誰がために 09
「兄さん、おはようございます」
「神楽、目が覚めたか」
「おはよう、鈴音、彩華――」
右の鈴音に左の彩華から目覚めた俺にかけられた、優しい声に朝の挨拶を返す。が、微妙な違和感に昨晩の就寝直前のやり取りを思い出す――彩華は昨晩、客間で寝たはずである。
「――ん? って彩華さん、いつもの定位置にいますが、何故ここに?」
当然の質問をする。
「私がいては駄目か?」
「いや、駄目って訳じゃなくてだな」
「なら問題無いではないか」
「そりゃ、問題も無いのだが」
どのように対処して良いのか、目覚めで働かない俺の頭では、オウム返しである。
「じゃあ、もうしばらくこのままでいさせてくれ」
「はい」
ようやく出たオウム返しではない俺の返答が、この一言であった。突然、首の向きが変わる。
「いてっ――」
彩華と俺のやり取りを聞いていた鈴音に耳を引っ張られて、強引に俺は大きなお目目と向き合わされる。
「兄さん、こっちを向いて下さい。
全く、寂しがりやの彩華姉さんも姉さんですが、兄さんは甘いです。見るだけで歯が痛くなります。そんなんだから、つけ込まれるのですよ」
――いや、つけ込まれるって言われてもだな。
今度は彩華に耳を引っ張られて、切れ長の目と向き合わされ、
「神楽、こっちを向け。
甘えん坊ちゃんの鈴音ちゃんに言われたくないな。しかし神楽、いいように言われてるな」
――いいようにって言われてもだな。
と、鈴音に耳を引っ張られ、
「私を見て下さい。
明け方に、この世の終わりみたいな涙顔で潜り込んできたのは誰だったかしら」
――それ、俺に言ってるのか?
って、彩華に耳を引っ張られて、
「話す人を見ろと教わっただろう。
一人じゃ寝床にも行けなかったお子様のお前は、どうせ、お休み前のトイレも、終わるまで見ていてもらったんだろう。全く恥ずかしい」
――いや、だからそれ俺に言ってるか?
てか、耳を引っ張るなって鈴音。
「な、何ですって! 独り寝が寂しくて、体が夜泣きするオ・ト・ナ・な・姉さんに言われたくありません! お下劣ですわ」
こ、こら、彩華も耳を引っ張るなって。
「な、なんと申した!」
朝から変に熱くなった鈴音と彩華は、勢い良く同時に体を起こした――はい、俺の耳をつかんだまま。
「あっ、こら――イテ!」
俺は、この後『耳を放せ』と言いたかったのだが、痛くて言葉が切れた。
当然、引っ張られたままの俺は、今まさに火花を散らす美人姉妹の間に、割り込むかのように起き上がってしまう。更にマズい事に、切れた言葉に『イテまうぞ、ゴルゥゥゥア!』と勝手に付け加えたらしい。
二人の視線は、火花を散らしていた迫力のまま、俺を左右から突き刺す。
「何ですか、兄さん。何か文句でもあるのですか?」
先ず右の鈴音から、冷たく低めの抑揚のない声が聞こえた。
「何だと言うんだ、神楽」
続いて左の彩華から、端的で冷徹な響きの声が聞こえた。
その直後、
「イテテテテ――オゥグゲェ――」
俺は叫んでいた。
軽く解説すると、美人姉妹はつまんでいた俺の耳をそのまま引っ張り、追い打ちとばかりに、空いていた手を拳にして、強烈な一撃を俺の両脇腹に打ち込んだ。
気が晴れたのだろう、二人は仲良く、フンと、鼻をならすと寝床から立ち上がり、流麗な曲線で囲まれたお尻を二つ並べて振りながら、寝室から出て行った――まあ、仲が良いのは何よりです。てか、一体俺が何をした?
脇腹を押さえながら俺は、彼女達のお尻を見送り、
「全くもう……フッ」
先程のやり取りを思い出し、息が抜けるように笑うと、寝床から抜け出して身支度を整えると主室で美人姉妹と合流し、更に『お人形』を引き連れて食堂へと向かう。
たわいもない雑談を交えながら、毎度おなじみの朝食定食を食すと、一息ついてから部屋に戻った。
午前八時と、同じ敷地内にある事務棟に向かうには早いため、主室に入った俺達は一度机を囲んだ。
軽い雑談から始まり、そろそろ事務棟へ向かうには、ころよい時間なると、自然と本日の予定の話になっていた。
「――兄さん、司令に挨拶した後は?」
「そうだな、今日は戦闘記録を調べようと思っている」
「みんなでか? 出自と手分けして調べた方が効率的ではないか、神楽」
「まあそうだが、戦闘記録の方は調べやすいだろう。もしかすると出自につながる手掛かりもあるかもしれないからな。それに時間はたっぷりあるからね」
俺の答えに、うむ、と頷く彩華は納得したようだ。それを見て、そろそろ行くか、と腰を上げる途中、
「あっ、兄さん――」
鈴音の声で、俺の動きは中途半端な中腰で止まる。
「――昨夜は、あんな事を言ってしまいましたが、あまり気にしないで下さい」
「ん? 昨夜の? ああ、出自の事か」
よせばいいのに、そのままの体勢で受け答えを始めてしまう。
「はい、そうです。
……あんな事を言っておいて、今更と思うのですが、私も本当の事が知りたいと言う事にかわりないのです。
ですから、私に遠慮しないで出自を調べて下さい」
「あ、ああ」
事実上の空気イスだし、体中変に力が入っているし、声が震える。
「でも……」
「でも?」
フルフル――ひ、膝も笑いだしたし。
「……いえ、何でもありません」
鈴音のゆっくりとした話に切りがつくと、俺は体勢を立て直すために、一旦座ろうとしたその時、
「鈴音、無理はしなくても良いぞ。神楽も言ったが、時間はあるしな」
彩華の言葉にまた動きが止まる俺。
「は、はい、彩華姉さん。ありがとうございます。それに兄さんも」
「うむ、とりあえず今日は挨拶だな」
言い終えた彩華はスクリと立ち上がる。
それは不意の出来事だった。
「行くぞ、神楽」
彩華は言うと、トン、俺の背中に手を置いた。
「へ?」
カクン――バタ、ガン、「ん? ――アギ!」
突然狂った体のバランスに耐えかねた膝が折れ曲がり、転けそうになるのを立て直すため一歩足が出て、机の天板に向こう脛を強打。遅れてやってきた痛みに、涙目神楽の出来上がり。
脛を押さえる俺に、
「何やってるんですか、兄さん」
「全く世話が焼けるな、神楽」
「おかしな格好しているからです」
「少しは鍛えろ」
等々、言われ放題を約五分間、ズキズキと涙目級に疼く脛を抱え、甘んじて受けた。
様々なドタバタを経て、俺達が事務棟にはいったのは、午前九時の五分程前であった。
「おはようございます!」
素早く俺達に気付いて、直立不動――所謂気をつけの姿勢――で出迎えたのは、二つの青タンが痛々しい大川係官であった――俺の脛に出来た青あざが可愛らしく思えます。
「へ? あ、ああ、お、おはようございます」
不思議な迫力に気圧され、思わずどもる俺であった。対照的に、
「おはようございます」「おはよう」
と、全く動じていない美人姉妹だった。
「おはようございます。『直轄追跡部隊』の皆さん、昨日は大変失礼いたしました」
扉が開けっ放しの応接室らしい部屋から、見た目は舞台俳優のような三十半ば程のいい男が、来客用の応接セットのイスから立ち上がると声をかけてきた。
「「「お? おはようございます???」」」
俺達は――少なくとも俺は――あまりに軍関係の職種にそぐわぬような――ちょっと偏見か――その見た目に少々驚きというのか、不自然さを感じて、『あんた誰?』とも取れる視線を向けていた。
そんな視線に気付いたのだろう男性は、俺達に近づいて来ると、
「これは、またまた失礼しました。私は『北浜』駐屯地司令をしています平城拓実と申します」
簡単な自己紹介をしてきた。
「あっ、こちらこそ失礼しました。私は――」
言う俺の言葉をさえぎるように、
「皆様の事は、存じ上げております。
立ってのお話もなんですので、こちらへ」
応接室に手を向け歩き出す。
「お気遣いありがとうございます」
俺達は案内されるまま、応接室に入ると一番後ろにいた大川係官が扉を静かに締めた。俺、彩華、鈴音の順に上座側に案内され、俺の正面に平城司令、一番の下座には大川係官が座った。ちなみに『お人形』黒鬼闇姫は俺の膝に、金剛輝姫は鈴音の隣に座っている。
全員が落ち着くと、平城司令の秘書官らしい女性がお茶を出してくれた。それが終わる頃、
「なんでも此の度は、離反された魔法使いを追ってとの事ですが、私どもでお手伝いできる事がありましたら、何でもお申し付け下さい。最大限のご協力をいたします」
先ずは平城司令の『ありがたい申し出』という社交辞令から始まった――俺、捻くれているか。
「お心遣い感謝します。私達も不確定の情報でここまで来たのですが、やはり、痕跡すら見つける事ができませんでした。
その『離反組』は、得意とする能力を使って、簡単には目の届かない山奥に潜んでいるようで、今後も山間部を中心に捜索して行く予定です。
多分集落にはめったやたらに姿を現さないと思われます。
そんな訳で本来なら、こちらに来る必要は無かったのですが――」
俺は一旦言葉を切って、出されたお茶を一口含み、本来協力してもらいたい事をそれとなく伝える。
「――後学のためにいろいろと参考にしたい事がありまして、こちらに保管されている過去の戦闘記録を見たいのですが、宜しいでしょうか?」
僅かに眉根を寄せて、一瞬返答に詰まったような、どちらかというと渋るような、そんな複雑な表情をする平城司令であったが、
「それは構いませんが、過去と言いますと、いつ頃からの物をお探しでしょうか?
あまり古い物ですと、残っていても何処にあるのかさっぱりですが、私の権限がおよぶ範囲でしたら――」
一応の許可らしい言葉は引き出せた。
「そうですね、十五、六年前程の物から見たいのですが」
「そうですか。私もこの駐屯地に入ってまだ五年程ですので、それ以前の資料などの行方は少々自身がありません。一応の建前で、戦闘記録は永久保存とされています。したがって、何処かにはあるのでしょうが、この駐屯地にあるとは限りません。
お探しの物が見つかると良いのですが――何名かお付けいたしましょうか?」
「いえ、そこまでして頂く訳にはいきません。許可だけ頂ければ、後はこちらで調べますので、案内だけお願いします」
序盤から社交辞令の応酬であり、はっきり言って非常に疲れる――やっぱり捻くれてるな俺。
「わかりました。
それではこの大川をこのままお付けいたしますので、ご自由にお使い下さい」
「ありがとうございます」
言った俺をはじめ、鈴音と彩華はニコリと笑って大川係官に視線を向けると、
「「よろしくお願いします」」
二人揃って軽い会釈と共に言う。
「は、はははい、こここちらこそ、よよろよろしくお願いします」
大川係官は、青タンが判別できない程顔を青くして、イスからずり落ちそうになりながら、内股になって返した。
そんな彼を見た平城司令は、口元を少々上げて、
「ああ大川君、今日はいつもの元気が無いが、調子が悪いのかな。
何はともあれ、天命ノ帝直轄の皆さんに粗相の無いようにお願いしますよ」
いたずらっ子である。
「と、当然でございます。
わわわ私、本日回るための手続きを行ってきますので、いち一度、こここれにとぇ、たた退席する失礼をお許し下さいませ」
大川係官は、こちらの返事も待たずに、逃げ出すように応接室から出て行った。
それを見送る鈴音と彩華は微妙に肩が震えている――当然寒いのではなく、笑いを堪えているのはお約束です。
「彼、大川君は――」
と、平城司令が重たげに口を開く。
「――この『北浜』のとある高官の息子なんですよ。だからどうだと言う訳では無いのですが、どうにも言動や態度に問題があったです。まあ、既にお気づきの事でしょう」
「はい、昨日は少々やりすぎ――」
返す俺の言葉を平城司令は切ると、
「いいえ、良いクスリになったようです。
戦争が終わって一年少々ですが、主立った武官はバルドア方面に行ってしまいましたから、天ノ原では文官色が強くなって、軍規律という物が色あせてしまいました」
大きく嘆息する。
「そうですね。私もそれを感じます。
戦争が終われば、いつまでも力押しとはいきますまい。その後の処理で、文官に骨を折って頂く事になります。武官はそのお手伝いとして、円滑な流れを作るために一歩さがりますので、そういった流れは仕方の無い事だと思います」
と言った俺は、元々文官が苦手、というのか反りが合わない。今後その流れを担って行く面々、その一人にあの大川係官が入っているのかよ、などと考えてしまい、ついつい大きめの溜め息を吐いてしまった。
「天鳥筆頭もそれを感じますか。
もっとも彼の場合、特権を持つ階級という、だからこそ戒めるべき部分が、表に出てしまっている。所謂世襲の悪しき部分とでも言いましょう。
しかしそれがわかっていながら、こちらで教育が出来ていない事がばれてしまいました。
全くもって面目ない。お恥ずかしい限りです――」
平城司令は、頭を掻きながら顔を伏せて、
「――お手間を取らせてしまいましたが、ありがとうございました」
と続けた。
「それは彼女達に。
いち早く彼の行き過ぎた感のある言動に気が付き、教育? のための行動に移りましたから……ね……ごめんなさい」
美人姉妹の座る左方向、四つのお目目から、なんと言いますか、そう、教育的見地から突き刺さるような視線に、俺の声は尻窄まりになっていた。
「天鳥神楽筆頭の教育は、本日の業務終了後で宜しいでしょうか山神彩華侍大将」
鈴音の抑揚の無い業務的な声が、事実上の実刑を求刑した。
「うむ、天鳥鈴音魔術師」
彩華のいつも以上に冷ややかな声が、一切を省いて判決のみを言い渡した――てか、弁護の機会は?
「ふっ――いや失礼。
こちらに滞在中は私どもに遠慮は無用です。天鳥筆頭と同様に、大川君には厳しく接して下さい」
平城司令が言ったその時、扉が静かに開いた。
当然全員が『誰?』的な視線を扉に向ける。
見ると、大川係官が入室してくる――って、それが駄目なんですよ。ここは一つ、と、
「大川係官。やり直せ」
彩華が先に言った――お見事、教育係様。
その言葉を聞いた大川係官の顔色が危ない青色に変化して行く。何が悪かったのか、わからないといった雰囲気だ。ここは一つ、と、
「なぜ、扉をノックして、許可を頂いてから入室しないのですか? あなたよりずっと年下の私ですら、知っている作法ですよ」
鈴音が先に言った。二人に随分と嫌われているようだね、大川係官。
更にヤバい青色に変化する大川係官は、きっと変な汗まで出ている事だろう――って、俺、この二人に今晩教育指導を受けるの? それって、かなりヤバい事では?
美人姉妹にバッサリ斬られるように言われた大川係官は、涙目プラス股間を隠すように押さえると、
「ごごごめんなさい。申し訳ございませんでした」
一度退室して扉を静かに閉めると、一拍おいて、扉をコンコンと二度程軽く叩いた。
「どうぞ」
平城司令が応えると、
「失礼します」
扉を開いた大川係官の入室がようやく認められた。
「「はい、よく出来ました」」
それを美人姉妹は、ニコリと笑みを浮かべて褒めた。
「準備できたのかな大川君」
問いかける平城司令に
「は、はい、た、たた大変お待たせいたしました。準備が整いましたので、ご案内いたします」
声が裏返えり、危ない青色で染まった顔の大川係官の案内で、俺達は保管庫へと向かった。
読み進めていただき、ありがとうございます