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児玉さん。俺、頑張ります!  作者: 虹色
6 七月の章
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 ★★ 驚いた・・・。 : 児玉かすみ


7月3日、木曜日の4時間目。

授業の空き時間を利用して、雪見さんのおはなし会の練習に付き合うため、図書室にやって来た。


堀内先生とわたしが並んで椅子に座り、2メートルくらい離れた場所に雪見さんが立つ。


「覚えたてなんで、まだつっかえつっかえですけど。」


そう恥ずかしそうに前置きして語り始めたのは、「エパミナンダス」というお話。

エパミナンダスという名の融通の利かない男の子が、お母さんの言いつけを忠実に守り過ぎて失敗を繰り返す、という笑い話だ。



普段どおり黒いエプロン姿の雪見さんが少し緊張した笑顔で、たまに手を動かしながらおはなしを語る。

途中で次の言葉が出なくなって、頭をかきながら紙を見ることも。

けれど、それはほんの2回ほどのことで、それ以外はすらすらと言葉が連なって出てきた。

ゆったりした声で語られる物語は自然と頭の中でその情景を再現し、わたしも堀内先生も、面白い場面では笑い、次の失敗を期待してわくわくする。


図書室の雑然とした景色も、校庭から聞こえる笛の音も気にならない。

ただ、わたしと堀内先生と雪見さんがいるだけ。

周囲の世界はたしかにあるのに、雪見さんのおはなしを聞いているわたしたちがいるだけ・・・。



「 ――― おしまい。」



その言葉に “今” に引き戻されて、ハッとした。

お話の中の世界と自分の住む世界をつなぐ言葉。

ぱちぱちとまばたきをすると、景色や物音が意味をともなって戻って来た。



びっくりした・・・。



雪見さんが見せてくれたおはなしの世界を思い出しながら、ぼんやりと彼を見つめてしまう。

「どうでしたか?」と言いながら、照れくさそうにわたしたちから目を逸らして、ストップウォッチを見ている。

堀内先生の質問と指摘の言葉を聞きながら、原稿を確認したり、メモを取ったりしている。


その様子はいつもと同じ。穏やかで優しげで、どこかかわいい。

けれど、その中に、物語の世界を宿している。

そして、それをわたしたちの前に広げて見せてくれる・・・。


「児玉先生は、何か・・・?」


・・・・え? 感想?


「いえ、あの・・・面白かった、です。」


気の利いた言葉が浮かんでこない。

だって、ただ驚いてしまったんだもの。


雪見さんの中に、こんな世界があるなんて。

雪見さんがこんなふうに、わたしたちをおはなしの世界にいざなうことができるなんて。

なんだかすごい。

すごくて・・・カッコいい?


うん。


そう、カッコいい。


体型なんて気にならなかった。

その声と、言葉と、表情があれば、それだけで十分。


「そうですか? ありがとうございます。」


その笑顔はさっきと違う。

おはなしを語るときはもっと・・・。

それに、声も・・・?


「ねえ、雪見さん。今のって、何日くらい練習したの?」


「ええと、一週間ちょっとくらいかな? まだ全然足りませんね。あははは。」


「声の出し方も違う?」


「そうですね・・・。ええ、違うと思います。どならない話し方で、遠くまではっきり聞こえるように練習しますから。今みたいに立って。」


「ふうん・・・。」


やっぱり努力してるんだ。

でも、それを当たり前のことだと思ってる。


「ああ、それでじゃない?」


堀内先生?


「何がですか?」


「体重が減ったこと。」


「え? そうですか?」


「そうよ。立って発声練習していたんでしょ? 自然とカロリーも消費するし、腹筋とかいろんな筋肉を使ってるはずだよ。」


「ああ・・・そうか。」


なるほどね・・・。

一石二鳥とは、まさにこういうことかも。


「どうりで、夜中にお腹が空くと思いましたよ。あははは。そんな効果があるなら、これからの練習にも気合が入ります。」


「夜中にお腹が空いたらどうしてるの?」


「あ、堀内先生に教えてもらったとおり、牛乳を飲むことにしています。今の季節はホットじゃありませんけど。」


「あら。あたしの教えを実行してるなんて、偉い偉い。」


「はい。ありがとうございます。」


ぷ・・・。


雪見さんって、ああやって褒められると本当に嬉しそうな顔をするよね。


あーあ。

それにしても、本番を見られないのが残念すぎる・・・。


「絵本もやるんだよね?」


堀内先生が続けて尋ねる。


「あ、はい、この2冊です。坂口先生のクラスではこれを抜かして、坂口先生の朗読を入れる予定で。」


「ああ、これ知ってる。昔、読んだことがあるよ。ねえ、せっかくだから読んでみてよ。」


「え? これですか・・・?」


雪見さん、・・・困ってる?

どんな本?


『100万回生きたねこ』・・・?


なんだかダイナミックな縞ネコの表紙。

目つきがなんとも言えないな・・・。


「練習してないの?」


「いえ、そういう訳ではないんですけど・・・。」


・・・・え?

わたしを見た? 心配そうな顔して?


「児玉先生、この本、知ってますか?」


・・・どうしてわたしに訊くの?


「いいえ・・・。」


何かいけない本なのかな?

結婚できない女性が登場するとか?


でも、高校生には読んでも構わないんだよね・・・?


「雪見さん、わたしも聞きたいな。」


都合が悪い部分があっても笑い飛ばしてあげる。

単なるおはなしの世界のことだもの。

それにわたし、べつに自分のことを可哀そうだとか思ってないし。


「そうですか・・・?」


「うん。絵本を読んでもらうなんて、幼稚園以来じゃないかな?」


雪見さんの声をもっと聞きたい。

雪見さんの声で、おはなしの世界に連れて行ってほしい。


「・・・わかりました。」


でも、そう言いながらも、まだ迷ってる?

何がいけないのかしら・・・?



今度はわたしたちの向かい側に椅子を持って来て、雪見さんが浅く腰かけた。

肩のあたりに片手で本を持ち、わたしたちの方に向ける。

こほん、と小さく咳払いをして・・・。


「『100万回生きたねこ』。」


あ、声が変わった・・・。




それは猫の物語だった。

美しくて、気高くて、生まれ変わるたびに、飼い主から大切にされる猫。

そんな自分に満足している猫の物語。



雪見さんが丁寧にページをめくりながら、淡々と絵本を読んでいく。

さっきよりも静かに。さっきよりもゆっくりと。



猫は何回も、何回も生まれ変わって、やがてある生で恋をする。自分以外を愛するのは100万回の生の中で初めてのこと。

子どもが生まれ、幸せに暮らし、やがて連れ合いが先に死に・・・猫は愛する者を失う悲しみを知る。

そして・・・・。




――― やだ。どうしよう。








雪見が選んだおはなしは、

「エパミナンダス」 『エパミナンダス』愛蔵版おはなしのろうそく1(東京子ども図書館編集・発行 1997年)より

『100万回生きたねこ』佐野洋子作・絵 講談社 1977年

です。

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