4月3日(水) その1
「新聞を……あれ?」
動かしかけた机の前で首をひねっていたら、うしろから声がした。
振り向くと、40代くらいのメガネをかけた真面目そうな男性。
「あ、新聞ですか? どうぞ。」
前の学校でも、先生たちが新聞をよく見に来ていた。
ここでは全国紙2紙と地方紙1紙を取っている。
とくに社会科の先生は熱心で、自宅で取っているものとは別の新聞をチェックしていた。
先生(だよな?)は2、3歩入ってくると、ものめずらしそうに室内を見回している。
「ああ、ほこりっぽくてすみません。少し配置を変えようと思って。」
「え? ああ、いや、いいよ。なんだか……雑然とした図書室って新鮮だなあと思って。」
雑然とした図書室?
うん、たしかに。
学習スペースの椅子を周囲に全部出して、机も少し動かしてある。
雑誌用のラックは広い場所に引っぱり出してあるし、机の上には雑巾やメジャーが載っている。
「あ、僕、社会科の沼田です。よく新聞を見に来るのでよろしく。」
「あ、雪見です。こちらこそよろしくお願いします。」
「どんなふうに変える予定なの?」
「具体的なところはやりながら決めるんですが、生徒が立ち寄りやすいようにと思っています。」
「ふうん。」
ああ、そうだ。
「沼田先生は何かご希望はありますか?」
「僕? そうだなあ、タバコが吸えれば言うことなしだけど、無理だね、それは。ははは。」
「そうですね。残念ですが。」
この学校全体が禁煙になってるし、そもそも生徒と一緒に使う場所だし、それがなくても、こんなに紙ばかりの場所では絶対に禁煙だな。
“一服しながら新聞” って、きっとリラックスできるんだろうけど。
「よかったら、新聞は司書室でどうぞ。ここはもう少しガタガタしますので。」
「じゃあ、そうさせてもらうよ。」
沼田先生を司書室に案内したあと、ふと思った。
『火気厳禁』ではあるけど、飲み物は?
普通は、本が傷むから『飲食禁止』だ。
食べ物や飲み物そのものだけじゃなく、濡れた手で触るのも遠慮してほしい。
だけど、借りて家で読む場合、食べたり飲んだりしながら読む人は少なくない。
公立図書館の本には、お菓子のくずがはさまっていたりすることもときどきある。
……いいかな?
最近はペットボトルか水筒が主流だ。
飲まないときはふたをしてもらえば、 “倒れて水浸し” なんてことにもならないだろう。
もう高校生なんだから、ある程度は各自で注意してくれるはずだ。
うん。
飲み物は、机のところではOKにしよう。
沼田先生は「タバコが吸えれば言うことなし」って言ったけど、生徒たちには “飲み物OK” は効果があるかも。
あとは、やっぱり配置だな。
廊下からの出入り口はカウンター横と中央。
その間の壁面に文庫本を移そう。
今そこにある辞書や事典類は、文庫本が入っていた司書室側の壁面へ。棚の高さが変えられるつくりでよかった。
文庫本コーナーの前に閲覧場所。4人机を2つ?
学習スペースは窓側に長く。
残りの机は4人机が4つ、6人机が3つ……置けるか? どっち向きに座るのがいいだろう?
廊下側の角にかぎ型に配置されているカウンター。
勉強しているときに、ここにいる誰かと目が合ったりすると気が散りそう。
とりあえず、カウンターから見て席が横向きになるように並べよう。
司書室側から6人机を3つ、4人机を2つずつ2列……は狭いか。
……いや。
6人机は重そうだから、動かさないことにしよう。ちょうどいい向きに並んでるし。
司書室側に4人机が2列入るかな?
「こんにちはー。あ、やってますね。」
この声は!
「児玉先生。」
思わず笑顔になっちゃうなあ。
今朝、時間があったら手伝ってくれるって言ってたけど……と、男の先生?
「こちらは古文の伊藤先生です。図書委員会の担当もされることになっているので、お連れしました。」
「伊藤です。よろしく。」
俺と同じくらいの年?
スリムな体型。(ちょっと劣等感。)
四角いメガネが少し神経質そう。
でも、「お連れしました。」って……?
「一人でも多い方がいいかなと思って。」
「あ、でも、先生がたもお忙しいんじゃ……。」
「いいですよ。児玉先生に言われたら断れないし。」
ああ、話すと笑顔が親切そうな人だ。
……ん?
二人が顔を見合わせる態度…仲が良さそう。遠慮がないって言うか。
「ありがとうございます。助かります。」
「もう配置は決まったんですか?」
「え、ええ、だいたいは。まず、こちら側に待ち合わせとか、ちょっとした時間に寄ってもらえるようなスペースを作ろうと思ってます。」
「ああ、いいですね。ねえ?」
「うん。」
この、あうんの呼吸。
やっぱり仲が良さそう。
「学習スペースは窓側に……、」
説明しながらも気になってしまう。
伊藤先生と児玉さんって、どれくらい親しいんだろう?
「とりあえず、今並んでいる4人机2つを廊下側に並べて、その後ろの2つを司書室側に持って行って様子を見たいんですけど。」
「わかりました。」
3人で机を運んで、椅子を入れてながめてみる。
「こっちのコーナーと学習スペースの間に通路ができるのはいいですね。」
伊藤先生の意見。
こんなふうに言ってもらえると、具体的に使い方が見えてきてありがたい。
「4人の机2つの置き場所が定まりませんね……。休憩コーナーにもう一つ? 今までは3列あったんですよね?」
「勉強用の席がだいぶ少なくなりそうですけど、どうですか?」
「ああ、坂口先生が嫌がるかもしれないなあ。」
「じゃあ、この6人の机にくっつけちゃったらいいんじゃない? 長くなるけど、席の数も通路も確保できるでしょう?」
「いいかも知れませんね。」
「お、なんだ。賑やかだと思ったら、児玉先生と伊藤先生か。」
あ、そういえば、沼田先生がいたんだっけ。
「あ、沼田先生、新聞ですか? お時間があるならちょっと手伝ってください。」
「ああ、今ちょっと腰を痛めててね。重いものは若い人に任せるよ。ははは。」
児玉さんって、沼田先生にもあんなふうに気軽に「手伝って」なんて口にできるんだ。
沼田先生も断るにしても嫌な顔をしなかったし。
やっぱり人柄だなあ。
児玉さんの提案にしたがって机を並べてみたら、なんとなく落ち着くような気がした。
カウンター横の入り口から入ってきたときに目に付くあたりに、雑誌と新聞のラックや本の紹介コーナーを配置することに決めた。
「ありがとうございました。」
本の入れ替えは、まだ時間があるし、一人でもなんとかできるだろう。
あとは館内マップと注意書きを作りなおして……。
「雪見さん、今日の夜はご予定はありますか?」
夜?
「いいえ。」
「有志で飲みに行こうって話してるんですけど、どうですか?」
あ、いいのかな?
先生たちの会だと……。
「ああ、保健室の堀内先生もいらっしゃるので、ご遠慮なく。」
保健室の先生も?
それなら大丈夫かな。
「ありがとうございます。参加させてください。」
先生たちと話ができるようになるのは嬉しい。
仕事の上ではもちろんだけど、学校に一人しかいない職種だとつらいこともあるから。
こうやって気を使ってくれる児玉さんに、ちゃんとお礼を言わなくちゃ!