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児玉さん。俺、頑張ります!  作者: 虹色
4 五月の章
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買い物のお礼は


「ほんとうに、どうもありがとう。お礼は何がいい?」


電器屋からの帰りの車の中で児玉さんが尋ねた。


お礼。


一番欲しいものは口に出しても意味がない。

その次の願いは ――― 児玉さんと一緒の時間を作ること。


「いろいろ考えて……、図々しいかも知れないんですけど。」


「なあに?」


「俺の料理を食べに来てほしいんです。」


「……料理? 雪見さんの?」


「はい。今日じゃないんですけど……、そうですね、再来週あたり。」


そのくらいになれば、料理にも慣れてくるだろう。


「手料理をご馳走してくれるってこと?」


「はは! “ご馳走” なんてものじゃないですよ。その…、誰かが食べてくれる方が、作るのもやる気が出るので。たいしたものは作れませんけど。」


「それって……、何か変じゃない?」


「そうですか?」


「うん。お礼をする立場のわたしがご馳走になるって、変だよ。雪見さんに何かメリットはあるの?」


あるんですよ。

児玉さんがうちに来てくれるっていう嬉しい展開が。


「ありますよ。自分で作った料理を、一緒に食べてくれる人がいるっていう楽しみが。」


「でも……、材料を買うお金も、料理する手間も、雪見さんがかけるのに……。」


「そうは言っても、俺が作るのは普通のメニューですよ。しかも、自炊は久しぶりですから、美味しいかどうかもわかりません。」


「そんなことは構わないんだけど……。」


だけど?


迷っている本当の理由は、一人暮らしの男の部屋に来ること?


「ねえ、ほかにないの? わたしにやってほしいこととか。」


口に出せることは、何も。


「そうですね。思い付かないんです。毎日、お弁当を作ってもらってますから、それ以上のことは……。」


「そう……。」


ダメ……なのかな、やっぱり。

でも、簡単に撤回したくない。


「あの、もしよかったら、誰かほかに呼んでも……。」


「ほかに?」


俺としては不本意ですけど、児玉さんが来てくれるなら。


「ええと、お世話になっている堀…」


「ああ、じゃあ、横川先生を誘いましょうか?」


横川先生?


「え、ええ、そう、ですね。お弁当もいただいたことがあるし……。」


どうして横川先生なんだ?

まあ、確かによく話してはいるけど……、児玉さんとも仲がよさそうだし……。


「じゃあ、わたし、声をかけてみます。」


「そうですか? よかった。ありがとうございます。」


まあ、いいや。

児玉さんにちょっとでも感心してもらえるかも知れないから。

それに、いきなり俺の部屋で二人きりとか、そんなに都合よくは行かないよな?


「でもね、それだけだと申し訳ないので、」


え?

“申し訳ない” って……そんなことはありませんけど?


「今日のお夕飯、ご馳走します。」


「……え?」


「せっかく新しい炊飯器を買ったから、それで炊きたてのご飯を食べて行ってください。ね?」


“ね?” って ――― 。



“新しい炊飯器” ?

“炊きたてのご飯” ?



もしかして、児玉さんが手料理をご馳走してくれるってことか?

それは、児玉さんの部屋に俺が招かれたってことか?



………いいのか?



「あの、ええと、い、いいんですか?」


どこまで期待していいんでしょう?


「はい。だって、雪見さんの提案だと、わたしが一方的に恩恵を受けているだけだもの。」


「はあ…、そうですか……。」


まったくいつも通りの態度。

やっぱり単なるお返し?


……でも、いいか。

今日はまだ一緒に過ごせる時間があるってことだ。

それに、児玉さんの部屋に招かれたってことに間違いはないわけだし。


「さて、そしたら、夕飯用の買い物をしなくちゃ。雪見さん、ついでで悪いけど、スーパーに寄ってくれる?」


「いいですよ。」


児玉さんと一緒なら、いくらでも、どこへでも行きますよ!


「でね、うちで荷物を降ろしたら、いったん車を置いてから来てくれる? そのあいだに、ちょっと部屋を片付けるから。」


「わかりました。」


うわ……、「部屋を片付ける」って。

なんだか実感がわいてきた。

ドキドキしてきたよ〜。

それに、「車を置いて来て」ってことは、要するに “ゆっくりしていってね。” ってことじゃないのか?


そんな〜! やっぱり?


いつまでゆっくりしていいんだろう?

ゆっくりって、どんなふうに?


あ〜〜〜!

想像だけが果てしなく……。


「うちの前の道路、路上駐車してるとすぐに通報されちゃうの。近所に神経質な人がいるらしくてね。」


「…あ、そうなんですか。」


「おとといの夜も、警察と車の持ち主が揉めてたんだ。そんなことになったら気分が悪いもんね。雪見さんの家が近くてよかった。」


「そうですね……。」


失礼しました。

“ゆっくり” は適度にとどめることにします。







「ごちそうさまでした。お邪魔しました。」


やっぱり、何も進展はなかった……。


もちろん、児玉さんの手料理は十分にあったけど。

それに、もちろん美味しかったけど。


「炊飯器が変わるだけで、ご飯があんなに美味しくなるなんて思わなかったね。今日は、ほんとうにありがとう。」


「いいえ、こちらこそ。車を出すくらいのことでしたら、いつでもどうぞ。」


夕食のあと、皿洗いを手伝い、児玉さんが入れてくれた紅茶でおしゃべりした。

それでも、まだ8時。

独身女性の部屋に招かれた “ただの友人” としては、このくらいの時間が限度だろう。

おしゃべりよりももう少しお近づきになりたいのは山々だけど、微妙な雰囲気になって、これからの関係が危うくなるのも困る。

警戒されて、うちに来る約束を白紙撤回されたりしたら元も子もないし。


「外まで送らなくていいです。ここで。」


誰にも見られることのない場所はここまで。

楽しかった時間の最後に、お別れの “何か” は望めない。


「そうですか?」


笑顔でまっすぐに俺を見上げる児玉さん。

淋しい顔はしてくれないんですね……。



その組んでいる手を握ったらどうしますか?


その頬に唇を寄せたらどうしますか?


その小さな体を抱きしめたらどうしますか?



ふ………。


ため息は胸の奥だけで。



「ごちそうさまでした。……おやすみなさい、児玉さん。」


一瞬、瞳が揺らいだように見えたのは、錯覚?


「おやすみなさい、雪見さん。気を付けて。」


いつもと同じ、優しい微笑み。

おやすみなさい。




こんなに名残惜しいサヨナラは初めてだ。

もっと児玉さんを好きになると、ますます辛くなるんだろうか?

長いあいだ忘れていた。片思いがこんなにせつないなんて。



道路に出たところで振り返る。

児玉さんの部屋は3階の一番端。外廊下に玄関のドアが並ぶだけの眺め。

「外まで送らなくていい」と言ったのは、俺。



俺のアパートまで7、8分。

人通りのない住宅街。



そうだ。

児玉さんにうちに来てもらったときには、ちゃんと送って来なくちゃ。

……そうか、横川先生もいるんだっけ。

車で駅まで横川先生を送って、それから少しだけ児玉さんと……?



約束は再来週の日曜日。

児玉さんが楽しんでくれるといいんだけど。







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