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嘘を嘘と見抜ける人は

「何を信じればいいんだろうな」


 窓際で外を眺めていた少年が一人ごちるが、問いはすぐに静寂へ溶け、元の秩序を取り戻す。

 今日は静かだ。雑音がないせいか空気が澄んでいるような錯覚を抱かせる。

 考え事をするには持ってこいだろう。

 しばし間を置くと、少年は教室側へ振り向き同じセリフを繰り返した。


「何を信じればいいんだろうな」


「……えっ? なに、俺に言ってたの?」


「他に誰が居るんだよ」


 少年の視線の先、机を一つ挟んだ席で携帯を弄っていた友人が顔を上げる。

 まだ朝早いせいか、教室には彼ら二人だけ。

 久々に気分よく目が覚めたので、教室に一番乗りしてやろうなどと

 普段しようとも思わないことを実行した少年だったが、彼は二着だった。

 おかげで肩を透かして脱力し、「いつもこんな早く来てんの?」とか「誰のリコーダーしゃぶったの?」とかどうでもいい会話を交わすと、席にはつかず一人黄昏れていたのだ。


「それで、俺は何を信じればいい?」


 少年は友人の隣の席へ腰掛けると、机に突っ伏しチラッと目線だけを彼に向ける。

 美少女がやるととてもグッとくる行為なのだが、男がやると少しイラつく。

 それを見た友人は露骨にふうっと音の立つ溜め息をし、


「どうでもいいわ」


 とだけ返した。



「何だよ。構ってくれよー」

「めんどくせえなぁ……。何かあったん?」


 友人が携帯をしまい嫌々そう尋ねると、少年は待ってましたとばかりに机に頬杖を突き体を向ける。


「実はさ、……俺の好きな声優が結婚するらしいんだ」

「へえ、めでたいじゃん」

「良かねえよ!!」


 そう声を荒げると、両手で机の端を掴みながらまた突っ伏し、今度は足をパタパタと揺らし始める。

 これも美少女がやるとキュンとくる行為なのだが、男がやると殴りたくなってしまう。


「恋人はいないって言ってたんだ。募集中ですー、とか言ってたんだ。信じてたのにさぁ……」


「そりゃあ営業用の建前の一つや二つあるだろう。

 ていうか、お前その人と恋仲になりたかったん?」


「いや、そういうわけじゃないけどさ。

 別にライブとかイベントに行く程熱心なファンでもないし」


「なら何でそんな落ち込んでんだよ」


 少年は友人を見上げると、いそいそと起き上がりながら溜め息を一つ吐いた。

 そして腕を組むと、何やら思案しながらぽつりぽつりと語り出す。


「自分でもよく分からないけど、何かが引っかかってて気持ち悪いんだ。

 その人が結婚してショックっていうより、

 あんな分かりやすい建前を鵜呑みにしていた自分に疑問というか」


「さっき自分で言ってたじゃんか。信じてたんだろ?

 あからさまな嘘を受け止めるくらいには」


「そうなんだよなぁ……。結局、俺がアホだったってことになるんだよなぁ……」


 現実逃避するように首をひねり、少年は窓の外の景色を眺める。

 音のない世界で、白い雲が青空をゆっくり流れていた。

 人が何を思おうと世界は何も変わらない。

 変わるのは、その個人の視点だけだ。


「ラジオでは『クリスマスは女同士わいわいやる予定ですー』とか言ってたけど、

 実際は男とあんあんヤってたんだろうなぁ……」


「朝からナニ言ってんだ」


「もう何も信じられない……」


「まあそういうなよ。 ほれっ、チョコ食うか?」


「チョコうめえ。 つーかさ、世の中は不確定な事が多過ぎるんだよ」


 手渡された板チョコをバリバリと豪快に噛み砕きながら、少年は唐突に話題を変えた。

 その憮然とした表情からは、どこか不安を感じさせるものが窺える。


「何故人は見たことない物を簡単に信じるのか。

 こぞってあの空の向こうには黒い闇が広がっている、

 海の底には奇怪な生き物が蠢いている、

 この町の外にも世界は広がっていると鵜呑むばかりだ。

 本やネットに書かれていたから、授業で習ったから、テレビで紹介していたから、

 皆がそう言っているから。

 文量や声が多ければ多いほど信じやすい。

 何故疑うという事をしないのだろう」


 語るような口調で自分の考えを表すと、少年は手元に目線を落とした。

 このチョコにしたってそうだ。

 チョコレートに巻かれたフィルムには「BLACK・カカオ九十九%」と表記されていた。

 これで苦い気持ちに浸れってことなんだろうか、などと食べる前は思っていたが、

 いざ味わってみると仄かに甘みを感じ取れる。

 世間では「すごく苦い」「食えたもんじゃない」などと言われていたが、

 実際に口にしてみれば何のことは無い。普通のチョコだ。

 食べたうえでの感想ならそれは個人差だが、食べてもいないのに固定観念を持つのはどうかと思う。

 また、「食べたうえで感想を大衆に合わせる」というのは異常だ。

 誰かの意見に流され、同調し、「本当にそうなのではないか」「自分がおかしいのではないか」と自分が感じたものを歪めてしまう。

 それはなんだか、とても奇妙で不気味だった。


「思春期ですか?」


 真顔で友人にそう言われ少し恥ずかしくなったのか、少年は手で顔を扇ぎ始めた。


「確かに多感なお年頃だけどさ、気になるじゃん。

 お前は何でだと思う?」


「常識だから」


「……いや、そういう身も蓋もないんじゃなくて。もっとこう、お前の意見を聞きたいのよ」


「注文の多い奴だな」


「で、どうなん?」


「そりゃあ確かめるのが面倒臭いからだろう?

 物事の真偽なんて、実際に自分の目で見たりしないと分からないものなんだから。

 宇宙へ行くには宇宙飛行士にならないといけない。

 海底へ行くには潜水艦に乗り込まれなければならない。

 旅行をするにも金と時間がいる。

 そんな労力を払ってまで知りたいわけじゃないから、

 ある程度自分の中でそれがどういうものか飲み込めたら満足なんだよ」


 言い終えた友人は体を少し伸ばし、退屈と共に欠伸を噛み殺す。

 そういえば、こいつは結局何でこんな朝早くに学校に来ているんだろう、と少年は思った。


「例えば、パッケージにイチゴ味と書かれたお菓子があるとしよう。

 まずお前は値札を見て、容易に手に入るかどうかを確認する。

 次に、今までの経験からそれがどんな味か想像するはずだ。

 そして、味が想像出来てしまった場合、まあいいか、と手を引っ込める事もあるだろう。

 この話はそれと同じだ。

 『そんな感じだろう』と自分なりに落とし所を作り、事実を確かめない。

 確かめない事で得はしないが損をすることもない。

 疑問が少しだけ解消され、残りはそのまま何事もなく日常に埋もれていくだけだ」


 確かに、よく知らないものを『そんな感じだろう』と無意識にカテゴライズしてしまうことはままある。

 それは興味の度合いが低ければ低いほど顕著になる。

 欲しいゲームソフトについてはあれこれ調べたがるが、

 文房具は試し書きもせずに適当に安かったりデザインで選んでしまう。

 どこを重要視するかは人によるが、究極的には「書ければいいや」「安けりゃいいや」へと集束するのだ。

 ある程度の機能と価値があり、それを手に入れる労力がより少ないもの。

『情報』もこれとなんら変わらない。

『情報』は、自己満足や知識としてよりもコミュニケーションの材料として利用される。

 共感されない情報は、不和を生み出す。何の根拠もない情報は、信用を失う。

 だからといって、あまり情報収集に労力を割きたくはない。

 つまり世間にとっての情報とは、ある程度の共通認識と少しの信憑性があれば、それで十分なのだ。

 それ以上は必要ない。浅く広く、ふんわりとした認識で許される。

 しかし。



「うーん」

「まだ何か不満なのか?」


 少年は上手く考えがまとまらないのか、眉根を寄せて腕を組み、椅子をぎーこぎーこと漕ぎ始めた。

 視線の先では、灰色の天井に灰色の蛍光灯が二本ずつ等間隔に並べられている。

 蛍光灯は白い。だけど、ここでは違う。

 彼らにとっては、灰色であることが日常なのだ。

 太陽が天井を照らす事は無い。

 そして、彼らは自分で輝く事が出来ない。

 誰かが手を貸してくれるまで、日の光の届かないそこでじっとしていなければならないのだ。

 そう考え、改めて彼らを見ると、どこか寂しさを纏っているように少年は感じた。

 蛍光灯は白い。じゃあ、今自分が見ているあれは何だ?

 机を踏み台に天井から取り外し、日の光に晒せば元の白に戻るだろう。

 だけど、あれは自分が交換したわけではない。

 元が白いなどというのは経験に基づいた勝手な憶測だ。

 灰色の蛍光灯。その可能性は、実際に確かめてみない限り存在し続ける。

 では、今からそれを確かめるか?

 わざわざ上履きを脱いで机に上がり、埃の積もったカバーに触れ、外し方もよく分からない状態で、もしかしたら割ってしまい叱られる危険性を知りながら、それでも?

 大多数はこう答えるだろう。


「そこまでする意味ある? 白いに決まってんじゃん」


 確かに、きっとあの蛍光灯は白いのだろう。

 というか灰色の蛍光灯なんて聞いた事もない。

 だからあれも白い。そうに決まってる。

 ……本当に?


 堂々巡り。

 ただ確認すればそれだけで済む話なのに。

 実行すれば一分も経たず答えが出るだろうに。

 しかし、面倒臭い。

 そこまでする価値があるとは思えないのだ。

 気にはなるが、蛍光灯一本に悩んでどうする?

 では、あれは気にならないのか? それは? これはどうだ?

 何もかもを疑っていたら、時間がまるで足りない。

 心休まる暇もなく、じきに潰れてしまう。

 だから落とし所を作るのだ。妥協し、好奇心を抑え込む。

 そうして人間は時間を節約し、様々な物に目を向けられるようになる。


 ごく当たり前の事。

 良いとか悪いとかじゃない。

 人間なら、当たり前。


 でも――。



「求めているモノを妥協したくなる気持ちは分かる。

 でもさ、『一を聞いて十を知った気になる』を好意的に捉えるべきってのは違うと思うぞ?

 それはなんというか……腑に落ちない」


「いいんじゃないか? 本人は満足してるんだから。

 後でそれをひけらかして馬鹿を見たとしてもそいつの自己責任だろ」


「そうなんだけどさぁ……」


 気付くと、校庭の方から幾人かの声が聞こえ始めていた。

 部活動をしている生徒たちだろう。

 毎日朝からご苦労な事だ。

 彼らから見れば、自分達よりも早く学校に来たうえ、こんな話を長々続けている俺らはさぞ珍妙に映るだろうな。

 そう思うと、なんだか馬鹿らしくなってきた。

 せっかくなので、少年は気分転換に馬鹿らしい方向へ話題を移すことにした。



「例えばの話なんだけどさ」


「おう」


「世界中の人間が俺に嘘を吐いていたとしたら、どう思う?」


「はっ?」


 こいつとうとうイカれたのか、とでも言いたげに友人は目を細めた。

 ネタがスベった時特有の鈍い締め付けが少年の心を襲うが、なんとか持ちこたえ話を続ける。


「さっきの話じゃないけど、宇宙とか海底とか他の町とか。

 本当はそんなもの存在しないのに、あたかも存在しているかのように口裏を合わせるんだ。

 ほらあれ、印象操作ってやつ?

 自分だけは知らなくて、それ以外の全員がその事を知っている。

 だから、事実を知ろうとしても無駄。

 宇宙飛行士の試験は落とされ、潜水艦に乗る機会を奪われ、事故やら渋滞やらで足止めされる」


「ああ、陰謀論ってやつか。

 一時期流行ったよな。○リーメーソンとかケ○ディ暗殺とか」


「そうそう、それそれ」


 話にノってくれたため少年は少し嬉しそうにしたが、友人は渋い顔のままだ。


「でもさ、仮に皆が皆、お前を騙していたとしよう。

 空の向こうは真っ白な天井で覆われていて、

 海の底は祭りのイルミネーションで明るく照らされ、

 世界にはこの町しか存在しないのかもしれない。

 だが、それをうそぶく理由は何だ?

 何の意味がある」


「それは……」


 それが事実だとしたら、何でだろう。

 隠すということは、バレたら不都合が生じるという事だ。

 つまり、隠蔽されているだろう『それ』は、一般人の一学生でしかない自分にも知られたくないようなモノ。

 そんなモノあるのか?

 あるとしたら、どんなモノだろう?


「もしかして自分は特別な人間だー、とか。

 秘密組織の陰謀に巻き込まれてー、とか。

 この町には古くからの伝承があって裏で生贄をー、とか。

 世界はプログラム管理されていてバグを生み出さないためー、とか。

 そんなこと考えちゃってたりすんの?」


「ちょっとね」


「マジか……」


 冗談を言ったつもりだったが、友人は少し引いているようだった。

 しかし、少年は弁解するのにも疲れたらしく、椅子を揺らしながら天井を見上げ思案する。

 ぎぃぎぃと木の軋む音が教室に響く。

 校庭からの雑音も増え始めており、そろそろ誰か入って来るだろう時間帯。

 少年は一つの答えを思いついた。


「……多分、なにか恐ろしいものがあるからなんだと思う。

 それを知ってしまうと、心がおかしくなるとか、誰かに消されてしまうとか。

 だから、大人は子供に伝えない。

 伝えようとすると、他の大人に消されてしまうから。

 そういうものなのかもしれない」


 友人は少年の言葉をしばらく噛み砕いていたようだったが、

 途中で飽きたのか少年の真似をして椅子を揺らし始めた。


「……なんだか普通っつうか、よく分かんねえなぁ」


「正直俺もよく分からん。朝から変な事で頭使い過ぎた」


 二人して顔を見合わせ苦笑する。

 面倒なことを途中で切り上げた時に生じる、妙な脱力感と少しの開放感を味わった。

 おもむろに少年は席を立つと、ガラリと窓を開けた。

 心地よい風が朝練中の生徒の声と共に流れ込み、教室内の空気をすすいでいく。

 どうしてあんなことにこだわっていたんだろう。

 それほど深刻な悩みでもなかったのに、なんだか難しく考え込んでしまっていた。

 一旦落ち着くと、せっかくの清々しい朝をくだらない話題で潰してしまったことが悔やまれる。

 リコーダーを舐めたり、体操服の臭いを嗅いだり、椅子に擦り付けたり出来たのに。

 ああ、もったいない。


 下の階から、がやがやと賑やかな声が聞こえてくる。

 もうすぐ誰かしら教室に入って来るだろう。

 そうすれば、また賑やかな日常が始まる。

 正直あまりスッキリしたわけではないけど、時間が経てばすぐ忘れる。

 なんてことはない。

 こんなの、人間なら当たり前だ。



 ……?

 何か、また引っかかった。

 なんだろう。


 こんなの、人間なら当たり前なのに。

 人間なら。

 人間なら。



『人間なら』



 ぞくっと、怖気が走った。

 今、自分は何を恐れたのだろう。

 今、何を考えてしまったのだろう。

 周囲の喧騒が一気に遠のいたような気がする。

 ふと、視線を背中に感じた。


 見ている。

 すぐ後ろに、いる。


 体が思うように動かない。

 まばたきが出来ない。

 音を立てたくない。

 こわい。


 でも、知らなきゃ。

 事実を確認しなければ。

 鉛のような恐怖から逃れるため、半ば自身を脅迫して首に力を込める。

 そして、ゆっくり視界をずらしていくと。









「知ったな」

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