黙っていてすみません。 その2
やっぱり怒っているに違いない。
ボラ部で話しているあいだ、なんとなく俺を見ないようにしているように感じた。
すぐに職員室に戻ってしまったのは、機嫌を損ねたせいじゃないかな。生徒たちは気付かなかったみたいだけど。
ああ・・・、職員室に入るのが怖い。
でも、鍵は戻さなくちゃならないし、帰りの荷物だってある。
「はぁ・・・。」
こんなことなら、遠慮なんかしないで話しておけばよかった。
あ。
児玉さん・・・。
職員室から出てきた児玉さんが、俺に気付いた。
足早に近付いて来て、すっと体を寄せる。いつもの内緒話だ。
けれど、いつものような笑顔ではない。
「烏が岡の西口交番前で7時に。大丈夫?」
「あ、はい。」
そのまま無表情にさっさと歩き去る。
それ以上のことは想像するしかないけれど、その歩き方を見れば・・・。
「はぁ・・・。」
やっぱり怒ってる・・・。
学校では文句を言いたくても言えないから、帰りに待ち合わせなんて言い出したに違いない。
きっと、電話じゃなくて直接言わないと収まらないんだ。
「はぁ・・・。」
初めて帰りに待ち合わせをするのになあ・・・。
――― あ、いた。
時間調整をして待ち合わせ場所に着くと、児玉さんはもう来ていた。
つまらなそうに自分のつま先を見ながら肩を落としている。
爽やかなミントグリーンのサマーセーターが、淋しい気分を表しているように感じる。
いつも笑顔でいてほしいと思っていたのに、俺があんな顔をさせたのか・・・。
おずおずと近付いて、頭を下げる。
「お待たせしました。」
そうっと顔を上げると、児玉さんは不機嫌な顔をしていた。
けれど・・・。
それを見たら、逆にほっとしてしまった。
怒っていても、不機嫌でも、児玉さんが素直に感情をぶつけてくれることがなんとなく嬉しい。
こんな顔を見せる相手は、俺以外にはいないんじゃないだろうか?
それが顔に出てしまったのか、児玉さんがキュッと眉を寄せて睨んだ。
その顔を見て、また落ち込む。
「・・・すみませんでした。」
「もういいよ。行こう。」
すっと左肘に手を掛けられて引っ張られ、そのまま駅ビルのアーケードを速足で抜けて行く。
決然とした足取りに機嫌の悪さを感じて、どこに行くのか、とも訊きづらい。
引っ張られたまま途方に暮れていたら、児玉さんがようやく口を開いた。
「やっぱり、よくない。」
やっぱり怒ってる・・・。
「・・・はい。」
「わたしの立場がないじゃない。」
「はい。」
「訊かなかったわたしが気が利かないのかも知れないけど。」
「いえ、そんなことは・・・。」
「雪見さんは、わたしに祝って欲しくないの?」
「違います。」
「じゃあ、どうして言ってくれなかったの?」
「その・・・、図々しいような気がして・・・。」
「そんな・・・。」
「すみませんでした。」
そう謝ると、児玉さんは少し表情をゆるめてくれた。
一緒に歩調もゆっくりになって。
「・・・どうして?」
「誕生日のことを言ったら・・・、児玉さんにお祝いを要求するみたいになってしまうし・・・。」
「そうかも知れないけど・・・。」
「児玉さんは、俺のことはまだ考え中で、だから・・・。」
「わたしが彼女じゃないから遠慮した・・・ってこと?」
「・・・はい。」
俺の返事を聞いて5、6歩歩いたところで、児玉さんは大きなため息をついた。
それから立ち止まって、俺を見上げて。
「ごめんなさい。」
「え? あの・・・?」
「怒る前に、気付いてあげればよかった。」
「いえ、そんな。言わない俺が悪いんです。」
「そうじゃないよ。雪見さんは悪くない。」
そう言って、また俺の肘を引っ張って歩き出す。
今度は周りのスピードに合わせて。
児玉さんは謝ってくれたけど、相変わらず何も言ってくれないし、俺を見ようともしない。
どうしたらいいのか分からない。
無言の時間が過ぎて行く・・・。
「ふふっ。」
笑ってる?
ほんとうに機嫌が直ったのか?
「・・・わたしね、勝手に、雪見さんのお誕生日は冬だと思ってたの。で、まだ先だと思って忘れてた。」
「ああ・・・、俺の名前を見て、たいていの人はそう思うみたいです。」
「そうよね? 柊っていう字には “冬” が付いてるし、クリスマスのイメージがあるもの。」
「ええ。でも、この名前は縁起がいいからって付けられた名前で。」
「縁起をかついで?」
「はい。クリスマスもそうですけど、日本では節分にも飾りますよね、魔除けとして。クリスマス用とは分類上は種類が違うそうですが。」
「ああ・・・、願いがこもった名前なのね。」
優しく微笑んで見上げる表情には、もう怒りのかけらもない?
そして、俺の左腕には ――― 。
「・・・あ。」
児玉さんがハッとして、俺の腕に掛けていた手を引こうとしたのが分かった。
それを急いで右手で上から押さえて止める。
驚いて立ち止まってしまった児玉さんに、そっと頼んでみる。
「あの、このままで・・・いてください。」
「え、あの・・・。」
おろおろしているところは初めて見た。
そんな彼女を見て実感する。
俺、今、児玉さんの手に触れてるんだ・・・。
児玉さんの目に決心した表情が現われ、俺に向かって背伸びをする。
見慣れた内緒話の合図。その言葉は・・・?
「だめ。」
ああ・・・。
「はい・・・。」
やっぱりダメか。
悲しい気分で、児玉さんの手から右手を離す。
児玉さんは手を引っ込めると、もう一度背伸びした。
「ここではダメ。鳩川でね。」
え?!
驚いて児玉さんを見ると、さりげなく、でも恥ずかしそうに視線を逸らされた。
そんな態度に鼓動が大きく打ち始め、呼吸が苦しくなってしまう。
「だって、ここは誰に見られるか分からないもの。まだ・・・決めていないのに・・・。」
無言の俺に言い訳をするように児玉さんがつぶやく。
「あ・・・、そうです、よね。」
でも、自宅の近所ではいい?
それは・・・?
ふっとため息をついて小さく微笑んで、児玉さんは歩き出した。
金縛りから解けたようにそれを追いかけて、ようやく尋ねてみる。
「あの・・・どこに向かっているんでしょう?」
「ふふ。お夕飯。」
あ・・・。
「今日はお誕生日だから、美味しいお店に行きましょう。あ・・・、うふふふ。」
「何ですか?」
「雪見さん、初めてわたしにちゃんと頼みごとをしたね。」
え?
「『このままで』って。」
「あ・・・、そうですか・・・?」
あらためて言われると恥ずかしい・・・。
「そうだよ。雪見さんがわたしに何かしてほしいって言ったことって、お礼と酔っ払ってるときしかなかったよ。」
酔っ払ってるとき・・・。
うっすらと記憶に残っている。児玉さんにしがみついて「帰らないで」ってやったやつだ・・・。
「あ、もう一つありますよ。」
「そうだっけ?」
「お見合いをしないでくださいって。」
「ああ、そういえば。」
「あのときは必死でした。」
「ふふっ、じゃあ、勢いで言ったんじゃない。酔っ払ってるときと変わりないよ。」
「そうですか?」
「そうだよ。」
・・・まあ、いいや。
思い出してみると、お礼でも何でも、児玉さんが俺の頼みを断ったことはない。
今のお願いだって、あとでならいいってことだ。
だけど・・・。
今までの願い事には、児玉さんは友達付き合いのつもりで応えてくれた。
でも、今日のお願いは、俺の気持ちを知っていて・・・つまり、友情だけでは “YES” とは言えないはずだ。
それに、さっきの表情だって、期待するには十分な・・・。
「ねえ、雪見さん。」
「はい?」
考え事から覚めて隣の児玉さんに視線を向けると、目が合った瞬間に顔を伏せられた。
その行動にまたドキリとし、あらためて期待が高まる。
「あのね・・・、さっき怒ってたのって・・・、」
「ああ・・・、はい。」
「ちょっとだけ・・・、あの子たちに焼きもちを焼いていたのかも・・・。」
ああ・・・、児玉さん。
「そうだといいと思ってました。」
大好きです。大好きです。大好きです。
このまま全部、ありのままに伝えられないことが苦しいです・・・。