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児玉さん。俺、頑張ります!  作者: 虹色
9 十月の章
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このタイミングで?!


「ええと……。」


膝に乗った児玉さんがチラチラと視線をはずしながら、落ち着かなげに俺を見る。

近距離で見つめ合うのが恥ずかしいのか、これからどうなるのかと心配しているのか。

彼女の困った様子が楽しくて、思わず笑顔になってしまう。


「んー……、あのね、放してくれないかな?」


「イヤです。」


当たり前じゃないですか!


「でも、玄関で質問したら帰るって言ったよね?」


「『入って。』って言ったのは児玉さんです。」


ああ、児玉さんの困った顔!

もう……可愛い!


「うっ、苦し……。」


「児玉さん、大好きです!」


頭に浮かぶのはそんな言葉ばかり。


そうだ。さっきのお返しをしなくちゃ。

児玉さんが俺を褒めてくれたお返し。

自信がないと打ち明けてくれた児玉さんに、児玉さんがどれほど素敵なひとなのか、ちゃんと伝えなくちゃ!


「児玉さん。俺、児玉さんの笑顔が好きです。怒っているところも、拗ねているところも、ものすごく可愛いです。」


「うわ……。」


「先生たちへの細かい心配りとか、みんなと仲良くできることとか、世話焼きのところとか、もちろん料理が上手なことも、全部好きです。」


「……う。」


返事とも、うめき声ともつかない声。

照れくさいのを隠すため?

あくまでも色気がないところがますます可愛い!


「小さい体でいつも元気なところを見ると、俺も元気が出ます。それから……お腹に触ってくれたり、褒めてくれたり、甘やかしてくれたりされると嬉しいです。」


「……やだ。」


児玉さんの返事の意味が分からない。

けど、きっと児玉さんだって、よく分かっていないんだろう。


「焼きもちさんのところも、泣き虫さんなところも、好きです。」


「もう。」


児玉さんは体をくねらせてやっと俺の肩に手をかけ、俺を押しながら体を離した。


「……雪見さんだって、泣いたじゃない。」


ちょっと恨めしげな瞳。

でも。


「そんな目も好きです。その髪も、おでこも。その口も。」


また目を剥いてる。

そんなに変ですか?

でも、キスさせてください。


「ゆきみ、さん……。」


困った顔をしている児玉さんにゆっくりと近付いて……。



「 ――― ん?」



唇が触れると思った瞬間、何か、脚のあたりで気持ちの悪い振動が。

微かだけれど、振動音も聞こえる。

電話? いや、無視無視!

あ、児玉さん、離れないで……。


「雪見さん。電話じゃない?」


「え? あ、そう、ですか?」


違います!

絶対に違います!


「ほら……、あ、あった。ほらね、やっぱり鳴ってるよ。」


ああ、パーカーのポケットなんかに入れておくんじゃなかった!


「いえ、あの、出なくても。」


あ、児玉さん、取り出さなくていいですから。


「そういう訳にはいかないでしょう? こんな時間に電話してくるなんて、緊急の御用かもしれないし……あ、黒川さんだ。」


「えぇ?」


よりによって、このタイミングで?!

絶対に “緊急の御用” なんかじゃない!


「わたしは一緒にいないことにしてね。」


う〜〜〜、出るしかないのか?

くそー、呪ってやる!





『あ、悪いね、こんな時間に。仕事が忙しくて、なかなか時間が取れないものだから。』


「……いいえ。」


いっそのこと、徹夜で仕事になってしまえばよかったのに……。

隣に椅子を持って来て心配している児玉さんに催促されて、音声をスピーカー機能に切り替える。


黒川さんの用事は予想した通り、例の “勝負” のこと。

俺の最近の運動状況(月1度のフットサル)を確認したあと、自分と同じくらいだと判断し、来年2月に開かれる鯨崎市のマラソン大会の10km部門への参加を指定した。

すかさず児玉さんが、手帳で来年のカレンダーを確認する。


『参加の手続きはこっちでやっておくから。』


この大会では黒川さんの会社が、例のスポーツドリンクの宣伝でスポンサーになっているらしい。


「わかりました。」


10kmのマラソンか……。

もう何年もちゃんと走ってないけど、最近は体重も減らなくなっていたところだから、ジョギングはちょうどいいかもな。

勝負となると、それなりに練習は必要だろうけど、4か月もあれば……。


『キミが負けても、かすみと別れろとは言わないから安心してていいよ。』


隣で児玉さんがうんうんと頷いている。

児玉さんと俺とのあいだに、あなたは関係ありませんから ―― と、心の中で言っておいた。


『キミは、以前のかすみを知らないだろう?』


さっさと電話を切りたい俺にかまわず、黒川さんが話し出す。

この前と今日で、黒川さんが口が達者なひとだということは十分に分かった。


『今はずいぶん……勇ましくなったけど、本来の彼女は違う。あれは、俺と別れて一人で生きて行く決意をして身に付けた鎧だ。』


“鎧” って……本気でそう思ってるのか?

思わず児玉さんを見たら、児玉さんは懸命に「違う!」とアピールした。


『人はそう簡単に変われるものじゃない。本当の彼女は今も、か弱くて庇護されるべき存在なんだ。』


“本当の彼女” ?

“か弱くて庇護されるべき存在” ?



――― 何言ってんだ、こいつ?



お腹の底から、白々とした想いが湧いてきた。

「本当の彼女」なんて、ずっと会っていなかったくせに、よく言えるものだ。


『2年間、彼女は一人で頑張って来た。そこにキミがタイミング良く現れて、そばにいるようになった。ただそれだけさ。彼女は自分で気付くはずだ、俺の方が頼りになる男だってことにね。俺と一緒になれば、何も心配はいらないって。』


マラソンの勝負でそこまで伝わるのか?

それとも、この前の俺を見て判断した結果?

どっちにしても、あのとき児玉さんにきっぱりと言われたにもかかわらず、相変わらずの自信過剰ぶり。

隣で本人が聞いているとも知らないで。


「そうですか。」


『だから、俺がわざわざ別れろと言う必要はないのさ。はははは。』


「…………。」


返事をするのも馬鹿馬鹿しい。


『当日は、もちろんかすみも来るんだろう? ゴールしたあと、彼女がどっちに走り寄るか、今から楽しみだよ。あはははは!』


はいはい。

俺も楽しみにしてますよ。



黒川さん。

あなたは、児玉さんのことを何も分かっていない。

今ならはっきり分かります。児玉さんがあなたを断った理由が。


児玉さんは、誰かに幸せを与えてもらいたいひとじゃない。

お互いに喜びを与え合って、一緒に幸せを作っていくひとなんです。



電話を切って児玉さんを見たとき、最初に出た言葉は、


「児玉さん、ほんとうにあの人のことを好きだったんですか?」


だった。

児玉さんは、


「大学生のときには素敵に見えたんだけどねえ……。」


と、ため息をついた。

よくあんなヤツを……と思ったところで思い出した。俺だって、2年前のお見合いのときは、ひどい馬鹿者だった。

その馬鹿者を、今の児玉さんは、結婚の相手に決めているのだ。



人間は変わることができる。



黒川さんは「簡単に変わらない。」と言ったけれど、俺はそうは思わない。

悪かったと気付いたら、良くなるように努力すればいいい。

今でも俺は完璧ではないけれど、児玉さんは俺の頑張り屋のところが好きだと言ってくれた。


「そういえば、児玉さんって、以前は今とそんなに違ったんですか?」


黒川さんが、 “鎧をまとっている” と言うほど?


「ああ、うん、そうよ。」


にっこりと、楽しそうに微笑む児玉さん。

彼女は変わったことを後悔していないのだ。


「どんなふうに……?」


「うふふ、それはまた今度ね。今日は遅いから帰りなさい。」


え?!


「だって、ほら、もうすぐ12時だよ。寝なくちゃ。」


「そんな……、さっきの続きは?」


「また今度。ね?」


うー……。

こんなふうに言われたら、諦めるしかないか。

雰囲気も壊れちゃったしな……。


「じゃあ……、帰ります。」


まあいいや。

今日は、お互いの気持ちをきちんと確認できたんだから。


靴を履いている途中で、児玉さんが思い出したように言った。


「ねえ、来るときに助けてあげたベビーカーの女の人に、赤ちゃんを抱っこしてほしいって言われなかった?」


「は? いいえ。どうしてですか?」


「ほら、なんか、そういう幽霊っていなかったっけ? 赤ちゃんを抱いた女の人が、通りすがりの人に『この子を抱いてください。』って頼むの。で、抱っこしてあげると、その赤ちゃんが重くて、石だったりするの。」


幽霊って?!


「児玉さん!」


「……あ。怖かった?」


「怖いですよ! 鳥肌立ってきました。」


「ごめんね。でも、大丈夫だよ、ベビーカーだったんでしょ? 抱いてたわけじゃなくて?」


自分で言ったくせに!


「幽霊だって、現代風に変わってるかも知れないじゃないですか。どうしよう? 怖くて帰れません。」


「そうだったよね、ごめんごめん。バス通りを行けば……。」


「ダメです。もう無理。今夜はこのまま泊めてください。明るくなってから帰ります。」


「何言ってんの?! それじゃあ、わたしのほうが怖いよ!」


「ダメですか……?」


「ダメです。」


仕方ない……。


「わかりました。いいですよ、走って帰りますから。」


上り坂ですけどねっ!


「今日からジョギングの練習ができてラッキーだったね。」


ああ……、ものごとの明るい面を見るのは大事なことですね……。


「はい。」


「あ、雪見さん、ちょっと。」


内緒ばなし?

と思ったら、ほっぺたにキスしてくれた。


「無事に帰れるように、おまじない。おやすみなさい、雪見さん。」


「……おやすみなさい、児玉さん。」


児玉さんの笑顔で勇気が出た。


……少しだけ。












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