チャンスを逃がすな!
連休……つまらないな。
児玉さんの家はすぐ近くなのに、会えない。会う理由がないから。
こうやって歩きまわりながら、いつか彼女に会えるんじゃないかと期待して……やっぱり会えない。
やたらとキョロキョロしてる?
迷子の家族でも探しているように見えるだろうか?
家が近いといいことがたくさんあるけど、期待してしまう分、がっかり度も大きいのが困るな。
――― こんなに淋しいなんて。
会って、まだ1か月だぞ。
そりゃあ、ほぼ毎日、一緒に通勤しているし、先週からお弁当も作ってもらってる。そのお弁当はものすごく美味しくて……。
いや、もちろん、お弁当だけに惹かれているわけじゃない。
あの笑顔。
元気で物怖じしない性格。
細やかな心遣い。……俺だけにではないことは分かってる。残念だけど、そこが彼女のいいところなんだから。
それから、ときどき出るドキッとさせられるような態度……というか、行動。
あれをやられると、焦ってしまって何も考えられなくなってしまう。
……俺が弱過ぎるのか?
だけど、触れられたり、近付かれたりすると……。
あ〜〜〜!
考えれば考えるほど、警戒と期待が入り乱れて……!
!!
ウソだろ? まさか。
……いや、本人だ。見間違いじゃない。
あそこで真剣な顔でレタスを選んでるのは、間違いなく児玉さんだ。
今日はジーパンに白いシャツ?
普通の服装もよく似合うなあ。
なんて、感心してる場合じゃない。
逃がすな! 急げ!
「児玉さん。」
「わ!」
あ、レタスが ――― 取った!
手に持ってるものを放り投げてしまうほど驚くなんて。
「あの…、すみません、驚かせて。」
「雪見さん……? ぷっ…、ごめんなさい、レタスを。」
「いいえ。はい、どうぞ。」
「ありがとう。ちょっと夢中になっちゃって。」
「レタスを選ぶのに、ですか?」
「そう。わたしね、スーパーではときどきあるの。虫がついていないか、とか、どっちの単価が安いか、とか、真剣に考えていたりして。」
スーパーの買い物で?
面白い。
面白くて……かわいい。
「雪見さんもお買い物? 今日のお夕飯は何?」
「今日ですか? いつもと同じ…」
いや、待て!
せっかくここで会ったんだぞ。
一緒に出かけるチャンス!
「同じつもりでいたんですけど、児玉さん、俺の夕食に付き合ってもらえませんか?」
「え?」
「今日は休みでダラダラ過ごしたのに、このままいつもと同じように弁当2つだと……。」
「あら。ダラダラ過ごしたんだ?」
「はい。」
本当は筋トレもしましたけど。
「『はい。』って、そんなに自慢げに言い切っちゃダメでしょ?」
「はい……。」
先生みたいな口調。
ああ、こんな会話も楽しい!
「まあ、わたしも似たようなものだから、言えないかな。ふふ。」
笑ってるけど、俺の申し出に返事がまだ……。
「夕食……ダメですか?」
「うーん……。」
「一人で外食は味気ないし……。」
「まあ、それはわたしも同じだけど……。」
俺と二人はダメ?
やっぱり図々しい頼みだったか……。
「この辺、あんまりお店がないけど?」
え?
「夕食にハンバーガーとかドーナツってわけには行かないでしょう? わたし、電車で出かけるような服で来なかったから。」
……ってことは、まだ断られたわけじゃない?
「あ、あの、車で。」
「え?」
「俺、車で来てますから。俺も普段着だから、ファミレスでも。」
お願いします!
「……ファミレスなら、この服装でもいいかな?」
「全然OKですよ!」
「じゃあ、行きましょうか。外食ならお買い物はしなくてもいいしね。」
やったーーー!
「このスーパーは10時まで開いてますから、帰りに寄ってもいいですよ。」
少しでも長い時間、一緒にいたいです。
「そう? 車で寄ってもらえるなら、重い物を買っちゃおうかな。」
「いいですよ。どんどん使ってください。」
児玉さんのお役に立てるなら喜んで!
「あ、今、何時? 5時か。……ねえ、せっかくここにいるから、やっぱり先にお買い物をしてもいい? で、途中でうちに荷物を置きに寄ってもらっても?」
「はい。」
一緒にスーパーで買い物っていうのも、新鮮な経験だなあ……。
「じゃあね、サラダ油でしょ、お味噌でしょ、お醤油でしょ、……あと、牛乳に卵、それから……えへへ、ビール。」
「ビール……ですか?」
「そう。毎日、夕食のときに1缶が楽しみなの♪ でも、買うと重いのよねー。」
「そうなんですか。じゃあ、今日の夕食のときも、俺に遠慮しないで頼んでください。」
「そう? ありがとう。……あ。」
酔いつぶれるまで飲んでくれてもいいですよ。
そういう児玉さんを見たい気もするし……って、無理か。児玉さん、強いもんな。
「カゴ、持ちましょうか?」
「大丈夫。このカートに乗せていくから。ねえ、雪見さん?」
「はい?」
そんなふうに、まっすぐ見つめられると照れくさいです。
下を向いてしまいそうになる……。
「雪見さん、『俺』って言うんですね。」
「え?」
……あ。
そういえば!
「あ、あの、すみません、馴れ馴れしく。つい。」
「あ、いいんです。いいの。気にしないで。」
ああ……、楽しそうな笑顔。
心の中がふわっと温かくなって、体の力が抜けそうになる。
「いいの。わたしの方が先に普通に話していたでしょう? でも、雪見さんはいつもきちんとした言葉遣いだったから、それが素なのかと思っていたの。でも、違うのね?」
「あの、はい、そうです。いつものは仕事用です。」
「そう。わたしにはそんなに気を使わなくていいですよ。わたしも遠慮なくお世話になってるし。」
あ。
これって、なんか、ちょっとだけ前に進んだような……。
「さて。じゃあ、さっさと買い物を済ませちゃおうかな。」
「はい。あ、カート、俺が押します。」
「そう? じゃあ、お願いします。最初はあっちね。」
わ! 来た!
児玉さんの手が……背中って言うか、腰って言うか……、その微妙な位置と力加減がなんとも……。
「は、はい。」
あったかくて、くすぐ……ん?
なんか、ぎゅうっと押されてる?
「やっぱりちょっと柔らかいよね。」
ああ……、後ろにもぜい肉が……。
「はい……。」
「和食のファミレスにしましょうね。」
「はい。」
絶対に痩せる!!
痩せて、褒めてもらう!!
第3章「お近づきに」はここまでで終了です。
次から第4章「5月の章」に入ります。