今とこれから
かつて、おばあちゃんっ子だった僕は、
28歳になっていた。
そして、
かつて、おばあちゃんっ子だった僕を思い浮かべていた。
いつの間にか、
祖母の死から一年が経っていた。
祖母の仏壇には
病気をする前の若い祖母と
かつて、おばあちゃんっ子だった
僕が座っている。
その写真が
いつも問いかけてくる。
胸をはれているかと。
そして、僕も思う。
胸をはれているかと。
それがプレッシャーになっていた。
けど、
ようやく、
胸をはれそうだ。
いや、
胸をはれば疲れるだけだ。
笑っていればそれでいいんだ。
仏壇の前の二人がそうしているように。
何があっても笑っていよう。
「生きることは行動することだ」って誰かが言っていた。
行動するにはなにかを選択しなきゃいけない。
リハビリの仕事につくことを選ぶ。
祖母との思い出を文字にすることを選ぶ。
祖母と関わらず、忘れることを選ぶ。
行動するにはなにかを選択しなきゃいけない。
でも、どっちか選ぶことは、
どっちかをなくすこと。
マイナスが生まれるから人は後悔するようにできている。
朝に一万拾って夜に落とす。
春に誰かと出会って、春に別れる。
プラスマイナスゼロなのに、
人は後悔する。
それは100%だ。
あのとき、こうしていたら?
祖母ともっと話していたら?
優しい言葉をかけていたら?
でも100%成功する人生に意味はあるのか?
100%大吉がでるおみくじは誰かひくのか?
後悔して後悔して、
それでも選択して土を踏み固めながら
道を進んでく。
つらく苦しいから生きてんだ。
どうせ、「これまで」は変えられない。
どうせ、僕は僕以上のものにはなれない。
「悔しさ」「つらさ」を背負いながらも
「いま」は変えられる
そうすれば、
「これから」はきっと変えられる。
「さあ、世界を変えてやれ」
遠い日の祖母の笑い声と
かつて、おばあちゃんっ子だった僕が
笑いかけてくる。
僕も二人へ笑い返す。
かつて、おばあちゃんっ子だった僕へ。
君の未来は悪くないよ。