日々平々凡々
私の人生は実に平凡だ。人に言わせれば詰まらない人生だし、自分でもそう思うのだから胸を張って断言したい。
でも、平凡な人生の何が悪いのか。スリリングな人生も華やかな人生も興味がない。ただ静かに決められたルーティンをこなす、乱れのない人生を愛しているだけなのだ。
3階建て築35年の単身者向けマンションの南西向きの2階角部屋の窓から明かりが漏れている。
海香は自分の部屋を見上げて嫌な予感しかしなかった。時刻は午後11時をいくらか過ぎた頃。連日の残業をこなし疲れた体を引き摺っての帰宅なのに、疲れは倍になって海香の歩みを止めた。
今なら引き返す事は可能だろうか。こんな時間に訪ねても迷惑にならない知人は誰もいない。24時間営業の店でも逃げ込む?生憎とこの辺りにはないけれど。
色々と考えているとマンションから若い女性が出て来た。頭からつま先まで磨き抜かれたような華やかな美人。海香はその女性を見た事はないから住人ではないだろう。女性も海香の存在に気が付いて怪訝な表情を浮かべる。
それもそうだろう。こんな時間にマンションの前で疲れた顔をしてぼーっと立っているのだから。
女性が海香の横を通り過ぎる。無造作に纏められたように演出された髪型から除く形の良い耳には精細な金の三日月のピアス。甘やかな香りは女性に良く似合っていた。
暫く彼女を見送ってから海香は我に返った。ここでいつまでも立っていても仕方がない。
疲れが倍増する出来事が待っていると知っていても自宅のベッドが恋しかった。
1Kの部屋は逃げ場がないのだ。それは海香にとっても相手にとっても同じである。部屋の鍵は施錠されていなかった。そして玄関には見慣れない男物の革靴。
海香のテンションは下がる一方だ。部屋の明かりは付いている。だが物音はしない。奥にある扉を開けた。
部屋の中は荒れていた。元々物の少ない部屋は碌なものがないから少しの乱れが海香の気に障るのだ。
片づけられていな飲食の後。高級だと思われるワインボトルは床に転がっている。ワインボトルだけではない。抜き散らかされた男物の服。そしてテーブルの上にはメモと金色の三日月のピアス。部屋に香る甘やかな香りと情事の臭い。
海香は怒りに顔を真っ赤にさせながら部屋の窓を全開にさせた。
一つしかないベッドには大きな塊ができている。大き過ぎて足がはみ出している。海香は加減なしに足を蹴飛ばそうと足を振り上げたがさっとかわされた。
海香がきつく睨みつけた塊が動く。キラキラした金髪が布団から出て来たと思ったら裸の上体を起こして海香を見た。澄んだグリーンアイに相応しい西欧の血を感じさせる堀の深い整った顔立ち。アジア系にはない大柄な骨格には綺麗な筋肉がついている。
「………何してんの?海香」
「それはこっちのセリフだ―――!!」
振り上げた平手は今度こそ男に届く筈が、逆に手を取られ布団の中に引き込まれた。あっと言う間に海香の体は男に押さえつけられていた。
「5年ぶりに会う弟にソレはないんじゃない?」
体を動かそうにも腕も下半身も押さえつけられ全く動かせない。これがどういう状況なのか考えたくもない。
密着した弟、海里の体は熱かった。そのせいか生々しい臭いが鼻を衝いて嫌悪感に顔が歪む。
「あんたの中ではこれが5年ぶりに会う姉に対する仕打ちなの?」
「ああ、海香のベットで女を抱いた事?」
悪びれない海里は片頬を歪めて皮肉に嗤う。
「俺に見つかれば海香は直ぐに姿をくらますだろう?この部屋も今日限りなんだから気にする必要があるの?」
「あんたのそういう常識のないトコが嫌い」
「出た、海香の十八番。常識と平凡だっけ?相変わらず詰まんない人生歩んでるんだ?」
振りほどこうと腕に力を入れたが逆に強く手首を握られて苦痛に声を挙げた。海香の両手が頭上で一つに纏められる。自由になった海里の片手が海香の体を這う。
至近距離で見つめ合った視線を外す事が出来ない。海里の底の知れない美しいグリーンの瞳。子供の頃それを羨ましいと思っていた。それに比べ海香の瞳は暗いグリーンの色をしている。至近距離で覗かなければわからない、限りなく黒に近い色合いだ。
海里の手が海香の胸を掴む。息を飲んだ。
「海香の胸固いね。30にもなってまだ処女なの?」
掴まれた胸が苦しい。その苦しさが膨れ上がって海香の頬を濡らした。
海里が上体を起こした。腕の拘束も解かれる。声を殺して泣く海香の上からも引く。昔から海香の涙が海里は苦手なのだ。
「………風呂入って来る。逃げるなよ」
そう言って海里はバスルームに消えた。
海香と海里は外見が全く似ていないが正真正銘の二卵性双生児だった。海香は日本人である母親の容姿を受け継いでアジア系で、海里は恐らく父方の血筋から来たのだろう言われている。何故断定できないのかは、少々普通とは言い難い二人の出生に関わる。
母親はとある国の有名な医学博士だった。彼女は生涯独身で仕事が恋人という典型的な仕事中毒だった。そんな彼女が40歳を過ぎた頃に子供に興味を持つようになった。結婚はしたくないが子供は欲しい。普通の人間なら恋人探すのだろうが、彼女は違った。精子バンクを利用したのだ。
当時そういう妊娠はセンセーショナルだった。彼女の周りは勿論の事、国を巻き込んでの騒動になった。沢山の批判と嫌がらせを受けても彼女の意志を曲げる程のものではなかった。こうして生まれた双子は国一番の有名な子供になった。
そんな経由で子供を産んだ彼女が本当に母親になれたかというと推して知るべし。二人を育てたのは家政婦と研究所の研究員達だった。
同じ遺伝子を持つ筈なのに似ても似つかない双子。母親と違い陽気な研究員達は双子を面白がったものだ。体の良いモルモットのようなものだったのかもしれない。
海香は母親に似た平凡な容姿にその能力までは受け継がれず特筆するもののない平凡な子供だった。一方海里は、美しい容姿に母親の能力を受け継ぐ天才児だった。成長するにつれ海里への賞賛は高まっていった。母親として子供達に関心を示す事のなかった母親は優秀な人間として海里には興味を示すようになっていた。
双子の仲は良くも悪くもなかった。ただ二人きりの家族であるという認識はどちらにもあっただろう。ただ平凡な海香と天才である海里とは思考回路も興味もまるで違っていたのだ。
ようやく自分たちが普通ではない生まれだと理解出来た時、海香はその事実に押しつぶされた。そんな海香が救いを求めたのは海里だった。海里だけが自分の気持ちを理解してくれると愚かにも期待したのだ。
『海香、そんな事で悩んでるの?悩むだけ無駄だろう。俺達のせいじゃないんだから』
呆気なく、あまりにも呆気なく返された言葉を海香は忘れられない。海香の苦しみは無駄なのだ。
海里はいい。恵まれた容姿と類まれな才能をもって、どんな生まれだろうと自分を誇れる人間だ。でも海香は違う。自分の存在が恥ずかしい。カタログを選ぶように生まれた自分が、そうしてまで生まれたのに何の才能もない自分が。海里にしたら海香は無駄な存在なのだと言われた気がしたのだ。
それから海香は平凡に必要以上に拘るようになって、平凡とは程遠い海里や母親の傍にいる事が嫌で嫌で溜まらなかった。
そんな海香を見て海里は詰まらない人生だとよく言った。
海里は人生を謳歌していた。母親と違って何にでも興味を持って普通の男の子が経験する事もそうじゃない事も積極的に参加していて、多くの人間に囲まれて毎日が飛ぶように過ぎ、海香との関りは最低限だった。
海里の初セックスは13歳の頃だ。相手はうら若い研究員だった。それを偶然見た海香はその場を逃げ出して部屋に帰って嘔吐した。
セックスは人間の根源的な要求だと知っている。でも、それもなくまして愛もなく、だだ子供に興味をもったからと言う理由だけで生まれた海香には忌避すべき事のように思われたのだ。
海里はセックス出来るのだ。海香は海里と自分の徹底的な違いを痛感した。
それからの海香は海里達と離れて自立する方法を模索し出した。海香の願いが叶うのはそれから7年後だった。
母親が仕事にのめり込むあまり体調を崩して肺炎で呆気なくこの世を去ったのは20歳の時だった。母親の死は世間に公表され、その偉業と奇行が再び注目を集めた。双子の話も掘り返されてマスコミに追われた。特に何かと目立つ海里は海香よりも酷かった筈だが其の頃の記憶は曖昧だった。
母親の莫大な遺産が手に入り海香は迷わず生まれた国を捨てた。国だけではなく、何もかも捨てたのだ。その中の最たるものが海里だった。
秘密裏に薦めていた他国への脱出。何もかも上手く行った時海香は声を上げて泣いた。
海里が海香の失踪をいつ知ったのか海香は知らない。海里は母親が死んだことによって母親の研究を引き継いだと聞いていたし、それ以外にも色々と手を広げていたらしい海里の忙しさは想像を絶する。
ようやく手に入れた海香の平凡が乱されるのは一年後。海里がふらりと現れた。驚愕する海香に海里は昨日あったように気軽に声を掛けてきたのだ。
海里は海香を連れ戻そうとしたわけでは無かった。ただ黙って消えた海香には幾ばくかの憤りと呆れがあるようだった。いきなり失踪した理由とこれかの連絡先を教える事だけが海里の欲求した事だった。
そんな事かと人は思うかも知れない。けれども海香は海里の欲求に答えるのは嫌だった。
だからまた逃げ出したのだ。
それから海香は海里が現れる度に逃げ出して、最終的に日本に落ち着いたのだ。
海里と最後にあったのは5年前だ。もうとっくに海里に忘れ去られていると思っていたのに。
ただぼんやりと天井を見つめていた。早く逃げなければと思うのに体が動かなかった。
生れた時から自分とは違う人間だと思っていたが今や得たいが知れない人間になっていた。
涙腺か壊れたように涙が溢れてくる。悲しいのか苦しいのか、何のための涙なのかも分からない。
海香の視界に影が出来る。涙でない水滴が海香の額に落ちた。
「………まだ泣いてる」
腰にタオルを巻いただけの恰好で濡れた髪を掻き揚げて海里が溜息をつく。海香が反応出来ずにいると海里が手を伸ばして海香を起こしてベットに座らされた。
海里は海香の前に跪いて海香と視線を合わせる。
「………なんで、まだ裸なの?」
開口一番そんな指摘をする海香に海里は呆気に取られたようだ。
「服が無かったからだ。俺は露出狂じゃないぞ」
「あそこにあるじゃない」
脱ぎ捨てられた服を指差してやると指を噛まれた。驚いた海香が指を引っ込める。
「他の女の匂いがついているのでも良ければ着るが」
「………」
反撃を受けたのは海香だった。そんな海香の頭を海里が撫でた。
「えらいな、今度は逃げなかったな」
海香が海里に腕を取って頭からどける。
「また、逃げるよ。海里には何も話さないし、答えない」
海里はじっと海香を見ている。頑なに引き結んだ唇が海香の決意の表れだ。
沈黙が二人を包んだ。
自分の鼓動を感じながら息を深く吸う。海里を見ないまま最後の一言を口にした。
「………だから、もう、海里も私を探さないで」
何故わかったのかわからない。海里の笑う気配がした。海香が驚いて顔を上げると不思議微笑みを浮かべる海里がいる。
海香の背に冷たい悪寒が走った。
「海里?」
「そうだな、俺はもう海香を探さないよ」
「海、里?」
海里のグリーンの瞳が陰っている。それは何だがとても不吉な色のように感じる。
「だから海香も逃げる必要がない。俺はもう海香を逃がせなくなってしまったから」
それは、その言いようはわざと海香を見逃していたように聞こえる。
海里の手が海香の頬に触れる。今度は振り払う事が出来ない。海香の体が固まっているのだ。
「もう猶予はないんだ。海香には返してもらわなければならない」
海里が何を言っているのか分からない。海里に返さなければならない物なんか海香は知らない。だって何もかも捨てて来たのだ。海香にはこの身しかない。それに先程から体が動かない。
海香の中のパニックを感じているのだろう海里は優しく海香の頬を撫でた。
「海香は知らないんだ。お前の中には俺の一部が取り込まれてる」
海香は本当のパニックに陥った。海里がおかしい。こんなわけのわからない事を言い出す人間ではないのに。
「何、言ってるの?」
海里の正気を疑っているのに、海里は更にわけのわからない事をいう。
「博士の胎内に潜り込んだ時、既に海香が居たんだ。瀕死の状態の俺には溢れ出した俺の源がお前に流れ込むのを止める事が出来なかった」
海香は初めて海里に恐怖を覚えた。海里の瞳は真剣だ。気の触れた人間の出来る目ではないのに気の触れた事を平気で口にする。
「嫌だっ、海、里」
海香が必死で首を振ろうとするのに体が言う事を聞かない。
「ごめん、海香。もう猶予がない。せめてお前の寿命が尽きるまで待てればよかったんだが」
海香の中にもう無いと思っていた絶望が広がる。一体これは誰だろう?自分とは違う人間、得体の知れない人間。否、彼はきっと人ならざる者だ。海香とは隔たった人間だ。
海香の全身から力が抜ける。その体を海里は危なげなく抱き留めた。
「私、死ぬの?」
そんな事を口にしながら、異性に抱き締められるのは初めてだと思った。海里の肌は熱くて心地良い気がする。お風呂の入った後だから石鹸のイイ匂いがして、あの甘い匂いがないのに安堵した。
海里は海香を抱きしめたまま動こうとしない。
「私達二卵性双生児じゃなかった?」
それはつまり悪戯に生を与えられたのは海香だけだったと言う事だ。その事実は昏い感情を生んでもいい筈なのに、海香は良かったと思った。海里がそうでなくて良かったと思ったのだ。そう思ったら海里の手で人生を終えるのは悪くない気がした。
生きるのは海香にとっていつもどこか苦しかった。その苦しみを終わらせてくれるのが海里なら、全てを知る海里なら救いになる気がしたのだ。
「あげる。私の命、海里にあげる」
海里の手に力が籠る。背筋が折れそうだ。これは圧迫死なんだろうかと暢気に考えてしまう。
海里が顔を合わせる。改めて見ても美しい顔だ。これと同じ遺伝子のわけがなかったと妙に納得してしまった。
「海香、笑ってる………」
海里が切ない顔をする。
(うん、最後に笑える自分は嫌いじゃないな)
ゆっくりと目を閉じた。瞼の裏には慈しむような瞳をした海里が焼き付いている。
「一瞬で終わるから。海香に苦痛は欠片だって感じさせない」
それっきり意識は途絶えた。
気が付いたら、わたしはふかふかと宙を浮いていた。
わたし?わたしって誰だろう?
そう思いながら漂っている。思考はあやふやで直ぐに溶けて消えてしまう。
そうやってどれくらい漂っていたのか、時間の概念もないからわからないけれども、何気なく下に向けた視線がそこに横たわる女の人を見つけた。
なんとなく、下に降りたいなと思うと下にいた。丁度横たわる女の人の真上を漂っている。
これは女の人だ。「女の人」がどういう人なのかわからないがそう思った。
その人を観察する。
白い布を掛けられている。剝き出しの肩と腕と顔だけが布から出ている。
わたしは一生懸命考える。女の人はひょっとして裸ではないかと。
何故そんな事が気になるのかと聞かれても私にはわかない。だって気になるんだとしか。
それがとんでもなく恥ずかしい事のような気がしてしまうのだ。
女の人は息をしてないような気がした。生気というものが感じられない。大丈夫だろうかと思って女の人に触れる程近くに顔を寄せたら息をしていなかった。
死体だ―――っ!!と思って飛び上がった処で、男の人が飛び込んで来た。
「海香!!」
焦って飛び込んで来た男の人は、なんだか大袈裟な恰好をしている。似たような恰好を見た事がある。西洋の歴史を舞台にした騎士と良く似ているのだ。わあ、顔も堀が深くて整っているから本物の騎士のようでカッコいい。
そのカッコいい騎士は女の人の処へ近づいてその冷たい頬を撫でている。
わたしは何だが騎士がどんな表情をしているのか気になってまた下に降りてみた。
「………なんだ違うのか」
落胆、悲しみ。後は何だろう。そうやって観察していると彼と目が合った。
驚愕に緑の瞳が開かれる。
「海香!!」
いきなり腕を伸ばされたので思わず飛び上がってしまった。
「こら!海香!何で逃げる!!?」
なんでと言われても。いきなりで吃驚したのだ。
「降りてこい!海香!!」
何だかわからないが、男の人は必死だ。必死過ぎてわたしは降りたくなくなった。そんなわたしに気が付いたのか、男の人が優しく手招く、呼びかける声も穏やかで優しくなった。
「海香、海香だろう?俺はずっとお前を待ってたんだ。お前の魂がここに馴染んで少しずつ回復していくのを。おいで、海香。ずっとお前に会いたかった」
情感たっぷりの声だ。恥ずかしくなって益々降りられない。そうするとまた男の人が焦れてきた。ひょっとしてこの人は短気なのだろうか。
「海香これを見ろ」
男の人があの女の人を指差した。そして女の人の頭や顔や剥き出しの肩なんかを撫でるので、わたしは心臓がどきどきとしてくる。何故?
「これは俺が一から再生したお前だ。後は海香の魂が入るだけだ。お前の気に入るように細部まで再生させてある」
そう言いながら、あろうことか男の人が白い布をめくった。思った通り白い布の下は裸だ。白いささやかな胸が丸見えだ。わたしの頭に血が昇る。
「ほら、綺麗だろう?傷一つない」
恍惚とした表情で何か艶のようなモノを溢れさせながら男の人の指が鎖骨をなで胸を、その胸を!!
「何してんのよ――――っ!!!海里の変態っ!!!」
気が付いたら海里の腕を掴んでいた。そして海里と目が合った。そして海里抱きしめられた。
「わあああっ!!って海里痛い痛いよ!!力、強い!!!」
必死になって訴えたら力を少し緩まって、混乱した私の頭が回り出す。
「えっ?海里?」
「うん、そうだよ」
「なんで?私死んだよね?」
そうだ、海里に殺された筈なのに。海里の顔を確認したくて体を離そうとしたのに海里がそれを許さなかった。また圧迫される。
「話は後で一杯するよ。海香の疑問にも全部答える。だからまだこのままで」
海里の体が震えてる。もしかして泣いているのではないだろうか。
「海香」
「うん」
なんとなく私も海里の体に腕を回す。何だか恐ろしい位にフィットする気がする。
「海香は平凡な人生がいいんだよな?」
一瞬なんの話かと思ったが、そう言えば生まれが平凡でない私は平凡な人生を望んでいたのだ。何だか遥か昔の事のように思うけれど。
しかし、このわけのわからない状況を考えるに少しも平凡ではない。少し眉間に皺をよせながら「まあ、そうかな」と答えておいた。
「俺にも平凡な人生を海香に与える事が出来るよ」
何を言い出すのかと疑問も露わに顔を上げると今度は邪魔されなかった。邪魔はされなかったが唇が降ってきた。額に瞼に頬に。
驚いているのをいいことに海里は好き勝手やっている。最後に唇に。
海里は優しく微笑んだ。
「俺に愛される平凡な人生だよ。それで手を打って」
海里に愛される人生?
海里は双子じゃなくて。血なんか一滴も繋がってなくて。誰も私達を見咎めたりしないの。
倫理も常識も誰も邪魔しないの。
海里の困った顔。ああ、この顔を知ってる。私が泣いた時に顔だ。
「海香、返事は?」
胸が一杯で返事なんて出来なくて、私はただその胸に飛び込むだけで良かった。
発作的短編。一日クオリティですいません。
なお、作中に自分の出生に対する海香の意見がありますが、それはあくまで海香の意見であり、書き手の意見ではございません。不愉快に思われた方には大変申し訳ありませんでした。前書きにて注意書きを入れる事が出来なかった事にもお詫び申し上げます。