誰がために 14
「に、兄さん――――帝は何と言ったのですか?」
「どういう事だ――神楽」
「い、いや、俺に訊かれてもだな――困るぞ」
「で、ですが兄さん。帝はおかしな事を言いましたよね。制圧の対象とか――間違いなく、変ですよね」
「わ、私も空耳だと思うぞ。いや、それ以前に、帝は何か勘違いしているのでは」
「こ、こら鈴音、彩華。口が過ぎるぞ」
鈴音も彩華も大きく目を開いて、口だけが空回り状態で動いている。そんな状態では、まともな会話にならない。
これから俺が尋ねるつもりだった事を、先回りして告げられた帝の言葉によって、俺達の思考は止まったかのようになっていた。
「何を慌てる事がある。お前達はそれを知りたくて、『北浜』でごそごそと動いていたんじゃないのか。どのみち俺に確認するつもりだったんだろう」
穏やかな表情で、極当たり前のように話をする帝に、鈴音と彩華は不信を抱いた視線を向けている。多分俺もそんな目つきになっているだろう。
「全てご存知なのですね――それも二守筆頭ですか」
とは言った俺だが――帝は、他人の心を読み取る事ができるから、そっちの線かな。
帝は一つ頷いて、
「当然の事だよ。お前達は俺の持ち駒って言ったじゃないか。盤面を操る棋士として、主要な駒が見えなくてどうする。そのために諜報関係へ、多くの人数を割り当ててあるんだし、直轄の諜報も作っているんだ」
さらりと答えた。
例え知っていた事とはいえ、はっきりと言葉にされると、やはりショックである。
と、鈴音が真っ青な顔色で、
「み、帝――先程の話は……本当の話なのですか?」
唐突に尋ねた。
「ああ、言った通りだよ。嘘を言ってどうするという話だしね。
お前達はそれを調べようとして、国家規模の隠蔽という壁にぶつかったんだろう。今となっては、お前達の出生自体わからないだろうな。
けれども『北浜』の大川といったかな、その者の打ち立てた仮定の話が、手違いで残っていた資料によって、実話じみてきたんだよな。
偶然の一致という言葉の怖さを思い知ったよ。まさかそんなところから露呈するとは、思いもしなかったよ――」
思わずなのだろう、帝は小さく笑うと、続けて、
「――だがそれ以上、調べる事も踏み込む事も出来ない。
で、しかたなく俺に訊こうということになったんだよな。
まあ当然だな。ここまでが、まぐれ当たりみたいなものだった訳だし、そんな偶然やまぐれがそうそう続いてもらっても困るよ。それこそ全国の書類保管庫をひっくり返して、手落ちがないか確認が必要になるしね――」
帝は一旦言葉を切って茶を含んだが、小さく舌打ちすると、温くなっちまったな、取り替えてくれ、と、秘書官に伝え、
「――しかしだ、お前達もここまで知ってしまったんだから、隠されるのは気分が悪いだろう。
だから、はっきりと『お前達の両親は反抗的だったから粛正された』と言ったんだ。
まあ俺も、『先代のした事だ』なんて言って逃げるつもりもないしね。
それに今後、俺の支配を確立するために、お前達が行う仕事でもあるわけだ。正確に知っておく必要があると思ってね」
言い終えると同時に、秘書官が替えの茶を持ってきた。
ピンと張りつめていた空気が微妙に緩む。
茶を取り替えた秘書官が退室すると、
「ですが帝は、そんな独裁的な支配には否定的だったのではないですか」
彩華が先ず言った。対して帝は、
「彩華、お前もわかってないな。
この地域に、つまり神国天ノ原、当然バルドアも含んで、何人の人がいると思う――」
首を傾げる彩華に考える時間も与えず、ふっ、と鼻で笑うように息を吐き、
「――たかだか百万だよ」
言った。それが? と、疑問を呈す彩華に、
「百万が多いか少ないかは、その人物の立場で変わるだろう。
でもな『破壊神の囁き』以前、神国天ノ原に当たるこの地域の人口は、五、六百万と言われていたんだ。それもほぼ単一の民族でだ。もっと言えば旧文明の時代、この地域を含めて国として成り立っていた頃は、一億を越えていたという。
この星全体では、百億とも言われていたしね。凄い数だと思うよ。今の状況に馴染んでいる俺には、想像できない人の数だよ。さすがに単一の機関でまとまっていた訳ではないようだが、軋みながらも一応は回っていた訳だから、凄い話だよ――まあ、最終的には小さな不満が積み重なって、一気に爆発したんだろうな。おかげで、それだけ栄えていた人類が、今となってはどれだけ残っているのかは、わからないがね。
愚かな種族だよ……人類は。つい先程まで争っていた訳だしね。
おっと、少々脱線したかな。元に戻すと、その程度の人々をまとめるには、ややこしい政治の仕組みはいらないよ。頭がしっかりしているだけで、充分だよ」
まあ、俺の考えだけどね、と、付け加えた帝は、穏やかに笑っていた。
「ですが帝は、そんな専制君主制を嫌っていたのではないですか」
「神楽、お前は俺の話を聞いていたのか?
俺が以前、お前に話をしたのは、『国を治める能力の無い者が、生まれや担がれた神輿に乗ってその地位に就くのは、民衆が可哀想な国だ』と言ったはずだぞ。
なにも全ての専制君主制を否定している訳ではないんだよ」
「それは、治める者が優秀なら、専制君主制でも構わないという事ですか」
「くどいな、神楽。以前から、そういってるじゃないか」
確かに帝は、以前バルドア皇帝の話をしている時、そう言ってた。
「ですが、そこには権力を集中させるバランスというのか、度合いも重要と言ってましたが」
「ああ、だから議会にそれなりの権力を持たせている訳だし、俺の立場は飾りにしてあるじゃないか――」
帝は、ニヤリとして、だがそれは、と前に置いて、
「――表向きの話なんだけどね。
お前達が知っているかはさておき、行動に議会の承認が必要な軍関係は、俺が押さえているんだよ。国を治める者としては、当然の話だがね。
ここまで言えばわかるだろう、議会の主要な議員や行政府の者達は、俺の息が掛かっている。
まあ、議会なんて五十人だ。一割の主要議員を手懐けておけば、過半数は取れるよ。それに行政府に関しても、表向きには形式的だが、実際は実権を伴った任命権が俺にある訳だしね。
さすがに司法関係には手を付けていないが、言っちゃえば議会、言い換えれば議会、つまりは立法府を押さえているんだから、最終手段として法を変えちゃえば良い訳だしね。
つまり表向きには、民意を議会が決定して、それを行政府が執行する、俺はそれらを形式的に承認するとういう立憲君主制なのだから、俺に権力が集中しているように見えない。
しかも裏事情には、細心の注意をはらっているから、当事者くらいしか知らないしね。
お前達だって、今始めて知った訳だろう――」
そんなからくりを聞いて、俺をはじめ、鈴音、そして彩華も言葉を失っていた。
そんな俺達に構わず、帝は話を続ける。
「――そもそも俺は、国政に口を出さないようにしていたからね。子飼の議員達は俺の事をよく理解していて、いちいち指示をしなくても、俺の求める路線から逸れる事が無かったしね。
俺は、そんな緩やかな専制君主制を良しとしている。
権力丸出しで、国政のほぼ全てを己に決めさていたバルドア皇帝は、愚かだと思うし、いろんな意味で国を割っていたよ――」
帝は一度話を切り、呆気に取られている俺達に気合いを入れ直すように、
「――でだ、ここでこんな話をしたという意味をわかっているか?」
話の核心たる問いかけを投げてきた。
「そ、それは……考えさせて――」
俺が返そうとした時、帝がさえぎり、
「神楽、考える必要は無いだろう。簡単な問いかけだ。
俺の正義に従うか、それとも反抗するか、だけだぞ。
本来なら『従う』の一択のみ。問いかける必要もない事だ」
帝からのはっきりとした問いかけは、待った無しで、しかも曖昧な返答を拒絶する問いかけでもあった。それをわかっていながら俺は、
「で、ですが、帝――」
と、引き伸ばしを図ろうとするが、帝はそれもさえぎり、逃げ道を潰す。
「今も言っただろう、原則として『従う』の一択だと。
すぐに返答できないという事は、俺の正義に疑問がある。つまりは反抗の意志があると、そう受け取っても良いんだな」
「い、いや、決してそう言う訳ではないのですが、あまりに唐突なお話でしたので、なんと言いますか――」
焦りのあまり、しどろもどろな俺の言葉も帝は切り捨てて、
「おかしな事を言うなよ神楽。
何も知らなかった時は、俺の命に従っていたのに、舞台裏を知ったとたん、尻込みをするのか」
「そう言う訳ではないのですが、私一人では――」
「何だ神楽、情けないな。お前が鈴音や彩華を引っ張らなくてどうする――」
帝は鼻で笑うと、
「――鈴音、彩華、お前達はどうする? どうやら神楽は、俺よりお前達の方が怖いみたいだ。一つ神楽の背中を押してくれんか」
言われた鈴音と彩華は、
「いいえ、私達は兄さんに――」
「神楽の判断で――」
などと言いつつ、一歩どころか、二歩三歩と引いて、俺の背後に隠れてしまった。
それを見た帝は、声に出して笑いながら、
「いかにも天ノ原の女性らしい。
おっと、これはいかん。静やとある団体からお叱りを受けそうな発言だったかな。
で、神楽、どうする? 鈴音と彩華はお前に判断を任せたそうだ」
まさか鈴音と彩華がそう来るとは思わなかった。だがこうなると、さすがに黙りを決め込む訳には行かない。全く困ったもんだ。
しかし、軽卒な返事は出来ない。何も知らない俺達がこなしていたような命と、裏舞台を知った俺達に下る命は、その性質が変わるのは明白だ。そう考えた俺は、とりあえずの時間稼ぎも含めて、
「そのお返事の前に、一つだけ教えて下さい――」
前置くと、まだ何かあるのか、と言いたげな、少々うんざりとした表情の帝に尋ねる。
「――先程反抗活動の制圧と言われていましたが、具体的にはどのような事をするのでしょうか」
当然帝は、大きな嘆息をもらして、
「がっかりだよ、神楽。今更俺に、それを訊きたいのか――」
言うと、もう一つ嘆息をもらし、
「――まあ良いか。
俺は『反抗活動を制圧しろ』と命は出すが、その輩の処置まで指示はしないよ。そこは所謂現場の判断というやつだ。時には行き過ぎのような事もあるが、大方俺の方針に沿っていれば良い訳だよ。
簡単な事だろう。相手は俺に難癖をつけて、平和を乱そうとする輩だ。遠慮はいらんさ」
「しかし、それでは――」
「良いか神楽、先程から何度も言うが、俺の正義が、この国の正義であり、それがお前達の正義でもあると思っている。
まあ、バルドア帝国との戦争が終わって、この神国天ノ原が勝って、今は平和な時代になった訳だ。
そりゃ俺だって、永遠の平和が訪れたなんていう夢物語を信じちゃいないよ。いつかは国を割る争いが起きるだろうしね。
だけど、そんなひと時の平和を乱そうとする輩がいるのは、事実だよ。
そいつらにも思うところがあるのは、わかるがね。
けれども、俺はそれを許さないよ。たかだか百万程の国の王がそれを許したら、簡単に国を割っちゃうよ――」
俺は帝に半ば説得されていたのだが、
「――だからこそ、俺は、いや受け継がれてきた帝としての血統は、そういう輩に対して容赦はしない。
と、また話が逸れたな、元に戻そう。お前達にやってもらう事だったな。
さっきも言ったが、手段は好きにするが良い。具体例は――そうだなお前達も見た『オウノ』か。俺は『制圧しろ』とは言ったが、『燃やせ』とは言っていない。あれは現場の判断、つまり音無の判断だ。そして俺は、その判断については何も言わない。
あの組織のリーダーや主要メンバーの一部が逃げたようだが、それは予想外だったようだ。しかし、奴らの当面の行動は封じた訳だ。『制圧しろ』という命は実行された訳だよ――」
言葉を切った帝は、また茶に手を伸ばし、一口含み、
「――また、冷めちまったな。まあ、良いか。
そうそう、先代の記録にあったんだが、お前達の両親もそういう事だ。現場の判断だよ。
で、お前達三人は、たまたま助け出されたんだ。本来ならお前達も制圧の対象だったらしいが、幾ら何でも、助け出された命を――まあ、そこまではさすがにな。何も知らない訳だし。
ただ、禍根を残す可能性は否定できないから、出自を全て改ざん、戦災孤児の名目で『本殿』で預かったようだ。お前達を担ぎ上げる輩から隔離して、監視するという意味でな――」
帝は言葉をわざわざ切って、俺達を一瞥し、ニヤリと口角を緩やかに上げた。そして、極めつけの一言を、
「――上手くすれば、他の子飼と同じく、しっかりと働いてくれるしね。
実際お前達は、俺が思った以上にやってくれたよ――」
帝は、おっと失言、と、わざとらしく呟いた直後、
「――で、どうする?」
言った。
僅かな間を置き俺は、
「――――俺は、いや鈴音も彩華も、俺達は従えません」
半ば説得されていた意志とは正反対の返事を返していた。
読み進めていただき、ありがとうございます。