのままの姿勢で動こうとしない。不審に思ったトレンスは声をかけた。
「どうかしたのかい?」
すると、ディンズデールは突然思いっ切りドアに蹴りを入れた。
ドアが開くと、正面には倒れた椅子が転がっていた。その様相から察するに、椅子がドアノブに引っ掛かって、ドアが開くのを妨げていたのであろう。
「あの野郎・・・」ディンズデールはそう呟いて立ち去った。
「見ていかないか?」内務省庁舎からの帰り道、ガイアは如何にも胡散臭い画商に捕まった。
「どれも本物そっくりだろ?」
「これ、あんたが描いたのか?」
「そうだ。」画商は胸を張って答えた。
「ほんとはもっと高くで売りたいんだけどな。」画商はさっきまでの接客用の顔から一転して、ばつの悪そうな顔をした。
「やろうと思えばいくらでも売れる。やり方次第だ。」ガイアは、肉眼だけでは本物と区別がつきそうにない、贋作のモナ・リザを眺めながら言った。
「ほぉ。おもしろいことを言うな。」画商は立ち上がって、舐めるように絵を見回すガイアの傍まで行った。
「あんちゃんならどうやって売る?」その問いに、ガイアは絵の隅々まで見回してしばらく考えた。そして、額に目を遣ったとき、今後の道筋を閃いた。
「これを作ってくれたら、モナ・リザの売り方を教えてやる。」
翌日の早朝、ガイアは訪ねてきた数名の男に叩き起こされた。そして、はっきりと目が覚めたときには警察署の取調室に居た。目の前には、警部が座っている。
「何の用ですか?人が気分悪くもがんばって寝てる時に。」
「同情はするが、こっちも仕事なんでな。」
ガイアは見せびらかすように、大きなあくびをした。
「それで、用件は?」それを聞いて警部は、いささか驚いた様子だった。
「連れて来られる時に言ってなかったか?」
「言ってたかもしれないな。覚えてねぇけど。」肩を竦めるガイアに、如何にも面倒くさそうに溜息をついた警部。その心中では態度と裏腹に、これ以上に幸運なことはないと狂喜していた。
と言うのも、警部の今の任務は、公務執行妨害及び脅迫罪の取り調べと称した身柄拘束だったので、1から10まで説明しなければならないという状況が時間稼ぎには好都合だったためだ。
「つまりは、上からの圧力に屈して、判決が出るまで俺"達”をここに閉じ込めておくってわけか。」
「あくまで脅迫の取り調べだ。お前が素直に罪を認めれば、直ぐに帰れる。」圧力があったことは否定したが、ガイアと他にも誰かが拘束されていることは否定しなかった。
「簡単にへばるなよ?」
「のぞむところだ。」
「なぁ、頼むから何かしゃべってくれ。世間話でもいいからさ。」同じ頃、ドゥエインも取調室に居た。しゃべっても早く出れる訳じゃないとわかっている故、黙りを決め込んでいる。
因みにドゥエインは、バッキンガム宮殿に侵入した不法侵入の現行犯という、圧力がなくとも逮捕される罪で拘束されている。
「うちの刑事からなにを聞き出した?」
「別に何も。口の堅い奴だった。」
「その後、古物商を回ったそうじゃないか。何も聞いてない筈がない。」
終わりのない問答の始まりと同時に、我慢比べと時間との勝負も始まった。あまり猶予はないが、同じ質問に対して同じ答えで返すだけなので、打開策を考える暇は十分にある。
「・・・」呼びかけに反応しないドゥエインに、根負けしたのか、働くこと自体馬鹿らしくなったのか、刑事も口を開かなくなり取調室は無人のように静かだ。
「骨董屋で何をしていた?」
「ただの趣味だ。」
「気に入ったナイフは見つかったか?」ガイアは何事もなかったかのように首を横に振った。内心では、予想よりも警察が多くの情報持っていることに少し感心した。
「Max Welton's braes are bonnie~♪」刑事は暇つぶしに歌を歌い始めた。その中々な歌声に、ドゥエインは思わず聴き入った。
「贋作屋になにを注文した?」
「額を彫ってもらってる。」平静を装ってはいたが、昨日の今日の話、それもガイア自身にとってもイレギュラーな出来事までも、警察が掴んでいることにかなり動揺していた。
「モナ・リザでも飾るのか?」どうやって情報を掴んだ?今の今まで打開策を思考していた頭が、今度はそのことだけを考えるようになった。
「I'd lay me doon and dee~」歌が終止線を越え、2人が余韻に浸ると、取調室は再び静寂に支配された。
ドゥエインが拍手すると、刑事は自分の立場を思い出し控えめに礼をした。
「歌上手だね。」この言葉に、刑事は思わず笑みをこぼす。
「やっとしゃべったな。」
「そりゃ、お別れくらい言わないとね。」刑事は表情を一変させ、身構えた。
すると、扉をノックする音が聞こえ、男が1人入ってきた。
「釈放だ。」刑事は訳がわからず、視線を男とドゥエインの間で何度も往復させた。
「それじゃあ。また歌聴かせてよ。」ドゥエインはそう言って取調室を後にした。
「どういうことだ?」ガイア達が居る取調室にも、闖入者が1人。警部は一抹の怒りを滲ませ、唖然とした。
ドゥエインとは対照的にガイアには状況が理解できず、警部然り、刑事然りとした表情をしていた。
「何処の人間だ?」
「内務省の者です。」そう言って、内務省職員と思しき男は、警部に書類を差し出した。
「彼らの身柄は、我々が引き取ります。」
書類を受け取り、ざっと目を通した警部は、握りしめた拳を震わせた。その目には、怒り、憎しみ、悔しさ、不満が滲んでいた。
「君達は少々やり過ぎだ。」目の前に座る内務大臣は、右手に持ったペンをしきりに机に打ち付け、左手は強く懐中時計を握っている。見るからにご立腹な様子だ。
「君達がどれだけ証拠を掻き集めたところで、その可否を判断するのは裁判所だ。」
「つまるところ、政府次第ということですか?」
「そういうことだ。」大臣はこれまでの人間とは違い、圧力をかけていることを認めた。
「確かに私も、殺人犯をみすみす取り逃がすのは心苦しい。しかし、10世紀から現在まで、未だ王室の権力は絶大だ。」
「つまり、言い訳できないような状況なら、逮捕はできるんですね?」ここで漸く、今まで黙って窓の外を眺めていたドゥエインが口を開いた。
「民衆100人が、100人とも同じ意見になるような状況であれば。王室としても、あからさまに圧力を疑われることはしないだろう。」
ドゥエインが、だったら。と言いかけたところで、大臣が遮る。
「しかし今回は、確固たる証拠がない。あったのは凶器のみだ。間接証拠のみの現状では、王室関係者を逮捕できない。」
「だったら、」今度はガイアがその文言で話を切り出した。
「だったらどうして、無実の人間を犯人に仕立て上げたんですか?揉み消しならいくらでもできる。何故犯人が必要なんですか?」この時、ガイアの頭の中には2つの可能性があった。
1つは、濡れ衣を着せてでも、ハリー・ウォーカーを逮捕しなければならない理由がある。
もう1つは、濡れ衣を着せてでも、加害者を逮捕しなければならない理由がある。
一見すると同じ2つの可能性だが、蓋を開ければまったく相反するものだ。前者は、ハリー・ウォーカーに何か秘密があり、この事件を逮捕する機会として利用したということ。後者は、被害者に何か秘密があり、どうしても加害者となる存在が必要だったということだ。
「何故そうまでしてハリー・ウォーカーを絞首台に送ろうとするんですか?」ガイアはこの質問を投げかけ、大臣の顔色を窺った。だが、特に顔色に変化はない。事件に関係がないのか、将又、単なるポーカーフェイスなのか。その判断は、もう1つの質問に託された。
「それとも、今回の事件に加害者という存在が必要であったというだけですか?」すると、大臣は左手に握っていた時計の文字盤に目線を落とした。
「もう時間だ。」そう言って、大臣は席を立ち、部屋を出ようとした。
「待ってください!まだ話は終わってない!」
「私の話は終わった。」部屋の扉が開き、大臣と入れ替わるように職員数名が入ってきた。
「ちょっと待ってください!」ドゥエインが怒鳴り声のような声を上げた。職員は、排除しようとドゥエインとガイアを取り押さえる。
「本当に逮捕する気があるなら、僕に考えがあります!」大臣は、立ち去ろうとする足を止め、体をドゥエインの方へ向けた。
「本当か?」あまり信用していない様子の大臣に、ドゥエインは得意気に言う。
「そのために宮殿に侵入したんですよ?」
~2日後~
「本当にやるの?」
「お前が代わるか?」ドゥエインは心配そうにガイアの顔を見上げ、ガイアは緊張気味に息を吐いた。
「さっき病院に手当の準備をお願いしに行ったら、みんなポカンとしてたよ。ただ、30分後くらいに刺された男が来るって言っただけなのに。」
「後で俺が病院に行ったら、病院の連中はお前のことを予言者だと思うだろうな。」
「僕がやったって思われないといいけど。」そうなる心配は皆無に等しい。何故なら、警察の後ろ盾があるのだから。この事実が、今の2人の、特にガイアの心を支えている。
「もしそう思われても、俺は何も言わねぇぞ。」すると、ドゥエインはにこやかに答えた。
「その時は、もう1回君の身体にナイフが刺さることになるよ?」
もしドゥエインが俺を殺すなら、笑いながら身体を滅多刺しにするだろう。ガイアはその姿を想像し、身震いした。そうして、この後刺されることへの恐怖心を吹き飛ばした。
それから程なくして、時計塔の鐘が3時を告げた。
「さぁ時間だ。」ガイアは背筋を伸ばし、自身がこの後ナイフで刺される場所へと歩みを進めた。ドゥエインは、そんなガイアの背を見送り、自身も役割を果たすべく歩み出した。
「それで、考えというのは?」大臣は、ガイアとドゥエインを取り押さえていた職員を追い払い、再び自分の前に座らせた。
そしてドゥエインは、考えを聞かれたにも拘わらず、ここまでの経緯を話し始めた。
「知り合いに偶然、この事件についてある噂を聞いて、それからこの事件を深追いし始めたんだ。」大臣に言っているように聞こえるが、本人としては、この話はガイアに向けて話している。ガイアもそのつもりで聞いていた。
「その噂ってのは、王室の人間が、この事件の犯人だっていう話。どうやら噂じゃなかったみたいだね。」要するに、噂話を聞いてこの事件を深追いしだしたということだ。
ひと言で終わる説明を長々とするドゥエインに、2人、特に大臣は、苛立ちを隠せなかった。しかし、まだ本題には入らない。
「それで色々調べ回ってたんだけど、君と違って何もわからなくてね。だったら直接聞きに行こうと思って、宮殿に行ったんだ。」よしんばそういう発想に至ったとしても、実行するような人間は他には居ないだろうと思われる常人にはとても理解できない行動に、2人は頭脳の浪費を回避すべく、思考を停止させた。
「中に入ってみたら、みんなピリピリしててね。」民家じゃないんだからそりゃあそうだろ。
「特にスイートルームなんか、ドアの前に衛兵が付きっきりで4人立ってたんだ。あれは護ってるっていうよりも、見張ってるっていった感じだったよ。」
「詰まるところ、その部屋の中で匿われいる人物が容疑者だと睨んだわけだな。」とうとう我慢ならなくなった大臣が、ドゥエインの話を遮り、結論へ急がせた。
「と言うことで、誰がやったか突き止めたわけですが、ここで僕は2つの選択肢を思いつきました。」つくづく、しゃべる側は疲れないのだと再確認し、ガイアは肩を竦め、大臣と顔を見合わせた。
「1つは、このまま部屋に入って、犯人をとっちめる。さすがにこれは思い止まったけどね。」もっと早い段階でそうできなかったものか。
「もう1つは、後で呼び出して、別の罪で逮捕する。と言うわけで、僕が提案したいのはこれだ。」漸く本題に入る気配を見せ、大臣は深く息を吐いた。既に丸1日走り回ったように疲れ切っている。
ドゥエインが言うには、殺人をネタに呼びつけ、逆上を誘い殴らせると、現行犯逮捕の文句なしで警察に引っ張って来られるそうだ。だが、大臣はおいそれと首を縦には振れない。もしも警察が噛んでいるとバレれば、警察幹部のみならずゴーサインを出した大臣も処分されかねない。第一呼んだからといって、のこのこ現れるとは思えない。
「警察が凶器を貸してくれれば、絶対に彼は現れますよ。王位継承権第28位とは言え、彼も王族だ。挑発されっぱなしなんてプライドが許さないはずですよ。」ドゥエインは自信満々に大臣の顔を見たが、その顔はさっきにも増して、不安の色が浮かんでいた。
「あれなら、もう既に処分してあるはずだ。」それを聞くと、ドゥエインの顔から自信が消え、焦りと言うよりも絶望と言った方が適切だろうか。そんな表情に変異した。
「だったら、僕1人でどうにかする。」協力を取り付けられないことを悟ると、最早、法だの理性だのはどうでもよくなり、ただ自分の感情のまま、復讐と呼ぶに相応しい制裁を下すべく、ドゥエインは動き出した。
「待て!」賺さずガイアは呼び止めるが、ドゥエインは怒鳴り声に近い声で応酬する。
「何もしないで終わるよりも何かして終わるほうがましだ!?」怒りからか悔しさからか、ドゥエインは目を潤ませていた。
そんなドゥエインとは対照的に、ガイアの口元には笑みが浮かんでいた。
「その作戦、やってのけてやる。」ガイアの弛んだ口から発されたその言葉に、ドゥエインはもちろん大臣まで口を開け、ポカンとした。
「どうやって?」「何を餌にする気だ?」2方向からほぼ同時に聞こえてきた異なる問いに、ガイアは1言で答える。
「ナイフを使う。」その返答を聞いた大臣は、落胆した様子で溜息をついた。
「ゴミ箱をひっくり返したところでナイフは出てこないぞ。誰が如何に処分したかは私も知らん。」
「ご心配なく。明日には用意できますから。」
翌朝のロンドンは、外界から隔絶さるように霧に覆われていた。
画商は、袋を被せた商品を道の端に広げ、自作のモナ・リザを眺めながら朝食を摂っている。近づいてくる人影に気付き顔を上げると、楽しみに待っていった客だと分かり、食べかけのサンドウィッチを口に押し込んで急いで飲み込んだ。
「よお、あんちゃん。待ってたぜ。」画商は、手元に持っていた木箱を開け、中身をその客に見せた。
「やけに急いでるな。」
「そりゃあ、モナ・リザがどうすりゃ売れるのか早く知りたいからな。」現に、ガイアが製作を依頼したものは当初、1週間かかるとされていた。それを超特急で完成させた。それができたのは、偏に早くモナ・リザの売り方を知りたかったからだ。
「良いできだ。」ガイアは箱の中身を取り上げ、刃の端から端、そして、入念に柄の隅々見回し、箱の中に戻した。
「それにしても、そんなもん何に使うんだ?王家の紋章が彫ってあるナイフなんてすぐに偽物だとバレるぞ。」
「そりゃナイフなんだから、ナイフとして使うに決まってるだろ?」画商は理解不能といった顔を見せた。だが、画商が今欲しているモノはそんなことではない。
「それで、どうすればモナ・リザを高く売れるんだ?」
「何で今は高くで売れないと思う?」間髪入れずに返ってきたその問いに、画商は技術のことを指摘されているのだと思い、声に怒気を絡ませた。
「俺の絵が下手だからだって言うのか?!」ガイアはすぐに、どういう受け取られかたをしたか理解し、画商に訂正と問いの模範解答を送り返した。
「いや。あんたの絵は少なくとも俺の目には本物と全く同じに見える。だったら、何でこれが高く売れないか。それは、一目で偽物だとわかるからだ。それは何故か?本物はルーヴルにあるからだ。」画商は誤解していたとわかると心を落ち着かせ、ガイアの説明に聴き入った。
「つまりだ、ルーヴルにモナ・リザがなければ、俺はこの絵が偽物だと気付けない。偽物だと気付かなければ、高くで買う奴も出てくるだろ。」それを聴いた画商は、満足げに微笑み、早くも店じまいを始めた。
「そうとなれば、早速里帰りしないとな。」
「ライオンが檻に入ったそうだ。」ディンズデールはトレンスに、ガイア達の作戦が成功し、真犯人が逮捕されたことを伝えた。
「そうか・・・」2人の脳裏に、最悪のシナリオが過ぎる。
「捨て身で逮捕にこぎ着けるなんて、すごい執念だね。」
「それも記念撮影付きと来たもんだ。」今の2人は、とてもじゃないが両手を挙げて万歳する気にはなれない。王家の網をかいくぐって道を正した2人の探偵見習いのおかげで、また1つ、懸念事項が発生したからだ。
「これで釈放せざるおえなくなったね。」ディンズデールは頷く。
「どうする?しばらくは護衛を付けるかい?」
「いや、必要ない。」
「どうして?」トレンスは怪訝そうな顔をして尋ねる。
「新聞に載ったことで、連中も自重するかもしれん。」そこで1度、言葉を切り振り返った。
「もし自重しなければ・・・その時は、」ディンズデールは、扉に向かって歩みを進める。
「ガキ共が、自分たちのしたことの重大さを思い知るだろう。」
ガイアは、病院のベッドの上で目覚めた。と言っても、粗末な手当を受けてから仮眠をとっていただけだが。
「おはよう。もうお昼だけどね。」丁度ドゥエインが、大臣から事後処理の依頼を受け戻ってきた。
「今日の正午にハリー・ウォーカーが釈放されるってさ。」
「んで、それを見に行けってか?」
「あたり~」ドゥエインは屈託のない笑顔をガイアに向けた。
ガイアは溜息をつきながら、腹の傷を押さえた。そして、つい数時間前の出来事を思い出して、身震いした。対峙したときの冷静な表情、逆上したときの怒り狂った表情、刺したときの笑顔、そして、取り押さえられたときの安堵したような顔。その表情1つ1つ、移り変わりに狂気と恐怖を感じて体が硬直した。もしも、あのとき警察が駆けつけなければ、直前でドゥエインが記者を呼ぶと提案しなければ、俺は殺されていたかもしれない。今回の素性のわからぬ被害者の様に・・・
その後、ガイアは着替える間もなく、ドゥエインに留置所へと連れて来られた。正門前には新聞記者等々が、予めロープで仕切られた陣地の中で群れをなしている。
「それじゃあ、僕は家に帰って寝るから、後は頼んだよ。」呼び止める暇もなく、ドゥエインは姿を消した。
正午を告げる鐘が鳴るが、まだハリー・ウォーカーは出て来ない。代わりに、昼休憩を迎えた近所の労働者が人集りに誘われ、続々と集まってきた。
そうして、正午を4分の1程過ぎた時、漸く留置所の門が開き、男が1人で歩み出て来た。カメラを持った記者は一斉にシャッターを切り、持っていない記者は男に質問の雨霰を浴びせた。
「今のお気持ちは?」「警察の取り調べは如何でしたか?」
しかし、男は口を開くことなく迎えの車まで歩き続けた。
その時
記者の群れの中からロープを越えて、大凡記者には見えないスキンヘッドの男が、車に向かって何かを投げつけた。
次の瞬間、爆音が熱風を纏い辺りを駆け巡った。車は此方に腹を向け、天に向かって火を吹き上げ、ハリー・ウォーカーと見られる男は、辛うじて人の形を留めてはいたものの、露出した肌は黒く焦げ、親でも誰かわからないであろう顔で地面にへばり付いていた。
ガイアは痛む腹を押さえながら、内務省の扉を開けた。中では大臣が椅子に凭れ、窓の外を眺めている。
「無事なようでなによりだ。」大臣はガイアの方を向き、顔を見た。その目には、涙が浮かんでいた。
「こうなるってわかってたんですか?」ガイアはギリギリのところで平静を保っていたが、大臣の返答如何によっては、暴れ回るか泣き出すか、何をするかわからないような状況だった。
「おかしいと思ったんですよ。わざわざ俺達に釈放の瞬間を見せようとするなんて。」ガイアは視線を落とし足下を見詰めが、表面張力が限界を迎え、瞳からこぼれ落ちた水滴がカーペットを汚す前に顔を上げ、今度は暫く天井を見詰めた。
「今回の事件の被害者は、マフィアの幹部か何かですか?」涙が蒸発したのを確認すると、視線を大臣に向けた。
「察しがいいな。」
「そりゃ、そん位の立場じゃないと、手榴弾を持ったハゲがお礼参りするなんてありえないでしょ。」大臣に対してか、警察、マフィアに対してか、将又自分自身に対してかはわからないが、沸き上がってくる怒りを外に漏らさないように堪えると、再びガイアの瞳は水の膜に覆われた。
「君の言うとおり、被害者はマフィアの幹部、組織のナンバー3に居た男だ。」大臣は、嫌味ともとれる拍手をガイアに贈った。そして、今回の事件の経緯、隠蔽の全容を語り始めた。
「元々我々がマークしていた男だ。捜査は最優先に行わせた。そして、現場に残された凶器から、犯人の特定にはさほど時間を要しなかった。だが、犯人の特定により問題が生じた。君の知っての通り、加害者は王族だ。もしもこれが世間に、特にマフィアの連中に知れたら、国家そのものが標的にされかねない。それだけは何としても避けねばならない。そこで我々は、マフィアの標的となる虚像を創り上げる必要があった。しかしだ、我々の調査では、マフィアの情報網は、我が国の安全保障に関する情報網にも匹敵するという見立てだ。存在しない案山子では、立ち所に隠蔽が発覚してしまう。それを危惧して、探偵見習いに窃盗の調査と称して、手頃な人間を探していたのだよ。そして、スクワイア君に調査させた人物が、実にお誂え向きだったという訳だ。もちろん、マフィアの報復も予測はしていた。君達が必要以上に手を出さなければ、事件はそこで終わっていた。とは言え、犯人を逮捕できたことには感謝している。」大臣はそこで話を切り、ガイアに手を差し出した。
「そろそろ捜査許可証を返してくれるかな。もう君には必要ないだろう?」そう言われ、ガイアは惜しげなく許可状を大臣の手の上に置いた。
「話は以上だ。」
ガイアは声を発さず頭だけ下げ、扉の方へ回れ右をした。
その時、大臣が最後にひと言ガイアに伝えた。
「当初の我々の指針では、ハリー・ウォーカーは絞首刑にしたと公表して、秘密裏に釈放させる予定であった。別人としての名前を与えてな。」
部屋を出たガイアは、倒れ込むように扉に凭れ掛かり、子供のように泣き叫んだ。
そして、傲慢さと未熟さ、それ故の過ちが招いた結果を、ただただ悔いた。
「まさか同僚だったとはね。驚きだよ。」見習いとしての仕事を終え、暫く会うことはないだろうと思っていたガイアとドゥエインは、後日、同じ探偵社に正社員として、あっさり再会を果たすこととなった。
「まぁ、内務大臣に顔が利く探偵社なんて、そうそうないからな。薄々そんな気はしてた。」そうして、2人は固い握手を交わした。
今回の事件は、2人にとって忘れることができない、忘れてはいけないものとなった。
威厳を保とうとする王族、隠蔽しようとする政府、報復しようとするマフィア。そして、糾弾しようとした探偵。それぞれの思惑が未完に終わり、それぞれが靄を残す結果となった。そして、それぞれが、少なからず世間からの顰蹙を買うこととなったのは確かだ。
しかし、1つ確かとなっていないことがある。それは、マフィアが殺害したのは、一体誰だったのかということだ。常識的、世間的に考えれば、間違いなくハリー・ウォーカーだろう。だが、それを誰が保証できる?
留置所から出てきた男は、自己紹介しただろうか?その男をハリー・ウォーカーだと断言した者は居ただろうか?過去にハリー・ウォーカーの顔を見たことある者が、あの場に居ただろうか?
あの男が、顔も口も命もなくした以上、真実はもう誰にもわからない。
~(Not) to be continued~
~余談~
・タイトルの由来は、ヒラリー・ウォー作「失踪当時の服装は」を捩ったものです。タイトル回収のために、何回かドゥエインの服装に関する記述があります。
・悲劇のヒーロー、ハリー・ウォーカー。名前の由来は前述のヒラリー・ウォーを捩ったものです。
・作中に登場した警部、医者、老婦人。そして存在だけ言及された、医者の友人。彼らは某有名ミステリー小説に登場する人物です。
・作中に登場した画商にガイアがモナ・リザを高値で売る方法のヒントを伝授しましたが、実はその方法、実際に起きたモナ・リザ窃盗事件とそれに関する贋作売買事件をもとにしたものです。