誰がために 10
「ここが、北浜駐屯地の保管棟となっております」
大川係官に案内された先は、事務棟の裏に建てられている独立した建物であった。見た目で六〇坪ほどの建物は、半地下部分と平屋の地上部分の二階建て? である。彼の話によると、地上部分は閲覧室と直近五年間の資料などの保管室、半地下部分はそれ以前の約二十年分の保管室となっているそうだ。
「では、私達の探している資料は、とりあえず地下にあるんですね」
俺は、確認する意味で尋ねる。
「はい。こちらに保管されているのでしたら、そうなります。
それとご存知の事と思いますが、一応役目ですので注意事項を伝えておきます。
万が一に備えて、別の場所に写しを保管してありますが、保管棟内は火災防止のため、緊急時以外は火気厳禁となっております。これには照明用のランプ類も含まれますので、調べ物は日の光のある間にお願いします」
流石文官の端くれ。先程までの引きつって青ざめた顔を事務的な表情にした大川係官は、この後も何点かの注意事項を淡々と述べると、保管棟出入り口の扉を開いた。
ムワリと、古くなった紙独特の臭いが鼻を突く。
「この臭いは、慣れんな」
彩華が思わずだろう、口に出した。
「私もです。街の古本屋さんに行くのも、ちょっとためらったりする事があります」
鈴音もだった。確かに、この臭いは俺も苦手である。俺達は、そんな事を呟きながら進んで閲覧準備室に入った。
大川係官は、
「私はここで控えています。御用の時はお呼び下さい」
差し出された地下書庫扉の鍵を俺が受け取ると、彼はその場にあるイスにかけた。
閲覧室に入室した俺達以外、誰もいない三十坪程の室内には、大きめの机一脚にイスが四脚組み合わされて、五組程が置いてある。とりあえず、地下書庫への出入り口側の机を陣取り、地下書庫扉の鍵を解錠して扉を開いた。
今は二月の中旬、空気が乾燥している時期のはずなのに、薄暗い空間から陰湿な空気が漂ってくる。同時に、この建物に入った時以上の古くなった紙独特の臭いが鼻を突く。
俺達の口から率直な感想がいやでも漏れ出す。
「凄い臭いですね。カビ臭いと言うのでしょうか――うぅぅ、私、倒れそうです」
「うん、ごめんなさいだよ俺」
「うむ、確かにだな。しかし、神楽は何にでも謝るんだな」
「そういう訳じゃないけど」
「じゃあ――兄さんお願いします」
鈴音がニコリと笑顔で俺に言う。
「へ?」
――何をお願いされたかわからないが……
「私達はここで待ってるから、資料探しは神楽に任した」
――ああ、そういう事ですか。彩華の言葉に納得? って、
「ちょ、ちょっと待て待て、おかしいぞ」
俺は反論する――美人姉妹相手に意味の無い事なんですが、一応頑張ってみる。
「あら、兄さんはか弱い私達に、重い資料を持たせるつもりですか?」
先ずは鈴音からの軽い反撃がやってくる。
「だから、ほら、あれだ、俺一人じゃ――」
「何だ、怖いのか神楽」
当然ながら彩華からも軽い反撃を受ける。
「いやいや、そうじゃないけど、時間がかかるだろう。持ち運ぶのは俺がやるから、探すのは一緒にしましょうよ」
「兄さん、物事を頼むときは、それなりの作法があるはずですよ」
――おや? 鈴音さん、話がズレて……
「うむ、親しき仲にも礼儀ありと言うしな」
――ん? 彩華さんまで? まあでも、俺は大人ですからね。
「あ、はい、鈴音さん、彩華さん、資料探すのを手伝って下さい」
「様付けで呼んだ方が良いと思いますよ」
――あれ? 鈴音さん?
「お願いします、は?」
――あれあれ? 彩華さん?
「「やり直し!!」」
美人姉妹の勢いに気圧されて、
「は、はい! 鈴音様、彩華様、資料探すのを手伝って下さい。お願いします」
俺は言うと、深々と頭を下げた。
「本当に兄さんは甘えん坊さんですね。ですが、そこまで言うのなら仕方ありません」
「頭まで下げられてはな、手伝ってやろう」
鈴音と彩華から了承の返事を聞いた俺は、頭を上げると、
「あ、ありがとうございます」
もう一度深々とお辞儀をした。
――何で? どうしてこうなった? 何を間違えて俺はお願いしてるんだ?
という訳で、毎度ながらの儀式をすませた俺達は、薄暗く陰湿な空気が漂う地下へと階段を降りる。
そこは地下室といっても、構造上は半地下であるため、採光用の高窓から光が入り薄明るい。が、書棚の間は影となってやはり暗い。しかもその数、ズラリと並ぶ数十架、保管量が半端な量じゃない。
そもそも軍とはいえ、事務的な処理は役所となんら変わりはない。一つの事に対して、一枚の書類で済む事でさえ、数枚の書類が必要である。全く困ったもんである。
しかし、他人事ではない。ここにはそんな役目を終えた書類等が、今後の要不要に関係なく約二十年分が保管されている訳である。その中から、お目当ての資料を探さないといけない訳であり、心底困ったもんである。
「兄さん、一体何処にあるんですか?」
「いや、俺に訊かれてもだな――」
「ふん、こういうのは大抵が年度ごとに並んでいるもんだ」
そりゃそうだろう、と言いたいところだが、彩華の機嫌を損ねる事は避けたいので、
「そ、そうなのか?」
などと、感心してみる。
「私はこう見えても、一つの軍勢を預かっていたんだぞ。事務方の仕事もそれなりにこなしていたんだ」
非常に珍しく、ちょっとだけ得意げな表情を見せる彩華に、
「彩華姉さん、凄いですね。誰かと違って頼りになります」
「お見それいたしました」
褒め上手なその他大勢であった。
感心している場合ではない。早々動き出した鈴音は、
「ですと、今から十四、五年前ですから……」
呟きながら手前の書棚の間に入って行った。更に続くように彩華は、
「天ノ原暦で二〇五年辺りだぞ」
俺に言い聞かせるように言って、中程まで進んで書棚の間に入って行った。
早速行動に移った美人姉妹に遅れる訳にいかない俺は、奥まで進んで書棚の間に入った。
「うわ、思った以上に暗いな……背表紙、見にくいし」
一番奥という場所のためか、それとも時間のためなのか、ここには光があまり入ってこない。見えない程ではないが、明かりが欲しいレベルである。
「とは言っても仕方ないか……」
呟きながら、それでも目を凝らして書棚を探る。
一列目――まあ、いきなりは無理か。俺、くじ運悪いし。
二列目――そうそう見つかるもんじゃないだろう。
三列目――簡単に見つかっちゃ面白くなし。
四列目――ぼちぼちどうですか?
五列目――立場的に、俺が見つけないとマズい事になりそうなんですが。その辺り空気を読んで下さいね、お願いですから。
六列目――に、差し掛かった時、
「ありましたよ」
「見つけたぞ」
鈴音と彩華が同時に声を上げた。
――ヘ? 旗を立てたのがいけなかったのだろうか、それとも、俺はそういう星回りなんだろうか、予想通り美人姉妹が先に見つけたようだ。しかも同時って、何それ?
とりあえず声が『聞こえた』イコール『来い』と躾けられている訳ではないが、美人姉妹がいる方へと向かった。
「あっ、兄さん、こっちです」
いや、わざわざ言わなくても、さすがに姿は見えるから。
「神楽、お前の方はどうだ?」
――うっ、来たぞ。
「いや、残念だが、見当たらなかった」
「へ? 兄さんは、何にも見つける事が出来なかったのですか?」
鈴音が大きなお目目をわざとらしく開いて言う――そりゃそのお目目なら、真っ暗闇でも見つけそうですからね。
「まあ鈴音、あまり言ってやるな」
――おっ、彩華さん優しいですね。
「そうですね。兄さんがたまたま見た書棚は、大ハズレだったのですから、仕方ない事ですね」
――おや、鈴音さんも珍しいですね。
「まあ、持って生まれたものの差と言う訳だからな」
――おやおや? 彩華さん。そう来ますか。
「普段の残念な行いならいざ知らず、運気の弱さというは、今更どうしようもない欠点ですね。それを改めて攻めるのは、ちょっと酷でしたね」
――あれれれ? 鈴音さんもですね。やっぱり、そういう話になるんですね。
「そうだな。努力とかじゃ埋まらない差だからな。あまり言ってやるな」
――あのですね、凄い言われよう何ですね。ここの空気にすっかり馴染んで、凄く陰湿に聞こえるのですが。これだから……
「じゃあ、資料を持ってきて下さいね。私は上で待ってますね」
――って、おい。
「資料はこの列にある。では私も上で待ってるからな」
――てか、この一列だけって、もしかして二人で申し合わせていませんか? しかもこっちは明るくて背表紙もはっきり見えるし。
あっ、何故振り向く。俺、知らずに声に出したか?
「そんな事はしてません! 失礼です!」
「おかしな疑いをかけるな!」
もの凄い剣幕で怒られた――図星を突いちゃったか。でも、そんなに怒らなくても。
「ご、ごめんなさい。上でゆっくり休んでいて下さい」
俺って、立派に調教――いや、躾けられている訳だ。
階段を上る二人のお尻――ではなく、後ろ姿を見送った俺は、彩華に聞いた書棚から、目についた戦闘に関係していそうな記録を選び出す。
その数……十……二十……沢山。
五、六十冊といったところか。唯一の救いは、書棚が階段の近くにある事だろう。
「こりゃ、一日じゃ無理かな――」
俺は一冊取り出して、ペラペラとめくって大雑把に目を通してみる。と、そこに記されていた記録は、当時の国境にあった前線基地『第三砦』への補給関係の書類であった。
「――まあ、これなら大丈夫かな」
とりあえず、十冊程を抱えて階段を上がった。
「――お待たせ」
俺は、よいしょと机の上に資料を下ろす。
「遅いですよ兄さん。待ちくたびれました。いったい何をしていたんですか?」
「何って、思った以上に沢山あったから、ちょっと内容を見ていたんだ」
「さっさと済ませてしまえよ、神楽」
彩華が薄ら笑みを浮かべる。
「へ?」
「『ヘ?』じゃないでしょう。そんなに沢山あるのなら、早くしないと日が暮れてしまいますよ」
鈴音まで口元を緩やかに上げている。
「はい?」
「いい返事だな、神楽」
「いやいや、ですから、一緒に調べてくれるのでは?」
「私達はもう終わりました」
――言ってる意味が……
「終わったって、何が?」
「だから、調べは終わったと言ったんだ」
――ですから、何をいってるんですか?
「あのですね、鈴音さん、彩華さん、資料はまだ下に沢山――」
俺の言葉を鈴音が切って、
「兄さんが持ってきたのは、補給関係の記録じゃないですか?」
「まあ、さっき大雑把に一冊だけ目を通したが、そんな感じだった」
「当たり前だぞ、それは補給記録だ」
――言われてみれば、
「へ?」
「ですから、戦闘関係の記録は――」
パサ
鈴音の手から机の上に、一冊の薄っぺらな綴りが出される。
「――これだけですよ」
俺は、漫画なら間違いなく『ガーン』という極太の文字を背景に、目の前が真っ暗になった。
「ち、ちくしょう。ふ、二人で馬鹿にしやがって――」
時には逆襲である。だが、
「――グスン……」
泣いていた。
「「あっ!! …………」」
驚くいたのは美人姉妹であった。
「い、いや、すまん神楽――だ、だから泣くな」
「ああの、に、兄さん、ごめんなさい。で、ですから泣かないで下さいね」
俺が泣くと、彼女達は慌てる。これは使えるかも――って、非常に情けない事です。
美人姉妹に妙に優しくされて、その成り行きで、
「ほらほら泣かないの、兄さん。ここを触っててもいいですから。でもこれ以上は夜のお楽しみですよ。なんでしたらこの仕返しとして、寝床で私を泣かせてくれても構いません——ウフ」
とか、
「神楽、仕方ない奴だな。今晩好きにしていいから、今はこれだけだ。何なら私も泣いて構わないぞ——ポ」
などと、もの凄い事を言う美人姉妹。傍目には両手に花の俺が、けしからん胸の膨らみとか、よく言う美乳とかに手をつけて、感激のあまり泣いているように見えてしまうだろう。
そんなけしからんとも言える大人のあやしを受けて、俺のしゃくり上げが止まったのは十分程後であった。
「全く兄さんは、泣き虫ですね」
「仕方ない奴だな神楽は」
「ご、ごめんなさい」
落ち着きを取り戻した俺達は、ようやく本題に入る。
「――で、どうだったんだ?」
「兄さんも見ておいて下さい」
鈴音が机の上に置いた戦闘記録を俺の前に差し出した。
「まあ、大した事は記されていない」
彩華が溜め息まじりの一言で結果を言う。
「数度、兵士崩れが補給物資を狙ったと。言ってみれば山賊行為ですね。それ以外は記されていないです」
鈴音は非常につまらなそうに言った。
「つまり『北浜』では戦闘は無かったと言う事か」
少々落胆の色が出た俺。
「そういう事になりますね。考えてみれば、いくら『北浜』が国境間近と言っても、この神国天ノ原が劣勢ではなかったのですから、戦火の飛び火によって戦闘になったとは、考えにくい事です」
鈴音が眉根を寄せて自身の見解を言った。
「だが、その戦闘の規模がわからぬから、戦闘は絶対に無かったとは言い切れないがな。
だいたい、軍勢が攻め入るにしても、『第三砦』が健在なのだ。神楽達が『トゥルーグァ』の宮殿を落としたときみたいに、魔法使いがいたのなら話は別だが、当時はどちらの陣営にも不在の時期だからな」
彩華の話に俺は、確かになと頷いて、
「じゃあ、破壊工作というのはどうだろう。俺達の親は軍関係だったんだ」
「それについては、私達の出自や両親がどういった地位だったのかがわからない限り、はっきりとした事が言えません。
ですが、その線は薄いと思いますよ」
「鈴音の言う通りだと思うぞ。
この『北浜』で破壊工作をしても、戦場に与える影響は、あまり無いように思えるがな」
「ん? どういう事だ。補給線を断ち切るとか、それこそ『北浜』出身の兵にとっては精神的な負担が増えるだろう。なにせ、この『北浜』は『第三砦』の後方支援を任されている訳だし」
言う俺に、彩華が一つ息を吐いて、
「なあ神楽、もし補給施設に対して破壊工作を行ったとするなら、それこそ記録に残るだろう――」
彩華は一息置いて、ちょっとだけ面倒くさそうに、
「――それと私は戦争中、侍の配置に関する権限も持っていた。その観点から言うと、例え『北浜』が『第三砦』の後方支援を担っているからと言ってもだ、『第三砦』の兵士を『北浜』出身者で固める事はしない。つまり、精神的な痛手を狙って『北浜』に破壊工作を仕掛けても『第三砦』の士気にはさほど影響は出ない。
それに破壊工作を行うのなら、どのみち少数精鋭で行うのだ、事の成否にかかわらず『本都』を、可能なら『本殿』を標的にするだろう。
私ならそうするぞ」
珍しく長い台詞を吐いた。
「そりゃそうだな。だが、もしかすると、記録を隠蔽しているとかは考えられないか」
我ながらおかしな事を言ってると思う。当然、
「兄さん、言ってる自分が変だと思いませんか? それは確かに、その可能性も完全に否定は出来ません。でもそれって誰が得をするんですか?」
鈴音に冷静なツッコミを頂いた。更に彩華の追い打ち、
「鈴音、言ってやるな、また泣くぞ。神楽が変なのは今に始まった事じゃない」
――まあ、確かに今の発言は取り消したいです。
「なんとでも言って下さい。
しかし、こっちの線は手詰まりか。
う~ん、あれにもそれとなく訊いてみるか」
苦肉策である。
「兄さん、あれって、奴ですか?」
「まあ、奴なら『北浜』在住年数が年齢だろう」
話はまとまった。俺は閲覧準備室に控えている大川係官を呼ぶ。
俺が扉を開けると大川係官は、ビクリと体を一度震わして、青ざめ顔色で俺の方を向く。
「大川係官、少々伺いたい事があるのですが、宜しいですか?」
彼は俺を確認すると、強張った表情が穏やかになって立ち上がる。
「は、はい、何でしょうか」
「ここでは何ですので、中でお話しましょう」
俺が言うと、彼の表情が再び強張り、更に鈴音と彩華の恐怖――いや、優しい微笑みが視界に映り込んだのだろう、今にも倒れそうな顔色と足取りで閲覧室に入った。
俺は、彼が倒れる前にイスに座らせると、尋問を開始した。
読み進めていただき、ありがとうございます。